上仕切り線
特別な集団疎開

光明学校と全国障害児学校の集団疎開

1. 光明学校の集団疎開
@ 1932年(昭和7年)東京市に全国で唯一つの肢体不自由児学校として設立さ
   れた。1942年(昭和17年)国民学校となる。
A 1944年(昭和19年)6月閣議決定の「学童疎開促進要綱」にもとづき急速に進
  む一般学童の集団疎開の中、光明学校には当局による疎開地探しもなく、やむ
  なく麻布分校を閉鎖し世田谷本校への「現地疎開」をすることとした。
B 1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲を校庭の防空壕から見た松本保
  平校長は、もはや自力で疎開先を探すしかないと決意し長野県へ飛び、奔走の
  末、漸く上山田温泉「上山田ホテル」を借りることが出来た。
C 上山田ホテルへの光明学校学童50数名の集団疎開は、1945年(昭和20年)
  5月15日であったが、その10日後、空襲により世田谷本校は麻布分校と共に
  焼失した。
D 危うく空襲の難を免れた光明学校の学童は3ヵ月後の終戦にもかかわらず、校
  舎焼失のため帰る先がなく、世田谷新寮舎完成の1949年(昭和24年)5月28
  日まで、4年間も上山田ホテルに留まることを余儀なくされた。
E 光明学校の引揚は集団疎開の最後となった。

十一面観音で 光明学校

光明学校の学童たち

上山田ホテルの平面図

上・焼失した校舎平面図
下・新寮舎の平面図

    「信濃路はるか」
ー光明養護学校の学童疎開ー

県 名     学 校 名    疎 開 期 間   疎開先
宮 城 宮城県立盲唖学校 1945.7.21〜1945.10.24 県内栗原郡宮野村
東 京
東京都立聾唖学校
東京市立聾学校
東京聾唖学校
東京盲学校
日本聾話学校
東京都立光明国民学校
1944.5.15〜1947.4.1
1944.8.21〜1946.4.1
1944.9.15〜1946.12.5
1944.9.15〜1946.3
1945.4〜1945.-.
1945.5.15〜1949.5.28
神奈川県津久井郡与瀬町
東京都足立区花畑町
埼玉県高野村・百間村
静岡県・富山県
長野県小県郡滋野村
長野県更級郡上山田村
神奈川 横浜市立聾話学校
私立馬淵聾唖学校
1944.7〜1948.11
1944.3.31〜1945.10.15
横浜市(南区)井土ヶ谷
横須賀市・鎌倉市内
山 梨 山梨県立盲唖学校 1945.7〜1946.9 山梨県西八千代郡共和村
愛 知 愛知県立盲学校
愛知県立聾学校
1945.10.30〜
1945.8.27〜1946.2.4
県内一宮市・津島市(再)
県内知立村(再)
岐 阜 岐阜県立聾唖学校 山間部(場所不明)
富 山 富山県立盲唖学校 1945.9.15〜1948.12.26 県内婦負郡矢八幡村
大 阪 大阪市立盲学校
大阪府立盲学校
大阪市立聾唖学校
大阪府立聾口語学校
大阪市立思斉国民学校
1944.11.6〜1945.10.28
1945.5.26〜1945.10
1944.6|
1944.9.13〜1945.10.20
1945.4.15〜1946.11.4
府内高槻市大字原
(初等)富田林(中等)枚方
枚方町、分校(香里校舎)
八尾、泉北郡2、奈良県
府内県北郡南池田村国分
兵 庫 兵庫県立盲学校
神戸市立盲学校
1944.4.8〜1945.6.30
1944.1〜1947.1
校内(寄宿舎・神戸市)
神戸市内
徳 島 徳島県立盲聾唖学校 1945.8.1〜1946.8.1 県立穴吹高女、富岡高女
高 知 高知県立盲唖学校 1945.7.15〜1945.8.31 県内高岡郡黒岩村
広 島 広島県立盲学校
広島県立聾学校
1945.4〜
1945.4.5〜1946.12.16
双三実業学校
県内高田郡吉田町
山 口 山口県立下関盲唖学校 1945.5.10〜1945.9.20 県内厚狭郡二俣瀬村
佐 賀 佐賀県立盲唖学校 1945.9〜1947.7.19 佐賀市→佐賀郡春日村(再)
長 崎 長崎県立盲学校
長崎県立聾学校
1945.6.23〜
1945.5〜
県内西彼杵郡長与村
県内高来郡加津佐町
熊 本 熊本県立盲唖学校
熊本県立聾学校
1945.5.17〜1945.9.24
1945.7〜1945.9
県内下益城郡延用町
県内
大 分 大分県立盲唖学校 大分市内
宮 崎 宮崎県立盲学校
宮崎県立聾学校
1945.5〜1946.2
県内西諸県郡野尻村
県内山田町

2 全国障害児学校学童疎開の状況

[注] 当時の障害児学校全132校中、直接・間接に戦争被害にあったのは
    108校。このうち学童疎開を行った学校は上表の34校である。疎開
    先にある(再)とは再疎開のことである。 
                         調査 松本昌介氏・竹下忠彦氏


  [参考資料] 「信濃路はるかー光明養護学校の学童疎開ー」等

下仕切り線
十一面観音の前で
光明学校の外出
上山田ホテル平面図
光明学校図面
信濃路はるか
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