はじめまして!
ひでりんといいます。
自分のホームページを創ってみました。
私は1958年大阪生まれの大阪育ちです。
あっ。それからまだ独身です。
このページでは私の趣味の自転車、とくに
マウンテンバイクと私の仲間達のことをご紹介したいなと思っています。
また最近は回数は行けなくなっていますが私の一生の趣味かなと思っているフライフィッシングについてもなにか書いていきたいなと思います。
このページを訪れていただいてありがとうございます。
最後までご覧いただけるとうれしいです。
ひでりんの自転車遍歴
私は学校を卒業後, 自転車関係の部品を作っている会社で働きだしました。
スポーツ用自転車の部品を作っている会社で事務や営業をしてました。
少し前までの自転車ファンの方に会社名をいうとほとんどの方が知っていられると思います。
学生時代にはワンダーフォーゲル部に入り夏山登山やキャンプをしていたのですが、働きだすとまわりは自転車の国体選手、オリンピック代表候補選手とか日本記録を持っているとか、自転車のりばかりです。私も根がきらいではないのでさっそくサイクリング部にはいり休日には関西を中心に日帰りツーリングをしていました。
なんせその会社には新入社員研修で自転車を組みたてるというのがあり、それで生まれて初めて自転車を車輪組みから組みたてるほど毎日が自転車漬けでした。
はじめて自分で組んだのは日米富士自転車のオリンピックという名の12段変速のロードレーサーでした。
このころのツーリングで特に印象に残っているのは九州の大分県、国東半島でした。秋の国東半島の景色は本当に美しくて、”正統な日本の秋”というかんじでした。またいつか行きたいな。
マウンテンバイクとの出会い
それはいつのころであったか。社長がマウンテンバイク(MTB)というものをアメリカからもって帰ってきました。いかついタイヤと幅広のハンドルが印象に残っています。
”この自転車で荒地や山を走るんだ”と聞いて”へー。おもしろいやんか”と思いました。
ボクは貿易課で商社を担当していたのですがそのころからハンドルバーにつける変速レバーやキャパシティーの大きい変速機が特に売れるようになりマウンテンバイクが売れていることが実感できるようになりました。
そのうち世界で最初 のMTB用の部品を市場に出すことになったのです。
初めてMTBに乗ったのはサイクリングンクラブの一泊ランで四国、高知を走ったときでした。 チェーンホイールのギア3枚というのはやはり坂につよいな、太いタイヤは重いなと思いましたがまだ20代のパワーで走りきりました。その自転車はスペシャライズドの初期のスタンプジャンパーというものでした。この頃のMTBは18段変速で前が48−38−28T後ろが13−30Tクランクは175ミリというような仕様だったと思います。もちろんサスペンションなどついてません。
まだまだツーリング車の影響がぬけてないようでした。
じつはこのときのツーリングで大きいフレームサイズと長いクランクのため膝をいためてしまい今でもときどき痛くなります。ダウンヒルのときはがっちりした膝サポーターをして走っています。
初めてのマウンテンバイクミーティング
もちろんアメリカでのこのころの話しなのですがMTBのイベントというとレースよりオフロードツーリングが主で”パールパスツアー”というイベントが有名になりました。今日本のMTBのシーンで一番古くから知っている人はこのころパールパスツアーに参加した人が多いようです。私はお会いしたことはないのですがあのワイルドキャットの平木さんもそうだった思います。
ある日宣伝担当のガッチャンがわたしにこんどMTBのイベントをやりたいので手伝ってほしいといってきました。日本最初のMTBのイベントが動きはじめました。最初は小規模でした。
大阪から奈良に向かう阪奈道路は生駒山系を横切っていますがこの道路の北側に室池公園と呼ばれる府営の自然公園があります。
山というより丘陵のような地形でその中に何箇所か池があるところです。今で言うシングルトラックが縦横に走っているそういう中で走ろうという企画です。
親友のガッチャンに最近聞いたところマウンテンバイクを個人で持っている人はまだ少ない頃で
もちろん私たちもまだ持っていなくていろんな会社がサンプルや研究用に持っている自転車を
借りて回ったそうです。たぶん日本でトップクラスにマウンテンバイクに関する情報を持っている人達でさえこういう状況だったんです。
それは寒い冬の日、木陰には雪がのこり池の表面は凍っていました。
大阪のショップを通じて集まった一般の人、自転車のお店関係の人、自転車の輸出関係の仕事(このころは今の台湾のように日本のスポーツ車は北米を中心にたくさん輸出していたんです)
をしている人が集まりました。
こじんまりしたイベントだったけど。コースを設定してタイトライアルなどしてお天気のよくなった山の中を走り回ったことを覚えています。
そろそろ撤収というころに同じ会社の地蔵サンが凍った池の上を走っていて突然姿が見えなくなったと思ったら氷が割れて水の中でした。いったん割れた氷の上の乗るのムズカシイデスね。 ジタバタしてました。これはいまだに私達が集まると笑い話のタネになります。
大河原MTBミーティング
室池のイベントのあとしばらくするとこんどは地蔵サンがやってきてパールパスツアーのようなイベントをやりたいので手伝って欲しいといってきました。ま彼は前年パールパスツアーに仕事で参加しておりこんなイベントを日本でもやりたいと思ったようで私以外にも会社の何人かに声をかけていました。このころ会社のほうはあまり余裕がなく車などの機材を貸してもらいましたがお手伝いの人間は手弁当の参加でした。
大河原(おおがわら)MTBイベントの企画が動き始めたのです。
じつはわたしの周りには日本で最初にMTBを紹介したという人が何人かいます。いづれも仕事でそういうものを紹介したとか言う人でそれについてはわたしとしては”それがどうした”と思っています。MTBという自転車を創り出したというのであれば”すごいな”と思うんでしょうけどネ。
大河原グランドキャニオンというのはわれわれの言い方で正式な地名は知りません。
奈良と京都の県境に近いそこはゴルフ場を造るために山林を造成していたのが中止になり、赤茶けた土がでた小高い丘や深い谷になっていて別名大河原グランドキャニオンと言っていたのを今思い出しましたいろいろの日本映画のロケ地として使われていたようで薬師丸ひろ子が出ていた里見八犬伝などにでていたのは覚えています。(古い話しでごめん)
何度か下見として休みの日に走りコースを決めました。下見は2月に行なわれ寒い中走って来ると身体を温めるため日本酒なんかを呑んだね。でも今に比べホントに呑めなかったんだよね。
このころのMTBのブレーキはようやく発売されてきたMTB用のカンチブレーキでしたがタイヤの性能も今と比べイマイチで、ちょっと急な下り坂ではなかなか止まらなかったことを覚えています。
まだまだMTBを売っている店もほとんどなく一般の人でもMTBに乗ったことがないという人がほとんどな時代です。それにアウトドアスポーツというかバックパッキングやキャンピングもそろそろ広がってきたころです。
イベントの本番は自転車業界で働いている人や広告、出版関係の人も参加され。また一般の人はサイスポに小さく告知記事が出ただけなのに結構遠くからの参加がありました。
ひょっとしていろいろな雑誌のMTB昔話に出てくる岡崎和彦君に初めて会ったのもこのときだったカナ。彼はのちに我々の仲間内でナゼナニ坊やと呼ばれることになるんです。
またそのころ京都の大学に勉強に来ていたポールさんも来ていました。何年かして彼はトレックジャパンの社長になるんですね。
土曜日に設営しイベントが始まりました。初めは急傾斜の坂をどれだけ登っていけるかというゲームやパイロンを設置してタイムトライアル、今でいうスライドみたいなことをして遊びました。今のシーンと大きく違うのは即レースというようになるのでは無く。とにかく自然の中で遊ぼうというアウトドアスポーツとしてみんなとらえていたようです。
その日は私たちはキャンプをして一夜を過ごしました。なんか夜にはカントリーバンド゙がやって来たり楽しいでもとっても寒い夜でした。
翌日は2〜3キロのコースを決めてタイムトライアルをしました。時々小雨がふるような天気の中
私はタイム計測をしていました。
こんなゲームをしてイベントが終わりました。
この大河原グランドキャニオンはいまどうなっているかな一度いってみたいな。立派なゴルフ場になっているかな。
ちゃんと記録が手元に残っていないのですがこれらのイベントは1984年くらいのことかなと思います
初めてのマイMTB
このイベントのあとに自分のマウンテンバイクが欲しくなりました。
先に書きましたがこのころ大阪、堺という街は本当に自転車の街といわれるにふさわしく。
国内向けでなく海外にもたくさん輸出していました。
知っているだけでスペシャライズド、フィシャーなどなど。
そんななかでわたしの初めてMTBはダイアモンドバックでした。取引のあった会社の人に無理を言ってフレームをわけてもらったんです。
そのフレームをもとにそのころようやくそろってきたMTBパーツで組みました。知り合いの部品メーカーの人に安く売ってもらったり中にはこれテストしてとのことでもって来てくれたところもありました。
いま考えてみるとすべて日本製のフレーム、部品で組まれた純国産車だったんです。アラヤのリム、ダイアコンペのブレーキ、スギノのクランク、三信のハブ、楠木のハンドル、加島のサドル、サンツアーのドライブトレイン。でもそれが当たり前だったんですね。
このバイクでまたこれからはじまるいろんなイベントに参加しました。
長くなりましたわたしの自転車遍歴MTB始まりの時。
これでいったん休憩します。
これ以降、MTBの伝説的なイベント、妙高高原MTBツアー、日本マウンテンバイク協会の富士山ミーティングの原型になったネイチャークラブの富士山ミーティング、大台ケ原ミーティング、
BMXコースのレース、滋賀県の琵琶湖バレイミーティングなど。古い話しがいっぱいあってまた
ガッチャンなんかと時制を合わせ古い楽しい話しを思い出しながら写真を探しひとつひとつ書いていきます。
あっそれから最近になってわたしが自転車屋で働いていたこととかダウンヒル始めるようになったことなど。
乞うご期待!!

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