| ━ ラウル・デュフィ [ Raoul Dufy ] の略歴 ━ |
|
●1877年 |
6月13日フランスのル・アーヴルに生まれる。 |
|
| ●1892年 |
ル・アーヴルの市立美術学校の夜学に通う。
ル・アーヴルに移住していたブラックと知り合う。 |
| ●1900年 |
パリのエコール・デ・ボザールに入学。ボンナのアトリエで学ぶ。
フランス美術家展に出品、入選する。 |
| ●1903年 |
アンデバンダン展に初出品。 |
| ●1906年 |
サロン・ドートンヌに参加、マルケとトルーヴィルでフリエスとファレーズで制作。
ヴェルト・ウェーユ画廊で初の個展を開く |
| ●1908年 |
ブラックとエスタックで制作、立体派的な構図を研究。 |
| ●1909年 |
フリエスとミュンヘンを訪問する。 |
| ●1912年 |
リヨンの絹織物商とデザイナーとして契約。 |
| ●1920年 |
ヴァンスに滞在、多くの風景画を制作。 |
| ●1922年 |
シシリー島に滞在。 |
| ●1927年 |
ニースで一連の油絵と水彩画を制作。 |
| ●1929年 |
パリをテーマとするタピスリーの下絵を制作する。 |
| ●1936年 |
パリ万国博覧会電気館の大壁画(電気の精)に着手。 |
| ●1938年 |
パリ植物園猿類館の装飾画、及びシャイヨー館内の喫煙室を飾る(セーヌ風景)を完成させる。
この頃からリューマチに悩む。 |
| ●1940年 |
ドイツ軍侵攻とともにニース、ついでセー・ペルピニアンに避難する。 |
| ●1943年 |
「オーケストラ」「アトリエ」の連作を制作する。 |
| ●1949年 |
リューマチに悩みながら制作を続ける。
ニューヨークのルイ・カレ画廊でデュフィ大回顧展開催される。 |
| ●1950年 |
ボストンに渡り、リューマチの治療をうける。 |
| ●1951年 |
アリゾナ滞在後、帰仏。 |
| ●1952年 |
ヴェネツィア・ビエンナーレで国際大賞を受ける。 |
| ●1953年 |
心臓麻痺のため3月23日に死去。 |