ローテンブルク
時計台のドラマの由来
町の建物はすべて厳しい法律のもと、高さや色、形が規制され、住人たちは多少の不便は感じつつも、古い町並みを保存し、訪れる人々にその魅力を伝えることを誇りにしている。
  ローテンブルクでは城壁が、町の最北にあるクリンゲン塔から西のブルク塔を経て、南のジーバー塔までの約2キロにわたり、完全な形で残されている。
  町を訪れたら、ともかく城壁に上り歩くこと。壁のところどころに銃眼が開かれ、そこから町の外を覗くと自然に抱かれたタウバー川の美しい景色が堪能できる。
  城壁には見張りのための塔が設けられた。町には12世紀から14世紀の間に建造された九つの塔があり、それらを見比べると、時代とともに堅固な造りになっていくのがわかる。
13世紀建造のジーバー塔 町を囲む城壁の入り口
町を囲む城壁の入り口
仕掛け時計に見入る観光客
13世紀建造のジーバー塔 仕掛け時計に見入る観光客

時計台のいわれ
  ローテンブルクは不幸にもプロテスタント対カトリツクの宗教戦争である30年戦争に巻き込まれてしまった。1618年から30年間も続いた戦争である。当時、旧教か新教かの信仰の問題は、生きてゆく上で非常に大事なことだった。そして、ローテンブルクは、ルターの説く新しい福音の教えを奉じていた。
  1631年10月、いよいよ敵が近づいて来たが、残念ながら白旗をかかげて降伏することに決まる。町は掠奪と破減を、市長は絞首台を覚悟した。
  入城したティリー将軍は、部下の将兵やカトリックの僧らを連れて、市庁舎へ入り、市長や市参事会員全員に死刑が宣告された。
  その間ティリー一行に、なみなみとぶどう酒の入った大杯を勧める者がいた。ティリー将軍は見事な杯に目をとめてから、飲み出したが、地元タウバー谷名産の美酒に酔ったのか、震えているわれわれを前にして、将軍は突然こう言った。
  「お前たちの中でこれを一気呑みできる者がいたら、すべて罪は赦し、みなの生命は助けてやる」。
  みな尻込みしている中、市長は立ち上った。町を救いたい一心からワインの量、今日流に直せば3リットルと四分の一。市長は大杯を一滴残さず一気に呑み干し、町は救われた。例の七宝焼をあしらった、皇帝と七人の選帝侯を描いた大杯は、現在でも市内の博物館で見ることができる。
  さて、時計台の針が11時を指した。「マイスタートルンク」、市長の一気呑みが始まる。大時計の両隣りの窓があき、向かって左がティリー将軍、右が市長。(*5)
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