5月15日

 あいかわらず遅きに逸した話ながら、G・W明けの数日、瑞牆山クライミング&撮影合宿に参加してきました。
 これはパンプ社長の内藤くんが企画したもので、集まったのは、杉野保、中嶋岳志さん親子、室井登喜男くん他、そうそうたる顔ぶれ。私はその中の数日、撮影班としてちょろっと混ぜてもらっただけだったんですが、その最終日、十一面岩アレアレアの12bクラックを何年かぶりで登らせていただき、久々にクライミングで目が覚める、って思いを味わってまいりました。

 ま、12bですからね。たもつさんや中嶋くんたちのレベルに比べりゃなんてことはないんですが、それでも久々のクラックにド必死になりながらなんとかノーフォールで登れた時は、我ながら満足感でいっぱいでした。
 あー、やっぱクラックって、面白いな。そう、つくづく思える一発でした。

 というのは、なんせあの、怖さの中で1手1手、賭けに近い感じで出していく。そしてそれが、1手1手なんとかなっていく。その時の、えも言われぬ充足感。
 この、他人にはわからぬ、全く個人的な、しかしその個人をめいっぱい捉えるほどの充足感。これこそがクライミングの意義であり、魅力なんじゃないかとの思いを、全身に目一杯感じることができたからです。
 そしてこれは、フェースにももちろんあるけれども、クラックは特に強い。それがクラックの魅力なんじゃないかとも、改めて感じました。

 ところでこういう思いを抱くたびに、私には思い出すある言葉があります。
 「自分の成果を誰にもいっさい言えない、自慢できないとして、それでもクライミングをやる奴が、本当にクライミングを好きな奴だ」
 言ったのは若かりし頃の堀地清次くん(寺島くんだったかな?)。
 この言葉を私自身、自分のクライミングに対して折りあるごとに自問してきた気がするんですが、今回の充足感は、それに少し答えを出してくれたような気がします。

 そしてもう一つ。以前にも紹介したことのあるジェリー・ロペスの言葉。
 「最初の20年は、そのスポーツを自分が本当に好きなのか、自分はそれをやるべきなのか、問う20年だ。その次の20年が、本当にそれを楽しむことができる」

 いや〜、なかなか。
 ホンモノに近づくってのは、なんと深くも魅力的なものなんでしょう。
 そう言った意味じゃあ、例えば今回ここに集まった皆さんなんて、単にレベルが高いというだけじゃなく、こうした部分でも完成したものを持っている。それがまたこういう岩場に来ると、ますます輝いている気がしますね。実に羨ましい。
 そして瑞牆って山は、私なんかにとっては、こうしたことを自分に問える山だし、またそれを問うべき山でもある気がします。改めて、本当にいい山だなと思いますね。
十一面岩アレアレア6p目のクラック。写真は日本マルチピッチルートガイド取材中のもの(この時はテン山)


3月23日

 このところ3週連続で、城ヶ崎はファミリークラックエリアで講習会行ないました。
 なんか最近、意外と人気あんのね、ここ。
 一時期は城ヶ崎っていうとシーサイドばっかで、クラックなんてやる人いない、ここの(というより日本のフリークライミングの、というべきか)歴史を顧みる人もいない、って感じで寂しいばかりだったから、こういうクラシックエリアを登るというのは良いことだと思います。素直に。

 しかしちょっと気になるのは、トップロープがやたら多いということですかね。
 いや、正しく言えば、トップロープそのものは悪くない。特にクラックなどリードに自信が持てないルートをトップロープでやるというのは決して悪いことではないし、事故がやたら多い昨今、ジムでの獲得グレードをそのままスライドさせるような無謀なリードよりむしろ褒められることではありましょう。

 けど、それでも気になるのは、そのトップロープを、かけっぱなしにしている人が多すぎる、っていうことですね。
 かつ、トップロープのセットも、危なっかしいものが多い。
 これ、抜けないの? っていうような心もとない木1本でやってたり、スリングが岩角にモロに当たってるのに1本でやってたり・・・。カラビナ1枚なんてのはもはやザラです。

 確かにギアのスペックを見ると、それでも充分、って考えになるのはわかるけど、ごく普通にそういうのって、「怖い」と感じないんですかね?
 そういうのを見ると、ああ、今の人って、知識が本能を完全に抹殺しちゃってるんだな、と、つくづく思ってしまいますね。

 おまけに、そういう人に限って、「これ、使っていただいて良いですから」なんてことを平気で言う。
 まあ、確かに親切で言ってくれているんではあるでしょうけれどもねえ・・・。でも問題あると思いますよ、いろいろな意味でこれは。

 まず、こういうことを言う人は、これは、「オレのやり方に命を預けろ」と言ってるのと同じだということを理解しなければならない。だって、そう言われて上を見たら支点のカラビナが1枚だった、なんて時、いったいこっちはどうしたら良いのでしょうか?

 そして、それよりなにより、それ以前に本来あるべきマナーは、「すぐどけますから」でしょう。
 下の写真に写ってる人は(ごめんなさい、勝手に出してしまいました)、それでも我々がやろうとすると、ちゃんと「どけますから」と申し出てくれて、そうなるとこっちも「いや、横によけておいていただければいいですよ」となったんだけど(それでも結局ロープを抜いてくれました。申し訳ない)、それでも気の弱い人はロープがかけてあったらそのルート、やろうっていう素振りも見せられないだろうしね。やはり基本は、自分たちが今、やるって時だけ、トップロープをかける、そして離れる時はすぐ外す、でしょう。

 幕岩なんか、お昼時、誰もいないルートにトップロープがかけられたままになっていて、あとから来た人達がどうしていいかわからずに呆然となってる、っていうこと、結構あります。こういうの、何とかして欲しいですよね。
今、意外な人気のファミリークラックエリア。毎週トップロープがすだれのように掛かり、実質「封鎖状態」になっていることが多い。本人たちにそのつもりがなくても、他の人には結局そうなっちゃうよね(この日はかなり友好的でしたが)。


2月27日

 先日、といってももうひと月近く前ではあるんですけど、城山南壁での話。

 いつものようにショート、マルチ取り混ぜて多くの人がいて、なんとも平和な一日が過ぎていっていたのですが、そのうちに右上部壁を登っていたパーティーが落石を起こしてしまいました。
 幸い石は誰にも当たらず済んだのですが、そのあと、下でショートルート登っていた女の子が発したコメントには、私、びっくりしていまいました。
 「なんで日曜なのにあんなとこ登るの? 迷惑ってこと考えて欲しい」

 ちょっと違ったかもしれないけど、これを聞いて、私、いささか驚愕し、ついまた余計な口出しをしてしまいました。
 「何言ってんの? ここはそういう所なんだよ。クライミングってこういうものなんだよ。そういうこと理解しないで、他のクライマーがやってること、批判なんてするんじゃないよ」

 ごめんなさい。知らない人に対して、横から突然、高飛車にこんな言い方するなんて、真に失礼でした。言った内容はとにかく、言ったことに対しては本当に申し訳なく思ってます(本当です)。

 で、この話はそのまま自己嫌悪の一エピソードで封印しようと思ったのですが、やはりあの言葉の内容は非常に気になったので、ここにまた蒸し返させていただくことにしました。
 といっても、私、その女の子を再攻撃するつもりではありません。ああいう言葉が発せられた感覚、おそらくあの子だけが持つものではないであろう、意外とありがちかもしれない考え方について、ひとこと述べたいのです。

 実は私、あの言葉を聞いて、大げさな話ではなく、戦慄すら覚えてしまいました。
 というのは、言った一個人がどうこうというのではなく、そういう考え方がこの世の中にある、しかもこのように実際、ごく普通の女の子がさらっと口にするほどに、あたりまえに持ち得るものでもある、ということが、まさに驚きだったからでした。

 「迷惑だ」
 なんとよく聞き、またなにげに口にする言葉でしょう。
 しかし私は、この、一見客観的で公平的で、いかにも社会のコンセンサスを得たかに見える言葉に、いつも強い疑問を感じてます。

 「冬山で遭難するなんて迷惑だ」
 「人の迷惑考えず、自分勝手な行為だ」

 こうした言葉に対して私、この正月にも剣であった遭難事件に対するコメントとしてちょろっと書きましたたけど、なにしろどうしてこの国の皆さんは、個人が、相応の意志と覚悟のもとに積極的な行動を行なうことに対して、こうも簡単にそれを否定しようとするのか? それが本当に不満であり、ほとんど不思議でもあります。
 しかも驚きなのは、自分自身もその世界の中にいる場合ですら、ちょっと自分と違うものだと、同じく否定しようとするということです。

 先のマルチピッチ・パーティーに寄せられたコメントなんてまさにそれだけど、以前、城ヶ崎で日曜日に派手なフリーソロをした人に対して、同じ言葉が発せられたときにも、私、皆の意見にはしたり顔で肯きつつも、実はそれにはなにがしかの違和感を覚えていました。
 まあ、この時はその人のやり様が、いかにも人に見せるためといった感じで不純に思えた(実際そういうキャラクターではありましたからね。この時も平日さんざん練習してたという話でした)こともあって皆が嫌な顔したのも理解はできるのですが、でもこれはこれで、その人に「相応の意志と覚悟」があったことは間違いない。実際、平日に練習までしてたんですから。
 だから私は、この行為については、同じフリーソロをよくする人間として、フリーソロの文化を歪めるものとして眉をしかめたくはなるけれども、迷惑だ、とは口にしたくない。
 これを言ってしまったら、そのうち、ボルトではないナチュプロでクラック登るのや、ランナウトルート登るのまで「迷惑」と言われかねないということになってしまうでしょう。

 なんだか今回、やたら長くしつこいコメントになってしまって、件の城山の彼女はそれこそ大迷惑に感じているかもしれませんけど、くり返し言いますが私、そのことについて文句を述べ立てているつもりではありません。あの言葉をきっかけに突然自分の中に沸き起こった思い、「個人の意志による行為」の権利と尊厳について、ぜひ発言しておきたく思ったということなのです。

 思うに、我々は、「迷惑」という言葉を簡単に使いすぎなのではないでしょうか?
 もちろん本当に迷惑な行為というものはあるにはあって、例えば人を殺すとか人のものを盗むなどがそうですが、そのレベルではない、一般国民生活の中で個人が自分の意志で何事かをやろうとすることについては、それがいかに妙ちきりんなものであっても、個人の権利として断固、認められるべきものなのではないでしょうか?
 大げさな言い方を許してもらえるならこれは、個人が、自分の生き方を生きる権利と言ってもいい。

 だから山に登るとか、釣りをするとか、奇抜なファッションをするとか、アキバにはまるとか、は、まったく個人の自由に生きる権利の範疇であって、まわりが迷惑なんて非難すべきものでは決してない(もちろんそれでもこれらはまわりに何がしかの微迷惑をかけていることは確かでしょう。しかしそれを言ったら、誰かに何がしかの迷惑をかけていない人間なんて一人もいなくなる。立派な仕事をする人だって、その仕事を持って行かれた人にとっては迷惑だ。そういう微迷惑をお互いにシェアし合うのが社会というものだ。なんてことを以前岳人に書きましたが、ここではそれは省略)。

 そしてその人が、たとえ遭難したり怪我したりしても、決してそれは「迷惑」ではない。オリンピックに出て勝てなかったこと同様、それがその人の立派に自分の生き方を追求した結果なんですから。

 なんかますます出口の見えない論調になってきてしまいましたが、要は我々は、もっと「個人の生き方を選び、まっとうする権利」に自信を持ち、主張してもいいんじゃないか、そして、それについての見識をもっと高く持つべきなのではないか、ということです。
 クライマーなんて、まさにその急先鋒に立っても良いような気がするんですが(昔の山ヤには多かった気がしますけどね。禁止されてる冬の剣入っちゃう奴とか)、なんか最近の傾向を見ていると、むしろ真逆に進んでいるように思えてならない。妙な自粛とかね。わざわざ自分たちの行為を卑下して、自主規制などやたら行き過ぎてる感が無きにしもあらずというような気がしますよ。

 また、こうした風潮は、本来その「個人の権利の主張」に付随すべき「相応の意志と覚悟と責任という強い意識」も希薄にしてしまっているようにも感じられる。結果が、昨今のマナーの低下やイージーミスによる事故の連発を引き起こしているようにも思える。
 なんか、負の連鎖に陥ってしまっているような気がするんですよね。最近のクライミング界を見ていると。

 なんとかならないでしょうか(ああ、やっと終わった)。
城山全景。ここにはいろいろなクライミングがあり、それはすべて認められるべきものだ


1月24日

 もうずいぶんたっちゃったけど、暮に面白い本読みました。
 『子供にスポーツをさせるな』小林信也著、中央新書ラクレ。

 最初、ボディケア的な、子供の成長骨などに関する体の負荷の話かなと思ったけど、これがぜんぜん違いました。
 オトナが、子供に対して求める「スポーツ」のあり方が、実はとても間違ってるんじゃないか? という、スポーツ文化論の本でした。

 いや、とても良かったです。
 今、子供にスポーツをさせる人って多くて、また子供の方もすごい優秀なのがいたりして話題になったりすることも多いんだけれど、時にこれ、ちょっと変なんじゃないか、と思うことも少なくない。
 親が子供以上に入れこんじゃって競争意識ばちばちになったり、子供の方も有名になりたいなんてことをなによりのモチベーションにしちゃったりして。すごいのになると、プロになってお金稼ぎたいなんてことを顕に表明するのもいる。んでまたそれを周りがやいのやいのと持ち上げる。

 そうしたことに対して、この本の著者は、そういうモチベーションは良くない、スポーツをする(あるいはさせる)意義がわかってない、と警鐘を鳴らしているわけですが、んー、私なども、これにはイタク同感ですね。
 前から私、クライミングを(って一つのことに集約しちゃうところが発想貧困なんだけど)外的コンテンジェンシー(本来のものとは違う他からの動機付けのこと。例えば有名になりたいとか人に自慢したいとか、時には人に負けたくないなんてことも)で行なうのは、良くない、不純である、クライミングの神様に対して申し訳ない、などと嫌っておりまして、だから小林氏のこうした指摘はまさに雲間から光という思いでした。

 もちろんんこれはオトナにも言えることではあるんでしょうけど、特に子供はね。スポーツの本当の楽しさを知り、それに向かって努力する楽しさを知り、ひいては人生の楽しさと意義、そしてそれに対するセンスを知る。そういうことが大切だし、そのためにスポーツをさせる意義があるんだろうと小林氏は言います。

 そもそもスポーツが何故いいかって、それは誤魔化しの利かない世界で勝負をしなきゃならないからでしょう。しかし小林氏によると、英才教育を受けた子供たちの中には(ゴルフのスコア、あるいはボールの位置など)誤魔化しをする子が意外と多いそうです。
 それは大人に、良い成績を認めてもらいがためなんでしょうが、一度こういうことをやると、その悪癖は大人になってもなかなか治らないという。
 また、この本ではないけど、前に、子供にあるスポーツをやらせて、好成績をとったらご褒美をあげるようにしていると、その子はそのスポーツを意外に早くやめてしまう、あるいは成績が伸びなくなる、とのデータがあるという話も聞いたことがあります。

 なんか、納得ですね。

 ところで話はちょっと違うけど、この本に中で、今をときめく石原慎太郎。氏に著者がインタビューした時、
 「人が死ぬから、スポーツは面白いんだ。人が死なないスポーツなんて、面白くない」と言われたというエピソードが紹介されてました。
 おー、あっぱれ石原慎太郎。いいですねえ。さすがわかっていらっしゃる。これについてはそのうちたっぷり書きたい気持ちでいっぱいなんですが、今はとりあえず大拍手というところで押さえておきましょう。
 もっともその後、本書では、その石原氏が「お金が儲かる」からと東京にオリンピックを招致したがるのや、東京マラソンで、歩きとたいして変わらない7時間でゴールする人に対して笑顔で迎えたりするのに違和感を覚えた、とありましたが、それはまたそれで。
『子供にスポーツをさせるな』小林信也著、中央新書ラクレ
2009年刊だからまだ古本屋で安くなってはないだろうけど、私は150円で買いました。
スポーツ文化関連ではこの本もお勧め。『スポーツ解体新書』玉木正之著、NHK出版刊
同氏の著書では講談社現代新書で『スポーツとは何か』ってのも出ています。もちろんお勧め


1月20日

 風邪で寝ている間、テレビを見ていたら、またやってくれました、ゴン中山氏。
 「オレは第一線を退くと言っただけで、引退するなんて一言も言ってませんよ」

 報道ステーション(私、古舘伊知郎、嫌いなんですけどね。時間帯の都合でどうしても見ちゃう)のスポーツコーナーで、「引退したはずのゴン中山がトレーニングしている」というレポートをしている時の一言なんだけど、ん〜、いいねえ。まったく、嬉しいくらいにこちらの期待通りのこと、やってくれますね、この人は。
 レポーターの松岡修造は相変わらずウザかったけど、汗だくになってバイク漕いでる中山氏は、ややテレビ画像的ではあったものの、良かったですね。同じく引退して、人のことを伝える側にスパッと移行できたという松岡氏の言葉に、「え〜? ホント?」と、心底びっくりしたという感じで返す言葉にも、嘘っぽさは感じられず、なにもかにもに、ほんと感心したです。

 で、風邪の具合やや良くなって久々にパンプ行った時、ツナミ登るにあたってゴン氏のあの顔思い浮かべつつを心がけたんだけど、12aで落ちてしまいました。あ”ーー。


2013年1月11日

 あけましておめでとうございます。
 っていつの話だよ、って感じですが、実はわたくし、暮から風邪でずっと伏せってまして、昨日一昨日、やっと起き上ったという状況なのでありんす。
 ま、冬はいつもながらのことではあるんですけどね。でも今年の風邪はとにかく咳がひどくて参りました。実は私、子供の頃ひどい喘息持ちでして、授業で体育があった日の夜など、おっちんじゃうんじゃないかと思うような発作に一晩中苦しめられて、ずいぶん曲がった人格が形成されたものでした。それを彷彿とさせるような、今回は強烈な咳でしたね。あー辛かった。

 ところで、そうしてわたくし、のんきに寝ている間に、友達が剣岳で遭難してしまいました。テレビでもさんざんやってる、例の小窓尾根での遭難です。
 で、それを私、寝床の中からテレビやらスマホやらで見ていてびっくりしていたんですけど、なによりたまげたのは、このニュースに対するネットユーザーからのコメント。
 「冬山はもう禁止にしろ」とか「なに自分のわがままで他人に迷惑かけてんだ」とか「こんな奴ら税金使って助ける必要ない」とか・・・。
 えー、こいつらマジかよ、というようなものばかりでした。

 しっかしまあ、こういう人たちの無見識、無思想さ加減には呆れるというより、もうほとんど戦慄さえ覚えますね。このネットページ、今まで政治とかマスコミとかに対する嫌権力的なコメントが面白くてよく覗いていたんだけど、結局こういう馬鹿どもがすべて無責任に発言していただけなのかと思うと、もう見る気しなくなりました。

 それにしても、我が国の一般大衆って、どうしてこうなのかね?
 個人が、自己確立のためにテイクリスクのチャレンジをする、っていうことの意味がなぜわからないんだろう? そして、その個人を支えるのが社会だってことも。
 そういや去年、例の畏れ多き滝を登っちゃった事件でも「ただ登りたいなんていういう子供みたいな動機でこんなことをするなんて・・・」とコメントした某有名登山家がいたけど、こうした感覚には、見ていてほんとうに情けなくなる。

 こうしたことに対する反論ならば私、本1冊書ける自信あるんだけどなあ・・・。でもまあ、今はまだいいや。とりあえず皆さんが早く見つかることを。

12月7日

 こないだ家でテレビつけたらちょうどゴン中山の引退会見をやっていて、思わず見いっちゃいました。
 「未練たらたらです」
 って、いや〜、良かったなあ、あの一言。

 あれだけやって、まだ未練あるの? って思った人も少なくないと思うんだけど、でもアスリートって、おそらくああいうもんだよね。
 スポーツの世界で引退会見ひらく人って結構いっぱいいて、皆さんそれぞれ涙ながらにファンへの感謝の言葉とか述べるんだけど、本当はこういう気持ちが、一番強いんじゃないかな。
 でもこの世界って残酷で、使えなくなった奴はもうお邪魔ってこと、みんな了解しているから、なかなかそれを口に出せない。
 それを、ああやって、さらっと、堂々と、胸を張って、言っちゃうとこが、ゴン中山、やっぱいいなあ。
 あれ、私の中では、歴代ベスト・オブ・アスリートの言葉、ですね。

 思えばクライミングなんて、ああいうスポーツに比べたらだいぶ楽ではあるでしょう。いくつになってもそれ相応の課題に取り組めるし、勝負事ではない、純粋な生涯スポーツとして楽しむこともできる。
 でも、やってりゃやってるなりに体にはガタがくるし、思い通りの自己完結ができなくなるってこともまた事実。
 そうした時に、「まだまだ、未練たらたら!」って言葉。効きますねえ。わたくし事では最近ゴン氏と同じく膝の調子が悪くて、いよいよオレもか、って感じになってただけに、この言葉、実にタイムリーに効きました。

 そういや昔、高田馬場で飲んでる時に、隣にいた見ず知らずのおっさんから「きみ、ゴン中山に似ているなあ! これ食ってくれ!」って料理一品いただいたことがあって、まるっきり一方的ながら私、ゴン氏には恩があります。
 というわけで、ゴンさん、ありがとうございました!


11月11日

 昨日は千葉県浦安市の青少年館という所で小学生のクライミングイベント、手伝ってきました。
 そんな話をクライマー仲間にすると、そんなこともやってんの? なんて驚かれるんですが、実は私、この手の仕事、最近たいへん多いです。

 市立青少年館で小学生教室から都内中学校一般開放施設クライミングウォールでの施設管理、さらに最近では大手フィットネスジムの中でのクライミング教室まで、なにしろこうした仕事が多い。
 先週は明治大学の一般教養課程の中にクライミング講座ってのが開設されて、そこで机上講義もしてきました。これは同大学卒業生の杉野保君(奴、大学なんか出てたんだね。頭良かったんだなあ)からのツテで頼まれて、私の他にも北山さんとかが講師してるそうなんだけど、大学でこういう講座持つってこと自体が私には驚きでもありました。

 で、こういうことがいったい何を意味しているのかというと、クライミングが、今までのようにクライマーだけのものではなく、一般社会に既に広まっていっているということなんじゃないでしょうか。
 もちろん、それは決して悪いことではない。どころか、クライミングっていう文化を一般に理解してもらえるという意味で、非常に大切かつ必要なことでもあるでしょう。

 しかし問題は、その文化を発信する側、つまりこちら側のソフトが、足りてない、ということだと、私的には感じています。
 実は私、上に挙げた仕事、時にきつすぎて、また時間を取られることもあって、他の人に頼みたいこと頻繁なんですが、じゃあ誰にということになると、適格者がなかなかいないんですね。
 確かに教えるレベルはかなりに低いからちょっとクライミング知ってりゃ誰でもできるように思えるかもしれないけれど、安全管理、それなりの細かなアドバイス、聞かれたことに対する的確な知識の回答、そして仕事としての責任、などということを考えると、そう簡単ではない。まあ、私がそれにすべて応えられているかというとそれも自信ないんですが、少なくとも相応にプロ意識を持った人でないとこれは任されない。

 かつ、これは非常に重要なことなんですが、クライマーでない、一般人に対して、そのニーズに合った的確な指導ができなければならない
 ここで勘違いしやすいのは、だから適当に遊ばせてりゃいい、ただそのルートを登らせりゃいい、となることでしょうが、そうではなく、やはりこのレベルでも、クライミングというものを正しく伝えるということが、できなくてはならない。
 逆にまた、我々古い世代が考えるような、だからクライマーとして厳しく、も、やはり違う。あくまで現状を的確に把握した専門レベルでの指導が、なされなければならないでしょう。その場合の専門レベルとは、我々が思うような広範囲なものではないかもしれないけれど、逆に新しい目線での深い知識、見識が求められることは間違いありません。

 一昨年から日本山岳ガイド協会でフリークライミング・インストラクター資格制度がはじまっているということは今までも何度か書きましたが、そこでも今後、こうした分野での専門的知識の構築、発信が望まれるところです。
小学生の体験コンペ。子供には子供なりの指導の仕方がきっとあるのでしょうね。それもぜひ勉強したいです


10月2日

 昨日10月1日、アメリカから帰ってまいりました。
 他の人のブログなど、海外からバリバリ更新されている中、うちはまったく沈黙という今時珍しい状態でしたが、まあ、2週間ですからね。おいおい報告は綴らせていただくということで・・・。

 しっかし、暑かったです。
 6年ぶりとはいえ、9月ってこんなに暑かったっけかな、って感じで、まず驚き。こりゃ今回はダメか、と危ぶまれたのですが、なんとか目標ルートは完登してまいりました。
 といっても聞きしに勝るフリーライダー、さすがにノーフォール、レッドポイントいうわけにはいかず、多くのピッチでテンションを残したままでした。
 しかもチームフリー、カプセルスタイルなど、いろいろ策を弄したので、課題は山積みというところでしょうか。
 しかし平山杉野という、まるで参考にならない情報しかなかったルートを、なんとか解明できたし、これからどういうスタイルを目指していったらいいか、何をすればいいかが薄々わかりかけてきた感じではあります。

 いずれにしても、まだまだ足は抜けられない、というところですかね。
 やっぱヨセミテはすごいです。
 まずは改めてそれに感動したということで。
いよいよフリーライダー(サラテ)にアタック。1p目はショートルートとしてもよく登る10cクラックです 40mノーピンのホローフレーク。このあたりから壁が立ってくる。上部にモンスターオフウィズスが見えています ざっとすっとばして、終了点。クロヒゲがユマーリングする下には1000mの空間が。感動です


9月7日

 いよいよ来週、ヨセミテに出発となりました。
 今回の目標は、フリーライダーです。
 って堂々と言うのも、これが初めてというくらい、今回は自信がないです。

 フリーライダーっていうのはエルキャピタン・サラテのヘッドウォールをエスケープするバリエーションで、エルキャピタンで唯一、5.13の出てこないオールフリールート(ウェストフェースを除く)です。
 といっても900m、30ピッチ近くの中に、5.12d2ピッチを含む5ピッチの12と、11bのオフウィズスを含む13ピッチの11が出てくるというハードルートです。
 平山くんがサラテのついでに軽くオンサイトで登って、楽しかった、なんて言ってるもんだから簡単だと思ってる人もいるかもしれないけれど、だいたい壁があの、エル・キャピタンですからね。アストロマンやその他のマルチピッチルートなどと比べるとまるでケタが違う、ハードどころかモンスターと呼んだ方が良いようなルートです(だから平山くんって、モンスターなんですよ。皆さん理解してました?)。

 それを、平山ユージでも杉野保でもない、一般クライマーがトライしようというのだから、しかも50をとうに超えて自身戦力外通告を出してるような者が挑もうというのだから、そりゃ不安にもなりますわね。トレーニングもぜんぜんできてないし。
 しかし今回、一緒に登ってくれるのは、クロヒゲこと増本亮と、長門敬明くん。昨年中国のグッドメイン東壁を登ってアジア・ピオレドールのなんとか賞を受けた2人で、アルパインだけでなくフリーも13をバリバリ登る実力派です。
 ま、難しい所はこの2人に任せて、私はせいぜい足手まといにならないよう、頑張りますか。
 といっても、それだけでも充分、プレッシャーはマックスですが。
毎度見なれたエル・キャピタン。
しかし最初にこれを見た時、あまりの巨大さに愕然とし、数年後、これがフリーで登られた時にまたまた驚愕し、その後、モンスターなクライマーたちがばりばりフリールートを追加するのを見て呆然とし、そして今回、その一角に自分も手を出そうっていうことで、こりゃまた完全にビビってます。
とりあえず私的には数年計画で一応の完登を目指したいと考えています


8月20日

 今年はちょうちょ撮りに夢中になってるという話を前にしましたが、そのジャンルからの見方からすると、この夏もそろそろ終わり。7月が盛りのミドリシジミ類はもう姿を消して、目の色変えて、ということも、もうこの時期、なくなってしまいました。
 それでもダメもと覚悟でそこらの森などに行くと、なんかとても幸せな気持ちになれますね。木々の下から見上げる葉っぱはなんとも眩しく、あー、またこの世界に戻ってきたな、という気にさせてくれます。特にこの夏は下界での消耗事がちょっと多かったからね。垣根を越えてこっちに来ると、心底、ほっとした気になります。

 そういった意味で、この夏は、久々に「自然」というものにどっぷり浸かった気がしましたねえ。
 森の中に潜み、草っぱらに立ちつくし、何時間、じっと草木を凝視し続けたことでしょう。で、目当ての蝶が飛んでくると、これまた必死になってファインダーを覗き、どのくらいの時間、目をこらし続けたものでしょう。

 もちろん私、フリークライミングをやってるってからには「自然」とは少なからず密な関係を持っていて、ちょうちょと同じように花崗岩の結晶、石灰岩のホールドなどを凝視し続けては来たはずなんですけどね。でも「自然との密な関係」って言葉がこれに当てはまるかというと、最近のフリークライミングのそれは、ちょっとピンとこない気がする。
 本来、フリークライミングって、まさにそういう行為だと思うんですけどね。ルート名やグレードなんかが前面に押し出ちゃうと、そういう実体験としての関係性、自然とのコミットメントっていうのかな、それが隅に押しやられてしまう気がする。
 青々と輝く葉っぱを見上げながら、やはりクライミングは自然に浸るということなんだな、それを忘れてはいけないんだな、と、改めて感じました。

 あーそれにしてもヨセミテのトレーニング、ぜんぜんできてないよ。
見よこのディープな自然の世界 こんなふうに木々をまじまじと見上げ続けたのって、久しぶりだなあ


7月24日

 またまたブックオフで買った100円の本にこんな言葉を見つけ、おお、と唸ってしまいました。
 「サーフィンの優れたところはそれが個人的なスポーツであるということだ」

 ん〜、いいね。「個人的なスポーツ」。なかなか感じ入る言葉だし、なによりそれを「優れた」ものとして捉えているその感性が素晴らしい。

 って、何が言いたいかというと、最近、クライミングをめぐるあれやこれや――アクセス問題やら、例の那智の滝問題やら――で、巷にあふれる意見に、私、どうも違和感を感じることが多いんですね。
 というのも、なんか、非常に、社会的なんですよ、皆さんのスタンスが。

 まあ、クライミングがこれだけ大きくなって産業としても成り立ってきたからには、社会性も当然ながら確立しなけりゃあならないでしょうし、それはそれで悪いことでは決してない。もちろん私もそれでメシ食ってるからにはそれは同じくで、そして実際、そういう立場からの発言も恥ずかしながら今まで何度かしてきたわけですが・・・。

 でも、私、実は個人的には、これでいいのかな、って思いをいつもどこかで感じていました。
 いやいや、クライマーが社会性を持っちゃいけないっていうんじゃないすよ。むしろ当然、持たなけりゃならん。でもそればかりが強調されちゃって葵の御紋みたくなっちゃうと、「個人的な」という意義というか美学というか、それが失われちゃうんじゃないかと、そんな危機感を持ってしまうわけなんですね。パラダイムの喪失ってやつですか。

 そういや私、昔、オペル冒険大賞ってのをやってまして(って、私が金出してやってたわけじゃあないが)、その時、ほとんどの人が冒険の意義に「社会に対する何ものか」を求めているのに、たいそう驚いた経験があります。
 私的には冒険なんてそれこそ個人的なもので、本多勝一も言ってるように、自主性が大原則、それ以外の動機を持ってくるなんて不純以外の何物でもない、と思っていたのに、みんながその逆にベクトルを向けていたのには、ちょっとびっくりしてしまいました。

 「個人的な」動機ってものが、この国では実に軽んじられてる、っていうか、時には悪いことにすら捉えられている場合が多い気がするんですよね。
 でも、そうかなーって、私は思います。
 なんか奥歯に物が詰まったみたいな言い方で申し訳ないけれど(なんせこの問題、けっこう微妙だからね)、でも社会VSという立場ではなく、建設的な意味での個人性の尊厳というものを、クライマーたる自分はぜひとも提唱するべきではあるんじゃなかろうか。そう最近は、強く思うわけであります。

 ちなみに冒頭の言葉に続く文言は以下。なかなか響きまっせ。

 「サーフィンは純粋な意味での正直さ(オネスティー)を人に要求するし、それによって人は自らの存在を見つめることになる。波の前に行けば人はさまざまな恐怖と直面する。そしてそれを克服することを覚える」

 クライミングもほんとはそういうものだよね。


7月18日

 最近は日記というより、月記という感じになってきてしまいましたな(最近は、どころじゃないか)。
 というのも、これといったクライミング、ぜんぜんしてないからで、9月にヨセミテ行こうなんて思っているにもかかわらず、トレーニングもぜんぜん進んでいません。あー本当にどうすんのかね?

 で、さらに悪いことに今年から違う趣味始めちゃいまして、いよいよクライマーも終わりか、という状況になってきてしまいました。
 それはなんとチョウチョとり。っても採りじゃなくて撮りの方なんですが、実は私、もともとガキの時分は蝶採り小僧で、それで鷹取山行って、それでクライミングを知った、という過去がありまして、それがこの春、古本屋で『かながわの蝶』って本を買ったのがきっかけで、あの狩猟本能が突然蘇ってきてしまったというわけであります。

 つってもこの歳で標本作りもないだろうと写真撮影にしたのですが、久々に野っぱらに出て蝶々なんぞを追いまわしてみると、いやあ、これがなかなかいいものですな。ごくそこらにいる普通種なんかでもファインダー越しにじっくり見るとなんとも懐かしく、大げさな話、「おー、40年ぶりだな」なんて声をかけたくなってしまう気持ちでした。

 というわけで、小川山で講習会がある日など、朝の1時間ほどを蝶探しに当て、瑞牆周辺でうろうろしとります。特に今はミドリシジミの季節ですからね。ひとときたりとも無駄にはできませんぜ。
 なんか、傍から見るとヤバそげなおっさんで、クライマーとしてもまさにヤバイ感じかもしれないけれど、でもそうやって緑まぶしい木々の梢を見上げていると、昔が強烈に思い出されて、いや〜、いいね。なんだかんだ、私、そうした感覚得たのって、何にも増して実はこれかもしれないです。

 そういった意味じゃあ、これ、クライミングにも役に立つかな、なんて手前味噌にも思ってます。まあなんせ、50過ぎてヨセミテ行って、今まで以上のクライミングしようと思ったら、まず気持ちを大昔に戻さなきゃならないでしょうからね。あの、技もへったくれもなく、ひたすらクラックに突っ込んでいった時代。まずはあれを思い出すように、頑張ってみますか(もっとボケろよ、ってことかな)。
蝶ヤにはなんてことないツバメシジミ。しかし久々に見ると、ほんと、懐かしいわ 今年の成果はこれ。メスアカミドリシジミ。撮影場所は当然ながら秘密


6月11日

 あ”ー、ついに梅雨入りしてしまいました。農家の方には悪いけど、梅雨、やだよー。
 っつってもしょうがないですね。しばらくジムでトレーニングすることとしましょう。

 で、その梅雨入り間際にギリチョンで、(社)日本山岳ガイド協会フリークライミング・インストラクター委員会の、本年度受験者検定&研修会を、小川山瑞牆山で行なってまいりました。
 今年の受験者は皆さん、ジム中心で働いておられる方で、クライミング技術はもち抜群。あとは外岩にどれだけ慣れているか、どれくらい安全管理能力があるか、が問われたのですが、それもまあ、いらぬ心配でしたわね。皆さん、たいへん素晴らしかったです。

 で、それに甘えて(?)、最終日(6月6日)、瑞牆山十一面岩末端壁の、ボルト打ち替えを、「研修」という名目で行なってまいりました(いや〜、オレたちって、せこ・・・いや、カシコイ)。
 打ち替えたのは、春うらら1p目、アストロドーム、ペガサス1p目、T&T、調和の幻想1p目の各終了点と、エアウェイのプロテクション(ハング上の1本)、永いお別れの取付(ワイルドカントリー終了点)。さらにトワイライトの終了点(春うらら2p目取付)にもビレイステーションを1つ、付け足しました。
 ボルトは日フリ協から提供していただきました。ありがとうございました。

 これでなんだいつも嫌な思いをしていた末端壁のラッペル、ロワダウンなども、安心してできるようになりました。皆さん、こころおきなく、トライしてください。

 その後、8日には、ヒマラヤ帰りのクロヒゲ(増本亮)と、大面岩フリーウェイの上部ピッチ(中間テラスから上)のボルト、打ち替えてきました。こっちは、フリーウェイ登るのがただでさえ辛いのに、ドリル持って上がったもので、デラ疲れました。
 しかしここも今までリングボルトが嫌な思いをさせてくれていた所なので、なんとか安堵(ただしここは横にクラックがある場所は整備していません)。いずれきたないリングボルトは撤去するとともに、下部ももう少しきれいにしたいと考えています。
←末端壁お昼寝テラスの支点整備をする研修生。後ろでえらそうに見ているのは杉野保講師

↑アストロドーム終了点も整備しました。これも、人にやらせているのね、つまりは


5月30日

 今年は春が遅くて、なかなか小川山に足が向かないよ、と、思っていたら、あれよあれよという間に連休が過ぎ、早くも天気予報で梅雨入りなんて言いだす季節になってしまいました。
 小川山でコツバメ(早春に一瞬だけ現れるシジミ蝶。これがまたカワイイんだ)見たのがついこないだだったのに、もう? って感じで、まったく世の中の移る時間の早さにはたまげてしまいます。

 しかし、そのようにやたら短かった春の小川山シーズンですが、それでも今年はもうずいぶん沢山セレクションを登りました。この2〜3週間で5〜6回は登ったかな?
 もちろん講習会でなんだけど、たとえ仕事でだとしても、このルート、いいですね。何度登っても、面白い。というか、味わいがある。なんつうか、何度も気に入った音楽聞くみたいな、その都度その都度の味わいが、実にここち良い。高度感の中での絶妙な岩肌の感触、吹き渡る風の心地よさ、静かで、雄大な眺め。そうしたものが、微妙に変わりつつ、その都度その都度を楽しませてくれる。

 思うに、こういうルートって、やっぱそうは沢山はないんじゃないでしょうか。あるいは、そういうふうにクライミングするってことが、そもそもそんなにあることじゃないんじゃないでしょううか。
 昔ヨセミテで、ある外人(って、むこうが現地の人だよ)が「オレは、あのルートを毎年登るのを楽しみにここに来ているんだ。オレはあのルートが好きなんだ」と言うのを聞いて、ちょっと驚くと同時に、いたく感動した、という話を何かにも書いたことがあるんだけど、そういうクライミングの仕方ってのも、あっていい。というか、むしろあるべきだとも思いますよね。

 もちろん、高グレードのルートに一期一会って感じで全霊を傾ける、ってのもクライミングの素晴らしさの一つだし、数多くのルートを経験するということも大切だとは思うんだけど、気に入ったルートを何度も味わう、って付き合い方も、なかなかいい。
 私はそういうルートのストックをいくつか持っていて、仕事、プライベート問わずよく登ってるんだけど、そういうルートを知っているということは、クライマーとして、実に幸せだと思いますね。
もうまったくお決まりになったトラバースピッチの眺め。皆さん、お疲れ様


4月9日

 一昨日の7日、パンプの20周年記念パーティーに出てきました。
 いや〜、盛り上がりましたわ。
 懐かしい顔ぶれが次から次へと現れて(つっても、たいていはいつもどこかで会ってるけどね)、グラス置くヒマもありませんでした。
 おかげで翌日講習会だったんだけど、喉がきつかったです。

 それにしても、20年ですか。
 ん〜、感無量というか、個人的には、そんなに歳とっちゃったの? でガッカリというか・・・。
 でもみんな、変わりませんね。多少腹出ちゃった人もいるけど、話してる内容、口調は、20年前とほとんど変わらず。
 杉野保なんて、ほんとに20年ぶりくらいに会った人に、久しぶりとかそういう挨拶何もなしに、いきなり「なんでそんな靴(この時ボルダリングしてたそうなんですが)履いてんの?」と言われたそうで、そのことにいたく感動(?)してました。
 ま、クライマーって、そんなもんだよね。
 私の好きなファンカデリックというバンドに、『One Nation Under A Groove』っていうアルバムがあるんだけど、クライマーならさしずめ『One Nation Under A Wall』あるいは『One Nation Under A Hold』なんてとこかな。
 300人近く集まった様相を見ると、そんな感じがして嬉しくなりましたよ。

 さて、次は50周年か。
 その時も堀地くんなんかと、ま、今の若え奴らなんか、まだまだだろ。今年ヨセミテとか行くか? なんて話してんのかな?
すみません、肝心なパーティーの写真、ありません。加えて、チケットもらったのに出し忘れました。これもすまない。しかし、なんせ内藤さん、ご苦労様でした。そしてスタッフの皆さんも、お疲れ様でした 記念カラビナいただきました。やむをえず残置ビナに使ったりしたら、ごめんね


4月5日

 城ヶ崎、シーサイドに、緊急用避難バシゴ、残置してきました。
 写真は壁にかけた状態だけど、普段はビニール袋にしまって、壁の基部の岩穴に置いてあります。怪我人が出た時や、地震などで避難指示が出たときのみ、使ってください。
 ただし自作なので、段差がやや広過ぎたきらいがあります(特に下部)。ヒマな人、いたら適当に直しておいていただけると嬉しいです。

 一応(社)日本山岳ガイド協会フリークライミング・インストラクター委員会として、設置ということにしたいんだけど、それにしてはちょっとチープなので、大々的には宣伝できないところではあります。

 これ読んでる方、城ヶ崎にいくお知り合いいたら、話しといてください。
 くれぐれも通常の登り返しに使ったり、壁にかけたままにはしておかないようにお願いします。
壁にかけたところ。ちょっと登りづらいけど・・・。 下の穴にこんなふうにして置いてあります。よろしく。


3月26日

 またまた海金剛、行ってきました。
 この日は前回と違って、予報は完璧な晴れ。
 ところが西伊豆に出るとこれがものすごい風で、こりゃ登れんのかいな、と、またまた胃が痛くなる様相。でしたが、壁まで行ってみるとそこはなぜか穏やかで、なんとかまた登ることができました(でも頂上はやはりすごい風だったです)。

 実は前日も城山南壁だったのですが、この日もすごい風で、なんか今年は春になっても天気、厳しいですなあ。
 4月に入ったら奥秩父方面に移動するつもりだったけど、ちょっと待ちですね。もう少し城山、城ヶ崎方面で講習を続けるつもりです。皆さん、ぜひ。
この日の海。こういう状態をその道の人たちは「ウサギが飛んでる」と表現します 道端ではこんな感じだったんですけどねえ


3月12日

 震災から1年目の昨日、海金剛行ってきました。
 前日まで雨で、この日も予報、さほど良くはなかったのですが、きっと晴れるだろうと半分賭けに近い気持ちで、決行しました。
 結果、やはり朝はまだ小雨が残っててこりゃだめかと思いきや、登り始めると徐々に日が差しはじめ、3p目のクラックにかかる頃には完全に晴れとなりました。
 ああ、良かった。

 でこの3月11日って日、東北で実際に被害に遭われた方がたからすればおこがましい話ではあるかもしれないけど、どうしても感慨にふけってしまいますわね。
 わたくし的には講習会しばらく中止して、そのあともえらくお客さん減ってしまったし、9月にはマルチピッチルート図集出したものの、こんなのこの時世にやる人いるのかなと心配にもなってしまいました。
 しかし、それでもまたこうしてここに来れたことは、まあ、まだ復興に足枷はめられてる東北の人たちには申し訳ない話ではあるだろうけれど、まずまず良かったです。

 これからずっとこうして、クライミングして行けたらいいですね。

お決まりのショットではありますが・・・ う〜ん、「地球」を感じますわね 海の向こうに竜巻を見ました。天が、この日に挨拶しに来たように感じました。ちょっとわからないかな


3月9日

 ひと月ほど前から。チャリンコを始めてます。
 つってもロードレーサーじゃなく、アウトドア量販店で1万円なりで買ったナンチャッテ・マウンテンバイクですけどね。多摩川のサイクリングロード、週に2日ほど走ってます。
 きっかけはもちろん痩せるため、じゃなくて(それも多分にあるけどね)、最近、足を刺激してないな、と思ったからで、その裏には今年は久々にヨセミテ行ってロングルート登ろうかっていう野心があります。

 それなら、なぜ懸垂ではなくてチャリンコを? と思う人もいると思うんだけど、私、クライミングって、前々から足の筋肉こそが大切だと思ってるんですよね。
 昔見た『オン・ザ・ロック』っていう、70年代のアメリカのフリークライミングを捉えたビデオで、トニー・ヤニロがクロスカントリー・トレーニングしてるのがあってホホウと感じ、ヨセミテ行くならあの気持ちをもう一度思い出してみようというのもありました。
 それと、気持ちの問題だけじゃなく、先日パンプで某U運動オタクさんに「片足スクワットできる?」と聞かれ、右足はできたんだけど左足がダメで、その時立ち上がろうとした刹那の腰〜背中というか、全身に感じた筋肉への刺激が、クライミングで果てそうになり振り絞っている時に感じるものと、なんかリンクしてるというか、ビビっとヒラメクものがあったんですよね。
 で、ああ、やっぱり足を鍛えなくちゃダメなんだ、と、思うに至った次第というわけです。

 最近みんな懸垂なんかして鍛えてるけど、おれはスクワットだ! って、堀地清次ばりの反骨精神、カッコいいと思いません?


2月6日

 またまたクライミングに全く関係ない話なんだけど(なんせもう2月だってのに、まともなクライミング、今年ぜんぜんしてないからな)、けっこう前から私、ブックオフで250円均一のCD探して買うの趣味というか心の楽しみにしておりまして、その昨年度の成果。↓

デラニー&ボニー&フレンズ/オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン
J・J・ケイル/ナチュラリティー
ジョニー・ウインター/ロックンロール・コレクション

 いやあ、こんなのが250円で買えるなんて、日本って、ほんと素晴らしい国ですわ。特に最後のなんか2枚組ですからね。途中で、ん? 何か聞いたことあるな、なんてフレーズが出てきたって、その感動はアラガエませんぜ。

 ところでここで無理やりクライミングの話に持って行きますと、人のクライミングって、それぞれ誰かしらの音楽に例えることができるんじゃないかなと昔から思ってるんだけど、どうでしょうね?
 あの人の流れるようなムーブはデュアン・オールマンのようだとか、あの切り込みの鋭さはキース・リチャーズみたいだとか、あるいはあの歌心の無い登り方はカラヤンみたいだとか・・・。
 で、私、実は昔からああいう風に登りたいっていう憧れのスタイルみたいなものありまして、それはロックよりもむしろジャズでした。
 つってもジャンジャンブワブワって感じの4ビートどジャズじゃなくて、フリージャズ系の、体の底から絞り出すような黒っぽ〜いやつね。
 ヒーローは若い頃はもちろんコルトレーンでしたが、最近、アルバート・アイラーなんか、再びちょっと気になってます。この人、中上健次なんかがわかりもしねえくせに持ち上げてからなんか青っぽいイメージ強くなっちゃったけど、本当は牧歌的な、実にナチュラルな人なんじゃないかな。
 ああいう感じのクライミングしたいなー、っての、みんなもあると思いますよ。
左からデラニー&ボニー、J・J・ケイル、ジョニー・ウインター


2012年1月29日

 正月明けに風邪ひいてまた長く寝込み、久々に城ヶ崎行ったら朝から雪。
 あ゛ら゛ま゛ー!
 一縷の望みを託して城山に移動するとなんとか雨は上がっていたので、ロープワーク講習に変更して1日を無事過ごしました。

 岩は予想外に濡れてなくておまけに午後から青空も広がってきてなんとラッキーだったのですが、それ以上に良かったのは、岩場にいるのが我々だけ、ということでした。
 こんな城山初めてだけど、いや〜、静かで良かったですわ。

 で、城山って、人がいないと、ほんと自然が豊かに感じられる場所だったのね。
 ハヤブサは壁のかなり下まで飛んでくるし、ゴジュウカラの群れがやってきて脇でぺちゃぺちゃしゃべりながらいつまでもいるし・・・。
 中でもおおっ!と驚いたのは、ちっこいシジミチョウが飛んできて登ってる脇の壁に止まると、なんとこれがムラサキシジミ。
 実は私、ご幼少の頃、ちょうちょ採りに夢中になっていた時期がありまして、このムラサキシジミはこの趣味を教えてくれた学校の先生の標本箱の中でなら見たことはあったんですが、現実に飛んでるとこ見るのはこれが初めて。いっぱつで、おっ、ムラサキシジミ! とわかる鮮やかな紫色を冬の陽に反射させて、それはそれは感動的でした。

 っつっても、ムシなんかに興味無い人にはどうでもいいことだろうなあ。
 前日もここで講習会やってて、壁の上にハヤブサが姿を見せるごとに「おっ、ハヤブサ!」なんて大声あげてたもんで、知り合いのインストラクターさんから「うるせえな、いちいち」(原文のまま。ちなみにこの人、女)なんて馬鹿にされてしまったんですけど、ま、ね。
 でも私にとって、こういうことって、すごく大切なことなんだな。
 ある意味クライミングより大切、なんて言ったら、クライマーとしてちょっと失格だろうか。
これがムラサキシジミ。
写真、撮れませんでした。
参考までに図鑑から



菊地敏之 クライミングスクール&ガイド
Toshiyuki Kikuchi Climbing School& Guide
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