001 秋の田のかりほの庵(いお)のとまをあらみわがころもでは露にぬれつゝ --- 天智天皇 - 38代 626-671
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002 春すぎて夏来にけらし白妙のころもほすてふあまのかぐ山 --- 持統天皇 - 41代 645-702
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003 足引の山鳥の尾のしだりおのなが々し夜をひとりかもねん --- 柿本人麻呂 - 生没年不詳
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004 田子の浦にうち出てみれば白妙のふじのたかねに雪はふりつゝ --- 山部赤人 - 生没年不詳
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005 おくやまに紅葉踏分(もみぢふみわけ)なく鹿の声きくときぞあきは悲しき --- 猿丸大夫 - 生没年・伝未詳
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006 かさゝぎのわたせる橋にをくしものしろきをみれば夜ぞふけにける --- 中納言家持 - 718-67-785
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007 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも --- 阿倍仲麻呂 - 698-770
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008 我庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふ也 --- 喜撰法師 - 生没年・伝未詳
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009 花のいろはうつりにけりないたずらに我身よにふるながめせしまに --- 小野小町 - 生没年未詳
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010 これやこの行も帰るも別れてはしるもしらぬも相坂の関(おうさかのせき) --- 蝉丸 - 生没年・伝未詳
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011 わだのはら八十嶋かけて漕出ぬと人にはつげよあまのつりぶね --- 参議 篁 - 802-852
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012 あまつ風雲のかよひ路吹とぢよ乙女のすがたしばしとどめん --- 僧正遍昭 - 816-890 俗名、良岑宗貞
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013 つくばねの嶺(みね)より落(おつ)るみなの川こひぞつもりて淵となりぬる --- 陽成院 - 57代 868-949
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014 陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆへにみだれそめにし我ならなくに --- 河原左大臣(源融)- 822-73-895
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015 君がため春の野に出て若菜つむわが衣手でに雪はふりつゝ --- 光孝天皇 - 58代 830-887
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016 立別れいなばの山の嶺におふるまつとしきかば今かへりこむ --- 中納言行平 - 818-75-893、業平の兄
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017 ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くゞるとは --- 在原業平朝臣 - 825-55-880
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018 住の江の岸による波よるさへやゆめの通路(かよいじ)人めよく覧(らむ)--- 藤原敏行朝臣 - 生年未詳-907
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019 難波がたみじかきあしのふしのまもあはで此(この)よを過(すぐ)してよとや --- 伊勢 - 生没年未詳
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020 わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ --- 元良親王 - 890-53-943
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021 今こむといひしばかりに長月(ながつき)の有明の月をまちいでつるかな --- 素性法師 - 生没年未詳、遍昭の子
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022 吹からに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしと云らむ --- 文屋康秀 - 生没年未詳
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023 月みれば千々に物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど --- 大江千里 - 生没年未詳、行平、業平の甥
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024 此(この)たびはぬさもとりあへず手向山(たむけやま)紅葉のにしきかみのまに〃〃 --- 管家(菅原道真) - 845-58-903
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025 名にしおはゞ相坂山(おふさかやま)のさねかづら人にしられでくるよしもがな --- 三条右大臣(藤原定方) - 873-59-932
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026 をぐら山峯の紅葉ば心あらば今ひとたびのみゆきまたなむ --- 貞信公(藤原忠平) - 880-949
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027 みかのはらわきてながるゝ泉河(いづみがは)いつ見きとてかこひしかるらむ --- 中納言兼輔 - 877-933
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028 山里は冬ぞさびしさまさりける人めもくさもかれぬとおもへば --- 源宗干朝臣 - 生年未詳-939
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029 心あてにおらばやおらむ初霜のをきまどはせるしらぎくの花 --- 凡河内躬恒 - 生没年未詳
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030 有明のつれなくみえし別より暁ばかりうきものはなし --- 壬生忠ュ - 生没年未詳 忠見の父
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031 朝朗(あさぼらけ)有明の月と見るまでに芳野の里(よしののさと)にふれるしら雪 --- 坂上是則 - 生没年未詳
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032 山川に風のかけたるしがらみはながれもあへぬ紅葉なりけり --- 春道列樹 - 生年未詳-920
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033 久堅のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ --- 紀友則 - 生年未詳-907、貫之の従兄
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034 誰(たれ)をかもしる人にせむ高砂の松もむかしのともならなくに --- 藤原興風 - 生没年未詳
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035 人はいさこころもしらず故郷(ふるさと)ははなぞむかしのかに匂ひける --- 紀貫之 - 868-945
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036 夏の夜はまだ宵ながら明ぬるを雲のいづくに月やどるらむ --- 清原深養父 - 生没年未詳、元輔の祖父
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037 白露(しらつゆ)に風のふきしく秋のゝはつらぬきとめぬ玉ぞちりける --- 文屋朝廉 - 生没年未詳 康秀の子
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038 忘らるゝ身をば思はずちかひてし人のいのちのおしくもあるかな --- 右近 - 生没年未詳
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039 浅茅生(あさぢふ)のをのゝしのはら忍(しのぶ)れどあまりてなどか人のこひしき ---参議 等 - 880-71-951
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040 しのぶれど色に出にけり我恋は物や思(おもふ)と人の問迄(とふまで) --- 平兼盛 生年未詳-990、光孝天皇の玄孫
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041 恋すてふ我名はまだき立にけり人しれずこそ思(おも)ひ初(そめ)しか --- 壬生忠見 - 生没年未詳、忠ュの子
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042 契(ちぎり)きなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山なみこさじとは --- 清原元輔 - 908-82-990、清原深養父の孫
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043 あひ見ての後の心にくらぶればむかしは物をおもはざりけり --- 権中納言敦忠 - 906-37-943、時平の三男
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044 逢事(あふこと)のたえてしなくは中々(なかなか)に人をも身をもうらみざらまし -- 中納言朝忠 - 910-966、定方の五男
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045 哀ともいふべき人はおもほえでみのいたづらになりぬべきかな --- 謙徳公 - 924-48-972、藤原伊尹(これただ)、忠平の孫
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046 由良(ゆら)のとを渡る舟人かぢをたえ行衛(ゆくへ)もしらぬ恋のみちかな --- 曾禰好忠 - 生没年未詳
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047 やへ葎(むぐら)しげれる宿のさびしきに人こそ見えねあきは来にけり --- 恵慶法師 - 生没年未詳
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048 風をいたみ岩うつ波のをのれのみくだけてものをおもふ比(ころ)かな --- 源重之 - 生年未詳-1001
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049 みかきもり衛士(えじ)の焼火(たくひ)の夜はもえ昼は消つゝ物をこそおもへ --- 大中臣能宣 - 921-70-991、頼基の子
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050 君がためおしからざりし命さへながくもがなとおもいける哉(かな) --- 藤原義孝 - 954-974,伊尹(これただ)の子
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051 かくとだにえやはいぶきのさしも草さしもしらじなもゆる思ひを --- 藤原実方朝臣 - 生年未詳-998、定時の子
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052 明ぬればくるゝものとはしりながらなをうらめしきあさぼらけかな --- 藤原道信朝臣 - 972-994、為光の子
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053 嘆(なげき)つゝひとりぬるよの明(あく)るまはいかに久しきものとかはしる --- 右大将道綱母 - 937-995、藤原兼家と結婚
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054 わすれじの行末迄(ゆくすえまで)はかたければけふをかぎりの命ともがな --- 儀同三司母 - 生年未詳-996、伊周(これちか)の母
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055 滝の音は絶て久しくなりぬれど名こそながれてなをきこえけれ --- 大納言公任 - 966-75-1041、頼忠の息
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056 あらざらむ此よの外の思出に今ひとたびのあふ事もがな --- 和泉式部 - (976-978)頃-没年未詳
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057 めぐり逢(あい)て見しやそれ共分ぬまに雲がくれにし夜半の月影(月かな) --- 紫式部 - 970頃-1014、大弐三位の母
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058 ありま山いなの篠原(ささはら)風吹ばいでそよ人をわすれやはする --- 大弐三位 - 生没年未詳
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059 やすらはでねなまし物をさよ更てかたぶくまでの月を見しかな --- 赤染衛門 - 生没年未詳
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060 大江山いくのゝ道のとをければまだふみもみず天のはしだて --- 小式部内侍 - 生年未詳-1025
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061 いにしへのならの都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな --- 伊勢大輔 - 生没年未詳
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062 よをこめて鳥の空音(そらね)ははかる共よにあふさかの関はゆるさじ --- 清少納言 生没年未詳、元輔の娘
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063 今はたゞおもひ絶なんとばかりを人づてならでいふよしもがな --- 左京大夫道雅 - 994-60-1054、伊周(これちか)の子
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064 朝ぼらけ宇治のかはぎり川たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木(せぜのあじろぎ) --- 権中納言定頼 - 995-50-1045、公任の息
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065 恨みわびほさぬ袖だにある物を恋にくちなん名こそおしけれ --- 相模 - 生没年未詳
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066 諸共(もろとも)に哀と思へ山桜花より外に知人もなし --- 大僧正行尊 - 1055-80-1135
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067 春のよの夢ばかりなる手枕(たまくら)にかひなくたゝむ名こそ惜けれ --- 周防内侍 - 生没年未詳
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068 心にもあらで此世(このよ)にながらへばこひしかるべきよはの月かな --- 三条院 - 976-41-1017、67代
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069 あらし吹三室の山のもみぢばは龍田の川のにしきなりけり --- 能因法師 - 988-没年未詳
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070 さびしさに宿を立出て詠(なが)むればいづくもおなじあきのゆうぐれ --- 良暹法師 - 生没年未詳
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071 夕されば門田の稲葉(かどたのいなば)をとづれてあしのまろやに秋風ぞ吹 --- 大納言経信 - 1016-81-1097
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072 音にきくたかしの浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ --- 祐子内親王家紀伊 - 生没年未詳
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073 高砂の尾上(おのえ)の桜さきにけりとやまの霞たゝずもあらなん --- 権中納言匡房 - 1041-1111
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074 うかりける人をはつせの山下颪(やまおろし)はげしかれとはいのらぬ物を --- 源俊頼朝臣 - 1055-74-1129、源経信の三男
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075 契(ちぎり)をきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり --- 藤原基俊 - 1060-82-1142
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076 和田の原こぎ出てみれば久堅のくもゐにまがふ奥津白波(おきつしらなみ) --- 法性寺入道前関白太政大臣 - 1097-1164、藤原忠通、慈円の父
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077 瀬をはやみ岩にせかるゝ瀧川のわれてもすゑにあはむとぞおもふ --- 崇徳院 - 1119-45-1164、75代
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078 淡路嶋(あわじしま)かよふ千鳥のなく声に幾夜ね覚(ねざ)めぬすまの関守 --- 源兼昌 - 生没年未詳
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079 秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月のかげのさやけさ --- 左京大夫顕輔 - 1090-65-1155
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080 長からむ心もしらずくろかみのみだれてけさは物をこそ思へ --- 待賢門院堀河 - 生没年未詳
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081 郭公(ほととぎす)なきつるかたをながむればたゞありあけの月ぞのこれる --- 後徳大寺左大臣 - 1139-52-1191、藤原実定
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082 思ひわび扨(さて)もいのちはある物をうきにたへぬはなみだなりけり --- 道因法師 - 1090-89-1179
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083 世中(よのなか)よみちこそなけれおもひ入やまのおくにも鹿ぞなくなる --- 皇太后宮大夫俊成 - 1114-90-1204、俊忠の子
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084 ながらへば又此比(またこのごろ)やしのばれむうしと見しよぞいまは恋しき --- 藤原清輔朝臣 - 1104-73-1177、顕輔の子
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085 よもすがら物思(ものおも)ふ比(ころ)は明けやらで閨(ねや)のひまさへつれなかりけり --- 俊恵法師 - 1113-78-1191、俊頼の子
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086 歎(なげ)けとて月やは物をおもはするかこちがほなるわがなみだかな --- 西行法師 - 1118-72-1190、俗名、佐藤義清(のりきよ、23歳で出家)
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087 村雨(むらさめ)の露もまだひぬまきのはに霧たちのぼるあきのゆうぐれ --- 寂蓮法師 - 1139-63-1202、俗名、藤原定長
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088 難波江のあしのかりねの一よゆへ身をつくしてや恋わたるべき --- 皇嘉門院別当 - 生没年未詳、忠通の娘
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089 玉のをよ絶(たえ)なば絶ねながらへば忍ぶることのよはりもぞする --- 式子内親王 - 生年未詳-1201
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090見せばやなをじまの蜑(あま)の袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず --- 殷富門院大輔 - 生没年未詳
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091 きりぎりすなくや霜夜のさ筵(むしろ)に衣かたしきひとりかもねむ --- 後京極摂政太政大臣 - 1169-37-1206、藤原良経、忠通の孫
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092 我袖はしほひに見えぬおきの石の人こそしらねかはくまもなし--- 二条院讃岐 - 1141-76-1217
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093 世中(よのなか)はつねにもがもななぎさ漕あまのをぶねの綱手(つなで)かなしも --- 鎌倉右大臣(源実朝) - 1192-1219
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094 みよしのゝ山の秋風さよふけて故郷(ふるさと)さむくころもうつなり --- 参議雅経 - 1170-51-1221
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095 おほけなく浮世の民におほふ哉(かな)わがたつ杣(そま)にすみぞめの袖 --- 前大僧正慈円 - 1155-70-1225、忠通の子
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096 花さそふあらしの庭の雪ならでふり行くものは我身なりけり--- 入道前太政大臣(藤原公経-きんつね) - 1171-73-1244
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097 こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ --- 権中納言定家 - 1162-79-1241、藤原俊成の子
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098 風そよぐならの小川の夕暮は禊(みそぎ)ぞ夏のしるしなりける --- 従二位家 - 1158-79-1237
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099 人もおし人も恨めしあぢきなくよをおもうゆへに物思ふ身は --- 後鳥羽院 - 1180-59-1239、82代
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100 百敷(ももしき)やふるき軒端(のきば)のしのぶにもなをあまりあるむかし成けり --- 順徳院 - 1197-45-1242、84代