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Madrid

 カフェ「Turusa(ツルサ)」,いつものカウンターの右隅で朝食をとる,トスターダ・コン・メルメラーダ・イ・ミエル:- 鉄板にバターをタップリ置いて,15mm厚さの食パンに溶かし込み両面狐色に焼いてオレンヂマーマレードと蜂蜜を加えたもの,なかなか美味しい,それとカフェコンレチェ(カフェオレ)を食す。

 マドリッドに来て部屋を3度替えたが、グラン・ヴィア(Gran Via)のペンション「ミラビ」が良かった。Madridで一番華やかな通り,古い建物でエレベーターも黒塗りの檻の様なもので風情があります。部屋が空くのを待つぐらい人気がある。

 近くのレストラン「Puerto Rico」は美味しくて安い、又メニューが豊富、時季になるとアンギラス(Anguilas,うなぎの稚魚)が加わります。今(2022年)は多分メニューにはないでしょう。

 ディエゴとMotoでコスタ・デル・ソル(Costa del Sol)方面へのツーリングの計画が進行している,聖週間(Semana Santa)の休日を利用して決行することにした。--- 彼は日本人 ,音楽関係のマエストロで仕事があります。--- この年の聖週間は4月7〜14日(毎年変わります)

 「Ducati 50」ブラボー・ムリージョ(Bravo Murillo)の「MOTO-CITY」で購入する。

 Diegoの持論: 風を快く感じながら景色を愛(me)でるには、50ccがベストである。都市のラッシュ時以外は渋滞がないので、大きなMotoの誘惑もありましたが、古い街は石畳の狭い路地が多く、大型ですと神経が疲れます。

“スペインでは雨は平野に降る”とヒギンス教授が言っておりますが、街の道路にも降るのです。此処は雨量が少ないので路面に薄らと積もったホコリと細かな土砂に雨が添加剤入潤滑油になります。その状態の路面のヘネラリシモのフットボール場の近くのストレートでコントロール不能になり街路灯の柱にトン(Doka-nnではなく)してしまった,ホークが曲がったが自力で元に戻し(火事場の馬鹿力),軽い打撲と足の擦り傷(バンドエイドで隠れる)で済みました,これも軽いMotoのお蔭です。(それにしてもホークの強度が弱いな)

彼のMOTO
は、エンジン:Ducati-50cc,フレームは バルセロナの某工房特製のクロモリ,重さは,両手で抱えられる重量,全長: 60〜65cm,高さ: 45cm以下(もうちょっとあったかな), 塗装: RRの黒仕様。アートMotoです。

 ホテルでは,抱えて入り,クロークに預ける、Motoをクロークに預ける人はまずいないでしょう。クロークも駐車場に駐めてくださいと言わないところもおもしろい。

 走りは本物、車間をスイスイ、小さいのが、結構なスピードで抜いて行くのですから,車の人は驚きます,内燃機関を又に挟んで道路を突っ走る様なもので,「魔女の宅急便」のヒロインが地上を滑って走っている状態です。よく事故に遭わなかったと感心します。
<!一度真っ暗なガレージの坂の下でコケテました。内緒>

 Piso(ピソ-mansion)の地下のガレージは常時点燈されておらず入り口でスイッチを入れます,タイマーが作動するので,運悪く坂の下に辿り着く直前にオフになりモロです。便利な様で危ない時もあります。どうしてMotoのライトを点燈していなかったのとの疑問も出ますが。

 私のMOTOをDiego-Motoに近づけようとキャブレターを75ccに換える。「オペラ」の近く店で購入、内側を細かなヤスリで削って空気抵抗を減らしたりして、交換した結果、25cc分だけトルクが上がりました(当然と言えば当然ですが)、排気音も良くなる。また重量を軽くする為、不必要な部品を外す、チエーン・ケース、キック・ペダル、自転車用ペダル。

 此処は,大人も子供もMotoが好きである。中学生ぐらいの子供達が「このMotoは何処か違うぞ」と話しているのを聞いたときは,そうでしょ,「分かるかね」とにやついた。

 キックを取り外したのでエンジンを始動の際は、ギアをセコンドに入れ,ちょっと走ってシートに横座りしてクラッチをタイミング良く繋ぐ、レースのスタート風です,直ぐに慣れました。同乗者がある場合はエンジンを掛けてU-turnして戻る必要がある,そこが恰好悪いのです。同乗者がいる場合はセルの付いたもう少し大きなMOTOにしましょう。50ccでも二人乗り可能、違反ではありません、おおらかです。フレームの強度は十分あります。

 LEVIS−517と、ポルシェのロゴが入ったブルーのMotoジャン(軽い雨が通らない程度),靴は黒のブーツにした。上下皮革製が事故の際にも宜しいのですが,Motoとのバランスもありますからこれでいいのです、彼は黒色表皮のカジュアル・スーツである。スペインの革製品は優秀です。

 南に旅する前、Motoに慣れる為に近郊を走る、「オヨ」、「ミラ・フローレス」、「ジプシーの村」、「チンチョン」、また距離が少し有るが「トレド」、「アランフェス」,「セゴビア」、「サラマンカ」、「アビラ」、「エスコレアル」、「マンサナレス・レアル」、「パスクアレス」その他。

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「Pascuales」

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「Pascuales-2」

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「Salamanca」


「Salamanca-2」


「Puebro one of them」

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「Chinchon-old castle」


「Chinchon」

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「Aranjuez」


「Aranjuez」


「Aranjuez」


「Puerto de Navacerrada」
スキー場、雪がまだ残っていた。慣らし運転中のツーリング、セゴビアの手前


「segovia-alcazar-up」


「Segovia-Alcazar」


「Segovia-Alcazar」


「Segovia-Alcazar from Roman Gate」

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「Acueducto de Segovia」


「Acueducto de Segovia-2」

 ディエゴは優秀なガイドです,実に良く知っております。レストラン,喫茶店,バル(立ち食い酒場兼喫茶、椅子席もあり但し割高),タブラオ(フラメンコ・ナイトクラブ)、店(楽器、銃、乗馬用品)等。
 深夜のジプシー村は大いにスリルがあった,エンジンは切るなと彼が言う,いつでも逃げられるようにしとけと,そんな物騒な所に連れて来るなと思いながら,貴重な経験をした。彼の演出だったかも - でも本当に怖かった。

 シベレスの交差点から中央郵便局側から見て右に少し入るスパゲッティ屋「ガデスの店」、闘牛のステーキが食べられるバル(Bar)、日本の肉ジャガそっくりの物を食べさす薄暗い不思議な店、生ハム(jamon serrano)が美味しい宮殿の近くのBar、ナランハ・プレパラ-ド(Naranja preparado, オレンジの皮を剥いて輪切りにしたものを皿に奇麗に盛ってコワントロ(orangeのリキュール)を少々,砂糖少々をかける)の美味いレストラン。トレドのパラドールのレストランもその1つです。トスターダ・コン・メルメラーダ(Tostada con mermelada)が美味い某ホテルのカフェ。たかがトーストされどトースト,ちと違うぞと思わせるところあります。

 北のチャマルティン駅近くのアグスチン・フォクサのレストラン「ゾデアコ」,ここのロクフォルト・チーズをベースにしたソースをかけたステーキは美味しかった。インテリアは殺風景だったが。

 セゴビア街道のMadridから少し離れた高級住宅地「ミラ・フローレス」にある内装がグリーン系に統一されたレストラン。センスの良いインテリアの店。食後のコーヒーに添えられた「After eight」の外装もグリーンであった。


 どん底マドリは此の広場からちょっと横丁(エチャガライ)に入るとあります。此の広場で「ドンデスタ−ドンゾコ?」略して「ドン・ドン」と言えば連れってくれます。(眉つば)
 この店に、DONZOKO MADRID(C/Echegary, 3 Madrid) をオープンする為にMadridに滞在していた、マスターがプエルタ・デル・ソルを散歩していたので,(多忙の毎日を過ごしておられたのでお疲れ気味)、元気を出して下さいとの気持ちでドライブにお誘いし,マドリッド郊外のそのレストランに行きました,おやつ程度に食事をして、デザートはナランハ・プレパラード(ここのお得意)で上がり。気に入られて、3ヶ月も経ってないのに、何故良い店を知っているのだろうと、不思議がられました。これもディエゴのお蔭です。外国の町を探索するには小さなMotoがお宜しいようです。それと優秀なガイド。(これは運が必要です)

 その時は,1969年製のオペル1900coupe,ツーリスト・ナンバー(一年毎に更新),買った時はブレーキが甘く且片効きするので調べてみたら,シリンダーカップからオイルが漏れていた。またタイヤはF1-晴用のツルツル、ブラボー・ムリージョの「オペル」で修理する,タイヤはミシュランXASに交換する。

 本屋で求めてきた「OPEL 1900」のマニュアル持参で、「Opel」の部品部でプラグ,ポイントと,ヘッドライト・バルブ・セットを仕入れて前の路上で「JAF」ゴッコならぬ「EAF」ゴッコをやる。咽が渇けば対面にBARがあるからアイスコーヒー(“カフェ・コン・イエロ、ポルファーボール”)で出てきます。HIHI

 バルブの留め金が合わなくてペンチで切ってヤスリで削って合わせました。ポイントの間隔は名刺一枚をアテテおいて固定した,そんな代物の車であったが。その後は大切に使用していたから快調であった。

 ここだけの話であるが(別に声を落とさないでも宜しい),170km/hは軽く出た,古い車なのに,手入れがいいのでご機嫌がいいらしい,欠点はクラッチが非常に重い,一度左脹脛(フクラハギ)が攣ってしまった,プールに飛び込んだときに攣るのも困りますが,運転中に攣るのもパニックになります。それもシベレスのロータリーを通過しているときで,周りは車だらけ,無事切抜けて今日の私があります。

 オイルチェンジは少なくも月に一回、今では考えられませんがそのくらい神経を使わないとエンジンの調子を保つのが難しい状態であった。行きつけののスタンドの地下で、フィルターエレメントも一回おきに交換した。


「G.Stand」

 スタンドの主人はMoto好きでDiego-Motoも丁寧に調整していた,専用の8畳ぐらいのガラス張りの室で油圧制御手術台にMotoを載せ,Snap-onの工具が専用のRed-Boxに整然と並んでいるところで楽しげにMotoを手術していた。

 プラド美術館
 プラド美術館には日参です,昼食は地下のカフェテリアを利用していました。雰囲気が良く、ヘミングウエイが良く来ていただろうと想像できる佇まいです。ここのクラブハウスサンドは美味でした。このサンドを食べると思い出すのは,昔丸ノ内の旧東京海上ビルにコックドールがありそこの「ダッグウッド」(クラブハウスサンド)をよく父と食したことが浮かんで来ます。

 2年後に行った時はプラド美術館にはそのカフェテリアはなかった,現在は分からない、確認に行きたいところですが諸条件が許さない状態でございます。(不要不急の外出は避ける、HIHI)(ちょっと違うかな)

 美術館のクロークでヘルメットとカメラを預ける、撮影禁止,頭の中に写すのは可,「Mamiya-16」の様な小さなカメラで可能ですけど,姑息な手段は取りたくないものです。

 日参しても、時間が足りません、1枚の絵に1時間ぐらいは掛けてしまいます。グレコ,ヴェラスケス,ゴヤ,ムリリョ(この受胎告知の顔がMurilloの中で最高と思う,理想の好きな顔である,--嫁さんはあの顔にしようと決めておりました--理想は高い方がいい。),ルーベンス,スルバラン,ボッシュ,ヴェラスケスの「メジチ家の庭」小さい油絵なのに心魅かれて,毎回前に立つ,今でも壁紙として毎日拝んでおります,あの緑が何ともいいのです。verazquez verde

 Madridで時間を費やしましたので,南に向って出発しましょう。

バイレン
 一泊目はバイレン,ホテルは「Zodiaco-ゾデアコ」、遅いMotoだから、一泊目は近くても良いのです、正解でした、途中で土砂降りの雨(バケツを引っくり返した様な)に遭遇、ガタガタ震えながら、途中のプエブロ(Pueblo,村)のバルでコニャック入りホット・ミルクを飲まづにいられない程徹底的に濡れて、歯がガチガチと鳴るのが止まらないぐらい寒い経験をしました。(アルコールが駄目でも飲めたのです、多分顔は赤くなっていたでしょう)

 ブリーフとアンダー・シャツの裾はGパンの藍色が落ちて真っ青に染まりました。JR.もGrand Bleu,Oh-Mami-,Oh-Mami,Oh-Mami-blue-Mami-blue-・・・・であります。 これが本当のグランブル(Grumble, ぶつくさ言うこと)
 <!mustn't grumble><!てーしたこたぁーない股間が藍(ai)に染まっただけ>
 <!愛ならいいのにね><!子供は黙っていなぁ>

 鶴瓶の話をモジルと,「ホテルの医者に見せたら,下半身が真っ青になる病気は知らんと言われた」と言うことになる。

 彼の場合はmusukoのオムツを換えた際にchin*2に墨で毛を描いた,後で奥さんがオムツを換える時、kokanが真っ黒になっているのでビックリして医者に見せたら,こんな病気は知らんと言われたとの笑い話。(嘘か本当か不詳、不明、そんな話をどこかで聞いた覚えがある)

 着衣を全て洗濯し、スチームの上に載せる、寝る時はスッポンポンである、強調することもありませんが、着替えを持たずに,衣服を全て洗濯したら、こうなるのです。不安定でいけない,健康法にもあるのですが。「いかんぞ、この健康法、どうもいかんスースーしていかん」(笠置 衆風に言うと)

 どうしてこうなったか,

 彼はMotoに乗る時は身一つで乗るものだと主張するので,洗面系はホテルの備え付けを使うとして,携帯する物はシート下の空間にタオルに包んだ一眼レフ,レンズが50mmF1.4では大きくて入らないので,canon35mmf3.5をsetした「CANON FT」だけです。今迄の旅行とは雲泥の差で、国内旅行ですら、大きな荷物を車に積み込んで行くのですから、10日間以上の旅に、このスタイルは青天の霹靂です、雨具も無し、雨に降られても、ここでは走行中に乾いてしまうと聞いていたから、それが出発して直ぐ土砂降りに遭う、これは走行中に乾くなんてものではありません、雨宿りすればと思いでしょうが,する場所が無いのです。でも特大のレインボウは素晴らしい,あの景色は忘れることは出来ないでしょう - 始まりと終わりが一望できる -。地球が丸いのもツイデニわかる。この風景を撮ったのだが、スライドが行方不明。

 雨ならいいが雷は怖い,スペインの雷は恐ろしい,雷さまも道路を走るのがお好きなようである。ピカー,ゴロゴロ,スルスルスルー。あー,コワー。

 これは別のツーリングで,トレドからの帰り道に俄かに大粒の雨が降ってきたので,街道筋のレストランに避難してテーブルについた途端に,窓の外に「その光景」が見えたのです。道路の真ん中を雷が走っているのです。もう少し遅かったら,雷に追突されてヘソを取られてオロオロしていたと思うと,思わずキリスト教でもないのに胸に十字を切りたくなりました。離陸する時の隣の外人のお兄さんみたいに。


「Terrible」

コルドバ
 話は早いもうコルドバに来ております。スペインでも特出な所と思います,特に夕方がいい,ガス燈が灯る町角,夕映えにシャンペン色に輝く壁,パテオの有る雰囲気の良いレストラン、夕方の広場、オレンジの実が緑の木に点々と浮き上がる。この旅行では泊まらず昼間素通りしてしまった,清涼飲料でリフレッシュしたが。(何で昼間素通りして夕方の風景が分かるのかと言われると、夕方の風景は2年後に再訪した際の思いでです)

 セビリアもいい、カルメンで有名なタバコ工場の前を通って,プラサ・デ・エスパーニャに向かう,花の香りでむせる感じの季節でした,飛んでる鳩が全部白である。夕闇にうかぶ「トーレ・デ・オロ」、その対岸に舫った船上レストランの「海老のカクテル」は宜しい、「アルメハス・アヒジョ(殻付きアサリの葫炒め)」、「ランゴスタ・プランチャ(海老の鉄板焼き)」,なかなかムードのあるレストランである。プラサ・デ・エスパーニャの前のレストランのパエジャも旨い、「ソパ・デ・アホ」、「ガスパチョ」もいい。

 そうそうスペインのチキンは旨い、「ポジョ・アヒジョ」(オリーブ油と葫で炒める) 旅行中は腹が減るので何でも美味いのです。朝から肉が平気で食べられます、「ボカジージョ・デ・カリエンテ」、「フィレテ・デ・ソロミージョ」、旅行はお腹が減るのです。

 今思うと良く食べられたものと感心してしまいます。それに幾ら食べても太らないのです、モトで走る事は相当運動していることになるらしい。長距離を走った後の尿の色が濃いことでも分かります。

 カデス」も通過した、風の強い日で、岸壁を走ると、吹き飛ばされそうになりました、軍港ですが、当日はフリゲートは停泊していませんでした。(シーッ、軍事上の秘密じゃよ)

マラガ
 マラガ(Malaga)に入った時は印象深いものでした。海岸沿いの椰子並木を経て中心地に入るのですが、我々の前を金色のロールスロイスが走行していたが、プロムナードに屯(タムロ)していた若者達が、GRRに見向きもしないで、我々が通過すると、一斉に喚声(歓声と喚声の中間のどうでもいいKANSEI)をあげて、手を振って迎えてくれました。
 とても小さなMotoと、Ducati-50ccがタンデムで走って来たから、ブーツには拍車まで付けて、ヘルメットに「MADRID」と赤い蛍光テイプが貼ってある、初めのうちは「TOKIO」と書いていたが、「Real Tokio」から、「Real Madrid」に移籍した感があるが。(1×2の世界になる:サッカー籤のこと)

 ドン・キホーテ(Don Quijot)とサンチョ・パンサ(Sancho Panza)のコンビが走って来たようなものだから、ギャラリーは大喜びです。マラガは他のスペインの町並みと少し違った感じがする、海岸沿いのバルでオルチャタを飲み喉の渇きを癒した。Malagaは海岸沿いのホテルに泊まる、スペインは廉くて、居心地の良いホテルが各地にあります、旅行関係の勉強にもってこいの国です。

アルムニェカル
 夕方,ホテルから「アル・ムニェカル」のドイツ人の経営している小さなレストランに夕食(Cena,セナ)をとりに行く、各テーブルに細い小さなコップにミニカーネイションが一輪差してあった、ドイツ人が多い町で、彼らの別荘も沢山あるそうです。帰り道は、大きな月が出ていた。何故かスペインの月は大きいのです。海沿いの山道をライトを消して,月明かりでキラキラ光った入り江を見下ろしながらホテルヘの道は官能的であった。月と言えば、夕闇迫る、ジブラルタル「Gibraltar」に掛かる月もまた幻想的であります,いい絵ができそう。スペインはお月様が良く似合う。


「The Twilight of Gibraltar
 「お月様は合成です。」

 <!--わかってます-->

 ロンダ


「Ronda-long-1」


「Ronda-long-2」

 相当きついスリリングな山道をエッチラ・オッチラ走り切り,ロンダの全景が見えた時は感激でした。「ノーチェ・デ・ロンダ」で有名なあの「ロンダ」です、ドミンゴの歌でも有名です。ここは日帰りでしたが良い写真を撮る事が出来ました。何故時間を取れなかったか今もって不明で,急ぐ旅でもないから是非一泊すべきでした。


「Ronda」


「Ronda-2」


「Ronda-ura」

 「ロンダ」はテレビのコマーシャルでも使われているように旅心をくすぐられる風景が充満している所です。町の裏側を見るとこれがまたこたえられない景色がいろいろあります。

 グラナダ


「グラナダに至る山道」
50ccでは苦しい、エンジンを労りながら走る、やれやれ。
道路は綺麗に舗装されておりますから走りやすいのですが、なにしろ50ccなので、HIHI


「Alhambra」


「Alhambra patio de los leones」


「Alhambra patio de los leones-2」


「Flowers at Alhambra」
 庭にはよく手入れをされた花々が迎へてくれます。


「Alhambra」


「Alhambra」

 シェラネバダ(Sierranevada)山脈を越えてグラナダを目指す。途中オーバーヒート気味でしたが、エンジンを労りながら休み休み峠に向かう、峠に至ったときの景色は天国の様でした。後は下り,楽々と「Granada」に無事辿り着いた。ホテルは「Washington Irving(ワシントン・アービング)」、いい名前だ、ガレージが無いので、少し離れた、ガレージへMotoを預けに行く。勿論彼のはクロークに預ける。


 ホテルから、「ヘネラリーペ」(グラナダの王妃の離宮)は極近くで、歩いて行けます。庭園と建築のバランスがいい,心が休まる,潺(セセラギ)もよろしい,今流行の「癒し」の環境です。離宮としては最高です。そのあとアルハンブラ(Alhambra)宮殿の方へ行く,この辺りは何時来ても新鮮に感じるいい所です。

 入り口のところで旅行者の若者が「アルハンブラの想い出」をギターでつま弾いていた,誰も考えることは同じである。今はアルハンブラに入るにも面倒な手続きがいるようです。


NH Collection Granada Victoria Hotel

 スペインの建物は居心地が良い,グラナダGranadaの「Hotel Victoria」がいい、角(かど)の円型の部屋は、趣がある、3,4人用でベッドの配置が面白い、窓に沿ったソファは部屋のカーブに合わせて構成されたものです,曲線を多用したデザインは旅の疲れを癒してくれる,それも相当の年代物である,保守状態も最高です。

 余談ですが「Hotel Victoria」はマドリッドにもありますがこれも良い、朝日が燦々と入る部屋の一部の出窓式サンルームで、Plaza de Santa Ana(プラサ・デ・サンタ・アナ)を見下ろしながらの朝食は実にムードがいいものです。

 古いホテルは趣があっていいものです、このVictoria Madridは「ゴルゴ13」もご愛用で、ある話に出てきますが、中の様子はあまり詳しく絵になっていませんが,Plaza de Santa Ana(13ではPlaza del Angel)から見上げた絵は実感があります。全シリーズを読んでおりませんが,ある話を読んでいたら偶然に出てきたので懐かしくなりました。


当時描いたスケッチです。プラサ・デ・サンタ・アナから見た、ホテル・ビクトリアです。
 各部屋のサンルームでの朝食は雰囲気があって大変宜しゅうございます。絵になります。


ME Madrid Reina Victoria


トレド


「Toledo from Parador-left」


「Toledo from Parador-center」



「Toledo-right」


「Toledo-parador-right」

 トレドのパラドール「Conde de Orgaz コンデ・デ・オルガス)」も印象深いホテルの一つです、2度目の時は、半年前に予約しておきました、人気があるので、予約が必要です、どの部屋からも、トレドの全景が一望出来る様に、建物が湾曲している。グレコの絵の様な景色は完璧、夜景も素晴らしい、双眼鏡を持って行かれることをお推めします、街灯にぼんやり浮き上がる細い石畳の路地を黒服の老婆が篭を持って歩いている姿が何とも言えない情緒を醸し出します。ParadorのレストランにToledo全景の夜景の油絵が掛てありました。今は掛かっていないかも。


「Toledo」


「Greco風・裏Toledo」

 トレドを裏側から見ても絵・写真に成る場所が多々あります。外側環状道路を一周するのにも時間はかからず、見つけやすい。

 カサ・デ・グレコ(Casa de Greco)「グレコの家」も趣がある、中の絵はレプリカと分かるが、問題ない。説明してくれる案内係のシンパチコ(仲良くできる人,愛想のいい人)のオヤジが、「ダイドコロ、ダイドコロ」と台所で,「シンシュツ,シュンシュツ」と寝室で、「ショクドウ,ショクドウ」と食堂で言っている、最近日本人が来ることが多くなり日本語を怪しげな発音でサービスしているのでしょう。


「Casa del Greco」


「Casa del Greco」

 この家は木造で歳月に逆らえず、改修が常に行われています、当時も改修(ロックフェラー財団が支援をしているらしい)をしていました。

 ここを出て,カテドラルの近くにある(カフェ・プエルタ・デル・サリダ)」はなかなか雰囲気のよろしい店です。トレドは町全体が観光地で、お土産屋が軒を連ねている、良心的な店かどうかは分からぬが、裏道の小さな店で買った鋏は今でも良く切れるから問題無いでしょう、また金線象眼の携帯灰皿は、中々良い、蓋の閉まる精巧の出来です。


「Cafe Puerta del salida」

 「Toledo」へ車で入る時は、車のフロントシールドに全景が徐々に表れてくるのも風情がありますが、Motoで入城するとまた違う感激があります、馬で入城している錯覚を起こします、兜(かぶと)の代わりにカスコ(ヘルメット)を付けていることもありますが。

 訪れたい所が決まりましたら、事前に本で調べてましたが、前と違って情報を居ながらにして得られる時代になりました。私としてはこの時代がもっと前ならと思わざるをえません,いつの時代の人もある程度歳を取るとそう思って暮らしてしていたことでしょうけど,今の時代の急変程ではなかったからその点は楽かも知れません,大変な時代に生きているものです,不幸か,幸いか自身の問題のようです。

 体力をつけるには、PCの前に座ってキーを叩いていてはいけません、体が衰える一方であります、それを止めよう、皆さんもPCは程々にしましょう。<!お前さんに言われたくなゐね>

 前にやり過ぎて体を壊したからジムは止めときましょう,どうも中途半端が嫌いで,そればかりやる性格であるからしょうが無いが。 外に出よう
 何れにしても外に出ようではありませんか。何でもいいからまず外に出よう。時間が無い,誰でも忙しい のである,最近は特に自由時間が無い,キーボードに向かって憂さ晴らしをしているのが精一杯の抵抗である。

 2020年3月となりますと、一概に外に出ましょうとはいいかねます。COVID-19のせいで高齢者は自宅にじっとしていましょうという雰囲気になってまいりました。

 昨日(3月3日)病院に定期の検診に行きましたがマスクをして普通の手袋をはめて、なるべくウィールスが付着し難い素材のコートを着て行く、検査をしてその後予定時刻の1時間半ほど待ったので病院に居た時間は4時間半ほど、なるべく人と離れた所に座って待っておりました。昼食はいつも行く近くのビルの店にも行かないで、何とかゼリーを吸っておりました。これを何とかパニックと言うのでしょう。(苦笑)

 マドリッドは酷いことになっております。フロレンシオ、マリア、パロマ達は無事でしょうか。


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