山岳小説(国内)・詳細データ 〜は行〜
 
 
 
 
作 品 名
「山頂のきせき」(橋爪 健、1951年)
あらすじ
 中学生の村地伊佐次は、両親が亡くなって遠い親戚の家に預けられていたみなし児だった。ただ一人の兄がいるものの、6年前の終戦間際に出征したきり生死不明のままだった。その日は中学校の山岳部で北アルプス登山に行く予定だった。出掛けに愛犬のピコが寂しそうにじゃれついたが、連れていってやるわけにもいかない。ピコを置いて集合場所の松本駅に行き、皆と一緒に島々行きの電車に乗った。すると、電車の横をピコが走って追いかけてくる。伊佐次は可哀想になって、先生に頼み込み、上高地の宿屋に置いていくことを条件に連れていくことにした。
 翌日、井沢先生に連れられた部員15名は、勇んで槍ヶ岳に向けて出発した。槍沢から先は大雪渓となる。五重塔みたいな槍の穂が見える。最後は手を付きながら絶壁に近い場所を登っていった。やっと絶頂へ来た。皆思わず「万歳!」と叫んだ。山頂に小さな祠があり、中に入っていた登山者たちの名刺を皆で読み始めた。とその時、伊佐次は「あっ」と声を出した。「村地哲一郎」と書かれた紙切れがあったのだ。伊佐次の兄と同姓同名で、日付も昭和26年7月22日とわずか10日前だ。近くの宿屋を調べれば住所も分かるかも知れないと先生に言われ、伊佐次も急に嬉しくなってきた。
 帰り道、親友の中山とお花畑で話し込んでいると、いつの間にか辺りは霧に包まれていた。どこへ行ったら良いのか分からず2人は無我夢中で歩き回ったが、やがて夜になってしまった。槍沢小屋付近では、2人が降りてこないと大騒ぎになっていた。捜索が開始されたものの、2人の行方は知れなかった。強力から「今日は諦めた方がいい」と言われ、先生たちも肩を落とすしかなかった。そこへ突然ピコが現れた。小一時間ほど走るピコの後を付いていくと、抱き合って倒れている2人を見つけることができた。冷えきって気を失っていたが、2人とも生きていた。しかし、走り回ったピコはそこで息絶えてしまったのだった。
感 想 等
(評価:C)
 中学生向けの雑誌に掲載された短編山岳小説。みなし児、戦争で行方不明の兄、NHKのたずね人(?)、山頂に置かれた登山者の名刺……、わずか10数ページの中に気になる箇所がいくつもあるが、いずれも時代を感じさせると言えよう。「NHKのたずね人」なんて、その時代の人にしか分からないかもしれない。
 それにしても、戦争直後、登山はすでにかなりメジャーだったわけですね。犬のピコが家から抜け出したり、上高地の宿からも抜け出したりと「一体どうなってるの?」とは思うものの、話自体はちょっと感動的。でもラストはやり過ぎかもしれない。
山  度
(山度:70%)
 槍ヶ岳登山のお話。7月末か8月頭くらいの時期で、槍沢から先に大雪渓があるって、昔は今よりも雪が多かったのだろうか。
 
 
 
作 品 名
「富士山頂」(橋本 英吉、1948年)
あらすじ
 野中至は、慶応3年、古い家柄の家に生まれた。国家的な事業で名を上げることが家門の名誉・男子の本懐という明治の時代にあって、気象学に興味を持っていた至は、その方面で事業を興したいと考えていた。中央気象台の和田雄治と知り合いになった至は、わが国の気象観測事業を発展させるためには高層気象観測が不可欠であることを痛感し、富士山頂での常住観測を計画し始めた。当時、登山家も強力も冬の富士山頂は踏破していなかった。冬富士での観測は、風雪に耐える建物の構造や服装、食糧、燃料、衛生など課題が山積みであった。
 明治28年2月に単独で富士山頂を極めた至は、その年の夏には観測所建設に着手した。予想以上の風や寒さ、高山病に苦しめられ、多くの人夫が逃げ出したものの、至の熱意に動かされた棟梁や強力・熊吉の協力もあり、なんとか完成まで漕ぎつけた。至は9月30日に富士山に登ると、10月1日から観測を始めた。2時間置きに約30分かけて観測し、その合間に食事や睡眠などをする生活は体力的に厳しいものだったが、それ以上に至を悩ませたものは精神的な孤独感だった。
 2週間ほどして、熊吉と一緒に妻の千代子が上がってきた。夫とともに山頂に籠もるという千代子の申し出を頑なに拒んだ至は、千代子の固い決意に負けて容認したものの、内心嬉しかった。2人での観測生活は至に潤いをもたらしたが、その厳しさは相変わらずだった。日ごとに気温は低下し、千代子の持病である扁桃腺の悪化、長期高所滞在による食欲不振やビタミン欠如、運動不足、悪化する凍傷・・・2人は満身創痍だったが、至は2時間おきの観測を1度として欠かしたことはなかった。
 観測開始から84日目、至らの状況を知った恩師の和田技師や御厨署長らが、至を下山させるために登って来た。強制的に連れられた至は、志半ばにして下山することを泣いて悔しがったが、至はもはや自力では下山できない状態だった。富士山頂での常住観測という至の壮挙は、日本中で大歓迎され、その後の富士山測候所の設置へとつながっていったのだった。
感 想 等
(評価:C)
 明治28年、冬期の富士登頂すらなされていなかった時代に、80日以上にわたって気象観測を行い、日本の気象予報発展に大きく貢献した野中至・千代子夫妻の物語。新田次郎の「芙蓉の人」や、新東宝や東映の映画「富士山頂」などでも知られている物語だが、小説としてはこちらの方が先で、本作が映画の原作となっている。話の内容は、新田版や映画で先に知っていたが、改めて橋本英吉版で読んでも、その精神的・肉体的労苦に負けず献身する姿に感動する。
 昭和23年と古い本で、字体も読みにくい。「氣象臺(=気象台)」「體力(=体力)」、「負擔(=負担)」といった感じで、しばらく読み進めてから読み方がわかるケースなどもあったが、そんなことも気にならないくらい惹きこまれてしまう。
 至と千代子の関係は、表面的には明治ならではという感じがするが、心の底で深く結ばれている様は微笑ましい。至の執念は凄いが、千代子あっての至であり、新田次郎が千代子を主人公にしたのも頷ける。物語の本筋とは関係ないが、死を前にした和田技師の言葉にも感動した。
山  度
(山度:70%)
 登山としては富士登山のシーンが何回か出てくるものの、あまり長くない。高所観測の場面は実際は室内の描写も多いが、山頂付近の暴風・猛吹雪や高山病・凍傷の様子などもあり、高所ならではの雰囲気を伝えているので、山度は高めにした。


作 品 名
「神奈備」(馳 星周、2016年)
あらすじ
 芹澤潤の母親は、潤が生まれたときから育児を放棄して、毎晩男を連れ込んでばかりいた。潤は菓子パンとジュースだけで育ち、お風呂も週1回だけだったため、友達もできなかった。10歳の時にたまたまTVで見たツール・ド・フランスに憧れ、新聞配達のアルバイトでお金を貯めて、やっとの思いで自転車を買った。しかし、自転車部のある高校に行くという潤の夢は、母親のせいで諦めざるを得ず、潤は中学を出てすぐに働くことになった。
 母親のせいで進学を諦めざるを得なくなった日の翌日、潤は木曾街道の地蔵峠まで自転車で登り、御嶽山を眺めていた。その時に御嶽の噴火を目撃した潤は、御嶽山には神様がいると確信した。
 自転車で通勤し始めた潤は、毎日出勤前に地蔵峠に寄って御嶽山を眺めた。そして、働き始めてから4年が経った日、潤は神様に会うために御嶽山に登る決心をしたのだ。神様に会って、「どうして僕は生まれてきたのか?とうして生きていかなければいけないのか?」聞きたかった。神様に会うためには、人が登りそうにない悪天候の日でなくてはならない。二つ玉の低気圧が近づいているという日を敢えて選び、潤は自転車で中の湯まで登り、そこから山頂を目指した。
 強力の松本孝は、悪天候を前に山から下りようとしていた。その時、突然携帯が突然鳴った。ディスプレイに表示された「恭子」という名前を見て、不審に思いながら携帯に出てみると、それは飲み屋「ひかり」のママだった。恭子が言うには、息子の潤が御嶽に登ると書置きをしていなくなったという。しかも、潤の父親は孝だというのだ。確かに身に覚えはあった。恭子は売女で有名だったが、酔った勢いで抱いてしまい、以来、長いこと「ひかり」から足が遠のいていた。潤が自分の息子かどうかはわからないが、こんな天気の中、山に向かっている人間がいるというのに放っておくことはできない。孝はやむなく潤を探し始めた。神様に会うため御嶽山頂に向かう潤、その潤を追う孝。しかし、天候は予想以上に急速に悪化し始めた・・・。
感 想 等
(評価:C)
 2015年、御嶽が噴火する1週間前に、馳氏は取材のため御嶽に登ったという。その影響が作品の随所に現れている。ただ、勝手な想像で言ってしまって恐縮だが、馳氏は神様を信じていないのだろうと思う。それゆえに、潤の思いが何か物足りないように思える。また、孝の潤の対する思いが、山の中で次第に変化していくが、その背景が弱いように思う。悪く言ってしまえば、一時の気の迷いに過ぎない。
 極めてシンプルな物語で、非常に難しい野心的な作品だと思うが、その挑戦が成功したかといえば、自分にはうまく伝わってこなかった。結末については賛否両論あるところだろう。
山  度
(山度:70%)
 舞台はずっと御嶽山中で山度は高いのだが、潤と孝の心の中の思いが中心にあるので、山岳小説という印象はやや薄い。御嶽の地図が付いていれば、もっと良かったかもしれない。




作 品 名
「蒼き山嶺」(馳 星周、2018年)
あらすじ
 山岳ガイド兼遭難対策協議会のわたし得丸志郎は、白馬鑓付近の残雪の様子を確認しに出かけた帰り途、体力に見合わない大きなザックを背負ってフラフラと登ってくる登山者に遭遇した。遭難されたらかなわないと思って声をかけたところ、大学時代の山岳部仲間だった池谷博史だった。池谷は、大学卒業後に警視庁に就職し、公安部に配属。以来、20年もの間忙しく過ごしてきたが、暇な仕事に変わったので、昔よく通った後立山に来たのだという。わたしは、卒業以来、長野県警の山岳救助隊で働いてきたが、3年前に交番勤務を命じられたらことを機に、警察を辞めた。わたしは、山に登り続けるために、警察官になったようなものだった。池谷はすっかり中年太りになっていたが、どうしても白馬岳まで行きたいという。わたしは、池谷の依頼を受けて、ガイドを引き受けることにした。
 池谷とわたし、そして若林の3人は、大学山岳部で三羽烏と言われるほど、抜きん出た技術と体力を持っていた。しかし、天性の才能を持った若林と違って、わたしと池谷は努力と根性で登るタイプだった。だからこそ、2人とも若林には負けたくないと思っていたし、そのためにひたすら山に登った。その若林も、10年ほど前に、8000m峰の無酸素登頂9座目となるK2の帰路、雪崩に巻き込まれて死んだ。遺体はまだ見つかっていない。
 白馬岳への途中、携帯で遭対協に連絡を入れると、きな臭い情報が入ってきた。下界では、国道や県道で検問が行われ、日本海へと出ようとしている公安の人間を探しているという。その情報と池谷の顔が結びついた瞬間、わたしの後頭部に拳銃が突きつけられた。理由を聞いても池谷は「知らない方がいい」と言うばかりだったが、どうしても白馬岳、朝日岳を超え、栂池新道を通って日本海まで行かなければならないという。池谷の事情は分からないが、大学時代の友情を信じて、わたしは池谷を日本海まで連れて行く決心をした。
 途中、足首を捻挫してしまった池谷と山頂直下の小屋で休憩していると、昨晩、鑓温泉で一緒にテン泊していた、三枝ゆかりという女性がやってきた。ゆかりは亡き若林の妹で、2人の名前を聞いて思い出し、追いかけて来たのだという。若林の妹を巻き込みたくはなかったが、行きがかり上やむを得なかった。3人が白馬岳山頂を越えると、反対側から登ってくる3人組の男たちの姿が見えた。男たちは北朝鮮の工作員だった。雪の後立山を舞台に、命を賭した戦いが始まった。池谷はなぜ北朝鮮の工作員から命を狙われているのか、池谷は一体何者なのか・・・。
感 想 等
(評価:A)
 最近、山や登山を絡めた作品を発表している馳星周氏の新作は、ミステリータッチながら本格的な山岳小説。加えて、昨今緊張感を増している北朝鮮問題を絡めたミステリー、冒険小説でもある。ただ、北朝鮮工作員を感情を持った一人の人間として描いているという点で、本作は特異かもしれない。
 ストーリーは、現在と、過去の山岳部時代の話とが交錯するが、今は亡き若林の存在を上手く使うことで、違和感なく、また読者に誤解させることなく、巧みに話を進めている。ラスト手前、30ページほどで描かれている大学山岳部時代の話は秀逸。山仲間の友情についてはそれまでの展開で十分伝わってくるが、ラストの逸話で、山仲間の結びつきや、その強さがよくわかる。
 また、山をやる人は皆同じ思いだと思うが、自分が山を始めた頃の感動や新鮮な気持ちを思い出して、なぜだか「山っていいなぁ」と思えてしまう。
山  度
(山度:100%)
 白馬岳を中心に、春山の様子が堪能できる。特に、大学山岳部時代の逸話に、誰もが熱くなることだろう。




作 品 名
「雨降る森の犬」(馳 星周、2018年)
あらすじ
 4年前に雨音の父・俊弥が胃癌で亡くなって以来、母の妙子は若いボーイフレンドにのめり込み、しょっちゅう家を空けるようになった。その妙子が自称前衛芸術家の彼の後を追ってニューヨークに行くと聞き、14歳で中学二年生の雨音は、母親に振り回されることにウンザリし、叔父の道夫と一緒に住むことにした。道夫は山岳写真家で、蓼科高原に一人で暮らしていた。叔父の家には、かつてマリアというバーニーズマウンテンドッグの大型犬がいて、雨音は人懐っこくて優しいマリアが大好きだった。そのマリアはもういないが、今は同じ犬種のワルテルがいる。ワルテルは個性的な犬で雨音を子分扱いしたが、一緒に暮らすうちに雨音はワルテルのことも大好きになっていった。東京の学校にはイジメっ子もいたが、ここでは有紀や静奈といった親友もできた。
 道夫の家の隣に、国枝という企業経営者の別荘があり、毎年GWや夏休みになると一家で遊びに来るのが常だった。その一人息子の正樹がイケメンだと有紀や静奈が騒ぎ立てたが、実際に会ってみるとぶっきらぼうで感じ悪く、雨音は正樹が苦手だった。しかし、雨音同様に親との折り合いが悪いこと、道夫を実の父親のように慕っており道夫といる時は素直だということなど正樹のことを知るにつれて、少しずつ正樹に対する見方が変わっていった。
 夏を迎えたとある日、母の妙子が雨音をニューヨークに連れて行くために、日本に戻ってくるとの連絡が入った。母と顔を合わせたくない雨音は、その日にツーリングに連れて行って欲しいと正樹に依頼。その見返りとして雨音は、山岳写真家になりたいという正樹に付き合って、道夫と3人で蓼科山に登ることになった。ワルテルも一緒だった。嫌々山に登った雨音だったが、山頂からの景色を見て素直に感動した。そこには、自分の足で登った者しか見ることのできない景色があった。絵を書くことが大好きで、嫌なことがあったときには絵を描くことに没頭して心を落ち着かせていた雨音だったが、初めて描きたいものが見つかったと思った。
 妙子が帰国した日、一度は逃げ出した雨音だったが、ワルテルが怪我をしたこともあり、家に戻って母親と向き合った。ワルテルに、道夫に、正樹に勇気をもらい、雨音は母とちゃんと話をすることができた。雨音を連れて行くことを諦めた母は、1人ニューヨークへと戻っていった。
 それから5年。雨音は美大生となり、夏場は穂高岳山荘でアルバイトをしていた。正樹は山岳写真家として売れ始め、今はクライミングの練習の為ためアメリカに渡っていた。そんな時、穂高岳山荘でアルバイト中の雨音の下に、道夫から電話が入り、ワルテルがマリアと同じ病気で余命幾ばくもないと知らされた。
感 想 等
(評価:B)
 親との軋轢、ペットとの触れ合い、友人たちとの付き合い、さまざまな出会いと別れ、ぶつかり合い、心の葛藤などを通して、成長していく少女を描く心温まる物語。
 馳さんというと一般にはハードボイルド系のイメージの方が強いのかもしれないが、私自身はハードボオイルド系作品を読んだことがない。読んだことのあるここ数作品だけの印象で言えば、ちょっとした出来事・エピソードの積み重ねで、心の襞の移り変わりを描いていくのが上手いなぁとの印象。本作ではペット(犬)ともに生きる生活・人生も重要なポイントになっているが、その考え方にも、なるほどと思わせるものがある。
山  度
(山度:10%)
 登山関連は、雨音・道夫・正樹の3人で蓼科山に登るシーンがメインで、あとは上高地から横尾までの散策や雨音の山荘アルバイトシーンが出てくる程度。さほど多くない。
 
 
 
作 品 名
「サマーレスキュー 〜天空の診療所〜」(秦建日子、2012年)
あらすじ
 北アルプスの中央・稜ヶ岳の標高2500m地点にある稜ヶ岳山荘。1972年夏、会社を辞めて山荘で働き始めて3年になる小山雄一は、いくつもの死を見つめ、医者の必要性を痛感していた。医者がいてくれたら救えた命があったのに・・・、その思いを胸に、小山は時々山小屋に来てくれる東京の医者をリストアップし、診療所開設を依頼して歩いた。しかし、反応ははかばかしくなかった。個人病院では人員的にも予算的にも無理、腰痛がひどくて・・・そんな言葉に跳ね返され、小山は失意のうちに帰路についた。
 山荘に戻る途中の登山道で、水を飲み尽してバテてる登山者がいた。それが明慶大学病院の医師・花村孝夫との出会いだった。小山の助けを借りて何とか山荘まで辿りついた花村は、小山のことを命の恩人と呼んだ。花村が医師だと知った小山は、ダメ元で花村に診療所開設を依頼した。花村は「考えてみます」と言って帰っていった。
 花村から連絡がないまま1年が過ぎた。73年8月、落雷に打たれて男性が重傷との連絡が稜ヶ岳山荘に入った。駆け付けた小山だったが、一目見て「助からない」と思った。心臓マッサージで辛うじて脈を取り戻した男性を山荘に運ぼうとした小山の前に、1年ぶりに花村が現れた。花村のお陰で男性は一命を取り止めた。
 そして1992年夏、花村によって開設された山の診療所に倉木が着任、さらに20年後の2012年には速水が診療所へと向かった。
感 想 等
(評価:C)
 テレビドラマ日曜劇場「サマーレスキュー ~天空の診療所~」の小説版であるが、テレビとは少し異なり、テレビ版の第3話までを組みかえた形のオリジナル・ストーリーとなっている。速水医師が20代後半でエリート医師だったり、標高2500mなのに肺水腫で死にかけたりと、やや疑問符が付く部分があるという点は小説もテレビも同じ。ただ、テレビ版では、尾野真千子演じる遥の性格や、速水医師の使えないエリートぶりなどが極端過ぎる気がするが、小説版は全体的にコンパクトにうまくまとまっている。何もない山の診療所の役割が、都会との対比の中でうまく表現されている。
 山の診療所での実話に基づいているという意味では貴重なドラマ。変にお涙頂戴的な展開になっていないところがいい。
山  度
(山度:90%)
 小説の冒頭に「日本百名山の一つでもある鷹羽岳」との表現があり、そこが「鷲羽岳」であること、診療所が三俣山荘であることがわかった(双六小屋の可能性もあるかと思ったのですが)。巻末に、実際にこの診療所に詰めていた臼井医師によるコメントが寄せられており、これもいい。

 

 
作 品 名
「息子と狩猟に」(服部 文祥、2017年)
あらすじ
 12月のとある金曜日の午後に半休を取ると、倉内は狩猟に出かけることにした。小学校6年生になる息子には、朝早く猟に行くと伝えてあった。一緒に山歩きをしていて、息子が猟に興味を持ち始めていることに気付き、今回は連れて行くことにしたのだ。
 夕方から車で2時間ほど走って、倉内がいつも使う奥秩父山塊南側の猟場に向かう。登山口近くの温泉街の安宿で1泊すると、翌朝、車で登山口まで走って入山した。倉内は息子に猟の基本を教えながら歩き、やがて登山道を離れて山仕事の道へと入っていった。その日、何頭かと鹿に出逢ったが、うまく仕留めることはできなかった。テントを張り、焚き火を熾し、ふりかけだけのご飯を食べ、夜の猟に出た。夜の猟は禁止されているが、夜行性の鹿はむしろ夜に歩き回る。しばらく歩くと、暗闇の中に2つの小さな光を発見し銃を放った。鹿だった。射止めた鹿を解体すると、倉内は鹿をテントまで運んだ。
 加藤は、オレオレ詐欺のチームを束ねる番頭だった。昔は、電話帳から適当に電話をかけても騙せたが、今は世の中に知れ渡ってしまったため、優秀なチームでなければ金を騙し取れない。加藤は、金主である金井が用意したリスト、家族構成や勤め先など事細かな個人情報金が書かれたリストを買い取り、副番頭の平井と一緒に、シナリオを作って演じる詐欺チームや、金を引き出す出し子、運び屋などを集めて詐欺を実行する。今回は、いつも使っている運び屋の北村が東北へ出かけて留守だったため、金井が用意した白井という運び屋を使った。リストは本物で、打率は4割以上だった。ところが、運び屋の白井が襲われて、金を奪われたと聞いて、加藤は金井に騙されたと気付いた。最近調子が良く独立を考えていたため、金井に狙われたのだ。
 加藤は、仕返しのために、金井の下にいる野本という男を殺すと、ばれないように山奥に捨てることにした。加藤と平井が、野本の死体を埋めている途中、銃声が聞こえた。加藤が急いで斜面を登り、逆側の斜面を見下ろした。すると、傷ついた小鹿に続いて親子連れが現れた。始末しないとまずい、そう思った加藤はナイフを持って子供を人質に取ると、猟師に鉄砲を置くよう要求した。倉内と加藤は、鉄砲とナイフを持って対峙した。
感 想 等
(評価:B)
 なぜ、人を殺してはいけないのか。人間が作った法律というルール抜きに、その質問に答えることは極めて難しいと聞いたことがある。実際、自分の頭でちょっと考えてみればすぐにわかる。その難題に、サバイバル登山家として、猟師として解答を呈示しているのが本作だ。その解答に万人が納得するかどうかは別だが、解答の1つであり、生ある者としての覚悟であることは間違いないだろう。
 オレオレ詐欺の描写といい、猟の間合いといい、この人は文章がうまい。だから、余計にリアリティがある。本書に併録する「K2」もそうだか、ノンフィクションでも語っていた命に対する思いが、小説という形をとることで、また違った形で生々しく伝わってくる。
山  度
(山度:30%)
 本作は登山ではないが、狩猟で奥秩父の山奥を歩いている。
 
 
 
 
作 品 名
「南アルプス鳳凰三山殺人事件」(柊治郎、2003年)
あらすじ
 (一部ネタバレあり) 4年半の交番勤務を経て、神奈川県下で一番小さな津久井警察署に配属された新米刑事・島村啓介は、熊井係長の下で日々しごかれていた。52歳のベテラン刑事である熊井は、小柄で頭が薄いこともあって年よりも老けて見えた。皆からは熊親爺と呼ばれていた熊井は、見た目通り普段は冴えないが、捜査では権力に屈しない頑固者で、何よりも人情がある刑事だった。
 啓介が津久井署に来て半年後、医療ミスに端を発した病院立て籠もり事件が起きた。犯人の自殺により事件は終了したが、警察は医療ミスについて捜査を続けた。事件は、リンパ腫の切除手術を受けた5歳の少女がその晩に出血し、呼吸困難に陥って亡くなるというものだった。手術を行った菊地原清医師はその晩連絡が付かなかったが、浮気相手と一緒だったと噂されていた。
 病院の堅いガードで医療ミスの真相解明が暗礁に乗り上げた頃、相模川に若い女性の全裸絞殺死体が上がった。捜索の結果、佐野恵子というレディース暴走族のヘッドと判明したが、犯人に結び付く情報は得られなかった。同じ頃、南アルプスの広河原でも、若い女性の全裸死体が見つかった。熊親爺と啓介は、熊親爺の同期で山梨県警小笠原署の古屋係長らとともに捜査に当たった。そして、広河原の現場近くに残っていた焼け跡から佐野恵子の携帯電話が見つかり、そこに菊地原医師宛ての発信履歴が残っていた。
 菊地原を呼び出して尋問したものの口を割らなかった。佐野恵子の死亡推定時刻には、菊地原にアリバイがあった。また身元不明の南ア全裸死体の死亡推定日には両神山に出かけていたと主張した。しかし、菊地原が提出した写真に、60年に1度しか咲かないという熊笹の花が写っていたことから嘘を見抜き、熊親爺と啓介は、その時期に熊笹が咲いていた夜叉神峠から観音岳を目指した。そこで、写真の撮影場所を特定し、薬師岳小屋では菊地原と女性の目撃証言を得た。追い詰められた菊地原は、丹沢へと逃げ込んだ。
感 想 等
(評価:C)
 出世からは縁遠いけれど、捜査にこだわりを持った人情刑事。一見、関係ないように見える2つの殺人事件が結びついていく。そんな設定・展開は、ある意味三流ミステリーの王道で、2時間ドラマにでもしたら面白そうだが、本作はただそれだけの作品ではない。というとちょっと褒め過ぎかもしれないが、ストーリー展開重視のミステリー作品によく見られるような、偶然の手掛かり発見が事件を解決するのではなく、そこに至る地道な空振り捜査がしっかり描かれている。本格推理ミステリーのようなトリックはないし、謎解きの爽快感もないが、現実はこんなものかもしれないと思わせられる。また意外と知らない警察用語や裏事情について丁寧な説明が付いておりちょっと得した気分。
 ただ、タイトルは少し考えた方が良いと思う。この手のミステリーに一定数のファンがいるのかもしれないが、今一つ内容と合っていない気がするし、タイトルだけで作品が安っぽくなってしまうのは勿体ない。
山  度
(山度:10%)
 犯人の趣味は登山。そして熊親爺の趣味も登山。なので、犯人のアリバイとそのアリバイ崩しに登山が絡んでくる。著者は登山をする方なのだろうか、夜叉神峠から観音岳登山と、大倉の先・二股から塔ノ岳登山と2回登山シーンが出てくるが、その描写も楽しめる。
 
 
 
  
作 品 名
「緑雨の回廊」(樋口 京輔、2000年)
あらすじ
 ダムの建設技師岡沢稔が黒部真川ダムで行方不明になった。その少し前、稔と一緒にいたところを目撃されていた宇治老人がダムで死体で発見されたことから、稔に嫌疑がかかった。
 失踪の直前、稔は立山曼荼羅のコピーと日記を妻の千賀子に送っていた。千賀子は大菩薩にある建築現場にいるはずの夫が立山にいることに、そして千賀子と姑がうまくいかなかったために、2度と戻らないと自分に誓ったはずの富山に夫が行ったことに愕然としながらも、日記と曼荼羅を頼りに夫の行方を探しに出かけた。
 夫の後輩・日尾や上司・大久保、真川ダムでの後任・村上などに案内してもらいながら手掛りを追う千賀子は、夫も尋ねた志鷹先生の協力を得て、戦国時代の武将・佐々成政が埋蔵金の隠し場所を記したという立山曼荼羅を読み解きながら、夫の足跡を辿って行った。
感 想 等
(評価:C)
(ネタばれあり、ご注意下さい)
 故事を絡めた冒険物というのは、どうも今ひとつの作品が多い気がする。そもそも夫婦愛が重要な要素でありながら、稔が埋蔵金探しをなぜ千賀子に内緒にしていたかが明白になっていないし、第三者からみると日尾の殺人動機もあまりに弱過ぎる。そうした根幹の弱さが、全てを台無しにしている気がする。冒険小説としても今一つか。
山  度
(山度:20%)
 立山、黒部川を舞台にした冒険小説。ピークハントはないものの、アウトドア色はそこそこ。
 
 
 
 
作 品 名
「殺意と絆の三ッ峠」(聖 岳郎、2021年)
あらすじ
 3年前に脱サラして探偵業を始めた44歳の空木健介は、趣味の登山で三ッ峠山に来ていた。ウイークデーということもあり、その日、三ッ峠山荘に泊まったのは空木ともう一人、森重裕之という30代後半の男性の2人だけだった。2人だけという気安さから夕飯を共にしに、翌朝も一緒に下山する約束をした。
 ところが翌日、早朝から富士山を見に三ッ峠山頂に向かった森重が戻ってこない。気になった空木が山頂まで行ってみると、森重らしき人物が崖下に転落して倒れていた。急いで救助を要請したところ、森重は意識不明の重体だったものの、辛うじて一命を取り留めることができた。駆け付けた森重の妻と実父・勇作によると、森重は1年ほど前にホープ製薬に吸収合併された太陽薬品のMR(医薬情報担当者)だったが、合併とともに本社の販売課長となり、仕事や人間関係で悩んでいる様子だったという。
 森重の妻と父・勇作は、裕之の転落が自殺ではないかと考えていた。夫が、息子がそこまで悩んでいたことに気付いてあげられなかった後悔から、 2人は裕之に何があったのか調べて欲しいと、探偵である空木に依頼してきた。森重の転落に疑念を覚え、また少なからぬ縁を感じていた空木は、その依頼を引き受けることにした。
 裕之の入社同期の菊田や大森、元MRだった空木のかつての同僚、空木の行き付けの店・平寿司の飲み仲間など人脈を駆使して調査を進めた結果、合併相手であるホープ製薬出身の上司・下松部長のパワハラ、その命を受けていたと思われる同僚の国崎課長の嫌がらせで裕之が悩んでいたこと、また裕之が転落した日に三ッ峠山荘の隣にある四季楽園に国崎課長らしき人物が泊まっていたことが判明した。
 そんな矢先、国崎から裕之の実父・勇作に話があるとの連絡があり、その待合せ場所がどういうわけか扇山の山頂だった。勇作とともに空木が待合せ場所に行ってみると、山麓の小屋で国崎が麓で殺されていた。国崎を殺したのは誰か、裕之は自殺か他殺か、謎は深まる一方だった。た。
感 想 等
(評価:C)
 三ッ峠山頂で偶然転落事故に遭遇した空木探偵の活躍を描くミステリー。出版社の「ブイツーソリューション」は主に自費出版を行っている会社なので、そういうことなのだろう。
 トリックやアリバイ崩しなど凝った展開はないものの、事件解決までの偶然に頼り過ぎない展開は、「物語」としては十分に面白い。ただ残念ながら、タイトルに比して山のシーンはあまり多くない。空木探偵を持ち上げ過ぎの感はあるものの、シンプルに2時間ミステリードラマ的に楽しみたい。
山  度
(山度:10%)
 冒頭、三ッ峠での登山シーン、中盤扇山登山などが登場。途中途中に富士山の遠景や、事件のカギとなるエイトノットなども出てくるも、山度は全般的に低い。
 
 
 
作 品 名
「山と村の怖い話」(平川 陽一、2017年)
あらすじ
 フリーランスのカメラマンであるMさんは、仕事がぽっかり空いたので山小屋でゆっくり過ごすことにした。幸い平日だったので、ほとんど誰にも会うことなく、男性登山者一人に追い抜かれただけだった。
 山小屋に着くと、馴染みの主人が笑顔で迎えてくれた。追い越していった男は、小屋にいなかった。テントを張れる場所もないし、日帰りできるような山ではないというのに・・・。Mさんは、気にせずに夜まで主人と談笑して過ごして就寝した。
 その晩、ふと気配を感じて目を覚ますと、小屋の入口辺りに男の気配があった。例の男性が道でも間違えて今頃着いたのだろうか、などと考えているうちにまた寝てしまった。
 翌朝、主人に聞いてみると、昨晩は他に客はいなかったという。Mさんの話を聞いて主人の顔色が変わった。主人が打ち明けてくれたところによると、以前、小屋の近くで登山者が道迷いで遭難死したことがあり、以来、亡霊が現れるとの噂があるという。主人も見たことがなかったので信じていなかったが、Mさんの話を聞いてピンときたそうだ。
(「山小屋で出会った男」のあらすじ。全75編を収録)
感 想 等
(評価:C)
 最近流行りの山の怪談もの。山の不思議、村の怪異、不吉な因果、伝説の謎の4部構成となっており、山関連は「山の不思議」に収められた19編。1話は短いものは2頁から、長いものでも10頁程度。
 これを小説と分類するのは微妙なところで、伝承されている話や噂を、リアリティを出すために小説風にまとめたといった感じ。
 話そのものは、ぞっとするような怖さはないが、ちょっと怖い話やどこかで聞いたことのあるような話が満載。個人的には特にお勧めするわけではないが、気軽に読める。怪談好きの方はどうぞ。
山  度
(山度:20%)
 白馬山、鳳凰三山、北八ヶ岳、瑞牆山、西吾妻山など色々な山が登場するが、この山でないとダメという話は少ない。「山の不思議」編は舞台が山の話だが、山感はあまりない。


 
作 品 名
「弧峰の翼」(平野 肇、1997年)
あらすじ
 江南タクシーの優良運転手・吉永が、信号無視で突っ込んできたバイクを撥ねて相手を死なせてしまった。吉永と懇意にしていた大滝蓮二は、同社で事故処理を担当している。この事故は目撃者もおり、明かに相手に非があったことから、特に揉めることなく片付いた。
 ところが、その数日後、吉永が行方を断った。大滝は、アメリカから帰国してきた吉永の娘・瑞樹とともに吉永の行方を探したが、手掛りは謎のマークが付いた銀山湖周辺の地図1枚だけで、一向に行方は知れなかった。それどころかイースト興行の矢萩らが吉永捜索を妨害をし、大滝は職を追われ、家を追われることになってしまった。
 吉永はどこに消えたのか、矢萩らの目的は何か、そして銀山湖周辺に住む天然記念物イヌワシを人質にするという奇怪な脅迫事件との関係は・・・。事件の謎を解くべく、大滝は銀山湖へと向かった。
感 想 等
(評価:D)
 ある意味、冒険小説の王道のようなストーリー展開でありながら、やや中途半端な部分があり読んでいてひっかかる。大滝はなぜこれほど事件に拘るのか、プロローグの事件について後半できちんと謎解きしていない、事件の本当の首謀者は一体誰なのか…等々。また登場人物の善悪がはっきりし過ぎていて、例えば宿の主人やイヌワシ研究家が、一度しか会ったことのない、いわば他人に過ぎない大滝に対して妙に優しく協力的だ。話としてはおもしろいのだが、つい文句を言いたくなってしまう。
山  度
(山度:10%)
 荒沢岳で遭難した瑞樹の救出、平ヶ岳を舞台にした矢萩らとの攻防、銀山湖とイヌワシ・・・山に関連する描写は所々に出てくるが、「長編山岳ミステリー」と銘打っているわりには、山岳シーンがあまりに少ない。
 
 
 
作 品 名
「疲労凍死」(平山 三男、2009年)
あらすじ
 昭和30年5月下旬、白河高校山岳部一行は温泉神社から甲子山を経て三本槍ヶ岳まで往復する予定で入山した。部長の平田が先頭を務め、副部長の橋田が生徒たちのしんがりを歩き、さらにその後を引率教諭の篠原が続いた。那須連山は白河高校山岳部にとって地元の慣れた山で、7月に控えた福島県体育連盟主催の山岳競技に備え、1年生部員を鍛えるための訓練登山のはずだった。しかし、折からの悪天候による暴風雨で視界がなくなり、須立山を越えて鏡ヶ沼分岐まで来たところで一行は引き返すことにした。
 ところが、須立山の山頂は広く、方角がわかりにくい。一行はいつしか、須立山からやや左寄りのルートに迷い込んでしまっていた。ルートが間違っていることに篠原が気付いた時には、既に1年生部員らの疲労の色が濃くなっていた。正規のルートを探すために偵察に出た平田部長と3年生の村木が、約束の30分を経過しても戻らない。篠原は、2人をルート探索に出したことを悔みつつも、生徒たちを風雨の弱い南側斜面へと移動させることにした。ルート探索に出た平田と村木、救援隊を呼びに行くという佐藤と金子、疲労により動けなくなっていく1年生部員・・・。隊は次第にバラバラになり、未曾有の大量遭難へと繋がっていった。
感 想 等
(評価:C)
 実際に起きた遭難事故を元に書かれた作品。各種装備が現在のように防水や軽量化が進んでいなかったり、トランジスタラジオすらなくて気象情報が届いていなかったなど、今だったら起こり得ないであろう遭難という側面がある一方で、悪天候や登山中の無理、判断ミスなど、いつの時代にもありうる部分もあり、普遍的なテーマでもある。改めて、山の怖さや遭難の悲惨さなどについて考えさせられ、自戒の意味も込めて、山をなめてはいけないと感じた。
 小説としては、技術的な問題だが、意図的に時系列を前後させている部分について、もう少し違う並びの方が効果的だったのではないかなという気がした。個人的には、本書に収録されている「天幕の話」が、いかにも山屋っぽくて好きです。夜長にしみじみと読むのにいい感じ。
山  度
(山度:90%)
 「疲労凍死」はもちろん、併録されている「天幕の話」も山度たっぷり。
 
 
 
作 品 名
「雪山の一週間」(深田 久弥、1956年)
あらすじ
 「不死身の工藤」と言われた工藤孝太郎が、1月の北鎌尾根で行方を絶った。これは彼の若かりし頃の未発表の手記である。
 彼は1人で冬の立山に向かっていた。弘法小屋で3人のパーティーと一緒になったが、元来が無口の彼は3人から離れて寝た。翌朝孝太郎は、松尾峠に向かう3人の跡を追った。3人から離れていたために彼はラッセルをしなかったが、そのせいか3人は撮影をするからと言って孝太郎を邪魔者扱いした。
 その翌日、3人は天狗平から剣沢へ、孝太郎は室堂へ向かった。一ノ越から雄山を登り剱岳へと向かった孝太郎は、剱沢小屋でまた3人と一緒になり、剱への同行を求めたが断られてしまった。仕方なく1人で剱へ向かった孝太郎は、途中で引き返し剱沢小屋に泊めてもらおうと考えたが、それすらも断られてしまった。
 孝太郎は自らの口ベタをのろいつつも3人に怒りをぶつけ、乱暴に雪の斜面を歩いて行った。それが何かのきっかけになったのか、孝太郎の足元から雪崩が起きた・・・。
感 想 等
(評価:C)
 あの百名山の深田久弥氏の山岳小説、しかも加藤文太郎がモデルとあっては、今の時代から振り返るならば話題性は抜群と言えよう。
 山岳小説として格別どうというわけではないが、かつてはこうした山岳小説、すなわち山での出来事、しかも比較的日常的な出来事だけを素材とした小説が成り立っていたという事実に得も言われぬ、当時の暖かさ、素朴さと、それに対する現状への淋しさを感じてしまう。
山  度
(山度:100%)
 立山、剱、加藤文太郎・・・。そりゃあもう、山だけの純粋山岳小説です。



 
作 品 名
「暗門の祈り」(福井 次郎、2013年)
あらすじ
 今から20年ほど前、僕は初めて君に出会った。高校時代3年間山岳部だった僕は、大学に入って日本百名山を踏破しようと思い、ゴールデンウィークの八甲田山に向かった。しかし、高校時代に雪山を歩いたことがなかった僕は、春山の悪天候と、受験勉強で落ちた自分の体力を見誤っていた。おまけに、その日は風で熱っぽかった。それでも、お金を使ってわざわざ東京から来たのだからと、僕は箒場のキャンプ場を出発した。ヘトヘトになりながらも何とか山頂に達したものの、帰路、小岳を登り返したあたりで動けなくなってしまった。雪渓に身を横たえてじっとしていた僕に、声を掛けてくれたのが君だった。高校一年生だった君は、高校の女子山岳部として山行に来ていたのだった。山岳部の若い顧問の先生に付き添ってくれたお陰で、僕は下山することができた。下山後に君が持ってきてくれた豚汁の味を、僕は今でも忘れない。
 東京に戻った僕は、君に礼状を書いた。君からの手紙が届いたのは、2年後の夏のことだった。それは東京の大学に進学したいが、家が裕福ではないという君からの進路相談だった。それをきっかけに僕たちの文通が始まった。何度か手紙のやり取りをしたある日、突然君から電話がかかってきた。急いで君に会いに行った僕は、初めて君が抱えている悩みに直面した。母親がスナックを経営しながら女手一つで君を育ててきたこと、バブルが崩壊して店の経営が思わしくないこと、店の客だった男が家族を捨てて君の家に転がりこんできたこと、母親が君の東京行きを反対していること・・・。
 君の悩みに対して、僕にできることはなかった。我慢して高校を卒業したら、東京に出てくればいい。そうしたらいつでも会える。重い気持ちのまま1日デートをして、君は弘前へと帰っていった。翌月には2人で白神山地を歩いた。一緒のテントで寝泊りしたが、僕は何もすることができなかった。そうしている間にも事態は改善するどころか、どんどん悪化していく一方だった。。
感 想 等
(評価:C)
 今時珍しいくらいのストレートな恋愛小説。奥手で優柔不断なために一歩踏み出すことができない主人公にモヤモヤするが、実際その立場に立たされたら、なかなか踏み出せないだろうなぁとも思う。恋愛の重さについて、考えさせられる。
 20年前の思い出話という形を取っているが、物語上そこに必然性があるわけではない。携帯などのない設定でないと成り立たないことと、著者の世代的にこの時代の恋愛でないと描けなかったということだろう。ノスタルジックな雰囲気を味わいたい人向けだ。
山  度
(山度:30%)
 3年間高校山岳部にいたのに、GWの八甲田山にアイゼンすら持って行かないなんて、「そんな馬鹿な」と思う部分もあるが、八甲田山春山登山と白神山地散策が登場。「僕」と「君」の関係を構築する上で、山が重要なポイントになっている。
 
 
 
作 品 名
「きのうのオレンジ」(藤岡 陽子、2020年)
あらすじ
 五反田のイタリアンレストランで店長をしていた笹本遼賀は、33歳の若さで胃がんの宣告を受け、死の恐怖にどうしたら良いのか分からなくなっていた。しかし。15歳の時に父と一緒に登山に出かけた地元・岡山の雪の那岐山で、弟恭平と一緒に遭難してしまったあの時と同様に、遼賀は生きることしか考えていなかった。
 遼賀が入院した病院には、たまたま岡山の高校で同級生だった矢田泉が看護師をしていた。泉は、高校時代、遼賀のことが好きだった。いつも先生の手伝いをしていた遼賀、当番でもないのにゴミ捨てに行ったり窓の建付けを直したりしていた遼賀、高校最後の文化祭で委員長だった泉をただ一人手伝ってくれた遼賀。そんな誰にでも優しい遼賀が好きだった。
 遼賀と弟の恭平は、同じ学年で外見がよく似ていることから、周りからは双子だと思われていたが、実は遼賀は4月生まれ、恭平は3月生まれだった。しかも、恭平は、遼賀の母・燈子の双子の妹・音燈の息子で、本当の兄弟ではなかった。生まれつき身体の弱かった音燈が亡くなったことで、遼賀が4歳の時に、恭平は遼賀の弟になった。その時のことを覚えていた遼賀、16歳の時にたまたま母子手帳を見つけて自分が実の子ではないと知ってしまった恭平。2人は両親に心配をかけまいと、気付いているという事実を隠してきた。
 恭平は、母から実の子ども同様に認めて欲しいと思って野球に打ち込み、高校の時には県大会で優勝もした。それもこれも、那岐山で遭難した時に遼賀が冷静に対応し、恭平のミスで濡らしてしまった登山靴を、遼賀が交換してくれたお陰だった。逆に遼賀は、その時に足を悪くして野球を止めた。恭平は遼賀の弟で良かったと思った。
 遼賀の胃がんは既に転移しており、体調は日増しに悪くなっていた。岡山の実家に戻っていた遼賀は、初めては母親に我がままを言った。もう一度、那岐山に登りたい。恭平や泉、レストランのアルバイトで遼賀のことを慕っている高那に助けられながら、遼賀は那岐山に登った。
感 想 等
(評価:A)
 ある日突然、自分の死が目の前に迫っていると分かったら、どんな風に思うのだろうか、自分はどうなってしまうのだろうか。もし、近しい人の命があとわずかだと分かったら、自分は何をしてあげられるだろう。そんな風にわが身に置き換えながら読んだ。切なく悲しい話で、涙なしでは読むことなどできないのに、温かさと優しさに溢れていて、最後は幸せな気分になれる物語。生きてきて良かった、幸せだったと、そんな風に思える人生を送りたい。自分を信じることができる生き方をしたい、そんな思いが強くなる。
 「テレビのリモコンの「5」の部分に付いている突起のような存在」、基準点のような存在という例えは、言われないと気付かないが、知ってみると妙に納得感があって秀逸。物語中に何度か出て来る、雪の那岐山での遭難の話は、この物語の象徴のようなエピソードで、強く前向きに生きることや、人生の象徴のように使われている。
 山に関わる話は、雪山遭難時の振り返りが散発的に出てくるのと、ラスト近くで20数頁の登山シーンが出てくる程度でさほど多くないが、登山とは関係なく、すべての人に読んで欲しい作品。
山  度
(山度:10%)
那岐山は、岡山県と鳥取県の県境に位置する標高1255mの実在する山。
 
 
 
 
作 品 名
「富士山の身代金」(藤山 健二、1995年)
あらすじ
 自衛隊の弾薬10トンが何者かに奪われ、その数日後、富士山測候所が乗っ取られた。犯人は片桐という凶悪犯を主犯とするグループだった。犯人グループは観測所員を人質に取っただけでなく、自衛隊から奪った弾薬を富士山に仕掛け、噴火させるという。要求は5億ドルの金。
 細田首相、杉本官房長官、国分防衛庁長官ら首脳陣は対策に追われていたが、片桐に振り回される一方だった。
 その頃、元自衛隊員で、現在防衛庁の傭兵のような仕事をしていた堂垣は、弾薬を奪われた自衛隊員が持っていたナツメの首飾りの出所を探っていた。堂垣が探し当てた首飾りの持ち主・沙樹は、かつて中国から不老不死の薬を探しに来た徐福の末裔で、代々富士山の洞窟を守ってきた一族だった。そして、片桐ら一味は沙樹の姉沙耶を誘拐し・・・。
 犯人グループと警官隊の戦闘、単身測候所に潜入を図る富田、犯人グループの切り札阻止に暗躍する堂垣、戦時中に試みられた「富号作戦」の真意とは・・・。
感 想 等
(評価:B)
 全然聞いたことのない小説・作家だったが、なかなかおもしろいミステリー。片桐の陰謀も奇想天外でおもしろい。どうやら、日本テレビが主催し、新潮社が協力していた「日本推理サスペンス大賞」という公募賞の候補になった作品のよう。同賞は第1回から乃南アサ、宮部みゆき、高村薫と受賞しており、本作が候補になった第6回は大賞はなかったものの優秀作が天童荒太なので、レベルの高い賞だったのだろう。
 本作についていえば、惜しむらくは、富士に向かった富田巡査部長の話や、国分防衛庁長官の測候所爆撃など、広げすぎてやや散漫になった感がある。また、徐福伝説などカビの生えたような話を持ちだすと、かえってマイナスの感じがする。ラストも展開は違うが良かったのではないか。ついでに言えば、タイトルも今一。
 やたら文句を並べたが、全体的な印象は非常にGoodです。
山  度
(山度:10%)
 12月の冬富士。測候所に立てこもった犯人グループ逮捕のため、猛吹雪のなか富士を登る警官隊。襲い来る雪崩・・・。
 物語の中では、日本の象徴、富号作戦のための富士山であり、冒険の舞台として使われているわけではないため、山岳描写はあまりない。
 
 

作 品 名
「黄金の眼」(船戸 与一、1988年)
あらすじ
 ロッキー山脈で山岳レンジャーを勤めるわたしは、早朝、マーゴからの電話で起こされた。マーゴのモーテルに泊まっていた2人組の男が、昨日の朝バックパックを背負って出掛けたきり帰ってこないというのだ。山開き前の5月のこの時期、ロッキー山脈はまだ雪に覆われていて厳しい。遭難の可能性が高い。相棒のエディはシカゴにいるし、ジムは高熱で入院している。わたしは、救助犬のバッキーを連れ、ミッキーのヘリで山へと向かった。
 バッキーはぐうたらであまり優秀な犬ではなかった。黄色い眼をしたシェパードはいくら鍛えても優秀な救助犬には育たないという定説があるのだ。
 ヘリで上空から登山者を探していると、単独行者がトラッパー峰に向かっているのが見つかった。2人組とは別なのか?救助を求めている様子はない。が、天候は悪化に向かっており、放っておいたらどうなるかわからない。わたしはヘリで降りられる所まで戻ってもらい、登山者を追いかけることにした。
 ところが、歩き出してすぐにバッキーが動かなくなった。最初は妻のジャーンが餌をやりすぎてぐうたらしているだけかと思ったが、やがて全身痙攣をおこし、口から黄色い液体を吐いた。これはレプトスピラ症、死に至る病だ。バッキーを置いていくことも考えたが、わたしはかつてマッキンリーにおいて滑落し、救助を求めるために置いて行った三浦のことを思い出していた。わたしは贖罪のような思いで、バッキーにクロラムフェニコールを注射し、バッキーを背負ってトラッパー峰へと向かった。
 やがてバッキーは回復し始めたが、今度はランチョン・コルで男の死体に出くわした。無線でマーゴに連絡を入れた私の耳に、警察署長から恐るべき情報がもたらされた。アイダホ州で4人を殺害し、金を奪って逃走中の2人組が、わたしの追っている2人だというのだ。
感 想 等
(評価:C)
 冒険小説の旗手、船戸与一氏による短編集「蝕みの果実」に収められている作品。各作品が書かれたのは86〜96年とばらつきがあるが、そこには共通点がある。スポーツに何らかの形で係りながら、アメリカという大地で必死に生きる日本人。日本を逃げ出したり、大国に夢を求めて来たり、日系人として苦しんだり・・・。そうした主人公の生き様がある。
 「黄金の眼」の主人公も、五大陸最高峰制覇という勲章を持ちながら、マッキンリーで知人を見捨てたという負い目から、敢えて山岳レンジャーとして働いている。スポーツというある種の極限の中で、自分と向き合い、生き様を求めてもがく男の姿がそこにはあるのだ。
 惜しむらくは、ラストシーンで主人公のバッキーへの思い、これをもう少しうまく描いて欲しかった。
山  度
(山度:90%)
 なぜかヨーロッパ最高峰がマッターホルンになっているというミスはあるものの、冒険小説で見せる船戸氏の筆致は山岳小説という舞台でも冴えわたっている。船戸氏が山をやるかどうかは知らないが、やらずとも書けるのがプロなのだろう。山度十分。




作 品 名
「逃走経路 -夢のあとに(ふゆの 仁子、2002年)
あらすじ
 母と離婚した栄治の父が、夫を病気で亡くした仁志の母と再婚したのは、栄治が11歳、仁志が5歳の時だった。初めてできた弟に優しく接する栄治に仁志が懐くまで、たいして時間はかからなかった。 栄治と仁志は本当の兄弟以上に仲良くなった。ところが、仁志が中学に入った頃から、栄治は弟を見る自分の眼がおかしいことに気付いた。栄治は中学の頃から女性よりも男性に性欲を感じている自分に気付き、高校で同じ嗜好を持つ先輩と知り合い、男とセックスをした。以来、何人もの男と関係を持ったが、弟にまで性欲を感じる自分に栄治は戸惑った。いつしか栄治は、仁志を避けるようになっていった。
 ある時、たまたま登山家の本を読んで感動した栄治は、登山家の人生を大きく変えたという槍ヶ岳に登りたくて、大学院の山岳部に入部した。低山から徐々に訓練し、栄治は槍を目指した。ようやく部のメンバーと一緒に5人で槍に向けて出発したものの、途中でリーダーが熱を出してしまった。山小屋のスタッフの殿岳が、大学山岳部のOBだったこともあり、栄治らは殿岳に連れられて槍に登った。下山後に栄治は、殿岳から一緒に山に登ろうと誘われた。実は、殿岳は栄治と同じ性癖で、栄治に一目惚れしてしまったのだった。殿岳は、どこまでも優しく紳士的な男だった。仁志への気持ちから逃げるために登山にのめり込んだ栄治だったが、仁志への思いを断ち切ることはできなかった。栄治は、1度だけ殿岳の気持ちを受け入れて体を結ぶと、殿岳の前から姿を消した。
 数ヶ月後、1人槍を目指そうと、上高地に佇む仁志の姿があった。酔った勢いとはいえ、大好きだった兄・栄治に突然迫られ、兄が持っていたアーミーナイフで誤って兄の足を刺してしまった。いろいろなことがショックで、仁志は兄の気持ちを少しでも理解しようと、槍ヶ岳に登ることにしたのだ。山に登ったことなんてないのに、1人で槍ヶ岳に登れるだろうか・・・。不安にかられる仁志に声を掛けてきたのは、殿岳だった。
感 想 等
(評価:C)
 BL(ボーイズ・ラブ)作品です。でも、ちょっと違うところとしては、BLにしてはかなり山度が高いことと、そしてBLならではの悩みや葛藤が描かれている点でしょうか。BLそのものに引っ掛かってしまう部分はどうしてもあるのですが、道ならぬ思いに悩む栄治の姿は、人それぞれ立場によっていろいろな思いや感情があるということを知る上では、興味深い作品でした。いわゆるBLファンが読んだら、この作品はどう感じるのでしょう?BLに萌えを感じる人にとっては、もしかしたら重いのかもしれません。
 この時代に飯盒炊飯だったり、槍沢ルートなのに手で岩をつかみながら登ったり、一の保谷(一の俣谷の間違い?)とかいう地名が出てきたりする。なんだか変だなぁと思ったら、あとがきによると、友人の話とガイドブックを基に書いた模様。話の本筋には影響がないので、良しとしましょう。
山  度
(山度:60%)
 山度は意外と高いです。




作 品 名
「燃える山脈」(穂高 健一、2016年)
あらすじ
 天明3年(1783年)7月、浅間山が大噴火を起こした。17歳のなみえが、安曇平の大庄屋・等々力孫一郎の許に嫁いできたのは、その噴火の日のことだった。噴火の影響で天明の大飢饉が起こった。大飢饉を目の当たりにした孫一郎は、堰(農水路)を引いてくる決心をしたのだった。
 中島輪兵衛の協力を得て、密かに予備調査・測量を進め、何とか取水口の地権者・藤森善兵衛の了解を取り付けた。そうして、孫一郎となみえの結婚から32年後の1816年に、奈良井川から15kmもの距離を水を引く拾ヶ堰が完成した。拾ヶ堰の完成により、安曇野は緑あふれる豊かな土地になった。
 拾ヶ堰完成後、信州と飛騨の交易が始まると見込んだ岩岡伴次郎は、私財を投げうって、安曇平から大滝山を越えて上高地へとつなぐ伴次郎街道を1824年に拓いたものの、上高地から焼岳を越えて飛騨へと結ぶ道の開削許可がなかなか下りなかった。伴次郎の息子・岩岡英総は、このままでは伴次郎街道が廃れてしまうと考え、上高地に湯屋(旅館)を建てて娘の志由に経営させていたが、経営は赤字続きだった。志由は、務台伴語の寺子屋・温知堂で助教を務めながら、江戸から来た女中頭のお滝さんと一緒に湯屋を切り盛りしていたが、お客は少なかった。笠ヶ岳を開山し槍ヶ岳を再興しようとする播隆上人や、尾張の地誌学者・津田正生などが訪れたりしたものの経営は厳しく、岩岡家は没落の一途を辿っていた。
 上高地と飛騨を繋ぐ道は、かつて鎌倉街道と呼ばれていたが、“江戸防衛”の観点から、豊臣色の強い加賀前田家が江戸に攻め入る際の道となる街道の開削はなかなか認められなかった。しかし、飛騨の民の困窮を救いたいと考える菊田元締や大井郡代らの熱意、志由の思いが結実し、ついに飛州新道として開削許可が下りた。
感 想 等
(評価:C)
 江戸末期、ウェストンが日本にやってくるかなり前に、上高地に旅館があったとは知りませんでした。当時の上高地や、槍・穂高がどんな感じだったのかはわかりませんが、本書には播隆上人も登場し、我が国登山萌芽期の息吹を感じることができます。
 物語は、噴火や日照りなど天災による飢饉に苦しめられる農民たちが、それに負けることなく、堰を引き、道を開拓し、力強く生きていくお話。江戸時代の農民と言われても、自分的には「カムイ外伝」のイメージくらいしかありませんが、それと比べると、農民の中では比較的豊かな庄屋の家族たちが主役なので、そこまで悲惨な生活が描かれているわけではないものの、大変さは十分に伝わってきます。
山  度
(山度:10%)
 安曇野から大滝山を越えて上高地までの道のり、笠ヶ岳・槍ヶ岳登山などが描かれているものの、ほとんど登山シーンはありません。
 槍ヶ岳の山頂に大勢の人が立てるように、播隆上人がてっぺんを削ったという話が出てくるのですが、これは本当なのでしょうか?事実だとしても時代が全く異なるので、是非を云々するものではありませんが、何とも凄まじい話です。
 


作 品 名
「アンザイレン」(堀井 恒人、2016年)
あらすじ
 札幌で整骨院を経営する僕は、48歳になる直前、40歳代最後の挑戦としてモンブランの単独登頂を目指すことにした。インターネットやガイドブックでモンブラン登山について調べ、妻と12歳になる娘を説得し、日々のトレーニングを1年近く重ねた後、ようやくシャモニの街へと辿り着いた。そして、現地での高所順応を終えた僕は、ただ一人、モンブラン山頂を目指した。
 登り始めてからもすべてが順調だった。一人で計画を立て、計画通りに黙々とやり遂げていくことは、僕にとって大きな喜びだった。そして、頂上へと繋がる最後の稜線を辿り、僕は目標通りモンブランに単独で登頂した。頂上滞在は写真撮影を含めて7分間と決めていた。寒さでi-phoneのバッテリーがダウンしてしまったため、予定を少し遅れて頂上を出発しようかという頃、緑色のジャケットを着た登山者が登ってくる姿が見えた。
 足取り重く上がってくる登山者の存在は想定外だったが、頂上で待つしかなかった。登ってきた登山者は、日本人でしかも女性だった。彼女は、初めてのヨーロッパ旅行で誰も行かない所に行きたくなり、写真で見たモンブランを目指して、シャモニで用具一式を借りて登って来たという。彼女は水筒すら持たず、ロープやハーネスもなく、通常と違ってテートルース小屋から一気に登ってきていた。何もかもが無謀で無防備で、僕にとっては想定外のことだらけだったが、彼女をこのままにはしておけない。僕は彼女と一緒に山を下りることにした。
感 想 等
(評価:D)
 用意周到で、計画通りの物事を淡々と進めていくことが好きで、そのことに喜びを感じるようなタイプの主人公の前に現れた謎の女性。行き当たりばったりで、無計画・無謀な彼女と態度・考え方に振り回される主人公。そんな正反対の2人がザイルを組むことで次第に生まれてくる絶妙なハーモニーと一体感。その辺の距離感の移り変わり、やりとりはなかなか面白い。
 一方、彼女の人生の背景がほとんど描かれていない。5年前に1度会っただけの男の顔をずっと忘れないほどの怒りがどこにあったのか、それが分からないことにはこの話は理解できない。恐らくは亡くなったであろうほのかの死因に主人公が何か関係があるのか、その辺はもう少しちゃんと書いて欲しかった。もちろん小説は全てを描くものではなく、想像で補うことにも意味はあるのだが、物語の展開として主人公の気持ちの入り方が早すぎたことと、彼女の情報が少なすぎたために、読み手としての感情が付いていかなかった。
山  度
(山度:100%)
 著者は、実際にモンブランを単独で登頂された方とのことで、その辺の描写はしっかりとしているように思う。蛇足ながら、「クレバ(va)ス」ではなく、「クレパ(pa)ス」と言っている点が気になって仕方なかった。