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皇帝たちの記念門
レプティス・マグナ
ローマの5賢帝時代の3人の記念門が時代を超えてほぼ同じ所に見ることができる。 エジプトで発見された皇帝と家族
エジプトで発見された皇帝と家族
子どもは後のカラカラ帝
  セプテミウス・セウェルス(146〜211)ローマ皇帝。在位193〜211年。193〜235年まで続いたセウェルス朝の創始者で、初のアフリカ人皇帝である。
  北アフリカのレプティス・マグナの騎士身分の家系に生まれる。いくつかの官職を経験したのち、190年にコンスル(執政官)、翌年に上パンノニア(ハンガリー)総督になった。在任中にペルティナクス帝が暗殺されたため、軍団によって皇帝に推挙、帝位を僭称(せんしょう)したライバルを次々と倒して197年に支配権を確立した。さらに東方遠征に乗り出し、メソポタミアを再び属州化した。208年から家族とともにブリタニア(イギリス)に遠征中、エブラクム(現ヨーク)で病死した。
  即位の際、従来ローマ出身者で占められていた親衛隊を解散して属州出身者を登用し、さらに元老院の権限を制限して代わりに騎士身分を重用するなど、従来のローマ中心的な姿勢をあらためる体制の刷新化をおしすすめた。また、権力基盤が軍隊にあることを認識していたので、特に軍隊を重視し、現役兵士の結婚を認め、給与を増額するなどの優遇策をとり、このために経済の統制化もすすんだ。彼の妻ユリア・ドムナはシリアの都市エメサの太陽神の神官の娘であり、これは後にセウェルス朝における太陽神崇拝導入をもたらすこととなった。
トラヤヌス(手前=100年)とティベリウス(奥=20年)の皇帝記念門
トラヤヌス(手前=100年)と
ティベリウス(奥=20年)の皇帝記念門
セプティミウス・セウェルス記念門(200年)
セプテミウス・セウェルス記念門(200年)
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勝利の女神像(オリジナルはトリポリ博物館蔵)