「スペース スモーカー」

外惑星聯合仙台駐在事務所連絡士官 阿部[在エリヌス郷土史研究家]和司

 

第1回「火の無いところで煙草は吸えぬ。」

 半舷上陸でセレスの港に降り立ってはみたものの、簡単な所用を済ませてしまうと、他には何もする事がなかった。
 艦に戻ったところで、当直下士官にやくたいも無い雑用を押し付けられるのが関の山だ。
 かといって初めて上陸したセレスに、俺の行き場所などある筈もなく、仕方無しに冷やかしがてら、商業ブロックを行ったり来たりすることにした。
 戦争が始まって、多少物資の流通が滞りがちになったとは云え、目に見える程の影響が出てくるのは、もっと後になって戦況が深刻化してからなのだろう。
 少なくとも今のところは、店頭には、当たり前の値段で当たり前の品物が並んでいる。
 どこのコロニーでも見掛ける雑多な品々。
 生活必需品とそうでない物たち。
 その多くは地球産か、でなければどこかのコロニーで濫造されたコピー品だ。(だが、数年前ならいざ知らず、今は必ずしも粗悪とはいえなくなってきた。)
 派手な売り込みがある訳でもなく、元から貧乏性の俺が購買意欲をそそられるような代物も見当たらず、それ程、広くはないブロックを何往復したところで、いささか冷やかし疲れた俺は、目に付いたキオスクで、有煙タバコを一箱、それに座る所を確保する為のシシカバブ&珈琲セット(アルコールの類がないのが宇宙暮らしの切ないトコロだ。)を買い求め、店先に据えられたベンチに腰を下ろした。
 俺にとって、喫煙は、半舷上陸時の欠かす事の出来ない行事なのだ。
 とはいえ、真っ先にこれを済ましてしまうと、次に喫煙できる機会までのあまりに長い時間に耐え切れなくなってしまう。
 何でもそうだが、何かの習慣に対する中毒者が、その習慣を止められず、ズルズルと引き摺り続けずにはいられないのは、その余りにままならない時間というもの、そのものに耐えられないからなのだ。
 地球の、しかもあまり上品ではない土地の出の俺の場合は、喫煙という悪習が、まさにそれだった。
 勿論、完全禁煙を標榜する宇宙艦艦内で空気を汚すタール煙など吐き出せる訳がない。
 本来ならそれだけで不適格者の烙印を押され、入隊を前に放り出されるのだが、たまたま時期が良かった。
 戦争が始まるかも知れないという危惧が、社会全体に広がり、軍は多少の事には目をつぶってでも増員を図っていたのである。
 「軽度の喫煙依存症(今時、ニコチン中毒とは云わない。)だが、軍務に問題なし。」
 と、身上書添付の健康診断書の備考欄に書かれた俺は、週に一回、医務官に低濃度のニコチンガムを処方してもらいながらも、宇宙艦隊勤務の日々を送る事となった。
 だが、そんなもので自分を誤魔化していても限界は来る。
 絶え間なく続くルーチンワーク。
 単調な日々と、狭苦しく快適とは云えない艦内生活は、本人も気付かない内に、少しずつ俺の神経をすり減らし続けていた。
 しかも、俺が配属された輸送艦は、揃いも揃って出来が良い方ではない連中ばかりが乗り合わせてしまっていた。(多分に意図的なモノが見え隠れしてはいたが。)
 その結果、航宙当初から、ちょっとした事で始まる仲間内での諍いが、すぐに殴り合いに発展してしまう事態となった。
 それでも最初の内は、慣性飛行中の艦内での殴り方に誰もが戸惑いを覚え、派手な展開になる前に事態は収拾されていた。
 が、まさに習うより慣れろとはよく云った物だ。
 元から、そちら方面の運動神経と反射神経だけを頼りに生きる糧を得てきた俺たちが、それなりのテクニックを身に付けるまでには、そう時間は掛からなかったのだ。
 狭い艦内通路の壁面と剥き出しの配管を利用し、身体の捻り方と重心の置き方さえ覚えてしまえば、後は簡単だった。
 医務室に続く通路は、たちまち俺たちの仲間が、行列を作る事となった。あまりに低レベルな怪我の原因に呆れた医務官が、メディカルセットを1セット、兵員休息室に常備する事を、管理官に上申した程だ。
 要するに自分の面倒は自分で見ろって事だ。
 しかし、一般兵同士のそうしたトラブルが、実は下士官連中のレクレーションの一環として、賭けの対象になっている事が知れると、俺たちはそんな「ジャレ合い」も次第にしなくなってしまっていた。
 まだ俺たちは、そんな状況にシラケる事ができる程度には、マトモな神経があったのだ。
 かくして、再び訪れる単調な日々――。
 宇宙空間に放り出された棺桶勤務の俺たちにとって、あれが、実はとても貴重な「ストレスの発散」の機会だった事に気付いたトコロで、もう遅い。
 古参の下士官たちが、よほどの事が無い限り仲裁もせず、賭けの対象にして気晴らししていた本当の訳が、その辺りにあった事も理解した。
 しかし、一度シラケてしまった以上、もはや後戻りはできない。
 俺たちは、ド突き合いの喧嘩どころか、次第に口論さえしなくなり、ただ黙々と与えられた仕事だけをこなす毎日を送る事になった。
 そして、くすぶり、身体の奥底でイラつく俺は、無性にタバコが欲しくなっていった――。
 おそらくはその切実な渇望感は、地球に居た時よりも強くなっていた筈だ。
 週に一度のニコチンガムだけでは、どうしようもなかった。例の一件以来、相変わらず置かれているメディカルセットの中も漁った。
 だが、事態は全く好転しなかった。
 いや、それどころか、吸えないとなると、よりその願望は耐えがたいものになっていった。
 俺が欲しいのはニコチンガムではなく、無煙タバコでさえない。しっかり火も点き、紫の仄かで繊細な煙が出るニコチンの入った本物のタバコこそが、俺の望みなのだ。
 だから、俺は半舷上陸で何処かのコロニーに辿り着くと、度重なるアングロサクソン系移民のタバコ排斥運動にも怯むことなく、喫煙習慣を宇宙に持ち込んだ先人たちに敬意を表しながら、こうして思う存分、煙をくゆらせる事にしている。
 もはや、それは至福の一服などという生易しいモノではない。反喫煙者には恐らく理解できないであろうが、俺にとっては、この広大な宇宙空間の只中にありながら、息も詰まるような狭苦しい棺桶暮らしを強いられる事の矛盾の中で、平静さを取り戻し、生きていく為の力を得る儀式なのだ。
 暫くぶりのタバコの一本目を灰にし、殆ど無意識の内に二本目を燻らせ、立て続けに三本目に火を点けたところで、その店の主らしい男が、声を掛けてきた。
 「どうです?旦那。お安くしときますよ。」
 胡散臭い印象はないが、古めかしいトルコ帽(彼らがタバコと一緒に宇宙に持ち込んだもう一つの代物。)の下で、髭面が如才なさそうな笑みを浮かべている。
 「なんだい?タバコなら要らないぜ。どうせ、カートンで買ったって、艦には持ち込めないし、戻るまでにも吸いきれないだろうからね。」
 絶対にヒツジ以外の何か別の肉で作られた、妙にパサパサしたシシカバブを、本格的トルコ珈琲という触れ込み(敢えてこれに近いモノを指定しろと云われたら、俺は「コールタール」と答えるだろう。)の「黒っぽい飲み物」で流し込みながら、笑って受け流そうとした。
 だが、主は、商売人らしい笑みを絶やす事なく、獣脂にまみれた(あんなにパサパサしていたのに何故だ?)俺の指を見るなり、サッと紙ナプキンを差し出しながら、隣りに腰を掛ける。
 受け取ったナプキンで指を拭いながら、俺は死んだオヤジの遺言を思い出していた。
 曰く。
 「商売人には気をつけろ。あいつらは売れるモノなら、親でも売りつけるからな。」
 自らの生き抜く為の才覚の無さを、運と世間のせいにして死んでいったオヤジ。(余談だが、商売人を志していた当時の俺は、オヤジの葬式代を稼ごうと、怪しげな肉しか置いていなかった近所の肉屋に、オヤジの亡骸を持ち込んでみた。が、二束三文ですら引き取っては貰えなかった。)
 とにかく、俺はオヤジの遺言を言い訳にして、そこから立ち去ろうとした。
 が、確かに商売人には気を付けるべきだった。
 後から思えば、正にあの時、俺は奴に煙に巻かれていたのだった――。

 (次の穴埋め時まで続く・・・。)

(初出:甲州画報155号  ”×”ぷれす。2001年4月号)

 

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