人界の端の小さな国の


 「人界の端の小さな国なんだけど、そこの文字がけっこう良くてさ。」
 旅も終わる頃の人間の町の古い酒場で、その男に会った。
 ごくごく軽装に古風な短い外套を付けて、明るい色の髪がふわふわに立っている。絵空事の勇者様のようだと思った。酔ってはいるようだが、見ず知らずの角のある魔物にもいきなり話しかけるし、嫌な気分にはならない。子供のような明るい顔と声がそう思わせるのだろうか。
 相手してくれるかという顔で、店の親父が新しい客の酒を支度する。
 「でさ、これ。オレが凝ってるの知ってて、幼馴染が作ってくれたの。」
 首の飾り紐を引っ張って、きらびやかな織柄の、小さな布袋を出して見せた。
 「お守り?」
「そっ!」
 人間界の一部には、そういう風習がある。が、持ち歩くにしても、首から下げるのはほぼ子供だ。似合うからいいか…とも思う。
 おまけに、そう簡単にご開帳していいものか、紐の結び目をちょいとずらしただけで、中から折り畳んだ紙片を取り出した。大きな文字が、一つ書いてある。
「與」
「これこれ。一目でピーンときた!…んで、調べてもらったら、また、意味がいいわけよ。」
「うん」
 頷くと、更に気合がこもる。
「与える!…いいねぇ 仲間になる!…そう 共に!…進むわけだ。やり〜!」
 その順番には何か憶えがある、とは思ったが、あまりに気に入ってる様子に言わずにおいた。代わりに、
「うん、縁起が良さそうだ。それで、旅のお守りにしてくれたんだね? これも、綺麗な織りだなぁ。」
「それも手織りだよ〜ん」
 それは嬉しそうに言う。酔いも手伝ってかあまりに幸せそうで、その幼馴染との睦まじい様が見えるような気がする。羨ましい、と思う。自分はずっと一人だから。
 「ああ、じゃあ、もう一つ、字を教えてあげるよ。」
 言って、荷物の中から紙片を探し出す。店の親父が渡してくれたペンで、文字を書いた。
「与」
 首を傾げて見る、それにも何か愛嬌がある。
 「その字を略した、新しい字だよ。ほら、この、中の処。
 誰でも字を使えるようになってきて、書きやすい字が出来たんだ。言葉も文字も変わっていくのが、人間界の面白いところだね。ああ、全部が全部そうじゃないかも知れないけど。」
「すっごいなぁ〜」
 何を評して言っているのか、まじまじと角のある魔物の顔を見て言う。その目がキラキラして眩しいほどだ。
 「さて、あんたは酒はもうお終いだ、上へ行って寝るといい。青の山に向かうなら、早めに出ないと町に届かないからな。」
 親父に言われて残念そうに、でも素直に、二枚の紙をたたんで守り袋にしまって首にかけた。彼にはよほど大事な旅なのだろう。
 「じゃあ… またいつか、会えるといいなぁ。」
「近い町に居るんだ。旅の終わりにはここに寄るから、いつか会えるよ。」
 おやすみ、と言うのに手を挙げて応えると、階段を昇って行った。

 鍛冶小屋に火をおこし、集めてきた鉱石を溶かすところから始める。
 要らぬ成分が抜けるまで、求める加味が落ちる寸前を、見極めるのはいつも難しい。一度は型に落とし固め、叩く。叩いて、朱く熱し、また叩く。こうするのだと実際を教わりはしたが、どうしてなのかまでは正直わからなかった。
 鉱石を捜しながら、知識も求めてあちこちを旅した。初めての街から例の人界の端まで、人間が短い命とその史を繰り返しながら、「人」を繋ぐのを見た。
 「鍛錬」という言葉を憶えたのも、あの男の、文字の国だった。
 要らぬものが抜ければ隙間ができる、温めれば緩む。形作りながら、叩くことでそれを詰め並べ正す事なのだという。その、溶けも固まりも輝きもする、その中に並ぶものの不思議が見えるような気がした。
 「ああ、名前をきくのを忘れた。」
 店の親父は知っているだろうか、また、会えるだろうか。次の旅のついでに、あの人界の端の国へ、新しい文字を捜しに行くのもいいかもしれない。


 これは冥界の、出会わなかった世界での、ライデンさんとゼノンさんの噺。
 
67◇人界の端の小さな国の◇完◇
◇DC27('25).10◇