聖マルタ騎士団
その歴史
エルサレムに始まった聖マルタ騎士団の波乱の歴史を振り返る。
  聖マルタ騎士団はもともとは10世紀ごろ、聖地エルサレムの巡礼に宿泊所を提供し、病人を治療することを目的としたキリスト教の修道会である。
  イスラムの力が強まるにつれ聖ヨハネ騎士団は軍事的性格を強めたが、ついにエルサレムを追われ、西へ西へと退却。1453年にビンチン帝国がイスラムのオスマントルコによって減ぼされたあとも、エーゲ海の出入口、ロードス島に踏みとどまってトルコに反抗を続けたが、1522年には、ついにここも追われてしまう。この過程は、塩野七生さんの『ロードス島攻防記』に生き生きと描かれている。
  そして、最後の本拠地を求めてさまよったのち、1530年、スペイン王から貸与されたのがマルタ島だった。「年に一羽の鷹を年貢として納める」というのが条件で、映画『マルタの鷹』はこのエピソードを題材としている。
  騎士団は、トルコの来襲に備えて、岩だらけの島を要塞化していった。そして、1565年5月18日、200隻の舟に4万人の兵を乗せて、トルコはやはり攻めてきたのだった。防衛側の騎士は700人。戦闘要員は島民男性5000人をふくめて9000人足らず。女性、子どもも、破壊された城壁を補修し、食料を運び、けが人の手当てをして、戦いに加わった。
こうして不利な戦い2カ月間も耐えぬき、ようやくシチリアからの援軍を迎えてトルコを撃退したのだ。これが9月8日の勝利である。ずっとイスラムに負け続けてきたキリスト教側のはじめての反撃で、騎士団は各国から賞讃を浴びたのだった。
  9月8日、マルタは国民の祭日として、ヴィクトリーデーを祝う。これは、歴史を遡ること400年。1565年のオスマントルコとの戦い(グレート・シーズ)における戦勝記念日で、その主役が、聖ヨハネ騎士団だったのである。
top .