検証 巡洋艦ティアマトの真実
gairen"PEKE"press May

見よティアマトの勇姿〜 クリックすると縮小前の絵が(50KB)
イラスト:佐久定点観測所長改め佐久工廠長 松村[従軍絵師補]武宏

特別寄稿 馬場[低機動歩兵]貴之

 先月の画報にもあるとおり、巡洋艦ティアマトは、新戦術の試作艦として建造され、甲紀弐拾年七月七日の第一次外惑星動乱において、外惑星聯号主席の座乗艦として参戦、撃破された、と言うのが通説になっている。
 しかし、私こと馬場[低機動歩兵]貴之は、本業の暇つぶしの合間を縫って過去の戦史の発掘に勤め、その結果、アースライト戦役に関する資料(時代遅れの規格のROMカセット)から、ティアマトなる戦闘艦艇に関する恐るべき情報を発見した。
 アースライト戦役は、かつて筆者も熱中した憶えがあるが、その時は、まさかこんな重要な意味が隠されているとは思いも寄らなかった。
 その資料によれば、ティアマトは、衝角攻撃を主眼に据えた試作巡洋艦などではなく、何と、標準タイプの戦艦だったというのだ!
 以下に、資料付属の冊子から読みとれた戦艦ティアマトの諸元を記す。

BB−04 ティアマト
防御力 35
HP 48
移動力 4
兵装
 主砲   三連装対艦長距離ビーム砲塔×4
  攻撃力 120
  射程   2〜5
 副砲 対機動パルスビーム砲塔×32
  攻撃力  90
  射程    1

 外見だが、奇妙なことに、資料のROMカセットに一致した規格の再生装置のコントローラーを厚めにした形に酷似している。これが単なる偶然の一致か、それとも何らかの意味があるのかは、今後の研究課題である。
 数値に単位が無く
注1、一部用語にも意味不明な点があるが、この艦がきわめて高い攻撃力と防御力を備えていたのは間違いなく、もし、この資料が真実なら、何故、外聯はこの事実を隠したのか、また、何故、これだけの戦力を持ちながら開戦時に勝利できなかった(当然、当時、人外協は戦艦など保有していなかった)のかが、大きな謎として残る。

 注1 距離については、ヘックスが単位であることが判明しているが、1ヘックス
が我々の使用するいかなる単位に当たるのかは不明である。


佐久定点観測所長改め佐久工廠長 松村[従軍絵師補]武宏

 最近になって新たに判明した事実として、ティアマトは当初、主席座乗の総旗艦にふさわしき強力な戦闘艦として計画されていたようです。
 衝撃巡洋艦(量産時に予定されていた外聯軍独自の艦種)に変更されたのは某上級士官らが設計に関与しはじめてからのことで、「外聯が戦艦をある程度量産できるようになるまでには時間がかかりすぎる」というのが主な理由
注1だったようです。
 今回、馬場さんの発掘された資料にある諸元は、ティアマトが未だ計画艦六六六号と呼ばれていた頃に提出されたP666D-7案のものに酷似しています。
当時は戦艦として計画されていたわけですが、設計の大幅な変更後、その事実を悟られまいとした某上級士官らの指示により、初期の設計案が敵性情報機間へ故意にリークされたこともあったようです。
 アースライト戦役に参加していた外聯艦艇
注2は、当時すでに旧式となりつつあったポトフ級戦艦の三番艦ピロシキ注3で、戦闘時のコードネームがティアマトであったとされています(T.Tardyon著「外聯の軍艦」より)。おそらくこのピロシキと、当時すでに流布されていた謎の戦艦ティアマトが混同され、資料にも掲載されているのではないでしょうか。

 注1 ただこういうのが好きだったからとする説もあります。
 注2 アースライト戦役になぜ外聯が参戦していたかというのは今もって謎とされています。
 注3 BB-04となっていますが、これはポトフ級の前に外聯最初の戦艦ピンキィがBB-01として登録されているためです。
 余談ですが、外聯戦艦の命名基準として「頭文字がPの単語」というものがあります(ポトフ級二番艦は「ペペロンチーノ」)。これは「Planet」のPであるとする説が最有力と言われていますが、実際は謎のままです。命名を担当した人物が相当にひねくれていたから、とする説もあるほどです。後に外聯軌道兵団が採用、第壱號作戦に投入した零式機動兵器「桃熊」は、BB-01ピンキィにちなんだ命名という説がありますが定かではありません。


外聯”×”ぷれす。五月号もくじに戻る
News Digest に戻る

■■ TOP ■■