山岳小説(国内)・詳細データ 〜あ行〜
 
 
 
 
作 品 名
「ソロキャン!」 (秋川 滝美、2022年)
あらすじ
 29歳の榊原千晶は、総合スーパーITSUKIを中心とする会社・五木ホールディングスで食品の新商品開発業務に携わっていた。千葉の実家近くに部屋を借りて一人暮らしをし、1時間近くかけて満員電車に揺られながら通勤している。仕事は楽しくてやりがいがあったが、いつもスムースに企画が通るわけではない。今日も今日とて、商品本部次長のダメ出しで企画を却下され、千晶の不満が爆発していた。
 そんな時は、優秀かつ温厚な上司である鷹野課長がいつも愚痴を聞いてくれる。鷹野の妻・里咲は、千晶が最初に配属された店舗の先輩だった。小学生の頃からキャンプを楽しみ、高校の時には子どもたちのアウトドア活動の指導なども行っていた千晶は、キャンプ好きだという里咲と仲良くなったのだった。そんなキャンプにも10年以上行っていないが、鷹野から「またキャンプを始めてみるってのはどう?」と何気なく言われことで、急に千晶の気持ちに火が点いた。
 以前持っていたキャンプ道具は、後輩に譲ったり、捨ててしまったりして、何も残っていなかった。それでも、キャンプのことを考えたり、厳しい予算制約の中でキャンプ道具を買い揃えるのは楽しかった。おまけに、祖母からもらった軽自動車もある。高くて買うのを躊躇していたテントは、里咲先輩のお古を譲ってもらえた。道具の大半は100円ショップで買い揃え、千晶の大好きな焚き火のために奮発して焚き火台と焚き火グリルも買った。
 こうして少しずつ準備を進め、実家の庭でのお試しプレキャンプ、近場でのデイキャンプ、1泊2日のキャンプ場でのソロキャンプとグレードを上げていった。時には仕事のことや人間関係で落ち込んだり、ストレスを感じたりもするけれど、自転車で出かけた雨の中でのテント泊も楽しく、キャンプを通じた新たな出会いもあった。ソロキャンプは確実に千晶の生活に潤いを与えてくれるのだった。。
感 想 等
( 評価 : C )
 昨今のキャンプブームの影響が多分にあるのだろうが、日常系のキャンプ小説というジャンルは初めてかもしれない。もちろん、かつての冒険小説やサバイバルもので、やむを得ず野営をするシーンはいくらでもあると思うが、今の時代らしい「日常系」という点が珍しい。日常系なので、事件は起こらないし、巻き込まれることもない。格闘シーンもない。その代わりに、ある意味「普通」の会社員としての生活があり、オンの対極として、オフのキャンプが登場する。
 日常系の登山小説としては、「山女日記」や「八月の六日間」などがあるが、登山であれば動きがあるので、日常系とはいえある程度のドラマは作れる。しかし、キャンプの場合は難しい。キャンプマンガを見ても、道具、グルメ、焚き火のノウハウが中心となっている作品が多い。幅を広げるためのアクセントとして、日常生活におけるサブキャラである、嫌みな上司・同僚、ドジな後輩などが登場することとなる。
 キャンプものでバリエーションを出しやすいのはやはりキャンプ飯。もはや定番だ。これは好みの問題なので人それぞれと断っておくが、料理のシーンでは材料や作り方の説明などが出てくる。料理のレシピ本みたいにならないように、マメ知識やノウハウ、主人公による一人突っ込みがあったり、ちょっとした失敗をやらかしたりしてしまったりしているものの、自分のように料理へのこだわりが低い人間からすると、料理シーンが5ページ、10ページと続くと流し読みになってしまう。マンガならレシピを1ページ挟めば済む所を文字でダラダラと説明されるのは個人的には辛い。キャンプ小説がなかった理由のひとつを垣間見た気がする。こういう作品があっても良いが、広がりは少なそうだ。
山  度
( 山度 : 10% )
 山度あるいはアウトドア度をどう図るのか正直難しい。山に登るわけではないし、外でキャンプをしていても料理シーンなどが相応にあるので、アウトドア感はかなり低い印象。
 
 
 
 
作 品 名
「ソロキャン!2」 (秋川 滝美、2023年)
あらすじ
 総合スーパーITSUKIの商品開発部に勤める29歳の榊原千晶は、10年ぶりに復活させた趣味のキャンプを今日も楽しんでいた。千晶が好きなのは、何と言っても焚火だ。目の前でパチパチと爆ぜる小さな火は、それだけで千晶の心を落ち着かせてくれた。
 そんな千晶の会社の後輩・花恵が、突然キャンプを教えて欲しいと言ってきた。どうやら花恵の「推し」である動画配信者の治恩くんがソロキャンを始め、視聴者を集めてそれぞれがソロキャンを楽しむソログルキャンなるイベントを開催するというのだ。それに選ばれるように、ソロでキャンプが出来るようになることが花恵の目的だ。半ば花恵に押し切られる形で1泊のキャンプに付き合わされることとなってしまった千晶だったが、仕事でミスを連発していた花恵が真剣に取り組む姿が、大学の頃にキャンプを指導していた子どもたちの姿と重なり、千晶も初心に返ることができたのだった。
 後輩の心配もさることながら、千晶自身も悩みは尽きなかった。実家の両親は千晶がキャンプに行く度に、女性が一人でキャンプに行く事を心配していた。試しに、オートキャンプにも出かけてみたりもした。車のロックを掛けて寝られる安心感があり、釣りを楽しむこともできたが、賑やかなお隣さんはちょっと嫌だったし、テントを張らないキャンプは正直物足りなかった。
 仕事のストレス解消のために再開したキャンプだったが、アウトドア経験を買われて相談された店舗のアウトドア食材コーナーの展開では千晶のアイディアが受けて売り上げを伸ばしていたし、後輩の花恵はキャンプの影響か仕事の段取りが良くなり、以前ほど手が掛からなくなっていた。千晶は、趣味のキャンプのお陰で仕事も私生活も順調に回っていることを実感していた。
感 想 等
( 評価 : C )
 「ソロキャン!」シリーズの第二弾で、Youtuberらしき動画配信者や車中泊など時代の流行りを巧みに取り入れつつ、仕事と趣味を織り交ぜながら、日常系キャンプ小説というジャンルを上手く描いており面白い。
 「キャンプ」というものを一つのジャンルとして捉えれば、焚き火やギア、キャンプ飯などキャンプの要素を色々盛り込んでおり、広がりの可能性はさておき楽しんで読めると思う。ただ、元々が「登山」という世界の派生からキャンプを見ている立場としては、テント場までの荷物運搬やテント設営を重労働扱いする考え方や、自然そのものではなく人をリスクの対象とする考え方を目にすると、山岳小説とキャンプ小説は別物と言わざるを得ないように思う。
 本作はもちろん純文学ではないし、非日常やサバイバルを味わう山岳小説でもないし、展開で読ませるミステリーでもない。強いて言えば、日常系ライトノベル的な手軽さ・気楽さが本作の魅力かもしれない。
山  度
( 山度 : 10% )
 キャンプ、釣り、焚き火などのアウトドア的要素はあるものの、登山やクライミングなど高低差や上下運動のある話は出てこない。アウトドア要素を以って10%と置いたが、山や登山はあまり感じられない。出てくるキャンプ場の場所も不明。
 
 
 
 
作 品 名
「プリズンホテル3 冬」 (浅田 次郎、1995年)
あらすじ
 極道小説で一躍売れっ子になった小説家・木戸孝之助は、編集者から逃れるために情婦の清子を連れて、伯父が経営する山奥にあるプリズンホテルへと出掛けた。孝之助は、小さい頃に愛する母親が駆け落ちしたために、精神の成長が止まってしまったような男だった。プリズンホテルには、関東桜組木戸会の初代組長であり、孝之助の母の駆け落ちを手助けした仲蔵叔父がおり、彼の母とその相手・黒田がいた。そのプリズンホテルに、いろいろな事情を抱えた者たちがやってきた。
 救命救急センターで20年以上も働くマリアは、その間に5千人以上の人間が死ぬのを見てきたが、それでも一つの命の死に慣れることができず、疲れてプリズンホテルにやってきた。そこにいたのは、かつてマリアの恋人だった平岡医師だった。彼は仲蔵親分の主治医であり、患者を安楽死させたことで世間を騒がせていた。
 そのほかに、イジメを苦にして死ぬために雪山に来た所を助けられた太郎。その太郎を助けた、エベレストを制した有名なアルピニスト武藤嶽男。さらには木戸を追って原稿を取りに来たリストラ間近の編集者・萩原みどりなど、個性溢れる男と女がプリズンホテルへとやってきた・・・。
感 想 等
( 評価 : B )
 プリズンホテルにたまたま集まって来たのは、一癖も二癖もある曰くつきの人間ばかり。その誰もが生と死を見つめ続けている。命を助ける者、終わらせる者、死のうとする者、死の恐怖に怯える者・・・。それを堅苦しく、重々しく語るのではなく、面白可笑しく、軽妙に描きながら、時にホロリとさせる。
 その中でアルピニスト武藤の存在は、全くの脇役でありながら、ワンポイントで大事な役割を演じている。プリズンホテルの順番を無視して読んでしまったが、他のシリーズも読んでみたくなる。
山  度
( 山度 : 20% )
 ちなみに、この話に出てくる山関連の部分は、山を知らない人にとっては「ふーん、そうなんだ」という程度の印象かもしれないが、山好きにとっては何気にベタな感じばかり。それがまた、本作のコミカルな感じと合っていて面白い。ロジェ・デュプラの「いつかある日」が使われてるのもベタでいい。あじさい山岳会が笑える。。。
 
 
 
作 品 名
「山がわたしを呼んでいる!」 (浅葉 なつ、2011年)
あらすじ
 親友の逢衣に半ばだまされる形で、菊原山荘という山小屋でアルバイトをすることになった女子大生の遠坂あきら。草原でくつろぐ馬や羊、暖炉、ロッキングチェア・・・そんな優雅な高原を夢見てやってきたあきらにとって、オンボロ小屋で週に1回しかお風呂に入れないような生活は全くの想定外だった。しかも、山小屋にいるのは変人ばかり。口も態度も悪くあきらと犬猿の仲の山猿こと大樹(ヒロキ)、セクハラまがいの発言をするオーナーの武雄、マニュアルを手に持っていないと話せない同僚の曽我部、いつも山伏の格好をしている診療所の医師・宮澤、イケメンなのに服装に無頓着な福山・・・。そんなメンバーに囲まれ、山小屋という慣れない異世界に戸惑いながらも、体当たりでぶつかってゆくあきら。
 大好きだった彼氏にふられ、少しでも理想の女性に近付けるようにと、女の子らしいモデルの雪乃の真似をしていたあきら。ガサツで大雑把な自分を変えようとするうちに、自分を見失っていたあきら。慣れない山小屋での生活は大変だったが、個性的な仲間との交流や登山の厳しさや楽しさの一端に触れていくうちに、あきらは自分らしさを見つめ直していく。
感 想 等
( 評価 : B )
 表紙を見ればわかる通りライトノベルである。若者の活字離れや電子化の波など理由はいろいろあるのだろうが、不況と言われる出版業界にあって、数少ない成長分野と言われているのがライトノベルだ。ライトノベルと山ガールに代表される登山ブームの融合。ついに来たか、といったところだろう。
 とはいえ、普通の小説とライトノベルの境目がどこにあるのかはよくわからない。アニメ調のイラストの使用、ストーリーよりキャラクター重視、平易な文章、若者向け・・・と言われればそんな気もするが、あまり意識する必要はないのだろう。実際、本作を読むと、そんな定義が少しも気にならないくらい、しっかりとした作品に仕上がっている。電撃小説大賞を受賞した著者の2作品目とのこと。
 読み始めこそ、旅行用のトランク持って8時間も歩いて山小屋に来ちゃうなんてありえないと思ったし、1週間という短さで人が変われるのかという設定の強引さに違和感を覚えていたものの、読み進めていくうちに自然に引き込まれていってしまった。爽やかな青春小説だ。惜しむらくはラストがちょっとくさい。もっと自然に、主人公にタイトル通りの言葉を言わせて終わるくらいでよかったように思う。
山  度
( 山度 : 90% )
 冒頭の山小屋から始まり、舞台はほとんど山の中。山小屋の中のシーンなどもあるが、山度は高い。山ガールブームゆえなのであろうが、山の素人が山に放り込まれ、ある意味驚愕の、逆に言えば新鮮な山での生活に、時に戸惑いつつも、次第に馴染んでいき、山の良さ・楽しさ・厳しさを体験・経験していく。今ならではのパターンとして、「アリ」だろう。
 
 
 
作 品 名
「雲にうそぶく」 (甘利 雅彦、2011年)
あらすじ
 1965年、学生運動華やかなりし時代に旧制松本高校(現信州大学)に入学した吉川元信は、友人たちの政治談議について行けず、ただ山に登りたくて山岳部に入部した。4月下旬から5月にかけて行われた新人合宿で18人いた新入部員は7人に減り、6月に鹿島槍カクネ里で行われた強化合宿、北と南から縦走して剱岳を目指す夏山合宿を経て、新人たちは立派な山屋へと成長していった。豪快な野人・下山、反骨心ある田村、関西弁の藤内、どこか陰のある井谷などが元信の同期部員だった。
 大学では、七村や平山とはなぜかウマが合った。ラグビーで花園まで行ったものの、大学では何か違うものを見つけたいという七村。在日韓国人で、過去の辛い経験から、知識を吸収し他の人間を見返してやりたいという平山。政治談議は好まなかったが、彼らと酒を飲んで話すのは楽しかった。また西谷佳代子という彼女もできたが、山にのめり込むばかりの元信とは、次第にすれ違っていった。
 二年、三年と進級しても、元信の山一色の生活は相変わらずだったが、山や山岳部に対する同期の思いは少しずつずれていった。ヒマラヤを目指したいという田村、冒険がしたいという井谷、基本技術の習得が山岳部の目的だと考える元信。そんな生活を5年続けて、元信は大学を卒業した。
感 想 等
( 評価 : C )
 出版社が東京図書出版となっているので、恐らく自費出版だろう。小説としては確かに物足りない部分はある。一つ一つのエピソードが短く、ちょっと掘り下げ不足の印象。そのためこれといった盛り上がりもなく、山中心の大学生活が淡々と語られていく。またページ数の割に登場人物が多いので、それぞれのキャラがつかめないうちに話が進んでいってしまう。
 でも、この作品は、この時代の空気を吸い、山に入れ込んだ生活を送っていた作者にしか書けない物語ではないかと思う。定年退職後に、自らが一番輝いていた時代を振り返って書いた、回顧的な自伝小説かもしれない(勝手な憶測です)。それでも、同時代を生きた人々にとっては、たまらない作品、共感できる作品ではないかと思う。人は誰でも、生涯に一編は小説を書けるという。筆者にとっては、本作がそれなのではないだろうか。
山  度
( 山度 : 90% )
 新入部員が多く、シゴキで有名だった時代の山岳部の物語。1つ1つのシーンは短いが、穂高周辺、鹿島槍、剱岳、中央アルプス縦走、明神岳のクライミングなど、いろいろなエリア、いろいろなスタイルの山行が出てくる。
 
 
 
 
作 品 名
「尾瀬 至仏山殺人事件」 (新井 幸人、2010年)
あらすじ
 剣平四郎は、尾瀬を中心に全国の自然を撮り続けている写真家だった。剣がいつものように至仏山で撮影していると突然雨が降り始めので、仕方なく鳩待峠へと下って行った。すると、その途中で若い女性が足を挫いて歩けなくなっている所に出くわした。剣が鳩待山荘に連絡を入れたことで、女性は事なきを得た。
 後日、剣が東京で写真展をやっていると、その女性が訪ねてきた。夏目雅子似の美しい女性は竹内純子と名乗った。聞くと、純子が怪我をした日は、彼女の恋人・小早川拳が1年前に至仏山で事故死した日だという。尾瀬の東電小屋でアルバイトをし、長いこと登山に親しんだ彼が、どうということのない場所で死んだことがどうしても信じられないと純子が言う。
 小早川と面識があった剣は、純子の思いに動かされて至仏山に出掛け、不自然なものを感じた。知り合いの群馬県警察本部刑事部長の脇田を通じて遭難の事情を聴いた剣は、雑誌の政治記者だった小早川が調べていたことにきな臭さを感じた。
 取材日誌には秋田県選出の大島衆議院議員、国交省秋田河川国道事務所長の白川氏、地元の秋北建設などの名前がよく出てくる。小早川が秋田にいた頃の同僚で、今は引退している元東日新聞秋田支局の記者・山根の協力を得て、剣は取材日誌に出てくる人物に当っていった。すると、大島議員の元秘書の橘が、剣と山根に会った翌日、死体となって発見された。さらに、一緒に探っていた山根が交通事故に遭ってしまった。剣の身にも危険が迫っていた。
感 想 等
( 評価 : D )
 元警察キャリアで、今は自然を愛する写真家・剣平四郎が、日本全国を股にかけて事件に挑む。なんとなく太田蘭三の釣部渓三郎シリーズを彷彿とさせる展開、観光名所あり美女ありグルメありのストーリーは、2時間ドラマには良いかもしれない。
 でも、明確な根拠もなく犯人の目星を付け、勘で警察まで巻きこんで動き、挙句は百年前の方法で犯人を自白に追い込む。推理小説としてはちょっと頂けないかもしれない。変な色恋を入れなかったのは救いではあるが、国会議員と地元建設会社の癒着というテーマもあまりに古すぎる。
 一部に新しい試みが見られる。随所に写真を入れて雰囲気を出しているあたりはいかにも写真家らしい趣向。「あとがき」も演出の一部に使っている模様だが、個人的には「あとがき」では作者の本音を聞きたいところだ。
 余談であるが、作中に出てくる「竹内純子」の名前は、東電の永年尾瀬保護活動担当者の竹内さんから取ったのだろうか?面識はあるようなので、恐らくそうなのだろう。
山  度
( 山度 : 10% )
 剣平四郎の職業柄、尾瀬はもちろん白神山地や見附島など自然が絡んだシーンはふんだんにあり、それはそれで興味深い。だが、こと登山となると、至仏山登山が3回に分けて少しずつ出てくる程度。
 
 
 
 
作 品 名
「ホワイトバグ 生存不能」 (安生 正、2021年)
あらすじ
 2026年、地球の温暖化はさらに深刻化していた。平均気温が上昇し、氷河の落下により発生した南極海の津波で、潜水調査船支援母船が転覆・沈没するといった事故も起きていた。一方、異常気象現象は温暖化のせいではなく、過去数千万年から数億年単位で生物の大量絶滅を引き起こした、地球規模の長期気候変動の影響だとする見方もあった。そんな中、中国とアフガニスタン国境に位置するワハーン回廊付近で両国の国境警備隊が原因不明のまま全滅し、同地に派遣していた日本の気象観測隊が行方を断った。グリーンランドやカナダ、シベリアでも、謎の事件が起きていた。
 ワハーン回廊付近では、二酸化炭素が減少する一方でメタンが増加しており、日本政府は地球規模の現象の原因を解く鍵がワハーン回廊にあると見ていた。急遽、ワハーン回廊に派遣することとなった調査隊に参加するよう要請されたのが、登山家の甲斐浩一だった。甲斐に依頼してきたのは、離婚後に山で亡くなった妻・葉子の父で、内閣官房副長官の中山誠司だった。
 甲斐と葉子は大学山岳部時代からの仲間で、結婚してからも2人で名だたる高峰に登り、知られた登山家となっていった。しかし、葉子にスポンサーが付くことの方が多く、いつしかすれ違うようになった2人は4年前に離婚した。そして、その2年後、ローツェ・フェースのガイド山行中に滑落して宙吊りとなった葉子を甲斐が救助に向かったものの、絶望的な状況のため助けることができなかった。甲斐は元妻を見殺しにしたとの汚名を着せられ、息子の健人からも恨まれて、親子関係はギクシャクしていた。
 甲斐は渋々依頼を引き受け、動物遺伝学が専門の丹羽香澄教授と古生物学が専門の上條常雄氏を連れて、10名の自衛隊員とともにワハーン回廊へと赴いた。甲斐と上條、丹羽らはワハーン回廊で、一連の事件の原因である謎の新生物を見つけ、その生態解明と対応策を練った。そして、丹羽が有害生物防除剤の研究を行っている間に、甲斐は福岡で新生物を食い止めるべく、自衛隊とともに死地へと向かった。
感 想 等
( 評価 : C )
 世界中で突如発生した謎の怪死事件。その原因究明により、地球を救うことを託された登山家甲斐と2人の学者。人類を絶滅させようとする白い新生物との闘いを描いたパニックホラーもの。
 ホワイトバグの正体が徐々に明らかになっていくサスペンス調の展開や、ホワイトバグの恐怖に追い詰められる人類のパニックぶり、そこに立ち向かうヒロイックな主人公たち。物語としては、文章や展開の上手さもあって、一気に読めてしまう。その意味では面白い。
 一方で、冷静に読むと色々な所が引っ掛かる。一介の登山家に過ぎない甲斐が、なぜ人類の救世主に選ばれたのか、その根拠や過程が弱すぎる。専門知識を持つ学者である丹羽や上條はともかく、政府が甲斐をリーダーにして、自衛隊まで指揮させるなんてあり得ない。また、丹羽がどれだけ優秀だとしても、そんな短期間で新生物の生態を解明し、弱点を発見して、攻撃する薬品を作ることも不可能だろう。それに、何億年か前とはいえ、地球を覆い尽くすほど世界中に分布していた生物の存在が、今まで全く知られていなかったなんて、ちょっと考えられない。その他、遠くから見ただけならともかく、その上を歩いているのに新生物を雪と間違えるとか、上條のキャラ設定のブレとか、宮崎や織田の言葉の軽さとか、引っ掛かる所はたくさんある。あくまでも物語、エンタメ作品として楽しむ分にはちょうど良い。
山  度
( 山度 : 10% )
 純粋な登山シーンは多くないが、ローツェ・フェイスの登攀、ワハーン回廊からの登山、グリーンランドギュンビョルン山付近での吹雪など、アウトドア系のシーンはそこそこ出てくる。参考文献に『還るべき場所』(笹本稜平)が挙げられているので、登攀シーンなどは、これを参考にしたのかもしれない。
 
 
 
作 品 名
「標高八八四〇メートル」 (石 一郎、1960年)
あらすじ
 私、モーリス・ウィルソンは、フランダース戦線で左腕に貫通銃創を負ったものの、辛うじて死地から脱出した。たまたま隣にいた男が盾になったために死ななかった。戦争から戻った私はぶらぶらして過ごした。死んだ男の影から、なかなか逃れることができなかったのだ。
 孤独に耐えかねた私は、ある日私は旅に出た。ロンドンを出てひたすら南を目指した私は、ニュージーランドに辿り着き、そこで牧夫の仕事に就いた。牧夫として決まりきった仕事を忠実にこなすだけだったが、やがて小さな牧場を借りて独立し、大牧場主となっていった。それでも男の影から逃れることはできなかった。求めても得られぬ何かを女に求めたが無駄だった。私は牧場を売り払って、十数年ぶりに実家へと戻ることにした。
 幸いかなりの現金を手にしていた私は、またぶらぶらして過ごした。そんな折、スイスに近い南独を訪れた私は、滞在したホテルの安部屋で登山に関するスクラップブックを見つけた。そこには、3回にわたって挑戦して失敗した、英国隊によるエヴェレスト挑戦の記事が載っていた。その記事が、私をエヴェレストへと惹きつけた。
 急ぎロンドンに戻った私は、エヴェレストについて研究するとともに、パイロット訓練に努め、飛行機でエヴェレスト山麓へと向かう計画を立てた。そしてついに、私は飛行機を購入し、装備一式を揃え、愛機「エヴァ・レスト」に乗ってエヴェレストへと向かった。
感 想 等
( 評価 : A )
 エヴェレストがまだ未踏だった時代に、わずかのシェルパだけを連れて単身世界最高峰に挑み、二度と還らなかった男・モーリス・ウィルソン。確か日記か何かは見つかったと思うが、モーリス・ウィルソンについてわかっている事実は少なかったと思う。題材が心憎い。自分がもし小説家だったら、描いてみたいと思っていた男である。
 実在の人物をモデルにしつつも、エヴェレストに挑んだという事実を除けば、かなりの部分がフィクションではないかと思う。そういう男を、石氏はなぜ彼がエベレストに向かったのかという内面から描いている。ある意味虚無的であり、一方で自分の存在の証を立てようとする男のヒロイックな心象を映し出すことで、後半の登攀シーンが数倍にも活きている。
 やられたなぁ・・・。なにぶん古い本で文庫にもなっていないので、なかなか見つけるのは難しいかもしれないが、読んで損のない1冊である。
山  度
( 山度 : 60% )
 著者の山歴は知らないが、深田久弥氏が序文で山の友と言っており、それなりに山をやる人のようだ。何より石氏は、「山の魂」(スマイス)をはじめ、海外の山岳ものノンフィクションを数多く翻訳している人。後半のエヴェレスト登攀シーンも、文句のない迫力。Good Job!
 
 
 
作 品 名
「蒼い岩壁」 (石 一郎、1964年)
あらすじ
 東都大学助教授の野上賢作は、学会のついでに羅臼岳、十勝岳に登り、その帰りの電車で1人の女性と隣合わせになった。話をしてみると、彼女は大学山岳部時代の野上のザイルパートナー・西田の妹・桂子だった。2人で出かけた冬の奥又白で、西田は雪崩に巻き込まれ遭難死していた。桂子は野上の大学山岳部先輩であり、野上も参加している「白樺山荘友の会」の会長・山川鉄平の姪で、秘書もしているという。
 5月の例会に、世話人・小安の誘いにより、女流クライマーで最近ヨーロッパアルプスから帰ってきたばかりの森口京子夫人が参加した。野上は、西田桂子にはない魅力を森口夫人に感じていた。
 山川会長が立山に建てた山荘・ベルクハウス訪問のついでに、剣岳まで森口夫人と出かけた野上は、夫人の求めに応じて奥又白へも出かけた。穂高でかつての恋人を亡くし、失意のまま結婚した森口夫人は、「山へ登ることが幸せなのか、不幸だから山へ登るのか」と問う。
 しかし、森口夫人も西田桂子も野上の下から去って行った。。
感 想 等
( 評価 : D )
 山のある風景、山のある日常、当時はよ良く見かけたであろうそんな雰囲気が伝わってくる作品。ただ、野上の心象がどうも分かり難く、今ひとつ何を言いたいのかわからない。そこはかとなく漂う虚無感のようなもの、やるせなさがこの物語なのかもしれない。
山  度
( 山度 : 70% )
 ずっと山に関連する物語となっているが、実際の登山・登攀シーンはさほど多くない。
 
 
 
作 品 名
「求菩提行」 (石沢 英太郎、1972年)
あらすじ
 書きかけの長編推理小説に行き詰まった私は、お気に入りの山・求菩提(くぼて)山の麓にある宿に出かけ、そこで執筆することにした。
 ある日、隣室に投宿した女性の1人客が、以前私が書いた求菩提山の山行記を読んでおり、是非案内して欲しいと言って来た。私はつい快諾し、翌日彼女を案内した。彼女は私の山行記を暗記するほど熟読していたが、不思議なことに折に触れては山行記の記述内容を確認してきた。そして、下山後すぐに彼女は宿を立ってしまった。
 どことない違和感を覚えた私は、彼女の名前も住所も嘘だったことを知り、彼女のことを調べる気になった。彼女が忘れたコンパクトを頼りに探って行くと、彼女は某大学の野中助教授の夫人だった。数ヶ月前に野中夫人の愛人が殺されていたのだが、彼女はその犯人が野中助教授ではないかと疑っていた。そして、野中助教授には同日同時刻に求菩提山を登っていたというアリバイがあったのだ。
 私との求菩提行で彼女は何に気がついたのか、野中助教授のアリバイは・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 求菩提山というマイナーな山を舞台にしたミステリー。さすがに古臭い感じは否めない。短編ということもあり、ミステリー自体もたいしたことはないが、導入から謎解きへの展開は悪くない。
山  度
( 山度 : 40% )
 山度40%とはいうものの、山にまつわる故事紹介が出てくるなど、山行というよりも観光ガイドに近いような感じ。山岳小説として期待することは禁物である。
 
 
 
作 品 名
「北壁」 (石原 慎太郎、1956年)
あらすじ
 ウェスリングら4人は未踏のアイガー北壁登攀を目指していた。4人は順調に登攀を続けていたが、天候の悪化や落石でプロネが怪我をしたこともあり、撤退を余儀なくされた。
 ウェスリングの妻クリスは、ウェスリングが金策の為に女流室内装飾家のマリウと浮気したことを知り、夫の遭難を聞いてどこか安堵する一方で、北壁の近くまで駆けつけることで夫を取り戻せると感じていた。退却の途中でレッタアホーゼは落石に遭い墜死、ワルドマンはザイルに絡まり死に、プロネは疲労から凍死した。
 クリスは一心に北壁を見つめていた。ウェスリングはかろうじてアイガーグレッチャー駅手前まで辿りつき、救援隊の側まで来たものの、最後の最後にザイルの結び目がカラビナを通らずに身動きできなくなってしまった。
感 想 等
( 評価 : B )
 アイガーで起きた実際の遭難事件を元に書かれた小説。「北壁の死闘」などでも使われており、かなり有名な事件らしい。まだアイガー北壁が未踏だった頃の話であり、実に壮絶としか言いようがない。
 筆者も言うように、確かに小説は事実にはかなわないのかもしれないが、迫力は満点で、緊迫感の良く伝わってくる作品。多少の脚色はあるにせよ、こういった形で事実を残すことにも意味はあるのではないだろうか。
山  度
( 山度 : 90% )
 説明不要であるが出だしから山、途中も山。山の、特に登攀の雰囲気をたっぷり味わえる。
 
 

作 品 名
「さいはての雪」 (いちか 凛、2015年)
あらすじ
 10年前、8歳の時に両親をヒマラヤで亡くした柏木渓は、北アルプスの山小屋「さわの小屋」を経営する祖父の敏男に引き取られた。渓が思いを寄せる貴さんこと真鍋貴之と初めて出会ったのがその山小屋だった。当時大学生だった貴之と親友の上原祐一郎は山小屋でアルバイトをしており、渓のことを弟のように可愛がってくれた。
 貴之と祐一郎は、その後長野県警の山岳救助隊員となってからも、休日ごとに山小屋の手伝いに来ていた。ところが3年前、貴之が突然警察を辞め、スイスへと旅立ってしまった。渓は、自分が思いを隠せなかったせいで、貴之が離れて行ったのだと思った。
 今年の3月半ば、渓の大学入学直前に敏男が急性心不全で倒れたことをきっかけに、渓は山小屋を継ぐ決心をした。大学進学に未練のなかった渓は、山小屋を継いで貴之の帰国を待とうと決めたのだった。そして、小屋明けの準備のために雪掻きに来てみると、そこに貴之が待っていた。戸惑いながらも、渓は喜びを隠せなかった。
 渓は、近くで山荘を複数経営している叔父・竜三の番頭とも言える菊池の指導を受けながら、小屋主としてのイロハを勉強した。従来通り小屋を手伝ってくれる祐一郎、その後輩の山岳救助隊員・星野源太、そして山荘で働くことになった貴之。皆の助けを借りながら、渓の新しい生活が始まった。
感 想 等
( 評価 : C )
 BL作品である。が、とりあえずBLということを横に置いてみると、結構良い作品いいかもしれない。祖父の急病をきっかけに山小屋を継ぐ決心をした渓の山小屋での奮闘、冬の穂高で行方不明になった友人を探し続ける設楽、いろいろな人々の想いや優しさが伝わってくる。ただ欲を言えば、もう少し山小屋経営の大変さや登山の苛酷さが描かれていてもよかったかなぁと思う。
 BL的には、もしかしたらファンには物足りないかもしれないが、一方で一般の方にとってはあまりディープなシーンもないので安心して読める。イラストもソフトだ。
山  度
( 山度 : 80% )
 登山と言えるほどのシーンはさほどないが、山の雰囲気、山の話は満載。
 
 
 
作 品 名
「天使の墓場」 (五木 寛之、1967年)
あらすじ
 北陸にあるQ商業高校山岳部の部長・江森、紅一点の谷杏子ら5人は、顧問の黒木先生に連れられて、卒業登山として1月の白羊山登山に来ていた。白羊山は標高1400m強程度の平凡な山だが、冬ともなればそう簡単ではない。猛吹雪に見舞われた場合、リングワンデリングに陥ったり、雪崩に襲われたりするような危険もある山だった。
 1月3日に出発した一行は、予定より1時間早く白羊山に登頂し、帰路ヌクビガ原の達していた。その時、大きな飛行機が彼らの上を掠めるようにして墜落してきた。雪の上に伏せしばらく茫然としていた彼らが我にかえった時には雪が降り始めていた。あっという間に吹雪が視界を遮った。わずか15分の歩行が1時間にも2時間にも感じられ、黒木は雪洞を掘ってビバークすることにした。雪洞を掘るのに適した場所を探し始めた一行の前に、突如、大きな黒い塊が現れた。それは墜落した飛行機の尾翼と折れた胴体だった。黒木たち6人は雪と風を避けることができる墜落機の中にもぐり込んだ。
 吹雪は翌日も降り止まなかったが、悪い時には悪いことが重なるもので、夜中に谷杏子が腹痛で苦しみ始めた。黒木の見立てでは腹膜炎で、手術しないと命が危ぶまれた。また花村が江森のラジオを踏んで転倒し、花村が膝を痛めたうえに、ラジオが壊れて天気予報も救助活動の動向もわからなくなってしまった。黒木は意を決して、吹雪の中、単身救助を求めて山を下ることにした。
 蛇ヶ原という崖をくり抜いたトンネルに黒木が達すると、土砂崩れにより蛇ヶ原が通れなくなっていた。黒木は迂回する気力もなく、そこで気を失ってしまった。
 黒木が病院で目覚めると、生徒5人が死んだと知らされ、黒木自身も精神病棟に閉じ込められてしまっていた。ところが、黒木の弟と偽って面会に来た新聞記者の話を聞いて、黒木は真相に気付き始めた。真相を確かめるため、黒木は精神病棟を脱出し、ヌクビガ原へと向かった。
感 想 等
( 評価 : B )
 ミステリータッチで描かれる冒険調の墜落もの。高嶋哲の「ミッドナイトイーグル」や森村誠一の「黒い墜落機」、樋口明雄の「男たちの十字架(クライム)」、アンリ・トロワイヤの「喪の銀嶺」など、飛行機やヘリの墜落ものはひとつのジャンルといっていいほど多くの作品が書かれている。巨万の富、国家機密、人の命・・・・・欲望や使命感、愛憎が錯綜するこのジャンルは、どの作品もスリリングで面白い。
 本作は短編なのだが、ネタの使い方としてはもったいないくらいに内容が濃く、詰まっている。正直、長編として書き直して欲しいくらいだ。想像力で隙間を埋めながら、ゆっくり楽しんで読もう
 ちなみに本作は、短編集「蒼ざめた馬を見よ」(文春文庫)に収められているほか、「日本代表ミステリー選集12 犯罪教室ABC」(中島河太郎・権田萬治 編、角川文庫)にも収録されている。
山  度
( 山度 : 60% )
 五木さんの登山経験はわからないが、土地勘のある北陸(奥様の実家が金沢)を舞台にしたということは、地元の山くらいなら登ったことがあるのかもしれない(「下山の思想」という本も書いているし)。それはさておき、本作の山度は意外と高く、冬山の雰囲気を充分味わえる内容となっている。
 
 
 
 
作 品 名
「囚われの山」 (伊東 潤、2020年)
あらすじ
 雑誌「歴史サーチ」の編集部員・菅原誠一は企画会議に参加していた。出版不況で「歴史サーチ」の部数も低迷しており、来年の特集で当てないと廃刊になるかもしれない。編集長はファッション誌から抜擢されたばかりの桐野弥生で、嗅覚は鋭いが歴史は素人だ。次期副編集長含みで、前任の編集長に連れて来られた菅原にとっては面白くない存在だ。企画会議はなかなか良い案が出なかったが、そこに社長の薄井が皆をバックアップしたいと参加し、菅原が提案した八甲田山遭難事件が特集のテーマに決まった。当然、発案者の菅原が担当となり、新事実の発見、新たな謎探しに挑むこととなった。
 菅原は37才で、私生活では浪費癖のある妻と事あるごとに衝突し、ついには離婚を決意するまでになっていた。仕事と家庭の両方で行き詰まっていた菅原は、これからどうするべきか悩んでいた。とりあえず菅原は国立国会図書館で文献を当たり、八甲田山周辺の取材に出かけた。気になったのは、遭難者の数が途中で200名から199名に変わっていること、山口少佐の死因は本当に自殺なのか、ということなどだった。
 菅原は、自衛隊青森駐屯地で中西という案内役に付いて展示物や文献を見た後、現地で高校教師をしているという小山田にガイドをしてもらい、当時の雪中行軍隊の話を聞きながら同じコースを1泊2日で歩いた。その結果、雪中行軍は凍傷に関する人体実験の意味があったのではないかと疑惑が生じ、翌日再度、青森駐屯地の中西を訪ねることにした。応援と称して晩に駆けつけた編集長の桐野と、菅原の話を聞いて手伝いを申し出た小山田も一緒だった。桐野と菅原は、軍部が軽装を指示していた可能性を掴み、軍による人体実験という謎をメインに特集を組んだ。雑誌は普段の1.5倍という売れ行きを見せたが、その手柄は桐野にさらわれていた。菅原はそのことに腹を立てたもののどうにも出来ず、売行き好調の褒美として、遭難者の数が1名合わないという謎を調べるため、再度八甲田へ出張させてもらうことにした。
 再び、青森駐屯所の中西と一緒に文献を調べていた菅原は、稲田庸三という一等卒が雪中行軍の年の夏に心筋梗塞で亡くなっていたことに気付いた。稲田の遺族に会い、稲田の手紙や当時のことを知る者から話を聞いた菅原は、稲田が雪中行軍に参加していたことを確信し、記録上合わない遭難者1名が稲田ではないかと思った。その事実を企画会議に上げた菅原は、八甲田特集の第二弾のため、雪中行軍を同じ日に同じルートを歩くべく、再び小山田のガイドで雪の八甲田に出かけた。雪中行軍の時と比べればさほど天候は悪くなく、装備も格段に進歩している。それでも八甲田の自然は優しくなかった。しかも菅原は、ガイドの小山田とはぐれてしまった。菅原は雪の八甲田から脱出できるのか。
感 想 等
( 評価 : C )
 歴史雑誌の特集で、八甲田山雪中行軍事件を調べていた菅原が新たな謎に気付き、それを深追いし過ぎたために事件に巻き込まれてしまうというミステリー仕立ての作品。「囚われの山」というタイトル通りに、出世・離婚・仕事での手柄・お金などいろいろな物事にとらわれてしまう菅原と、八甲田という山に絡めながら、しがなく生きつつも脱出しようともがく男を描いている。
 新田次郎の「八甲田山死の彷徨」はもちろん読んでいるが、忘れている部分半分・事実と小説の区別が付いていない部分半分で、登場人物が文献を当たりながら新事実を探っていく部分も楽しく読める。八甲田山雪中行軍の謎を、ミステリータッチに引っ張っていく描写はうまい。ついつい引き込まれてどんどん読み進めてしまう。
 ただ難をいえば、ラストの動機が弱い。ネタバレになるので内容は書けないし、人により感じ方は異なると思うが、折角そこまでの謎が面白くてうまいのに、最後の納得感が今一つだった。
山  度
( 山度 : 40% )
 菅原と小山田が、夏と冬の2回八甲田山付近を歩くシーンや、稲田一等卒の雪中行軍のシーンなど意外と登山関連の場面が多い。。
 
 
 
 
作 品 名
「完全なる白銀」 (岩井 圭也、2023年)
あらすじ
 2023年1月、藤谷緑里はデナリに登るためにアラスカまで来ていた。昨年、アラスカ第五の高峰ブラックバーンに女性2人組で登って話題となったシーラ・エトゥアンがパートナーだ。タルキートナで3日足止めを食らって、カヒルトナ氷河に降り立った緑里とシーラは、ベースキャンプを作ると早速登山を開始した。
 シーラとは、20歳の時に訪れたアラスカ西部の小さな島サウニケで、13歳のシーラと17歳のリタ・ウルラクと仲良くなって以来の付き合いだ。シーラはデナリ国立公園のレンジャー。リタは、7年前に女性初の冬季デナリ単独登頂を目指したまま帰らぬ人となっていた。緑里の職業は山岳カメラマンだが、実際は広告用の写真撮影で何とか食いつないでいる状態だった。冬山の経験はそれなりに積んできたが、それでも冬のデナリは別格だ。今回の登山は、リタの登頂を証明することが目的だ。
 登山家として名前が売れ始めていたリタには黒い噂があった。本当は登頂していない「詐欺の女王」だと書くジャーナリストもいたし、山で大麻を使用しているという記事もあった。緑里もシーラもリタのことを信じていたが、ブラックバーンに登頂してリタの写真と自分たちの写真が違うことに気付いた緑里は戸惑っていた。そのことで、シーラと緑里の間にも亀裂が生じていた。それでも、リタが「冬の女王」だったと思う2人の思いは一緒で、だからこそ、リタの登頂を証明したかった。
 20歳の時以来、緑里は毎年サウニケを訪れ、リタやシーラとの親交を深めた。24歳の時には、リタ、シーラ、そしてシーラの兄カナックを加えた4人でデナリ国立公園を旅して歩いた。この時、温暖化で沈みかけているサウニケ島のことを知ってもらうために、デナリの女性冬季単独初登頂で有名になるというリタの目標を初めて聞いたのだった。緑里は、写真の専門学校を卒業してスタジオアシスタントになっていたが、写真作家という夢には程遠かった。そんな緑里が、初登頂後の写真を撮って欲しいというリタに後押しされる形で、諦めかけていた写真家になるという夢への決意を新たにしたのもこの時だった。
 緑里とシーラはC3で停滞していた。リタの単独登頂を証明するために先を急ごうと焦るシーラと、無理をしたくない緑里との間で、意見がすり合わなくなっていた。しかし、暴風雪のなか一人で先へ進んだシーラがクレバスに嵌ってしまった所を、追いかけてきた緑里が助けて以来、2人の仲は改善していった。C5を経て、C6で1日停滞した後、C7へと向かった。もう日程の余裕はあまりない。ウェストバットレスの氷壁をダブルアックスで登るのに少し手こずったが、天候にも恵まれて無事C7に雪洞を作ることができた。ところが、山頂を目の前にしてシーラが重い高山病に掛かってしまった。緑里はシーラの強い後押しにより、一人で山頂へと向かうことにした。緑里の身体は限界を超え、戻りたい衝動を乗り越えて歩き続けた。天候は次第に悪化している。頭痛がする。筋肉が痛む。それでも歩いて、緑里は山頂に辿り着いた。そこは、完全なる白銀の世界だった。
 その年の7月、リタの遺体が見つかった。登頂を証拠付ける写真は出てこなかった。ただ、真っ白な、完全なる白銀が写っていただけだった。それでも、緑里もシーラも、それで満足だった。
感 想 等
( 評価 : B )
 温暖化の影響で沈みゆくアラスカの小さな島サウニケの現状を知ってもらうために登山家となり、女性初のデナリ冬季単独登頂を目指したリタは、登頂連絡の後に消息を断った。7年後、親友リタの登頂を証明するべく、緑里とシーラは厳冬期のデナリに挑戦する。/物語は、現在と過去を行き来しながら、3人が出会い、夢や理想を語りつつも、現実との狭間にもがく緑里の人生を軸に描かれる。目の前の生活に追われる緑里は、リタの生き方に刺激を受け、写真家になるという自らの夢を取り戻す。親友との亀裂、そして仲直り、親への反発、女性であるということ、人はなぜ生きるのか・・・。そこに描かれているのは、過酷な登山を舞台装置にした人間ドラマに他ならない。/リタに刺激を受けながら、夢へと向かっていく緑里の生き様は、忙しい現実に紛れて目標や夢を見失いがちな大人に対する叱責だろう。
山  度
( 山度 : 70% )
 デナリの冬期登山の様子を始め、アウトドア関連の描写はふんだんで、山岳小説としても楽しめる。ただ、登山計画をスタッフに任せるとか、ウェストバットレス登攀辺りの説明の多い描写、モンブランの冬季単独登頂の価値感などやや引っ掛かる点もある。
 
 
 
 
作 品 名
「夜叉神山狐伝説」 (岩崎 正吾、1990年)
あらすじ
 椿屋敷の当主・刈谷正雄は、弓と源じいの3人で暮らしていた。
 ある日のこと、源じいが珍しく人と会うと言って峰の湯に出かけ、それっきり帰ってこなかった。心配した正雄は峰の湯に出かけ、さらに源じいを探して富士山麓の天子山、夜叉神山へと入っていった。
 途中から天候が悪化して雪になり、正雄は道を見失ってしまった。滑落して遭難しかけたところを救ってくれた謎の一行、その中にいた源じいそっくりの男、正雄を襲う妖しげな男…。雪の山中で、正雄と源じいを巻き込んでの死闘が始まった。
感 想 等
( 評価 : D )
 ミステリーというのか、冒険小説というのか…。その両方の要素を取り入れた構成となっているが、なんか盛りあがらない。どうもリアリティーに欠ける感じがする。主人公(あるいは作者)の思い込み・短絡的思考が感じられて、読み手が作中人物と一体になれないのだ。個々の箇所についてどうこう言い難いのだが、全体としては以上のような印象がぬぐえない。
山  度
( 山度 : 50% )
 一応、山にも登っているし、舞台は終始山中であるが、あまり登山という感じではない。そもそも、ピッケルは必要なのか!?との違和感が後々まで尾を引く。
 

 
 
 
作 品 名
「雪洞にて」 (内海 隆一郎、1969年)
あらすじ
 おれはシャッターチャンスを狙って、山頂近くに作った雪洞の中で夜明けを待っていた。山小屋からここまで3時間半。何回も登っているから、予定より1時間も早く着いてしまった。樹氷の遠景に広がる3千メートル級の山々と雲海。朝日が当たって光輝く瞬間を捉えるためだけに、2年間も通っていた。去年8日間山に入って、1日も朝の光を捉えることができなかった。今年も7日のうち3日は吹雪かれ、山小屋のベッドで横になっているだけだった。狭い雪の穴の中で震えながら待っているだけ。そんな時におれは、あの時のことを思い出してしまう。
 20歳を少しは過ぎたばかりのおれは、鉱山町で電気工事の仕事をしていた。電柱の上で配線工事をしている最中に大きな揺れが襲い、おれは電柱とともに倒れ気を失った。鉱山での事故だった。気付くと、首を折ってギプスをした状態で、病院のベッドの上に寝かされていた。以来、何度も発作が起きる。入院中はずっと耳鳴りに悩まされ、おれはそいつを蝉と呼んでいた。しかし蝉が鳴き止むことはなく、おれはとうとう耳にナイフを突き刺してやった。入院中に雑誌に載っていたダウラギリの写真を見て、おれは得体のしれない何か心を捕まれた。
 こんな写真を撮りたいと思って、3年間のギプス生活を終えると借金をして中古の一眼レフを買い、写真を撮るために山に入るようになった。一度、地方新聞社のコンクールで入選した時は鉱山中から祝福され、おれは有頂天になった。この程度の写真マニアは世の中に五万といるかもしれないが、おれは新しい世界を切り拓きたかった。
 寒い雪洞の中で眠気に耐えながら待っていると、次から次へと様々な出来事が思い出される。行方不明になった営林署の職員の捜索に出かけた時のこと、その職員の白骨死体を5年後に見つけたこと、去年雪の中で金属製の三脚を誤って掴んでしまい右手の皮を全部剥がしてしまったこと、今よりずっと若かった頃に鉱山の事故で亡くなった父親のこと・・・。おれは、もう朝は来ないんじゃないかと不安になった。やがて、夜明けを告げる風が吹き、少しずつ空が白んできた。おれは急いで駆け出した。
感 想 等
( 評価 : C )
 「文学界」で新人賞を受賞した、内海隆一郎の処女作。夜明け前の雪洞に籠り、ただ夜明けを待つだけの時間は、よしなし事が次から次へと浮かんでくる。そんな男の回想、過去の自分に苦しめられる男を描いた私小説である。純文学である。
 この作品の感想に書くことではないかもしれないが、文学って何だろうと考えてしまう。大衆文学全盛の今、文学は非日常を味わうエンタテインメントの手段として人気が高い。一方で、純文学も書かれていると思うが、意識しなければ目にする機会は少ない。私小説的な純文学は思考が内面に向かう分、理解が難しい。自分は大怪我をしたこともないし、鉱山も知らない、白骨死体を見たこともなければ、カメラに興味もない。その分、理解が難しい。いや、知らない世界、他人の内面だからこそ、文学としての意味があるのかもしれない。ということを改めて考えてしまった。心に残る作品だけれど、共感とは違うかもしれない。純文学って何だろう。
山  度
( 山度 : 50% )
 雪洞、山小屋、雲海、ダウラギリ、遭難……。登山に係る事象が次から次へと出てくる。いわゆる登山シーンは少ないが、山の雰囲気に満ちている。舞台は山麓に鉱山を抱える3千メートル級の山々の近くというだけで、場所がどこなのかは分からない。
 
 
 
 
作 品 名
「誰にも探せない」 (大崎 梢、2016年)
あらすじ
 山梨県の大学に通う坂上晶良は、大学の郷土史研究会というサークルに入り、カノコ先輩や悪友でトレッキング同好会の吉井らと仲良く大学生活を送っていた。「郷土史研究会」とは言うものの、実は埋蔵金調査に特化した特殊なサークルだった。小学生の頃、幼馴染の伯斗と一緒に埋蔵金を探し回って以来、晶良は埋蔵金探しにこだわっていた。
 そもそも、晶良と伯斗の祖母同士が幼友達で、祖母同士が交わした埋蔵金の話を聞いてしまったことがきっかけだった。祖母たちが子供の頃、六川村という秘密の隠れ里出身の子がいて、その村が武田信玄の家臣で穴山梅雪の埋蔵金を守ってきた村だというのだ。晶良と伯斗は、祖母たちの友人が書いた地図を内緒で写し取り、埋蔵金探しに夢中になった。ところが2人の秘め事は、突然、伯斗が埋蔵金探しを止めたことで終わりを告げた。以来、晶良と伯斗は何となく疎遠になっていった。
 そんな伯斗が突然晶良の前に現れた。東京の大学に通う伯斗は、出版社のアルバイトで埋蔵金の話に出くわし、とあるヤバいグループが六川村の埋蔵金を狙っていると聞いて居ても立ってもいられなくなり、晶良に一緒に探して欲しいというのだ。晶良は半信半疑ながら、伯斗と一緒に山に入った。
 2人が六川村への目印として目を付けていた廃村に行ってみると、最近誰かが立ち寄った形跡があった。そこに落ちていた畑湯温泉旅館のタオルを手掛かりに旅館に泊まった晩、伯斗の携帯に連絡が入り、ヤバいグループの一味だった中島が殺されたという。急いで東京に戻った伯斗とも、それっきり連絡が付かなくなった。偶然、中島の相棒の田中が山に入ったことを知った晶良は、友人の吉井と一緒に再び山に入った。
感 想 等
( 評価 : D )
 (一部ネタバレあり)埋蔵金伝説と見せかけて、実は振り込め詐欺の犯罪グループの内輪揉めで、その金を持ち逃げした中島と田中が、金を六川村に隠したという。それを追う伯斗と、伯斗が憧れるバイト先の美人の先輩・美咲さん、晶良と伯斗が子供時代に世話になった埋蔵金探しの先輩・国分寺さん。色々な登場人物が出てきて、最終的には謎がちゃんと回収されて終わるという意味ではよく出来たミステリー。
 ただ、思い返すとそういう話なのだが、なんだか読んでいる最中はフワフワしている。前半の埋蔵金の話自体が地に足が付かない感じだが、それが実は振り込め詐欺と分かって現実味を帯びてきたはずなのに、最後まで何となくリアリティを感じられないまま終わってしまった。文章は読み易く、分かりやすいのに、内容に反比例した雰囲気の軽さが残念。
 後半、山中を徘徊するシーンなどもあるが、ここでも大変さが伝わってこない。実名で出てでるのは北岳と奈良田くらい。場所が曖昧なことも一因かもしれないが、それだけではないような気もする。
山  度
( 山度 : 20% )
 山の中を徘徊するものの、登山ではない。
 
 
 
 
作 品 名
「山の声 ―ある登山者の追想」 (大竹野 正典、2012年)
あらすじ
 雪嵐がゴウと吹きすさぶなか、登山者1(先輩、加藤文太郎)が現れ、ポケットから取り出した甘納豆ひとつかみを口に入れると、カンテラに火を点けた。続いて登山者2(吉田君)が現れた。2人は冬の北鎌尾根に挑戦し、吹雪により4日間も閉じ込められてしまったのだった。コッヘルに放り込んだ氷あずき状態の甘納豆を口にしながら、2人はとりとめもない会話をしていた。
 「不死身の加藤」「単独行の加藤」と言われた加藤と、その後を追うように山にのめり込んだ吉田は、加藤のこれまでの山行について語り始めた。八ヶ岳の夏沢温泉で1人侘しく正月を迎えたこと、親父の見舞いのために休暇を取って帰省し見舞い1時間・山行2日間という親不幸をしてしまったこと、山頂で万歳三唱したこと、ヒマラヤ貯金の話、1月の立山での出来事、会社のこと、最愛の家族である妻と娘のこと、そして・・・・・。
感 想 等
( 評価 : C )
 本作は舞台のために書かれたシナリオ本で、第16回「OMS戯曲賞」で大賞を受賞し、ラジオドラマ化もされている。戯曲家の大竹野氏は2009年に亡くなられているが、現在でも時々上演されているようだ。本戯曲は、大竹野正典 劇集成T』に収録されているほか、OMS戯曲賞の受賞作品を収録した本も出ている。
 加藤文太郎と吉田富美久という2人の登場人物だけで物語は進むが、そこに文太郎の数々の山行を織り込みながら、山に憑かれる人間の心情、孤独感、生き様をうまく描いている。戯曲で読むと分かりにくい(というか、劇で見ないと分かりません)が、文太郎の山行記「単独行」を吉田が読みあげるという形で、「単独行」の文章を引用しながら文太郎の山行内容を幅広く伝えている。加藤文太郎のことを知らない人に当時の時代背景も含めてどこまで伝わるのか、解説なしの登山用語がちゃんと理解されるのかという点は懸念されるものの、短いページ数の中でうまく表現されているように思う。
 巻末にある劇評家・広瀬泰弘の解説の中で、加藤文太郎の生き様と大竹野正典のそれとをオーバーラップさせて語っている箇所があるが、実はそれは万人に当てはまるのではないかと思う。すなわち、人は所詮孤独な存在であり、同時に他人との関わりなしには生きていけいない生き物ある、ということだ。本書を読んで、図らずも「単独行」という山行記が、人の内面を記した精神の書としても優れた作品であることに気付かされた気がする。
山  度
( 山度 : 100% )
 実際の登山シーンが描かれているわけではないが、加藤文太郎と吉田富久の2人が山に関するあれやこれやを語る。内容は終始山に関することというわけで、山度100%とした。
 
 
 
作 品 名
「噴火口上の殺人」 (岡田 鯱彦、1949年)
あらすじ
 岡田、柿沼、香取、阿武、荒牧の5人は大学同寮の仲間だった。5人が柿沼の郷里に遊びに行った時、香取が柿沼の妹・美代子と仲良くなり、岡田は下の妹・登志子と仲良くなった。その後、香取は美代子と付き合ったものの、結局は彼女を捨て、美代子はそのために服毒自殺をした。香取はその時の話を小説にして文壇で注目を浴びていた。以来、柿沼と香取は犬猿の仲となり、5人の関係もおかしくなっていた。
 1年後、柿沼からの誘いにより、5人は再び柿沼の郷里に集まった。そこで、登志子を含めた6人でA火山に登り、噴火口で柿沼が香取に勝負を挑んだ。噴火口にある溶岩石に辿りついた方が勝ちという勝負だった。先に柿沼が成功し、後から挑む香取は成功の見返りとして登志子を要求して挑戦した。あと少しで成功というところで、岡田は思わず石を投げ、香取は溶岩の中に落下した。岡田が石を投げたことは5人の秘密となった。
 その後、岡田は登志子と結婚したが、罪の意識にさいなまされていた。ところが・・・。
感 想 等
( 評価 : D )
 “完全犯罪”と銘打ってあるが、さすがに昔の小説だけに「こんなところでしょうか」としか言えない。今であればこの程度のトリックで完全犯罪とはあまりにおこがましくて言えないという感じ。その辺は時代の変化ということで大目に見るしかないだろう。
 一応、戦後間もない頃に、「ロック」という雑誌で実施された公募の懸賞探偵小説賞において、第一席を獲得した作品とのこと。
山  度
( 山度 : 10% )
 登山といってもハイキング程度の登山シーンが出てくる程度。
 
 
 
作 品 名
「追伸、こちら特配課」 (小川 一水、2001年)
あらすじ
 民間の宅配便各社が台頭するなか、政府は郵便用のリニアを走らせ、全国を機械による郵便網でカバーするというG-NET計画を進めていた。この計画は、コンピュータ制御システムによる大幅な時間短縮が望める一方、郵便局員の人員削減も見込めるという代物だった。G-NET計画は、巨額の予算と利権が絡む一大プロジェクトだった。郵政省の水無川長官と、甥・灘達也、その部下・七条慧らは、計画を推し進めていった。
 一方、どんな山奥でも、車の入れぬ繁華街の小路でも、人から人へ届けることがモットーの特別配達課の八橋鳳一と桜田美鳥らは、特配の存亡を懸けてG-NET計画潰しに奔走した。民間宅配業者と手を組んで試行エリアにおいてG-NETを上回る実績を叩き出した特配。京都の街を舞台にした郵便速配競争でも勝利を収めた。
 そんな頃、水無川長官を乗せたヘリが、12月の雪の西穂高岳山中に墜落した。長官の生存は確認できたものの、折からの悪天候で救助隊は手一杯の状態に陥っており、機動力を持つ特配に救助要請が飛び込んできた。鳳一と美鳥、そして番場の3人は、雪の西穂へと向かった。
感 想 等
( 評価 : C )
 まず押さえておきたいのは、本作がエンタメ作品だという点。それを大前提に読まないと、ハリウッド映画ばりのカーチェイスも、水戸黄門のような立ち回りも、ましてや素人2人が上高地から冬の穂高連峰に1日で到達するなんていう展開も、「そんな馬鹿な!」で終わってしまう。多少の大げさな表現は、あくまで読者を楽しませるための仕掛けに過ぎない。
 そうした断りを入れるまでもなく、「こちら、郵政省特別配達課」シリーズでは、第一弾から奇想天外で破天荒なものばかり運んでいる。その辺の強引とも言える流れはご愛嬌だが、本作では特配vs G−NET(全国機械化郵便網)、舞島ちはる親子の問題、灘と七条慧の関係、いろいろな形で仕事への思いが込められている。単なるエンタメ小説というだけではない。
山  度
( 山度 : 10% )
 ラスト間近、特配のメンバー3人が、雪の北アルプスに挑戦するという展開がある。登山経験者の番場がいるとはいえ、雪山はおろか、登山経験すらない鳳一と美鳥が、12月の雪のなか、上高地から涸沢・奥穂経由でジャンダルムを超え、西穂まで1日で到達するというのは、エンタメならではの無茶な展開。作者も無茶を承知で書いているようなので、まぁ「あり」としよう。
 
 
 
作 品 名
「槍ヶ岳」 (奥田 岳志、2003年)
あらすじ
 母子家庭に育った勝弘は、暗い性格ゆえに小学校ではいじめられっ子だったが、絵が上手で、倉橋先生に絵を教わっている時だけは、勝弘もうれしく明るかった。ただ、勝弘の父が山で遭難死したために勝弘は山のそのものを憎んでおり、倉橋はそれが絵の才能を伸ばすうえで障害になるのではないかと懸念していた。
 中学校に入っても勝弘は暗い子どもだった。勝弘は転勤した倉橋先生のいる信濃大山高校を目指して勉強した。無事高校に合格し、勝弘は倉橋先生と再会したが、同じ高校にかつてのいじめっ子裕介がいた。ところが、その裕介が勝弘に親しげに近寄ってきた。実は、勝弘の父と裕介の父は山仲間で、2人で出かけた槍ヶ岳冬山行で勝弘の父が遭難死、裕介の父も右手に凍傷を負い職を失ったのだった。裕介が勝弘をいじめていたのは、自らの貧乏が勝弘の父のせいだと思い込んでいたせいだが、それが誤解だとわかった裕介は、勝弘と一緒に山に行きたかったのだ。
 山岳部に入った裕介と、美術部に入った勝弘は親友になり、一緒に山へも出かけるようになった。そして、2人は一緒に槍ヶ岳へ行くことになった。
感 想 等
( 評価 : D )
 父親の槍ヶ岳での遭難により翻弄される少年の人生。ストーリーは自然だが、ラストはいかがなものか。自分も槍ヶ岳が好きなので、その思い入れはよく伝わってくるが、その思いが活かされていない気がする。また、勝弘の視点だけでなく、裕介の視点も同時平行させた方が、裕介の気持ちの変化が自然に読者の中に入り、物語に重みが出たのではないかと思う。
山  度
( 山度 : 70% )
 山度は比較的高いが、絡まったザイルで骨折したり、槍の穂で足を滑らせて鉄杭が足にささったりといった場面には、ちょっと無理が感じられる。
 
 
 
作 品 名
「ある登攀」 (小田 実、1971年)
あらすじ
 田上はC峰バットレスの第二テラスでビバークしていた。隣にいるのはK大の先輩・松本だった。予定の2倍も時間がかかってしまい、ビバークを余儀なくされたのは、松本の技術が未熟だったせいだと田上は思った。知り合ってわずか数日の松本とザイルを組んだことを、田上は後悔し始めていた。
 田上が松本と出会ったのは、田上の尊敬する先輩であり、ザイルパートナーでもあった三根の壮行会でのことだった。三根のもとに届いた召集令状、それは三根の夢だった未踏のC峰バットレスを田上と一緒にやっつけようと偵察山行に出掛けた直後のことだった。戦地に赴く三根のために開催された壮行会の場で、C峰バットレス同行の申し入れをしてきたのが松本だった。
 松本はS高山岳部時代からの田上の先輩だったが、田上は松本のことを知らなかった。しかし、松本はある意図を持って田上に近づいてきたのだった。
感 想 等
( 評価 : C )
 時は戦時中。時代という波に押し流されて思うように生きられない若者たち。そのいらだちをぶつけるために、命を賭して岩を攀じる男たち。岩登りが生き様そのもの、あるいは生きる目的であり、何かを思い切るためのよすがとして岩に登る、そんな感じがする物語だ。実際、当時の若者たちにとっては、自分をぶつけられるもの、自由に挑戦できるものは、そう多くなかったのかもしれない。
 自由に生きられるがゆえにノンポリとなっている今の若者たちと比べると、不自由であるがゆえに思想的なもの、あるいは哲学的なものに悩み苦しんでいたであろう当時の若者たちの切なさが感じられる。自由とは、良い時代とは何なのだろう?
山  度
( 山度 : 90% )
 全編ほぼ山に関連した記述となっているが、登攀シーンそのものはあまり多くない。当時のクライマーたちの様子が偲ばれる。
 
 
 
作 品 名
「遭難者」 (折原 一、1997年)
あらすじ
 松本に本社のある大崎商事に勤める笹村雪彦は、会社の岳友会メンバーである須磨史郎リーダー、五十嵐進、中谷アイ、野島夏美らと共に、GWに残雪の白馬・唐松縦走に出掛けたが、不帰ノ剣を越えた所で雪彦が滑落死した。
 雪彦の追悼集を作っていく過程で、彼の母・時子は雪彦がSという岳友会メンバーに同じ会員の恋人・N子を取られ、失意にあったことを知る。息子が自殺ではないかと疑った時子は真相を探るが、追悼山行で時子もまた墜死してしまった。
 事件は息子の死を悲観した母親の自殺として片付けられたが、雪彦の妹・千春に想いを寄せる登山家の南は、追悼集を読んでおかしな点に気付いた。他殺の可能性があるとみた千春と南は、真相を究明すべく調査を始めた。
 N子とSは一体誰なのか。雪彦は、時子は、自殺なのか、他殺なのか。
感 想 等
( 評価 : C )
 追悼集風に作った凝った装丁、古臭い写真や死亡届・生命保険証などまで使ったリアル感、部分によって山行報告風、脚本風などに使い分ける一風変わった作りなど、実験的、野心的な試みは非常におもしろい。ただ、山行について描いた箇所の細部を読むと、やや疑問を感じるような所があり、そういうひねた目で見ると、凝った装丁も気をてらったとしか思えなくなってしまうのが残念だ。
 ミステリーとしても、単なるお話ではなく、もうひとひねり欲しい。折角の様々な試みを活かせるような内容となっていないかも。
山  度
( 山度 : 80% )
 私自身、山岳会に入っているわけではないので、追悼集のスタイルなどはよく知らないが、細かい小道具でリアル感を醸し出そうとしており、その雰囲気は味わえるのではないか。