エルサレム陥落(70年)
ユダヤ悲劇の始まり
バビロニアとローマによる2度の敗北のうち、ローマによるエルサレム陥落(70年)はユダヤ人にとって決定的な悲劇の始まりだった。
いつもは壁が埋まるほどの賑わいの「嘆きの壁」
いつもは壁が埋まるほどの賑わいの「嘆きの壁」
  ローマ人の総督は官僚的で機転が効かなかった。賄賂をとるもの、威張り散らすもの、およそ、ローマの政治は圧制そのものであった。ローマの歴史家は「ユダヤ人は我慢に我慢を重ねてきた」、とユダヤ総督たちを激しく非難している。他にも、社会的、経済的、民主主義的にみても多くの問題を抱えた不安定な状況が続いていた。
このようなとき、ある街頭の募金活動を取り締まったのがきっかけで、暴動が発生し3000人が殺された。これは明らかに行きすぎた取締りだった。紛争は全面的な反乱へと発展したのだった。エルサレム、マサダの駐留守備隊の兵士が多数、惨殺された。これに対してローマ側の反撃と、これへの応酬が繰り返され全面対決へとへと発展していったのだ。
この時の皇帝ネロは、アフリカ総督を指揮官に命じ、大軍を派遣して、エルサレムを初めとして、パレスチナを次々と制圧していった。68〜69年にかけて、マサダと他のいくつかの要塞を除いて制圧するまでになっていた。(*2)
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