ハリー・ポッター
と賢者の石
「ハリー・ポッター」はケルトの話。第2作「ハリー・ポッターと秘密の部屋」第3作「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」を始め、第7作まで予定されている主人公は1作毎に1歳づつ、年を重ねるはず。この本を書いたJ.K.ローリングってどんな女性?(*20)
ハリー・ポッターと賢者の石
公式サイト
左から「賢者の石」「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」
左から「賢者の石」「秘密の部屋」「アズガバンの囚人」
「ハリー・ポッター」で世界の読者をかちえた作家、J.K.ローリング
  J.K.ローリングRowlingが魔法使いの男の子を主人公にした物語を思いついたのは90年、ロンドン行きの列車に乗っている時だった。10年後、ハリー・ポッター少年が魔法を使って大活躍するこの本は、ベストセラーとなって出版界にセンセーションを巻き起こし、年齢・性別を問わず、世界中の大勢のファンを魅了している。
  この本の著者ジョアン・キャスリーン・ローリングは、65年7月31日、イングランド南部の小さな町チッピングソドベリーで生まれた。早くも6歳の時に将来は作家になると決意し、初めての小説を書いた。エクセター大学に入学し、通訳か翻訳家になってほしいという両親の勧めに従ってフランス語を専攻。'80年代の終わりに卒業した後は、さまざまな職に就きながら大人向けの小説を書いた。
 その後、ポルトガルに移り住み、そこでは英語を教えた。その間、ポルトガル人ジャーナリストと結婚し、'93年には娘が生まれた。この頃、ローリングは新しい本を書き始めた。その内容は、意地悪な伯母夫婦のもとで育てられている孤児の少年が、実は不思議な力をもつ魔法使いで、やがてそれを自覚していくという筋書きだった。
  95年に離婚したあと、ローリングはスコットランドのエディンバラに引っ越した。幼い娘を抱えて生活保護を受けながら執筆を続け、ときには眠り込んだ娘を側に置いたまま、カフェのテーブルでペンをはしらせることもあった。書きあげた原稿をイギリスの大手出版社に持ち込んだが、軒並みに断わられた。だが、ようやくブルームズベリー社が出版をひきうけ、97年6月に『ハリー・ポッターと賢者の石』が世に出た。
  物語は、11歳になったハリー・ポッターが自分に授かった魔法の力に気づいて、ホグワーツ魔法学校に入学するというもの。出版されるやいなや、この本は批評家に絶賛され、大勢の読者の心を掴んだ。児童書部門と小説部門の両方でたちまちベストセラーのトップに躍り出て、ブリティッシュブック賞とスマーティー賞を受賞。スマーティー賞はイギリスの権威ある賞で、9歳から11歳までを対象とする児童書のうち最も優れた作品に贈られるもの。
  この本は98年10月にアメリカでも出版され、イギリスにおとらぬ成功を収めた。シリーズ第2巻となる『ハリー・ポッターと秘密の部屋』は98年にイギリスで、翌99年にはアメリカで出版された。これも前作以上に好評で、ローリングは前記2つの賞を2年連続で受賞するという史上初の快挙を成し遂げた。こうして児童文学界で類まれな成功を手にしたローリングは、ファンシーでミステリアスな物語で有名なイギリスの作家ロアルド・ダールや『指輪物語』のJ.R.R.トールキンとも比較されるようになった。
  99年7月にイギリスで、さらに、その2カ月後にアメリカで出版されたシリーズ第3巻『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』も快走を続けた。99年9月26日には権威あるアメリカの日刊紙『ニューヨーク・タイムズ』のベストセラー・リストで、ハリー・ポッター・シリーズ3作品がフィクション部門の上位3位を占めた。1人の作家が1位から3位までを独占するというのは前代未聞のことである。
  ハリー・ポッター・シリーズはアメリカだけでも800万部以上が売れ、日本を含め世界の約45カ国語に翻訳されている。映画化の権利は、すでにワーナー・ブラザースが取得。ローリングの構想では、ハリー・ポッター・シリーズは全7巻まで続き、主人公は1作ごとに1歳ずつ成長するという。
 ●『ハリー・ポッターと賢者の石』(松岡佑子訳、静山社、1999年12月、1900円)
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