02/07/22 ニコラエ・チャウシェスク
ひとりの人間との出会いや、ひとつの歴史的な出来事が自分の人生を大きく変えることがある。クリントン前大統領はジョン・F・ケネディとの出会いが政治家への原点であったというし、現在国際政治を学ぶ学生の多くが湾岸戦争が問題意識の原点であるという。
すでに何度かこのコラムでもふれたとおり、私の問題意識の原点は1989年のルーマニア革命におけるニコラエ・チャウシェスク大統領の処刑にある。チャウシェスク支持の官製集会が熱狂により、反チャウシェスクの集会へと変容し、一連の東欧革命の中で唯一の流血革命へと発展する。チャウシェスク大統領夫妻は逮捕され、銃殺され、その遺体はメディアを通じて世界中にさらされた。当時小学校3年生であった私もこのチャウシェスクの遺体映像を見ている。
このルーマニア革命以外にも、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、ソ連保守派クーデター、ソ連崩壊といった冷戦崩壊過程をテレビを通じて見たため、幼心ながらいかに共産主義が間違った思想であるかということを感じていた。(もっとも実際に間違った思想であると感じるようになったのはわりと最近である)。
このルーマニア革命が、私にとってアカデミック面の重要な位置をしめていることはすでに何度か触れていると思うので、ここでは触れないことにする。今日は私のその他の面でチャウシェスクがいかに「運命的」な存在であるかを述べることとする。
チャウシェスクがアカデミック面の重要な位置を占めていたため、大学での出会いというものが少なからずチャウシェスクに左右されているともいえる。実際に、滝田ゼミに入ったきっかけはチャウシェスクの問題意識にあるといってよい。滝田先生が冷戦史を専攻されていたためこのゼミを選んだ。つまり、ここで得られた友人たちというのは、こじつけがましいようにも思われるがチャウシェスクのおかげである。
チャウシェスクもまさかルーマニアから遠く離れた東洋の小さな島国の一塊の学生に影響を及ぼすとは思っていなかったであろう。しかし、最近私は彼の存在と独裁、そしてその独裁が産み出した流血のルーマニア革命こそが、自分の大切な友人との貴重すぎる出会いのきっかけになっていると思っている。なんともふざけた話のように思えるであろうが、事実である。