アメリカ連邦議会の戦争権限

−アメリカ合衆国憲法と戦争権限法を中心に−


はじめに

 20021010日、アメリカ連邦議会下院において296133の賛成多数で「イラクに対する軍事力行使の権限付与」決議案(以下、対イラク攻撃容認決議とする)が可決された。翌日には、同決議案が連邦議会上院において7723の賛成多数で可決された。この決議の成立により、ジョージ・W・ブッシュ大統領はイラクへの武力行使権限を条件つきで授権された。

 本来、大統領はアメリカ合衆国憲法によって「陸海空軍および軍務に実際に就くため招集された各州の民兵の最高司令官」と位置づけられている[1]。憲法上の最高司令官に対して連邦議会が決議によって改めて「授権」を行うことは一見奇妙に映る。しかしながら、この連邦議会による大統領への「授権」行為は対イラク攻撃容認決議が初めてではなく、1991年の湾岸戦争の際にも当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領に対して行われている。実はこの連邦議会による大統領への「授権」行為は1973年に成立した「議会と大統領の戦争権限に関する合同決議」 (以下、戦争権限法とする)に基づいている。

本稿は、アメリカ合衆国憲法と戦争権限法を中心に、アメリカ連邦議会の戦争権限を概観することを目的とする。第一に、アメリカ合衆国憲法上の大統領および連邦議会の戦争権限を概観する。そして第二に、1973年に成立した戦争権限法の内容とその問題点を考察する。

 

.アメリカ合衆国憲法上の戦争権限

 冒頭においても述べたように、合衆国憲法上、大統領は陸海空軍(独立軍種の海兵隊、沿岸警備隊も含む)および各州の州兵の最高司令官としての性格を有している。しかしながら、合衆国憲法においては、最高司令官としての性格以外に大統領の戦争権限を明示する規定は存在しない。

 これに対して連邦議会には合衆国憲法上、5つの権限が明示されている。第一に、立法権(合衆国憲法第一条一節)である。第二に、宣戦布告権(同一条八節十一項)である。第三に、軍隊の編制権(同一条八節十二〜十四項)である。第四に、民兵の招集と編制(同一条八節十五〜十六項)である。第五に、歳出権(同一条九節七項)である。

以上のことから、合衆国憲法上は大統領が統帥や作戦、用兵という軍令事項に関する権限を有しているのに対し、連邦議会は軍隊の編制や予算といった軍政事項に関する権限を有していると言えよう。このようにアメリカの軍制はシビリアン・コントロール(文民統制)とチェックス・アンド・バランシス(権力分立)の2つの原則によって運用されている。

 また、合衆国憲法上明文化されているわけではないが、連邦議会の重要な権限として「決議」(Resolution)の権限が確立している。この決議は次の3つの種類に分けられる。第一に、「合同決議」と呼ばれるものである。これは上下両院同文からなる決議で、大統領が署名をした場合、あるいは大統領の拒否権行使を両院が出席議員の3分の2以上の賛成で覆した場合に法的効力を持つ。第二に、「共同決議」と呼ばれるものである。これは大統領の署名を必要とせず、したがって法的効力を持たない。第三に、「単独決議」と呼ばれるものである。これは両院が個別に採択するものであり、その効力は決議の中ではもっとも弱いものとされる。

 

.戦争権限法の成立と問題点

 戦争権限法は197311月に成立した。英語表記はWar Powers Resolutionとなっていることからもわかるように、法律としてではなく法的効力のある「合同決議」として成立した。当初、上院7520、下院238123で可決されたものの、当時のニクソン大統領が拒否権を発動したため再度採決にかけられ、上院7518、下院284135で可決された[2]

 戦争権限法成立の背景には、ベトナム戦争の長期化と連邦議会に付与された宣戦布告権の形骸化にあるとされる。アメリカ史上、連邦議会が宣戦布告権を行使したのはわずか6回にすぎない[3]。ベトナム戦争は連邦議会の宣戦布告権が行使されず、大統領によって始められ、泥沼化した戦争であった[4]。戦争権限法は大統領権限の過度の拡大に歯止めをかけ、連邦議会の監視機能を高めることを目的として生まれた。

 戦争権限法の主な内容は以下の通りである[5]。第一に、大統領は戦闘状況、あるいは戦闘に巻き込まれうる状況において可能な限り議会と事前に協議しなければならない。第二に、宣戦布告なく軍隊を投入する場合、またはそのような状況が急迫かつ明白な場合、大統領は48時間以内に下院議長と上院議長代行に対して合衆国軍隊の投入を必要とする状況、投入の根拠となる法的権限、投入される軍隊の規模について報告書を提出しなくてはならない。第三に、報告書が提出されてから60日以内に、大統領は議会が宣戦を布告するか軍隊使用に関する特別権限立法を制定した場合、60日の期限が延長された場合とアメリカに対する武力攻撃の結果、議会の召集が不可能となった場合を除いて、軍隊を撤収しなくてはならない。また大統領が議会に対して、軍隊の早期撤収を行う過程でその継続使用が必要な旨を文書で確認すれば、期限を最大30日まで延長することができる。第四に、以上の規定とは別に合衆国軍隊が投入された場合はいつでも、議会が共同決議を採択すれば大統領は撤収を命じなくてはならない。

 以上から、戦争権限法の成立によって、アメリカの武力行使にあたって連邦議会が無視できない存在となったことがわかる。しかしながら、戦争権限法に対しては様々な問題点が指摘されていることも事実である。ケネディ政権で大統領補佐官を務めたアーサー・シュレジンジャーは、戦争権限法に派兵期限を明示していることで敵に一定期間をもちこたえれば米軍が撤退するという安心感を与える「おもちゃの手錠」となりうると批判した。また、ジョン・カルバー下院議員は、適当な理由をつけて6090日間自由に戦争をすることができる「白紙の小切手」を大統領に与えることになると批判した。

レーガン政権のジョージ・シュルツ国務長官は、そもそも戦争権限法そのものの合憲性に疑問を呈した。第一に、戦争権限法によって、合衆国憲法上の最高司令官としての性格を有する大統領の権限を制約することは三権分立の原則に反するというものである。第二に、法的拘束力のない共同決議によって大統領が撤退命令を出さなければならないという点も問題とされた。

以上のような数々の問題ゆえに、戦争権限法はその成立以来しばしば無視されてきたことも事実である。マヤゲス事件、イラン人質事件では事前協議は行われず事後報告が行われたにすぎない。また、レーガン政権においては戦争権限法が違憲であるという立場からその適用は行われなかった。こうして戦争権限法成立から湾岸戦争にいたるまで200回以上の「宣戦なき戦争」が行われた。

 

おわりに

 冒頭で述べた対イラク攻撃容認決議はこれまで概観してきた戦争権限法に基づくものであり、その要旨は次の通りである[6]。第一に、議会は、イラクに関連する全ての国連安保理決議を厳格に履行させるための大統領の努力を支持する。第二に、イラクの脅威から米国の安全を守り関連する全ての国連安保理決議を履行させるために、必要かつ適切と大統領が判断した場合、大統領は米軍を使う権限を与えられる。第三に、大統領はこの権限の行使に際し、行使の前か、行使後48時間以内に、下院議長と上院議長代行に対し、外交的、平和的手段だけではイラクの脅威から米国の安全を守れず、イラクに関する国連安保理決議の履行も困難と認識するにいたったこと、決議に基づく行動が、米同時多発テロを起こしたテロ組織やテロを支援する国・組織などに対し、米国や他国が取っている行動と矛盾しないことを説明する。第四に、大統領は60日ごとにこの決議に基づいた行動を含む、同決議に関する問題について議会に報告する。

 上述のように戦争権限法成立以後、アメリカは数多くの「宣戦なき戦争」を行ってきた一方で、国際的コンセンサスあるいは国内的コンセンサスが形成しやすい状況においては戦争権限法を適用してきた。逆に言えば、国際的コンセンサスや国内的コンセンサスが形成しにくい状況においては「宣戦なき戦争」、言い換えれば正当性に疑問のある戦争が展開されてきた。

 1991年の湾岸戦争は国際的コンセンサスも国内的コンセンサスも形成され、国際法的な枠組みにおいては武力不行使原則に反するものであり、アメリカ国内の枠組みにおいては戦争権限法のみならず合衆国憲法も適用されるという正しく「教科書通り」の正当性を有する戦争であった。一方で、2003年から現在もなお続くイラク戦争は国際的コンセンサスが不十分とはいえ、戦争権限法に基づき大統領に戦争権限が「授権」されていることを鑑みれば国内的コンセンサスは一応形成されているということができよう。それゆえ、連邦議会においてイラクからの撤退共同決議が可決されない限りでは、少なくとも国内的コンセンサスは担保され、一応の正当性が確保されていると解することができる。

 戦争権限法は単に大統領と連邦議会の戦争権限のチェックス・アンド・バランシスを担保しているのみならず、アメリカの行う戦争の正当性を計るものさしとしても重要な役割を担っているということができる。

 

 

≪主要参考文献≫

 ・石井修、滝田賢治編『現代アメリカ外交キーワード』有斐閣、2003

 ・佐々木卓也編著『戦後アメリカ外交史』有斐閣、2002

 ・松岡完著『ベトナム症候群』中公新書、2003

・花井等、木村卓司著『アメリカの国家安全保障政策』原書房、1996



[1]アメリカ合衆国憲法第二条第二節第一項。実際には、陸海空軍の他に独立軍種である海兵隊および沿岸警備隊、有事においては各州の州兵も含まれる。なお、アメリカ合衆国憲法の日本語訳は在日米国大使館のウェブサイト(http://japan.usembassy.gov/j/amc/tamcj-071.html)に掲載されているものを使用した。

[2]松岡完著『ベトナム症候群』中公新書、2003年、21

[3]アメリカ史上、連邦議会が宣戦布告権を行使したのは米英戦争(1812)、米墨戦争(1846)、米西戦争(1898)、第一次世界大戦(1917)、第二次世界大戦(1941)、湾岸戦争(1991)6回にすぎない。

[4]もっとも、ベトナム戦争がトンキン湾決議(合同決議)によって本格化をしたという事実を鑑みれば、必ずしも大統領によってのみ行われた戦争であったとは言えない。

[5]戦争権限法の主な内容は、川西晶大訳「アメリカ合衆国の戦争権限法」『レファレンス』505号、国立国会図書館調査および立法考査局、2000年および花井等、木村卓司著『アメリカの国家安全保障政策』原書房、1996年を参考にした。

[6]対イラク攻撃容認決議の要旨は『朝日新聞』20021011日付夕刊、20021012日付朝刊、『読売新聞』20021011日付夕刊、20021012日付朝刊によった。