04/01/17 会議室と現場

 「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」とは映画『踊る大捜査線』における主人公の決め台詞である。主人公は「会議室」の中にいる警察官僚たちに反発し、「現場」にいる捜査員たちが正しいと思ったことをできるような体制を求めている。

 たしかに「現場」の捜査員一人一人の正義感を重視することで事件を早期に解決する、あるいは事件を未然に防ぐことも可能になるであろう。その意味では、この主人公の理想はもっともなこととも言える。しかしながら、「現場」を重視することが、すなわち「会議室」を軽視してかまわないということにはならない。「会議室」、すなわち指揮系統における中枢部がなければ現場の捜査員を円滑に指揮・統制することはできない。また、現場の捜査員に「個々人の正義感」という感情的なフリー・ハンドを与えるということで、彼らが不当に権力を行使するという可能性も否定できない。

 現代の警察機構におけるヒエラルヒーの存在は階級差別を目的としたものではない。それは組織の合理的な運営や責任の明確化を目的としている。また、事件発生時の「会議室」は客観的な事実を冷静に分析し、現場の捜査員に対して迅速な指示を出すという機能を有している。

 「現場」にはあらゆる事実が残されていることを考慮すると、事件発生時に「現場」を重視しなければならないのは言うまでもない。前述の通り、事件は「現場」で起きるものである。しかしながら、その解決は「会議室」のみで図られるものでもなければ、「現場」のみで図られるものでもない。事件が「現場」と「会議室」のどちらで解決されるかは重要な問題ではない。事件を早期に解決することこそが重要なのである。

 近年、「官僚主義」というものに批判の矛先が向けられ、「現場主義」があたかも神聖であるかのような風潮が少なからず見られる。しかしながら、存在する意義があるからこそ「会議室」は存在するのである。それゆえ、その存在意義について再考する必要があるのではなかろうか。