英雄二人    −その横顔
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独立の父・カダフィ大佐
心の父・オマル・ムフタール
リビアが生んだ二人の偉人の横顔をよく知らない場合が多いようだ。ここで、振り返ってみる。
カダフィのテントは国会代わり=シルテで
カダフィのテントは国会代わり=シルテで
  カダフィー(1942〜) リビアの政治家・軍人で、事実上の国家元首。イスラム教への献身とパン・アラブ主義で知られる。1969年、陸軍大尉だったカダフィーは、無血クーデタで王のイドリース1世を追放して軍事政権を樹立、革命評議会議長として独裁的な権力をえた。
  以後、巨大な石油の富を使ってイスラエルに対するパレスチナ・ゲリラ過激派を支援し、国内では文化・社会革命に着手した。その内容は、イスラム原理主義とアラブのナショナリズムおよび福祉国家とを混ぜ合わせたものだった。1979年には行政のすべての役職を放棄したが、事実上は国家元首とみなされている。
  統一アラブ国家の建設を理想とし、1982〜83年にはアフリカ統一機構(OAU)の議長を務めた。社会主義的政策と帝国主義打倒を掲げ、西側諸国では国際的なテロ組織の財政支援者とみなされてきたが、86年のアメリカによるリビア爆撃、91年の湾岸戦争をへて、徐々に現実路線をとり、エジプトなどの近隣諸国との関係改善もすすんだ。91年には国際テロの放棄を宣言している。
オマル・ムフタールの木彫り オマル・ムフタール
 10ディナール札の人物になっているオマル・ムフタール。1911年、イタリアによるリビア支配が始まり、1930年頃には西部トリポリタニアの支配がほぼ終わっていた。
  その後、イタリア軍に抵抗したのがベンガジ出身のオマル・ムフタール率いるゲリラ軍だった。山がちなキレナイカ地方の地形を利用してイタリアをほんろうしたが、エジプトからの兵器・物資の調達を妨げられ、1931年、捕らえられ、その月のうちに民衆の目前で絞首刑にされた。
  この歴史はリビアで映画化され「風とライオン(原題:オマル・ムフタール)」として発表された。
カット=木彫のみやげ物から top