オスマンから共和国へ
ケマル・アタチュルク
トロイの王子パリスがスパルタ王ヘレネを誘拐したため始まったトロイ戦争は実は黒海への入口ダーダネルス海峡の争奪が目的だったが、第一次世界大戦もダーダネルス海峡の争奪戦であった。その意味では第二のトロイ戦争ともいえる。
1680年当時のオスマン支配地域
1680年当時の支配地域(最大時)  最大の勢力を誇ったオスマン帝国は左図のように強大な力をもっていた。しかし、第一次世界大戦の敗戦により英仏を中心とした連合国によって世界地図から消されようとしていた。
 戦いの末期にはオスマン軍の残存勢力の討伐のため、連合国側は、ケマル・アタチュルクを送りこんだが、これは虎を野に放つようなものだった。ムスタファ・ケマル(アタチュルク)は分裂状態のオスマンを建て直し連合軍を追い払うことになった。同時に保身ばかりの皇帝政府に見切りをつけたケマルは帝国自体をも解体した。
  新生トルコ共和国の初代大統領として、ケマル・アタルチュルクが行った革新は、新憲法発布、イスラム法と宗教裁判所の廃止、イスラム教の非国教化、アラビア文字に代えてローマ字記述など、があった。
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