文通大好き!「文通のススメ」
文 通 生 活 
〜Life with writing letters〜

meと文通は長い友達







 ★子供時代

  子供の頃から手紙を書くのが大好きでした。
  6つ年上のいとこに手紙を出して返事が帰ってくるのは楽しく、
  ペンパルを作るまで行かなくても、手紙のやり取りは
  大好きでした。

  その延長で、学校に入ってからは文章を書くのが得意でした。
  「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものです。
  作文コンクールでも選ばれることもありました。
  
  文章は読書によって磨かれる。

  今になってみればそう思います。
  大人が薦める図書ではなくても、文字を読むことは
  想像力を育てます。

  また、文章の構造を身につけるのには最も便利で
  抵抗がない方法でしょう。
  「文章力を身につける!!」などというビジネス本の題名のような
  無理・圧迫感など無用です。

  たとえば写真や絵が並ぶ図鑑も、私の愛読書でした。
  興味を持った本ならどんなものでも良いと思います。


 ★学校と文章

  高校では小論文の授業がありました。
  推薦入学の時には小論文が必ずあるので、その力をつけるためです。

  私は小論文も得意でした。
  「もう書いたの?」と、同級生がびっくりして私を見ます。
  私は先生がバツにしない内容の、もっともらしい文章を分かりやすく
  書くのが得意でした。

  これは受験という「ふるい」にかけられても「残る」ための文章で、
  本当に私が思っていることを100%述べてはいませんでした。
  それが現状の教育システムであり、教育システムにあわせて
  反応をする学生が受験に勝ち、大学へ進むのです。
  それが「小論文」という科目で可否を決める推薦入学においても
  当てはめられます。

  他の科目も含めて、教育システムに適応した私は合格し、
  大学で4年間を過ごすことになったのです。


 ★大学へ進学

  大学を選ぶときに、同級生たちのほとんどがは経済・経営学部に
  進んだのに、私はマスコミュニケーション学科のある学部でした。
  経済や経営など、将来(就職)に備えての学問選びは嫌でした。
  大学では自分が興味を持った科目を勉強したかったのです。

  マスコミュニケーション学科では、文章力をつける授業や
  マスメディアについての実際の方法や理論を学びました。
  この学科なら、得意で好きな文章で私でもなんとかやっていける。
  興味と一緒にそんな気持ちも持っていました。

  

 ★大学での文章訓練

  マスメディアに関わる上で必要な条件は何でしょう?
  真実を伝える、受け手に問題を提起する・・・いろんなことが
  あげられますが、目立つものや場所を追いかける性格があることと、
  提供する情報が断片的であることは否定できません。

  テレビなどはその良い例で、視聴者が驚く映像・ニュース・演出が
  欠かせないのです。
  普通のありふれた出来事を放送して、いったい誰が
  楽しんでくれるでしょうか?だからそういうのはカットされます。
  マスメディアの問題点です。

  大学ではどれだけ良い文章=マスメディア用の面白い文章を
  書けるようになるかを目指して教育が行われました。

  東京のあちらこちらに出かけながら、ネタを書くメモ帳とペンを
  必ず持ち歩きました。いつ、どこで「記事になる」出来事に出会うか
  分からないからです。
  多くは文章にはなりませんでしたが、そんな記者まがいの
  学生時代をすごしました。


 ★大学の経験と海外へのきっかけ

  大学を選んだ基準は、学部・学科と地域でした。
  雑誌に大阪の人が「東京には大勢の有名な歌手がコンサートで
  やってくるからうらやましい」と書いていました。
  「大都市・大阪でも東京の情報量には敵わないようだ、
  それなら東京方面にしよう」と考えて、関東の大学を選んだのです。

  しかし多くの人がそうであるように、学校での勉強は退屈で
  良さそうな科目を選んで自分なりに学んでも
  社会では役に立つことがほとんどありません。

  物足りなさを感じた私は、小さくて他大学との交流もない自分の
  大学の中だけでなく、ひとりで東京都内を探検し始めました。

  地元・静岡市の大学では世界が狭すぎる。
  そう思って関東に住んだのに大学も不満足なので、
  さらに情報の集まる東京都内に出かけるようになりました。

  都内のアルバイトで知り合った学生が、ヨーロッパを1カ月かけて
  一周する計画を立てていました。
  海外旅行をしたいと思ったことはありませんでしたが、なぜか
  とても興味がわきました。

  その人は頭がよく、偏差値も高い有名大学にいましたが、
  「同じ人間ができることが、私にできないはずがない!」と
  根拠のない自信が持てたので、持ち前の無鉄砲さと行動力と
  勘の良さを武器に、海外への計画を練り始めました。

  しかし、どうしたら良いのかはやはり分からなかったので、
  その人とほぼ同じルートに真似をして、いちばん安い航空券を
  買いました。

  日本テレビ「電波少年」でタレントの猿岩石が貧乏旅行を
  しましたが、あのブームが起きるずっと前に、リュックサックを
  背負って飛行機に乗ったのです。
  「ヨーロッパの優雅さ」は、はじめから微塵もありませんでした。

  旅行費用を稼ぐアルバイトの帰りのバス停で、妻を連れた
  アラブ系の男の人が声をかけてきました。
  
  そこでイタリアの話を聞いたのですが、
  「南イタリアは危ない土地だから、誰も行こうとはしない。」と
  怖い話を聞かされました。

  私は学生としてマスメディアに関わる中で、
  マスメディアが伝える事は、事実なのだろうか?と疑いを
  持っていました。
  同じことを、アラブ人の話にも感じました。彼はイタリアへ
  行った事がないのに、南イタリアは危険と思っています。
  日本以外の国でも、マスメディアに共通するものが
  あるのかもしれません。

  本当の事を直接に自分の目で確かめたいという漠然とした
  気持ちは、知り合いの旅行計画がきっかけになり、反応して
  動き始めたのです。


 ★海外での経験

  自分の目で見た海外は、世界の情報がどれだけ偏っているかを
  体で理解する良い経験でした。
  南には都合で行けれませんでしたが、あれだけ危ないといわれた
  イタリアは平和で、日本での「海外はどこも危ない」という観念は
  すっかりなくなっていました。
  
  「自分がやってみたこと以外には、何もわからない。
  事実はそこにいた人だけが知っている。」

  毎日、ワイドショーでは事件や事故のニュースが流れていますが、
  海外旅行以外にも個人的な経験を通して、事実を他人が語ることは
  無理なんだと分かりました。
  人々の物の感じ方には差があること、そして、演出・経営・
  暗黙の決まりごとなどの制約が多いマスメディアでは、
  情報は断片的に流せても、事実を伝えることは難しいのです。

  現地にいる人がいちばん正確なことを教えてくれる、と思い、
  私は海外の人々と手紙を交換したくなりました。
 

 ★海外文通の始まり
 
  最初はユースホステルで同じ部屋になった人たちや、
  旅行中に助けてくれた人たちに、私から住所を聞いて
  手紙を出しました。
  手紙の返事をくれる人が多かったので、プレゼントや切抜きを
  送ったりしてしばらく交流がありましたが、知り合った人=筆まめ
  とは限りません、

  大学を卒業した頃には、ペンパルの数がどんどん減っていき、
  悲しくなりました。

  そこで雑誌を見て、ペンパルを募集している海外の人たちに
  文通の申し入れをするようになりました。

  その中から、FBを送ってくれる人がいました。
  FBは昔は無かったのだと思いますが、私が海外文通を始めた頃に
  生まれたのかもしれません。
  どこかの何人かの人が作り、それが徐々に広まったのでしょう。
  次第に広がって数も多くなりました。

  FBを開くと、文通したい人がたくさん載っていました。
  私は大学時代に、ヨーロッパやアメリカ、アジア、中近東などに
  頻繁に出かけたので、ある程度の国々は知っていましたが、
  まだ行ったことのない国にペンパルを作るのが楽しみになりました。
  特に中央ヨーロッパやアフリカ、島など、日本に住んでいると
  知られることのない国や地域に興味がありました。

  国の名前さえ知らないところから始まって、だんだん知るようになる。
  ペンパルの主観に頼るけれど、マスメディアよりは正確な情報を
  得ることができるのは、海外文通の素晴らしい利点です。


 ★国内文通

  海外文通と同時期か、またはそれよりも少し遅れて、国内の
  ペンパルを増やしていきました。

  その頃は大学を卒業していましたが、すぐに仕事を辞めてしまって
  時間が余っていました。とにかく手紙を書きたかったので、
  大学の後輩や友達に手紙を出すのですが、海外文通と同じく
  知り合い=筆まめとは限りません。
  文通相手=ペンパルを探すのが絶対に必要だったのです。

  雑誌を見て文通の申し入れをひたすら続けました。
  
  書いた申し入れの手紙の数は桁違い。インターネットが普及
  していない時代だったので、切手代がものすごくかかりました。
  今では分かるのですが、とても失礼で、おしゃれでない用紙に
  書いていました。
  それでも返事をくれたペンパルは、心が広いなあと感じます。

  国内・海外ともに、届いた手紙にすぐに返事を書いてしまうので、
  「あなたは返事が早いですね」と書かれたこともあります。


 ★「文通生活」を開設

  友人がパソコンを持っているのを知り、興味を持ったので
  21世紀になってから私もパソコンを買いました。

  会社の同僚がホームページを持っていたので、ホームページは
  難しくないのかと聞いたところ、ソフトがあれば簡単にできると
  教えてくれました。
 
  さっそく作成ソフトを準備して挑戦したのですが、パソコン関連は
  もともと好きな自分でも少し難しかったです。
  簡単と言った人たちはすでに慣れているから簡単なのであり、
  最初は用語から何から、本当に分かりませんでした。
  
  何を伝えるかを考えたとき、旅行と文通が思い浮かびました。
  旅行は常に旅先にいないと、ただの思い出話と今とは違う世界が
  綴られる結果になるので、旅行に行かなくてもその場所の今を
  知ることができるという、紙の上の旅行という面を持つ文通を
  テーマに決めました。

  文通生活には私よりも文通の達人がたくさん来るのですが、
  それはその人たちが、
  現在、
  たくさんの、
  手紙を、
  メールでなくレターセットや葉書で、
  やり取りしているから、
  その経験が達人にさせたのです。

  また、文章中にもあるとおり、私はたくさん失敗をしているので
  文通に詳しくなったり助言をしたり、「私の文通B面」を書けたり
  できるようになったのです。

  だからどんな人にも達人になれるのです。

  世の中の全ては無数の分野に繋がっていて、
  独立(ひとり・ひとつだけ)でいることはありません。
  文通を楽しんでいるうちに身につくことはたくさんあります。

  文通は手紙を書く技術だけでなく、人間にはいちばん欠かせない
  コミュニケーション能力や、文化・歴史、知る楽しさ、伝える喜び、
  趣味として年齢を問わないこと、どんな人にも出会えること、など
  メリットが多いのです。
  文通をしている人は、趣味が良いのです。

  この素晴らしさを、まだ知らない人たちに伝え、
  知っている人たちには協力してもらい、
  さらに広める活動をするために、目に見えるきっかけとして
  あるのが「文通生活」です。

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