ケルト小史 
 ケルト小史 
 民族の軌跡、分散、キリスト教化,そして記録の始まりはどのようなものだったのか。塩の民としてザルツブルク、ハルシュタットに始まりラテーヌの絶頂期をを経てアレシアで敗れ、そして流浪が始まる。
古代ケルト世界とケルト人の移動 (*6)
古代ケルト世界とケルト人の移動
  ドルイド教  古代ケルト人の宗教
  前2〜後2世紀にかけてガリア(現欧州)やブリテン島に住んでいた古代ケルト人の宗教。ブリテン島の中でもローマ人が侵略しなかった所は、5世紀ごろにキリスト教がはいってくるまで残っていた。ドルイド教は魂の不滅という観念をもっており、死に際して人の魂は新生児の体にはいると考えられていた。
  ドルイドとは、当時のケルト人社会の祭司階級をさす言葉で、宗教面だけでなく全体に大きな影響力をもっていて、宗教上の教師であり、裁判官であり、行政官でもあって、権力をさずけられていた。預言者、詩人、祭司の3階級があった。
 の決戦  ガリアからアイルランドへ       
  シーザー率いるローマによる侵略に対しドルイドの政治的権力をねたんだガリアの戦士たちが反抗したため、ドルイドの力は弱まった。
  高度な文化をもったケルト人は好戦的な民族だったが、国家を組織することはなく、したがって、組織的な戦いをできなかったため、敗戦を重ね、BC52年、中部フランスのアレシア(現サント・レーヌ)の決戦以降、衰退のみちを歩んだ。戦いの記録は「ガリア戦記」に詳しい。
  ローマに追われてブリタニアへ逃れたケルトはブリタニアからも追われ、アングロ・サクソンのブリテンが登場する。ブリタニアはアングル人の国(アングル・ランド)=イングランドへと代わる。
  キリスト教化  口述から文字の宗教へ
  ドルイト教からどのようにキリスト教化したのか.
  キリスト教とドルイド教の教えなどが似ていた。口述で伝える先史時代からのドルイドは文字文化に対抗できなかった、などが理由にあげられる。ローマ人の強力な布教活動もあって、ドルイド教の後継者たちが次々とキリスト教に改宗し、ドルイド教は消滅の一途をたどった。
 記録の始まり  ケルトの宝、「ケルズの書」
  ドルイドは記録することを禁止したが、その理由は教義が公にされることを嫌ったともいわれる。5世紀ごろにケルト人の多くがキリスト教に改宗すると、修道僧の手によってケルト美術独特の巴(ともえ)文や螺旋(らせん)文などの精緻な文様をほどこした聖書写本がつくられていく。その典型は「ケルズの書」などだ。
  こうした文献と一部の伝承によってのこされた神話には、ほかの民族の神話とくらべて、天地創造の話が欠落しているという特徴がある。.
  大陸とアイルランド  大陸には面影だけが
  分散したケルトは大陸に広く拡散し、同化していったため、欧州大陸にはまとまったケルトの特色は皆無にちかく、比較的のその面影を残している地域はアイルランドに近いフランス西部のブルターニュで、地名もブリテンに由来する。欧州の地名などにはケルト時代に遡るものが多く残っているという。
  一方、大陸からブリタニアへ、そしてアイルランドへと追い詰められたケルトはローマの衰退にめぐまれ、またバイキングにもあまり荒らされなかったため、現在にいたるまで、その足跡を色濃く残している。
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