マチス 販売リスト | 絵画 販売 買取 東京 自由が丘にある画廊

アンリ・マチス [Henri Matisse]

20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。
ギャラリー小山外国人作家アンリ・マチス 絵画リスト
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アンリ・マチス絵画作品リスト

【自由が丘 画廊】

あなたのお部屋に素敵な絵画を一枚いかがですか?

Henri Matisse
アンリ・マチス『青いヌード1』 マチス:版画(リトグラフ)【青いヌード1】
アンリ・マチス『茶色の巻き毛の少女』 マチス:版画(リトグラフ)【茶色の巻き毛の少女】
アンリ・マチス『テーマ&ヴァリエーションより』 マチス:版画(リトグラフ)【テーマ&ヴァリエーションより】
アンリ・マチス『青いヌード2』 マチス:版画(リトグラフ)【青いヌード2】
アンリ・マチス『青いヌード3』 マチス:版画(リトグラフ)【青いヌード3】
アンリ・マチス『青いヌード4』 マチス:版画(リトグラフ)【青いヌード4】
アンリ・マチス『青いヌード5』 マチス:版画(リトグラフ)【青いヌード5】
アンリ・マチス『アクロバット』 マチス:版画(リトグラフ)【アクロバット】
アンリ・マチス『オレンジと裸婦』 マチス:版画(リトグラフ)【オレンジと裸婦】

 

この他にもありますので、お気軽にお問い合わせ下さい。


━ アンリ・マチス [ Henri Matisse ]の略歴 ━
●1869年 12月31日ノール県ル・カトーに生れる。
最初、法律を修め、代訴人書記となる。
●1889年 この頃からデッサン、絵画に興味をおぼえる。
●1892年 画家となるためパリに出る。
●1995年 エコール・デ・ボーザールのギュスターヴ・モローの教室に入り、ルオーらと知り合う。
●1896年 サロンに初出品、国家買い上げとなる。
●1896年 師モローが死ぬと、翌年アカデミズムから離れ、パリのアカデミー・カリエールに通い、ドランらと知り合い、その紹介でヴラマンクとも知り合う。
その前後の一時期新印象主義に近づく。
●1904年 ボラールの画廊で最初の個展。
●1905年 夏をドランとコリウールですごし、ともにフォーヴィスムに達する(『コリウールの窓』1905年、ニューヨーク、ジョン・ヘイ・ホイットニー蔵など)。
翌年ガートルード・スタイン宅でピカソと出会う。
この年アルジェリア、翌年イタリアに旅行。
●1911年 2年続けてモロッコへ旅行。この時代からさまざまな空間表現の実験、装飾的要素の大胆な使用を試みる。
●1916年 この年から冬をニース、夏をパリですごすことが多くなり「オダリスク」の主題を好んでとりあげる。
●1922年 版画を積極的に制作。
●1933年 アメリカ、メリオンのバーンズ邱の壁画『ダンス』を制作以後、平面化と単純化の試み(『バラ色の裸婦』1935年、ボルティモア美術館など)をへて、40年代の大室内の連作に達する(『赤い大室内』1948年、パリ、国立近代美術館など)。
●1943年 南フランスのヴァンスに定住、切り紙絵に専心し『ジャズ』として出版(1947年)。
●1948年 建築のプラン、壁画、ステインド・グラスなどすべて自身の構想になるヴァンスの礼拝堂を完成した。
●1954年 11月3日ニース郊外のシミエで死去。

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