日本人村
山田長政
旧都のアユタヤにはかつて日本人の村があったといわれる場所があり、ここは山田長政と対になって紹介される。
「アユチヤ日本人町の跡」の石碑(88年)  アユチヤ日本人町の跡 
の石碑が立つこの場所は日本からの観光客が必ず訪れる場所。江戸時代初期にできたといわれる。
  他のアジアの国々にも日本人町はあったが、時代の変化とともに埋没してしまったのに較べアユタヤは遺跡の町として残っていることが原因だろう。
  日本人町再発見の功労者は三木栄で、オランダ東インド会社の古文献を調べているうちに、その存在を発見したとされる。*4
謎の人物・山田長政(?〜1630)
  駿河国沼津で領主の駕籠(かご)かきをしていたが、1611年(慶長16)ごろ、朱印船に乗ってシャムに渡ったが、その才気から王都アユタヤに作られていた日本町の長となり、国王の信頼をえてシャムの最高官位についた。日本人の影響力を排そうとした実力者によって地方へ左遷され、同地での戦闘で負傷したとき、傷口へ毒薬をぬられて殺害された。
  1630年、長政一党の没落後はシャム軍に焼き打ちされ町は廃墟と化した。
「山田長政」の碑
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