新オンライン読書会ログ


ふるぼん@管理人 ようやく改装 1999年11月08日(月)00時21分58秒

遅ればせながら、ふぢーさまからご要望のあったように
投稿フォームを設定してみました。
どうでしょうか?
ご意見のある方はよろしくお願いします。

げぢくんの問題に関しては、ぼくもちょっときびしく言い過ぎたかなと。
まあ、返事もあったようなので今回はこれでちゃらってことで>みなさま
げぢくんの今後の掲示板での活躍に期待します。
ところで、げぢくんは前回のレスではあまりに安易に
「日常」って言葉を使ってるように感じたので
その辺のことを考えながら再読してみるといいかと思います。
まあ、ぼくもまだまだ読み込みがたらんなぁと思っているので
お互いがんばりましょう。

しかし、ふぢーさんの書き込みにあった大野さんの書評は、
かなり考えさせられました。

>実際の世界や日本で、中東やアフリカや、いやぼくら日本の現実の中にいる
>カマリたちが立ち向かわなければならないのは、もっとどろどろとして、
>あいまいな、敵の姿もはっきりしない、それでいて本書と同じくらい厳しい
>拒絶と抑圧なのだ。

とくに「敵の姿もはっきりしない」ってとこが。
これからお話を作ろうって人は、こうした地点から物語を
組み立てていかねばならないのでは?とか考えてました。
また話があっちにいってしまいました。失礼しました。
でわ

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ふぢー ちょっと流れから外れてみる。 1999年11月05日(金)04時08分18秒

わたくし、このへんで、「キリンヤガ」は中の上なんぞとえらそーな事を抜かしておりますが、いまひとつ絶賛できない感じってのをうまく言語化できなくてここまでつらつらたわ言を書いてきたんですが、ぜんぜんだめ。
で、あらためてネット上の書評をいくつか拾い読みしてみたわけです。

大野万紀さんの書評で、ちょっと腑に落ちる部分があったので、紹介しておきます。

実際の世界や日本で、中東やアフリカや、いやぼくら日本の現実の中にいるカマリたちが立ち向かわなければならないのは、もっとどろどろとして、あいまいな、敵の姿もはっきりしない、それでいて本書と同じくらい厳しい拒絶と抑圧なのだ。

という部分に、あ、これかも、と思った次第。
とすると、オレのアプローチの仕方では、どうやってもここにたどり着けそうになかったわけで、なんとも情けない。

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ふぢー 大暴露 1999年11月04日(木)14時41分24秒

暴露といえば、ムンドゥムグの伝えるキクユの伝承も、もとをたどればキクユの物ではない、マサイから借用したものではないか、という盗作疑惑ネタもありましたね。

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ふぢー おほほほほ 1999年11月04日(木)03時55分00秒

一時間以上もかけてダラダラ書いてたら、いつのまにかおくの君の書き込みが。
いやー、思いっきりかぶっちゃいましたねー。
はは、ははは、はは。

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ふぢー  1999年11月04日(木)03時50分20秒

>久しぶりに来たら、びっくりしました。というより、BOX出現率が以前に比べ減ったとはいえ会ってる人もいるのだから掲示板見てる?ぐらい
>言って欲しかったです。

で、「なになに?なにがあったんですか?」とか言って、掲示板に書いたことをもう一度説明させる気ですか?
あいかわらずの甘えん坊ぶりですね。
BOXでの雑談と公開された掲示板でのやりとりの分別もできませんか。

>まあ、今更なにを言っても言い訳になるのですみません以外言いません。

その言い訳を読みたかったんですがね。やでやで。
あ、そうか。久しぶりに来た、ってことは、10月13日以来いままでずっとROMってさえいなかったって事ね。
そんじゃー、アレ書き捨ての冷やかしと判断してもよさそうですな。言い訳できないのもあたりまえか。
とかいうような、厳しいことを書いちゃおうかなーなんてな事も考えたんだけど、過去ログもちゃんと読んで多少は名誉回復を試みてるようだから大目に見ますか。……って。

書いとるやんけ、おんどれ!

ま、冗談はさておき。

>好きな話はマサイ族のハンターをやりこめる章です。
>力に対して、知恵で勝つという寓話らしさがよかったです。

レズニック本人のあとがきによると、作者本人はちょっと気に入ってないようなニュアンスが漂ってるエピソードですが、この話がなかったら、ちょっと救われない話になっちゃいます。
それと、作品全体を見渡したとき、「伝統的な叡知」の優位性をどこかで示しておかなければ、「にもかかわらず、それを全面的に受け入れることは出来ない」というキリンヤガのひとびとの判断に深みを与えることはできないわけで、適度なバランスをとるためには必要なエピソードでしょう。
ただ単独の短編として読むと、品質は落ちるような気がしますねえ、他のに比べると。

>ケニアという地の状況での都合だと俺は思います。字を持たないキクユ族だから
>(神話時代から祖先の王の英雄談を口承で伝えるという記述やコリバの行動が
>あったはず)OKなので、これが詳しい歴史資料を残した民族では×なわけで
>す。

ずいぶん古いログを掘り返してきたもんですが、なるほど、たしかに未解決のまま放置されてたようにみえますね。
しかし、げぢ君の意見は、ちょっと論点がずれてます。オレ的な感覚ではおくのくんの意見はたぶん、無文字時代の伝統を、(それ以外の選択もあるはずなのに)絶対的なものとして措定するには、なにか恣意的な判断とか論理操作が必要なはずなんじゃないか、その点についての説明は無しでいいんかいな?という点にあると思うわけです。それに対する答えにはなってないんですけど?

>コリバにとってのユートピアとは日常的な生活。

日常ってなんですかね。「伝統的な叡知」が理想とされすべての価値観を左右する、そんな生活に戻ることはけっして日常を求めるようなことと同義は思えないです。
むしろ、安易な便利さに流されそうになる日常からの脱出を図ろうとしたひとたち(コリバをふくめ)の話なんだから。
作品に則して言い換えるなら、理想を日常化する、というのがコリバにとってのユートピアだった、という言い方なら合ってるかもしれません。
で、オレの言い方で言うと、「伝統的な叡知」は西洋的な文脈で再発見されたものであり、その意味ではフィクションにすぎない。と。
ところで、コリバの主張する伝統も、恣意的に操作されたものである、ということは作品の中でも容赦なく暴露されてます。たとえば、酋長制はイギリス人が持ち込んだものではないか、とか。ところがそれを知りながら、コリバは酋長制は支持している。これは大変重要な点ですね。

>だから、西洋医学や科学は「日常」を破壊する要素として、何一つ受け入れようとしなかったのでは?

いやいや、コリバの理想以外、何も破壊しなかったんですよ。いくらなんでも誤読がすぎるのでは。

●うしぴーさんへ
 >「不要なるものはすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形」とか「すべては
 >実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、ほんとうの物ではな
 >いのである」とかは「機能美」に近い話なのではないか、と思ったわけで。しか
 >し日本の気候で靴下+革靴という組み合わせは「美しさのための美しさ」なんか
 >な、と。
 >
 >これで私の思考がどういう道をたどったかについては納得していただけた
 >でしょうか。本筋と関係ない話なのは確かですね。

あー、だいたい了解。
安吾はもういいですわ。
オレとしてはアレ絡みで「伝統」は外部から再発見されるものかもしれない、という視点が言語化できたので、個人的には得るところがあったし。
えーっと、ちなみに靴下については、実際のところ、草履で今現在、生活が成り立つのか、ってなことだけが問題になるのであって、それがどこから導入されたものであろうと、関わりの無いことですね。もともと明治の西洋化の中で付け焼き刃的に導入された慣習であったとしても、ようするに、今、どうなのかってことです。
例えばの話、勤め人が急にそんなこと始めたら、とたんにフツーの生活はなりたたなくなるでしょう? 下手するとクビになったり? でも、休日に散歩に行くときには裸足にサンダルだったりするかもしれない。それだけのことですね。それは安吾の言ってることにぜんぜん抵触しないですね。

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おくの 再読を要す 1999年11月04日(木)02時59分49秒

↓期待のルーキーやっと登場ですな。
ちょっと意見があるので、運営ページに書いておくよん。

さて、本題の話をしましょう。まず、キクユが文字を持たない文化だから伝統に対する考察がなくてOKというのは完全なバツ。それから、キクユ族はちゃんと歴史を持っていますよ。それは本物のキクユ族を知る必要すらなく、作中にちゃんと示されています。
そんなことを言っているようでは再読を要します。
私が言いたかった伝統に対する考察とは、なぜその「伝統」を選んだのか?ということです。
コリバが選んだ「伝統」は、イギリス植民地支配政策時代のものだと作中に明記されています。ンデミはそのことを欺瞞だと指摘したではないですか?その辺をきちんと読んで下さい。

それから、「自然」云々の話ですが、げじさんが何を指して「自然」と言っているのか分かりません。

>男は食料調達や部族の内部結束を。女は家の中の仕事。水汲みや子育てを。そして、子を産み、育て、次世代へこの「日常」を伝える。

自然ですか?疑問の余地はありますがまあ自然だとしましょう。では、果たしてコリバが目指していたのはそれだけですか?
「伝統」を復古するとき、彼は何か失われたものを取り戻そうとしていたはずです。そうでなければ昔は良かったという回帰の仕方はしない。
では、キクユ族がケニヤ人になってこの中で失われたものがありますか?

私が、「自然」と言ったのは実はかなりの虚偽が含まれていて、コリバが目指したものはコントロールされた「自然」だと思うのです。
ちょっと長くなったので今日はここまで。次はまたげじさんの回答の後にしよう。


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げぢ 来ました。 1999年11月03日(水)03時19分28秒

げぢです。
久しぶりに来たら、びっくりしました。というより、BOX出現率が以前に比べ減ったとはいえ会ってる人もいるのだから掲示板見てる?ぐらい言って欲しかったです。
まあ、今更なにを言っても言い訳になるのですみません以外言いません。

読書会掲示板の運営者ならびに参加者の方々に不用意な発言と態度を御詫び致します。

で、まず、俺の感想です。
読み終えたのが大分前ですので、間違い等あるかもしれませんがその点は指摘などしていただければ、ありがたいです。

短編を重ねて読んでいくうちに世界観が深まっていく感じのする構成がよいです。
好きな話はマサイ族のハンターをやりこめる章です。
力に対して、知恵で勝つという寓話らしさがよかったです。
コリバがキクユ族の知恵として、「パブロフの犬」を西洋が発見する前より知っていたという
エピソードを読んで、ケニアのナイロビにいる知人から聞いた話を思い出しました。
マサイ族はお茶に象の糞を乾したものを入れて飲むという話です。
未消化の草に含まれるビタミン類が非常に豊富であるということです。
西欧の科学でも証明される内容を部族の先人たち経験の積み重ねとして知っているという話ですが、「キリンヤガ」を読んでリアルさを感じました。

で、議題の方です。

4)ツボの話 おくの  

>気に入らなかったのは、伝統に対する考察がないこと。
>ユートピアで伝統的な日本の生活を取り戻すのを目指すとき、何を目指しますか?
>平安時代?江戸時代?それとも明治時代でしょうか?
>コリバの中ではその基準が明確に定められているらしいのです。しかし、なぜその基準が絶対的なのかという説明や考察がありません。

の部分なんですが、ケニアという地の状況での都合だと俺は思います。字を持たないキクユ族だから(神話時代から祖先の王の英雄談を口承で伝えるという記述やコリバの行動があったはず)OKなので、これが詳しい歴史資料を残した民族では×なわけです。
(話が少しずれますが、『ガサラキ』でクーデターの首謀者が唱えていた「美しい日本」像が×であるというのが、ここでおくのさんと同じ意見になるわけです。つまり、何を、何時の時代をさして言っているのか分からないということ)

コリバにとってのユートピアとは日常的な生活。男は食料調達や部族の内部結束を。女は家の中の仕事。水汲みや子育てを。
そして、子を産み、育て、次世代へこの「日常」を伝える。
こうした行為がコリバの理想では?
毎章、毎章、寓話的な口承から入っていくのはそのための効果だと思っています。
たぶん、この「日常」はおくのさんの「自然」と重なるのではないでしょうか?

ですから、ふるぼん@管理者さんの「決してたどりつけない理想」に殉ずるのを求めていた、キリンヤガの人々にその姿勢を求めていた。

というのには? がはいります。コリバの行動は殉教者でもなく、案内役でもなく、秩序の維持者というのが俺の意見です。
だから、西洋医学や科学は「日常」を破壊する要素として、何一つ受け入れようとしなかったのでは?

今日の所はこのあたりで。

管理者ならびに関係者には本当に申し訳ありませんでした。

ついでに、シーフォートの感想。

やりすぎ校長先生。

シーフォートの拠り所の神を肯定するためには自身の死。
結果、彼は生き残る。まさに生地獄。
やりきれん話です。

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うしぴー ああ、ちょっと思い出しました 1999年10月26日(火)03時33分55秒

先の質問は、「日本文化史観」の「祖国の伝統を生むべきものが、また彼ら自身にほかならぬことを全然知らないようである」あたりから考えたことです。

魔法でも超能力でもなんでもいいんですが、今現在の日本とは根本から異なるシステムで動くようになった近未来日本みたいなのを想定して、欧米文化人かなにかから「日本人は卓越した技術力を誇っていた伝統を忘れ云々」とか言われる構図を想像してしまったので、ああいう話になったのでした。

「不要なるものはすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形」とか「すべては実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、ほんとうの物ではないのである」とかは「機能美」に近い話なのではないか、と思ったわけで。しかし日本の気候で靴下+革靴という組み合わせは「美しさのための美しさ」なんかな、と。

これで私の思考がどういう道をたどったかについては納得していただけたでしょうか。本筋と関係ない話なのは確かですね。
その先の議論に参加するのはまた今度、ということで。私は明日の昼までに河合隼雄の本を読まねばならないのでした。

>ふるぼんさん
げぢさんへの警告はどうも過剰反応のように思えます。「読んでどうだったのか?」と聞いてまだその返答がないだけなので、「次はないぞ」とか脅し文句までいれるのはさすがに勇み足ではないでショッカー。
私としては「読みました」だけの冷やかし書きこみ自体に含むところはありません。「枯れ木も山の賑わい」とかいうではありませんか。
なんにせよ、しばらく様子を見てる方がいいと思いますが。

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ふるぼん@管理人 コリバの理想 1999年10月25日(月)03時53分34秒

なんか、ひさびさに盛り上がってるようでうれしいです。
ああ、なまけものの管理人に対して石が!いっイタイ。

冗談はさておき、ぼくには結局、コリバの求めていたものは
「決してたどりつけない理想」に殉じることだったのでは?と思えてきました。
そもそも、コリバにとっての「伝統」的キリンヤガとは
いくら達成しようとしてもできない理想で、現実には存在しないもの
だったのではないのか。
コリバはそのたどりつけないものに、少しでも近づこうとする「姿勢」を
キリンヤガのひとびとに求めていたのでは?と思えてきました。

>げぢさん
とりあえず、もう一度、ここに登場してくれるのなら
今度はログを読んで、あなたの感想をきちんと書き込むことを希望します。
冗談を書き込むのもいいんですが、ただそれだけというのは
あまりに低レベルなので。(ぼくもよくやってしまうんですが)
もし、そうでなくまた同じような書き込みをしたなら
こちらもそれ相応の手段をとらざるをえません。
後輩や外部の人もここを見ていることをお忘れなく。
(竹馬で苗場まで行くとか)←これは冗談ですが

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ふぢー いや。まあ。 1999年10月24日(日)08時06分15秒

>頭がうまく働かないので安吾話の返事はちょっと待ってください。

ここはゆっくり進めればいいところだと思うし。
でも、そろそろ次の本を探しますか。というようなことは、運営掲示板ですね。

>あ、そうだったのですカー。やんわりとたしなめたつもりだったのですガー。
>口調はともかく、せっかく来たんだから中身の話をしてほしい、とは思いましたな。

あれがやんわりのつもりだったら、あなたの場合は子供に話し掛けるようにやらないと、十分に柔らかくはなりません:-)。
つーか、やつはいまどこにいるのかなー?
ああ、アクセスログが見たい(ゲス野郎<自分)

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うしぴー Re:ふぢーさん 1999年10月24日(日)01時27分39秒

週末、家に帰らずに2晩ほど板橋にいたら風邪を引いてしまいました。
いや、そんな私事はどうでもいいんですが、頭がうまく働かないので安吾話の返事はちょっと待ってください。

>うしぴー君やおれは、かなり強い調子で批判している
あ、そうだったのですカー。やんわりとたしなめたつもりだったのですガー。
口調はともかく、せっかく来たんだから中身の話をしてほしい、とは思いましたな。

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ふぢー  ああ、すいませんねえ。かえって混乱させたし(バカ?) 1999年10月22日(金)17時42分12秒

「真実」うんぬんの話は忘れていいです。くすん。
というのでは余りにも、って気がするのでちょっとだけ。
いまここにないものとして、「キリンヤガ」のありようを規定しようとした、ってことを言いたかったのだった。
ああ、かえって解りづらいか。いいです、やっぱし。

技術によって再現され意図的にコントロールた「自然」を「自然」とよべるのかって話は、面白いかも知れません。今ある環境に手を加えて人間に住みやすい「自然」に加工してしまえ、というのは、いかにも近代的な発想ですよね。
それがコリバのキャラクターとどのように結びつくか、ということは、やはり「教養」の問題とかかわってきそうな気がするが、これは単なる思い付き。

ところでげぢ君は、フォローもなし、議論への参加もなしですか?
うしぴー君やおれは、かなり強い調子で批判しているんだが、これに関してなんの申し開きもないなら、「困ったちゃん」のらく印を押されても仕方ないですよ。それとも、もう見てないのかな? もし見ているのだったら、おれなら、ここまで言われたら、なんか反応しますけどね。だって、「死ね」といわれたのと同じことだもん。
さあ。ここでも、運営掲示板でもどっちでもいいから何か言いなさい。
言っておきますが、これは君が後輩だから気を使って忠告しているだけなのであって、赤の他人なら、「ケッ」と言って見なかったことにするだけなんですが。
ちなみに、ここはかなり詳しいアクセスログをとってるんだよ、ということは一応書いておきましょうか。

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おくの とぅるーす? 1999年10月22日(金)12時46分26秒

「真実」って何でしょ?突然出てきてぎょっとしたんですけど。

「伝統」が外部からしか認識できないのは分かりました。というか、実は当然のことですね。
そこで、問題としてはコリバが目指した「伝統」は何だったか。という話なのですが、「真実」ですか?さっぱり理解できないのですけど。

コンセンサスとしてはコリバが目指したものが「伝統」であったということでいいのでしょうか?私もさっぱり話が思い出せなくなってるのですが。

むちゃくちゃしつこく技術の話にこだわると、コリバが目指したのは「自然」であったと思うのです。最近までちょっとこの見解は単純平板かなと思って、それで伏せていたわけですけど、よく考えてみると一考の価値があるかと思ったので書いておきます。
詳しい話はまた何らかの動きがあってから。

ふぢー あああ、こういうことかな。 1999年10月21日(木)22時24分18秒

コリバが求めていたのは、「美」じゃなくて、「真実」ですかね。いや、「理想」か。まあ究極的には似たようなものか、ってなことで、そこんところをてきとーにごまかして話をしていたのは、何を隠そうオレです。
「真実」は「通俗」からもっとも遠いところにある、とコリバは考えていたのではないかな。
ああ、何を書いても縒れてしまふ。

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ふぢー ああ。もう、夜、だ。 1999年10月21日(木)22時17分08秒

うしぴー様。
ちょっと逆質問。ふぢー(26)のこのへん↓に関して、

>「両者が同一ではなくなった」という云い方は、ちょっと引っ掛かります。「両
>者は事の始めから同一ではない」と考えてみたい。「昔は同一だった」わけでは
>ないんです。

というところ、および「日本文化私観」から、なぜにこういうこと↓が導かれるのか、オレにはちょっとピンと来ません。

>「伝統の美」=「過去の生活の実際が魂を下ろしていた美」であり、「(現在
>の)生活の実際が魂を下ろしている美」というのは時間が経つことで「伝統の
>美」になってしまう。
>そういう意味で二つは対立するようなものではない、ということでしょうか?

安吾は、たぶん、ヨーロッパの知識人が「発見」した「伝統の美」なんてものは、おれたちのいま、ここでの生活のことなんかちっとも考えずに言ってるんだから、べつに日本人のおれたちがいまさらのようにありがたがらなくたっていいじゃん、ということを言っています。
関係といってしまえば、ようするに「無関係」でしかないのですよ。対立もへったくれもないわけです。
それから、「伝統の美」=「過去の生活の実際が魂を下ろしていた美」に関しては、時間的関連もほとんどない、と、思いますよ。日本庭園だとか邦楽だとか日本画だとかが、「生活の実際が魂を下ろしていた美」であった事実はないと思います。
安吾は、それと同時に「美」一般にも攻撃を仕掛けています。彼は、通俗的なるものから遠ければ遠いほど「美」に近づく、というような考え方を一切認めません。

>安吾が言っているのは「機能美」に近いことですか。

もちろん、機能美、というようなものではないと思います。
もう一度読み直してください、と、言いたいところですが、安吾の読書会をしているのではないので、べつにいいです。

ところで。ここまで混乱させてしまってから言うのも何ですが、オレの主張の眼目は、「伝統の美」というのは、「外部」から「再発見」されねばならぬ、という部分にあり、コリバの「十分な教養」そのためのフィルタとして強烈に機能してしまったのかもね、という部分なのでもあった。
ということは、そろそろ思い出してもらってもいいのではないかなーとか思うのであった。

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ふぢー ね、ねむいのだ〜 1999年10月21日(木)00時10分39秒

あー。返事はもうちょい待って。今思い出し中でぇす。

で、げぢ君は豆腐の角でケツを洗って出直すといいでしょう。
SF研に4年もいて、読書会がどういうものかわかってないのですか。
つーか、身内だけのボードではないタテマエでやってるので、甘えたことやるなよ。
それとも、冷やかしですか。

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うしぴー 今? 1999年10月13日(水)20時26分24秒

>今どういう話をしているんですカー?
過去ログは上から行けますが。
1ヶ月新しい話題がないので、読んだ感想とか書いてくれるとそこから話も進むのではないですか?

自分から話を振ろうとしないボクが言うのもなんですけど。

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げぢさん キリンヤガ読了 1999年10月13日(水)06時11分51秒

とりあえず、読み終わりました。で、今どういう話をしているんですカー?
ついでにシーフォートも読んだにょ。

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うしぴー 伝統の美 1999年10月12日(火)22時22分34秒

日本文化私観、ようやく読みました。わかったような、わからないような。

議論の本筋からは少し外れますが、ふぢーさんの発言(26)がよくわからないので質問・確認をちょっと。
>「伝統の美」は欺瞞です
という部分以下の話の流れはわかったつもりなのですが、その前の部分にひっかかってます。「生活の実際が魂を下ろしている美」と「伝統の美」の関係についてです。
「伝統の美」=「過去の生活の実際が魂を下ろしていた美」であり、「(現在の)生活の実際が魂を下ろしている美」というのは時間が経つことで「伝統の美」になってしまう。
そういう意味で二つは対立するようなものではない、ということでしょうか?
つまり「伝統の美」は実質が伴うものではなく単なるラベルでしかないので、現在の生活と比較することはできない、と。

で、ラベルにしか過ぎないはずの「伝統の美」を何か実質的に存在するように主張することがイデオロギー的な思惑であり、欺瞞である、ということでいいんでしょうか。

安吾が言っているのは「機能美」に近いことですか。
しかし、日本の気候で靴下・革靴を履くと簡単に水虫になるのでズボンに下駄or草履でなくてはならないような気もします。ということは、我々の服装は不便な組み合わせを自らに強いているわけで美しくないということなのでショッカー。そういうことではないですか、失礼しましたー。

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ふるぼん@管理人 ようやくですが 1999年09月29日(水)22時46分38秒

旧掲示板の過去ログへリンクしました。
うしぴーくん、どうもありがとう。
あと、読書会トップページから、新掲示板のフレーム版に
いけないことも直しました。
なまけものでごめんなさい。
でわ。

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うしぴー@旧読書会管理者 旧掲示板の過去ログですが 1999年09月29日(水)09時42分39秒

こちらにとりあえず置いておきました。すぐに管理人さんが場所を移すはずです。

しかし最近事務連絡でしか顔を出していません。早く復帰したいものです。

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ふるぼん@管理人 テストです 1999年09月20日(月)10時29分22秒

お待たせしました。
ようやく引っ越しです。
まだ過去ログの移植等、やらないといけないことが
山積みですが、とりあえず引っ越し先は確保しました。
今後ともよろしくお願いします。

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管理者: ふるぼん

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