我々は一民族だ
歴史(*3,4)
ワイタンギ条約調印のようすを描いた青銅浮彫
「ワイタンギ条約」条約での「我々は一民族だ」のことば以来、マオリは毎年祝っているようだが、傍から見れば屈辱的条約としか映らないが...
1840年2月6日にワイタンギで行われた
条約調印のようすを描いた青銅浮彫(*17)
マオリの移住 1000年頃、カヌーでポリネシアから移住。
焼畑農業、狩猟・石器文化、文字をもたない口承文化
西洋の入植 オランダ航海者、エイベル・J・タズマン、1642年訪れるがマオリ反撃で上陸断念。この時、付けた故郷の町名ゼーランドに「新しい」を加え「New Zealand」が引き継がれ国名に。
1769年、英国ジェームズ・クック、ニュージーランドの地形調査。1790頃から捕鯨、あざらしの毛皮、木材を求めて訪れる。マオリは動物の肉、イモ類を提供し、代わりに斧、釘などの鉄製品を得た。
ワイタンギ条約 英国人の本格的入植:1838年ニュージーランド入植会社をつくった英国は組織移民を開始、1840年、ワイタンギ条約で次項を取り決めた。
1.ニュージーランドの主権は英国王に
2.ニュージーランドの土地の所有はマオリに認めるが売却先は英国のみに
3.マオリは英国国民と同等の権利を認められる
1846年、入植者数は9000人まで増加した。
条約記念日のマオリの祝い方
ヘイウイターヒタートゥー(我々は一民族だ)
  1840年ワイタンギ条約調印の際、この言葉が使われたのがこの地。この歴史的行事を記念する毎年の祝日にすべてのニュージーランド人がこの言葉を思い出す。
  毎年の条約記念日にはカラフルなマオリの儀式に代表される祝典で飾られる。儀式終了後も、観客を喜ばせるための踊りつきの歌が続き、マオリの文化を再認識する。(*)
土地をめぐる
マオリ戦争
1850年、入植者マオリの間に土地の争奪をめぐる戦争が始まり、1860年から12年も続いたが、マオリの敗北に終わる。この間、戦死者と入植者が持ち込んだ疫病のためマオリの人口も激減。現在のマオリ人口は8%に過ぎない。
近代国家へ 19世紀後半から近代国家への体制が整い始める。
日本からの観光客年間15万人など、観光にも力を入れている。
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