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中央公論社版『久保田万太郎全集』全15巻目次

監修:里見とん、高橋誠一郎、小泉信三
題簽:里見とん

INDEX

* 小説(第1巻―第4巻)
* 戯曲(第5巻―第9巻)
* 随筆(第10巻―第13巻)
* 俳句(第14巻)
* 補遺(第15巻)
* 月報

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第1巻:小説1(昭和43年1月25日発行)
※処女作『朝顔』から大正8年『嘆き』までの小説作品40篇

朝顔(「三田文学」明治44年6月)
花火(「スバル」明治44年11月)
挿話[エピソード](「朱欒」明治44年11月)
お米と十吉(「新小説」明治45年1月)
「はつ夏」(「三田文学」明治45年6月)
なりゆき(「新小説」大正元年8月)
川波(「新潮」大正元年11月)
おえいさんの事(「三田文学」大正元年12月)
帰国(大阪「朝日新聞」大正2年5月)
つる代(「今様」大正2年5月)
ふゆぞら(「三田文学」大正2年9月)
わかるゝとき(「新小説」大正2年9月)
盆まへ(「文章世界」大正2年11月)
一とまく(「処女」大正2年11月)
たびがらす(「太陽」大正3年1月)
春の雪(「我等」大正3年1月)
とらんぷ(「読売新聞」大正3年4月)
阿久さんの疲労(「三田文学」大正3年10月)
(東京「朝日新聞」大正3年10月)
小藤の一周忌(「新小説」大正3年11月)
藍蝋屋の路次(「中央公論」大正3年12月)
燈火(「新小説」大正4年4月)
今戸橋(「中央公論」大正4年4月)
おきよ(「少女の友」大正4年6月)
半日(「三田文学」大正4年7月)
三の切(「三田文学」大正4年10月)
蟲の音(「文章世界」大正5年2月)
春ふる雪(「文芸倶楽部」大正5年6月)
夏萩(「三田文学」大正5年7月)
さゞめ雪(「新小説」大正5年8月)
Nの手紙(「文芸倶楽部」大正6年1月)
冬至(「三田文学」大正6年2月)
(「日本少年」大正6年3月)
末枯(「新小説」大正6年8月)
続末枯(「三田文学」大正7年3、4、8、11月)
妹におくる(前半を『藤と睡蓮』として「三田文学」大正6年10、12月に発表、「文章世界」大正8年4月にその後半とともに発表)
きのふのこと(大阪「毎日新聞」大正6年10月)
浮ぶ瀬(「三田文学」大正7年1月)
十六夜(「三田文学」大正7年9月)
歎き(「三田文学」大正8年2月より4月)


あとがき(山本健吉)



*

第2巻:小説2(昭和43年4月25日)
※大正8年11月から昭和3年6月に至る小説作品33篇

九月〔カヤ〕(「人間」大正8年11月【創刊号】)
続九月〔カヤ〕(「婦人画報」大正9年8月に『月かげ』として発表)
菜の花(「三田文学」大正9年6月)
縁きり(「改造」大正9年11月)
露芝(「東京日日新聞」大正10年5月10日より7月3日まで)
立見(「三田文学」大正11年1月)
入院(「新潮」大正11年5月)
夕日(「新小説」大正11年10月)
握手(「婦人公論」大正12年1月)
三人(「サンデー毎日」大正12年1月1日号【一周年記念】)
火事の記憶(「新小説」大正12年1、2月)
鎌倉にて(「サンデー毎日」大正12年4月1日号)
くづれやな(「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」大正12年2月14日より4月12日まで/「毎日新聞」では4月14日まで)
弟子(「新潮」大正12年9月)
ふるさとびと(「随筆」大正13年1月)
みぞれ(「婦人公論」大正13年2月)
子供芝居(「改造」大正13年2月)
妻子(「女性」大正13年4月)
(「随筆」大正13年5、6、8、9月)
わかれ(「女性」大正13年8月)
(「婦人公論」大正13年9月)
三十年(「新潮」大正14年1月)
寂しければ(「中央公論」大正13年9、11、12月、同14年2、6、8月)
新月(「苦楽」大正14年4月より7月まで)
無縁(「婦人公論」大正14年7月)
彼についてのおもひで(「中央公論」大正14年12月)
身一つ(「新潮」大正15年1月)
おみち(「中央公論」大正15年6月)
おみち後日(「中央公論」大正15年8月)
(「文芸春秋」大正15年9月)
遁亡(「苦楽」昭和2年6月)
春泥(「大阪毎日新聞」昭和3年1月5日より4月4日まで)
いのち(「中央公論」昭和3年6月)


あとがき(山本健吉)



*

第3巻:小説3(昭和42年8月25日)
※昭和3年から昭和23年までの31篇

山茶花(「時事新報」昭和4年1、3、4、6、7、8月)
身の末(「改造」昭和5年3、4月)
あしかび(「オール読物」昭和7年1月より4月まで)
月あかり(「週刊朝日」昭和8年9月秋季特別号)
町中(「都新聞」昭和8年8月31日より10月20日まで)
尾花(「中央公論」昭和8年12月)
千人力(「中外商業新報」昭和8年12月4日)
彼岸ざくら(「オール読物」昭和9年4月)
余白(「文芸春秋」昭和10年1月)
東海道(「中央公論」昭和10年10月五十周年記念特大号)
「町」の子供たち(「改造」昭和10年12月)
青葉木莵(「中央公論」昭和11年7月)
花冷え(「中央公論」昭和13年6月)
Le petit four(「改造」昭和14年11月)
いのちなりけり(昭和14年12月執筆・発表誌未詳)
七月二十四日(「オール読物」昭和15年9月)
加勢(「公論」昭和15年9月)
靄のふかい晩(「中央公論」昭和16年1月)
とある話(「日本評論」昭和16年3月)
よこぐも(「モダン日本」昭和16年9、10月)
(「改造」昭和17年1月、「旬刊サンニュース」昭和23年7月15日号で補筆)
樹蔭(「都新聞」昭和19年6月28日より9月9日まで)
子役と雪(「新太陽」昭和20年1月)
霜しづく(「文芸春秋 別冊1」昭和21年2月)
雲のない空(「新生」昭和21年5月・未刊)
猫の目(「改造」昭和21年7月)
めぐりあひ(「苦楽」昭和21年11月・原題『秋の日』)
誓ひ(「サンデー毎日」昭和22年4月特別号)
八日間(「文体」昭和22年12月復刊第1号)
春ゆく雨(「日本小説」昭和23年8月)
夜気 (「苦楽」昭和23年7月・8月合併号)


あとがき(丸岡明)



*

第4巻:小説4(昭和42年4月15日発行)
※昭和23年から昭和35年までの33篇。好学社版全集以後の小説作品を収録。

すずめいろどき(「週刊サンニュース」昭和23年7月25日、8月5日、8月15日)
市井人(「改造」昭和24年7、9月)
うしろかげ(「改造文芸」昭和25年1月から5月まで)
モデルと作者(「別冊文芸春秋」昭和25年8、10月)
一トひらぐも(「新潮」昭和25年9月)
柴又(「中央公論」昭和25年10月)
明治四十二年(「中央公論」昭和26年5月)
さざんくわ(「文芸春秋」昭和27年1月)
人と人の…(「新潮」昭和27年1月)
いきのこり(「オール読物」昭和27年4月)
画帖(「別冊文芸春秋」昭和27年6月)
つゆけさに(「中央公論」昭和27年10月秋季文芸特集号)
鴎外よりも…(「新潮」昭和27年10月の『同じからず』を改筆し、「新潮」昭和28年2月に発表)
答案(「別冊文芸春秋」昭和27年12月)
休憩三十分(「別冊文芸春秋」昭和28年8月)
われおもしろのわれをかし・序説(「新潮」昭和29年1月)
他人のはなし(「別冊文芸春秋」昭和29年7月)
青くひかる海(「中央公論」昭和30年4月)
ゑくぼもあばた(「新潮」昭和30年4月)
…ゑひもせす、ん(「中央公論」昭和30年11月)
三の酉(「中央公論」昭和31年1月)
喜劇役者の憤り(「新潮」昭和31年1月)
しのび泣き(「中央公論」昭和31年6月)
ひとつばなし(「別冊文芸春秋」昭和31年6月)
雨つづき(「別冊文芸春秋」昭和31年10月)
火事息子(「オール読物」昭和31年10月より32年2月まで)
颱風(「中央公論」昭和32年4月)
むかしの仲間(「別冊サンデー毎日」昭和32年4・8月、33年6・10月、34年5月)
遠いなづま(「別冊文芸春秋」昭和33年8月)
岩吉(「中央公論」昭和33年8月)
三十一番末吉(「声」昭和34年2月)
(「中央公論」昭和35年1月)
きのふの今日 (「中央公論」昭和35年11月)


あとがき(丸岡明)



*

第5巻:戯曲1(昭和42年9月25日発行)
※明治44年から大正15年7月まで

遊戯(「三田文学」明治44年7月)
Prologue(「太陽」明治44年7月に「干野菊次郎」の筆名で1を、「三田文学」明治44年10月に本名で2を『陰影』として発表)
暮れがた(「スバル」明治45年1月)
(「太陽」明治45年5月)
水のおもて(「三田文学」大正2年3月)
(「新潮」大正2年10月)
宵の空(「中央公論」大正3年8月)
花の空(「三田文学」大正4年1月)
彼のみたもの(「三田文学」大正4年1・4月)
ひとりむし(「演芸画報」大正6年3月)
画面(「三田文学」大正7年2月)
祭の出来事(大正8年6月・新富座公演のため書き下ろし)
雨空(「人間」大正9年6月)
四月尽(「中央公論」大正10年9月400号記念号)
心ごころ(「中央公論」大正11年1月に『心ごゝろ』としてその1とその2、「文芸春秋」大正14年10月にその3を『続心ごゝろ』として)
(「新潮」大正12年1月にその1、改補してその2とその3とともに「新潮」大正15年3月)
あぶらでり(「改造」大正12年9月に第1幕を『鼠尾草』として。改補して「改造」大正14年9月に第2幕と第3幕とともに『あぶらでり』)
不幸(「演劇新潮」大正13年4・5月合併号)
短夜(「中央公論」大正14年1月)
露深く(「中央公論」大正14年4月)
月夜(「中央公論」大正14年9月)
旧友(「中央公論」大正15年1月)
通り雨(「中央公論」大正15年4月)
招待券(「演劇・映画」大正15年7月)


あとがき(阿木翁助)



*

第6巻:戯曲2(昭和42年11月25日)
※大正15年9月から昭和11年まで

ありそうみ(「中央公論」大正15年9月)
秋の夜<(「演劇新潮」大正15年10月)
夜鴉(「中央公論」昭和2年1月)
大寺学校(「女性」昭和2年1・2・4・5月)
おその(「文芸春秋」昭和2年3・6月)
燈下(「中央公論」昭和2年4月)
十三夜(「三田文学」昭和2年6月)
冬ざれ(「女性」昭和2年11月)
房吉(「文芸春秋」に第1幕を昭和3年1月、改補して全篇を同年11月)
片絲(「改造」昭和3年6月)
一周忌(「中央公論」昭和3年9月)
ゆく年(「新潮」昭和4年4・6月)
弥太五郎源七(「改造」昭和4年9月)
みをつくし(「中央公論」昭和5年1月にその2までを、以下を「文芸春秋」同年4月に『おさきの死んだ後』として)
(「祖国」昭和5年7月)
夜長(「文芸春秋」昭和5年9月)
かどで(「文芸春秋」昭和6年4月より6月まで)
補助椅子(「文芸春秋」昭和8年4月)
好晴(「中央公論」昭和9年9月)
釣堀にて(「改造」昭和10年1月)
(「中央公論」昭和10年5月、改補して「改造」昭和12年7月)
ふりだした雪 (「文芸春秋」昭和11年4月、新派50周年記念歌舞伎座公演の際改補)


あとがき(阿木翁助)



*

第7巻:戯曲3(昭和42年5月25日発行)
※昭和12年から昭和37年まで

はくじゃうもの(「中央公論」昭和12年2月)
波しぶき(「中央公論」昭和14年8月に『三人』第1部「一トしぐれ」として。改補して「八雲第2集」昭和18年6月に『波しぶき』)
カァル・ブッセ(「改造」昭和15年4月)
(「文芸春秋」昭和15年8月)
萩すゝき(「知性」昭和16年1月)
砂の上(「日本評論」昭和16年10月)
町の音(「中央公論」昭和17年8月)
雁とつばめ(昭和18年3月、前進座明治座公演に際しての書下ろし)
浅茅生(「新潮」昭和18年5月)
月の下(昭和19年10月、小山書店刊『文学新集3 月の下』のため書下し)
霙ふる(「日本演劇」昭和20年8・9月合併号)
あきくさばなし(「人間」昭和21年3・4・6月に連載。昭和22年4月、小山書店『文学新集7 あきくさばなし』のため書下し)
くさまくら(昭和22年9月、菊五郎劇団有楽座10月興行のため書下し。改補して「光」昭和23年1月)
(「心」昭和24年4月に『祝宴』として。改補して「改造」昭和26年1月に『それから――その1』として発表。さらに改補して「文学界」昭和28年12月に『鴎』と改題)
伯父と甥(「心」昭和26年1月)
(昭和29年5月、NHK の依頼によりラジオドラマ台本として書下し。「新潮」昭和29年8月に『一家』と改題。好学社『雪の音』に収録の際に原題に戻す)
雪の音(昭和29年12月、NHK の依頼によりラジオドラマ台本として『あらたまの年のはじめに』と題して書下し。改補して「新潮」昭和30年3月に発表の際に『雪の音』と改題)
火事息子(昭和36年2月、小説『火事息子』の戯曲として書き直し、翌37年3月に新橋演舞場にて新派により初演。「心」昭和37年6月より8月まで連載)
遅ざくら (昭和37年5月、新派新橋演舞場公演のための書下し。「心」昭和37年7月)


あとがき(大江良太郎)



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第8巻:戯曲4(昭和42年12月25日発行)
※昭和28年までの脚色戯曲19篇を収録。

梅堀の場【並木五瓶原作『隅田春妓女容性』第3幕】(「演劇新潮」大正14年5月)
辰巳婦言【式亭三馬原作】(「女性」大正15年10月)
わかれ道【樋口一葉原作】(「祖国」昭和4年3月、改補して「日本演劇」昭和23年4月)
十三夜【樋口一葉原作】(昭和4年12月、ラジオドラマとして「三田文学」に。改補して「日本演劇」昭和22年9月)
鵙屋春琴【谷崎潤一郎原作『春琴抄』】(昭和9年6月、『春琴抄』としてその1を「文芸」に。昭和10年6月、『鵙屋春琴』としてその3まで。さらに同年9月、『鵙屋春琴後日』としてその4を「三田文学」に)
東京のゆくへ【瀬戸英一原作】(昭和13年10月、新生新派明治座公演のための書下し)
歌行燈【泉鏡花原作】(「日本評論」昭和15年4月・15周年記念号)
鶴亀【里見とん原作】(「三田文学」昭和15年3月)
蘆刈【谷崎潤一郎原作】(「春泥」昭和15年6月)
墓参【里見とん原作】(「三田文学」昭和15年9月)
銀座復興【水上瀧太郎原作】(「三田文学」昭和19年4・5月合併号、10・11月合併号)
或る女【有島武郎原作】(「苦楽」昭和21年12月)
蘆刈【谷崎潤一郎原作】(「明星」昭和22年7月)
お艶殺し【谷崎潤一郎原作】(昭和24年10月、若手歌舞伎新橋演舞場公演のための書下し)
大つごもり【樋口一葉原作】(昭和25年1月、新派新橋演舞場公演のための書下し)
辰巳巷談【泉鏡花原作】(昭和25年7月、新派新橋演舞場公演のための書下し)
おりき【樋口一葉原作『にごりえ』】(「中央公論」昭和26年6月)
千羽鶴【川端康成原作】(昭和27年8月、新派歌舞伎座公演のための書下し。「心」昭和27年11、12月号)
あぢさゐ 【永井荷風原作】(昭和28年5月、新派新橋演舞場公演のための書下し)


あとがき(吉川義雄)



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第9巻:戯曲5(昭和43年2月24日発行)
※昭和29年から35年までの脚色戯曲6篇。映画脚本のための構成2篇。ラジオ・テレビのための作品7篇。童話劇16篇。

逢坂の辻【泉鏡花原作『南地心中』】(昭和29年2月、新派新橋演舞場公演のための書下し)
浅瀬の波【広津柳浪原作】(昭和29年9月、新派新橋演舞場公演のための書下し)
註文帳【泉鏡花原作】(「心」昭和30年7、8月)
井筒屋のお柳【泉鏡花原作『恋女房』】(昭和32年6、新派新橋演舞場公演のための書下し)
おはん【宇野千代原作】(昭和32年6月、吉右衛門劇団歌舞伎座公演のための書下し)
夢の女【永井荷風原作】(昭和35年10月、新派新橋演舞場公演のための書下し)

小諸なる古城のほとり(【島崎藤村作品より】「モダン日本」昭和17年10月に映画のための構成として発表)
葛飾土産【永井荷風作品より】(「中央公論」昭和28年7月夏季臨時増刊号に映画のための構成として発表)

浮世床小景(昭和2年9月、日本放送協会ラジオドラマ台本として書下し。「中央公論」同年10月号に発表)
りよと九郎右衛門(昭和20年8月、日本放送協会ラジオドラマ台本として書下し)
さて、そのあくる日……(昭和30年11月、日本放送協会テレビドラマ台本として書下し)
宵宮のはやし(昭和32年7月、日本放送協会ラジオドラマ台本として書下し)
袖たもと(昭和32年11月、日本テレビのテレビドラマ台本として書下し)
しどもなや(昭和34年12月、日本教育テレビのテレビドラマ台本として書下し。改補して「オール読物」昭和35年6月に発表)
元日抄(昭和36年1月、日本放送協会ラジオドラマ台本として書下し)

ふくろと子供(「赤い鳥」大正9年4、5月)
一に十二をかけるのと十二に一をかけるのと(「赤い鳥」大正9年7月)
ロビンのおぢいさま(「赤い鳥」大正9年12月、10年1月)
グリュック物語(「赤い鳥」大正10年4、5月)
眠りの砂(執筆年月、発表誌未詳)
春のおとずれ(「赤い鳥」大正10年9、10月)
ミルクメイドの踊(「赤い鳥」大正11年5、6月)
おもちやの裁判(執筆年月、発表誌未詳)
をんどりとめんどり(執筆年月、発表誌未詳)
小英雄(執筆年月、発表誌未詳)
三つのなぞ(「赤い鳥」大正12年3月)
かうして豆は煮えました(「赤い鳥」大正13年1月)
対話三つ(「赤い鳥」大正13年9、11月、14年1月)
「北風」のくれたテーブルかけ(「赤い鳥」大正14年10月より15年1月まで)
雨の降る日は悪いお天気(「赤い鳥」昭和6年1月より4月まで)
小野道風の蛙(昭和15年9月、日本放送協会ラジオドラマ台本として書下し)


あとがき(吉川義雄)



*

第10巻:随筆1(昭和42年10月25日)
※浅草に関する文章。紀行文。大正の終りまでの随筆

雷門以北

(「東京日日新聞夕刊」昭和2年6月30日より7月16日まで、「三田文学」昭和2年10月より12月まで)

吉原附近(「中央公論」昭和4年2月、原題「吉原今昔(一)」)
続吉原附近(「中央公論」昭和4年3月、原題「吉原今昔(二)」)

隅田川両岸 (「中央公論」昭和10年9月)

浅草田原町(「三田文学」明治45年2月、改補して「改造」大正13年1月)
あやめ団子(「花形」大正9年6月執筆)
相模屋の路次・浅倉屋の路次(「新演芸」大正9年8月)
浅草の喰べもの(「中央公論」大正9年7月夏期特別号)

夏と町々 (「時事新報」昭和4年6月1日より30日まで)

絵空事(「新潮」昭和7年3月)
一年(「東京新聞」昭和21年4月15日)

浅草よ、しづかに眠れ (「苦楽」昭和23年2月)

夜店ばなし(「婦人公論」昭和6年7月)
除夜(「週刊朝日」昭和5年12月28日号)
正月(「婦人公論」昭和7年1月)
水の匂(「文芸春秋」昭和16年7月)
らっぱぶし(発表誌未詳、昭和14年10月執筆)
さのさぶし(発表誌未詳)

町々……人々…… (「別冊文芸春秋」昭和30年2月より6月まで)



東京……北海道……青森(「東京日日新聞」昭和11年9月15日より23日まで)
北海道ゆき追記(「東京日日新聞」昭和11年10月14日より17日まで)
満洲日録抄(「中央公論」昭和17年7月)

上海書留 (「東京新聞」昭和19年1月28日より30日まで)

雲の夏(「別冊文芸春秋」昭和26年9月)
オスロまでの百余時間(「中央公論」昭和26年8月)
オスロ(「中央公論」昭和26年10、11月)
にはかへんろ記(「別冊文芸春秋」昭和28年6月)
日本海の波(「別冊文芸春秋」昭和29年2月)
真菰の中(「別冊文芸春秋」昭和29年8月)



盆まへの四五日(「文章世界」大正4年8月)
新年(発表誌未詳、大正5年1月)
「さゞめ雪」を書いたとき(「読売新聞日曜付録版」大正5年8月13日)
独身会のおもいで(発表誌未詳、大正5年11月)
三遊亭金馬一行(「三田文学」大正6年4月)
四月の日記(発表誌未詳、大正6年4月)
六月一日(「三田文学」大正6年8月)
覚えがき(「三田文学」大正6年12月)
大阪行(「新小説」大正7年7月)
自動車。活動写真。カフェェ。(「中央公論」大正7年9月)
七月の日記(「新潮」大正8年8月)
夏のおもひで(文久社出版部編『夜の東京』大正8年9月)
彼岸まへの四五日(「新家庭」大正9年11月)
末枯(「文章倶楽部」大正10年4、5月)
喜多村におくる
枯野(「新潮」大正13年1月)
一年(「サンデー毎日」大正12年12月)
元日(「随筆」大正13年3月、「日暮里にて」の一部として発表)
初荷(「随筆」大正13年3月、「日暮里にて」の一部として発表)
原稿用紙(「随筆」大正13年3月、「日暮里にて」の一部として発表)
つみ木(「随筆」大正13年3月、「日暮里にて」の一部として発表)
川崎屋 (「都新聞」大正13年1月17、18日)
『学童日誌』と『小公子』と『一葉全集』と(「都新聞」大正13年1月19日、22日)
大門(「文芸春秋」大正13年3月)
筑波(「新小説」大正13年3月執筆)
日曜(発表誌未詳、大正13年3月執筆)
夏目先生についてのおもひで(「新小説」大正13年5月)
おとゝしの年尾(「新潮」大正13年5月)
春深く(「都新聞」大正13年5月2、3、6、7日)
夏かげ(「新小説」大正13年8月)
明治四十四五年(「改造」大正13年9月)
十一月(「中央公論」大正13年12月)

水上瀧太郎君と泉鏡花先生 (「中央公論」大正14年2月)

幸福感(発表誌未詳、大正14年5月執筆)
寄席(「都新聞」大正14年10月19日より22日まで)
大阪にて(「文芸春秋」大正15年5月)
橋の上にて(「都新聞」大正15年5月25日)
遠足(「都新聞」大正15年5月26日より29日まで)
秋のこゝろ(「都新聞」大正15年9月22日より28日まで)

「夢」その他 (「人間」大正10年9、10月その他に発表)

「つゝじ」その他 (「三田文学」大正15年6、7、10、11、12月)

半生(発表誌未詳、大正2年11月執筆)
五月(発表誌未詳、大正3年5月執筆)
「三太郎ぶし」と時雨と(「三田文学」大正5年12月)
明治四十年の日記(「太平楽」大正6年7月)
二幕目のあくときから四幕目の切れるときまで(「太平楽」大正6年9月)
いろいろのこと(「人間」大正9年7月、未刊)
かくひどり(「三田文学」大正9年8月)

「立見」その他 (「文芸春秋」大正13年4月)

緑の野へ(「改造」大正13年8月)
初対面の日(「新潮」大正13年9月)
マイクロホンのまへで(「中央公論」大正14年10月)
語を寄す「渚」の作者(「新潮」大正15年5月)
思ひつくまゝ (「新潮」大正15年5月)


あとがき(戸板康二)



*

第11巻:随筆2(昭和43年3月25日)
※樋口一葉に関する論考。寄席・落語・講談についての文章。昭和年代に執筆の随筆

一葉とその大音寺前時代(新潮社版『日本文学講座』第13巻、昭和3年7月)
和風家の内に吹くこそさてもはかなき(「文藝春秋」昭和5年2月)
「たけくらべ」について(「春泥」昭和5年6月)
「闇桜」を書くまでの一葉(「婦人サロン」昭和6年1月より4月まで)
「たけくらべ」を語る(「婦人公論」昭和7年2月)
「樋口一葉全集」後記(新世社版『樋口一葉全集』第2 巻著者解題、昭和16年5月)
一葉の日記(創元社版『樋口一葉作品集』第2巻解説、昭和26年10月)



病馬楽(「時事新報」大正4年2月)
寄席のこと二三(「鈴の音」大正10年32月)
小せんのはがき(「新演芸」大正12年9月)

日記より (「新演芸」大正13年1月、2月)

『岸柳島』その他(昭和3年6月執筆、初出誌未詳)
円朝と伯円(改造社版『日本文学講座』第14巻、昭和8年10月)
小勝を弔ふ(「東京朝日新聞」昭和14年5月26日)
小さんとの対談(「改造」昭和16年10月)
落語及び落語家(「放送文化」における座談会速記、昭和22年11月)
桂三木助(「東京落語会」パンフレット、昭和34年7月)
しかも、たまたま、陽春四月(「三越名人会」パンフレット、昭和33年4月)
東京落語会(「東京落語会」パンフレット、昭和34年7月)
"寄席" といふもの(「東京落語会」パンフレット、昭和35年3月)
"お見立" の在りかた(「東京落語会」パンフレット、昭和36年1月)
百回を迎えた "三越落語会"(「三越落語会」パンフレット、昭和36年7月)
"三人旅" について(昭和36年9月執筆、発表誌未詳)
落語家について(「東京落語会」パンフレット、昭和36年11月)
「雪七題」について(「三越名人会」パンフレット、昭和37年2月)
"三越名人会" 百五十回をむかへて(「三越名人会」パンフレット、昭和37年9月)
"芸術祭" 参加(「東京落語会」パンフレット、昭和37年11月)



上田敏先生(「三田文学」大正5年9月)
ある日の手紙(「読売新聞」大正6年3月11日)

『泥七宝』その他 (「人間」大正10年9、10月)

十二階(「時事新報」大正12年9月29、30日)
甘いもの丶話(「スヰート」昭和2年4月より6月まで)
芥川君(「文藝春秋」昭和2年9月)
「雷門以北」後記(「三田文学」昭和2年10月から12月まで)
かれは(「新潮」昭和3年1月)
手びかへ(岩波書店版『芥川龍之介全集』月報、昭和3年)
わたしとしては(「三田文学」昭和3年4月)
鎌田栄吉先生(「新潮」昭和3年11月)
春老ゆ(昭和4年4月執筆、発表誌未詳)
アイスクリーム(「スヰート」昭和4年5月)
明治四十五年以来(「新潮」昭和4年9月)
かたみ(「春泥」昭和5年3月)
短信(「春泥」昭和5年4月)
広告(「春泥」昭和5年5月)
大阪でした話(「春泥」昭和5年9月)
日本語(昭和6年1月執筆、発表誌未詳)
ステッキ(昭和6年1月執筆、発表誌未詳)
(「若草」昭和6年3月)
とけない雪(「時事新報」昭和6年2月22日より27日まで)
あるホテルにて(「東京朝日新聞」昭和6年7月7日より9日まで)

夏それぞれ (「中央公論」昭和6年8月)

糠雨(「古東多万」昭和6年9月創刊号)
じんぎすかん料理(「報知新聞」昭和6年8月25日より31日まで)
秋来る(「大阪朝日新聞」昭和6年9月3日)
放送局へ入ってから(「東京日日新聞」昭和6年10月16、17、19、22日)

飲友達
  1. 水上瀧太郎君
  2. 泉鏡花先生
  3. 里見とん君
  4. 喜多村緑郎君
  5. 関口次郎君
  6. 牧野信一君
  7. 瀬戸英一君
(「都新聞」昭和6年11月19日より25日まで)

年末(「読売新聞」昭和6年12月27、29、30日)
新しい年は……(花柳章太郎著『水中花』序、春泥社・昭和6年8月)
「根津権現裏」の作者(「読売新聞」昭和7年2月3、6、7日)
初鰹(「婦人サロン」昭和7年5月)
角力(「東京朝日新聞」昭和7年6月8日より11日まで)
手束弓紀の関守がかたくなに(「オール読物」昭和9年1月)
若葉どき(「サンデー毎日」昭和9年6月15日号)

「小唄ぶり」その他 (昭和9年5月より同10年3月にかけて執筆、発表誌未詳)

大晦日年々(「中央公論」昭和9年12月)
広告(「モダン日本」昭和10年1月)
おもひで(「婦人公論」昭和10年3月)
あさぎまく(昭和10年4月執筆、発表誌未詳)
わが工房(「婦人公論」昭和10年6月)
袴のはなし(「新装」昭和10年12月)
可愛想な彼女(「婦人公論」昭和11年1月)
引越しのこと(「時事新報」昭和11年1月5、7日)
暖炉しきりに燃ゆ(「改造」昭和11年4月)
牧野の自殺(「東京日日新聞」昭和11年3月26日より28日まで)
盂蘭盆(「新装」昭和11年7月)
(「東京日日新聞」昭和11年8月31日、9月1日より3日まで)
味の自由(「スヰート」昭和12年3月)
淵は瀬に(「中央公論」昭和13年1月)
二十三のとき書いた戯曲(「改造」昭和13年4月・二十周年記念号)
環境(「うしほ」第1集、昭和13年4月)
芥子の季節(「東京日日新聞」昭和13年6月23日より25日まで)
ふたりの苦手(「東京日日新聞」昭和13年7月18日)
「引札」のはなし(昭和13年11月執筆、発表誌未詳)
夕靄(「改造」昭和14年1月)
とある五六時間(「サンデー毎日」昭和14年4月20日号)
「吉井勇論」を書く代りに(「短歌研究」昭和14年6月)
再び吉井さんへ(「短歌研究」昭和14年9月)
これやこの(一)(「中央公論」昭和14年7月)
九月七日(「東京日日新聞」昭和14年9月8日)
下六番町の先生(「中央公論」昭和14年10月)

「自分」その他 (「モダン日本」その他に発表、昭和14年10月より17年3月にかけて)

露寒の記(「日本評論」昭和14年12月)

これやこの(二) (昭和14年12月執筆、発表誌未詳)

一二行乃至六七行 (「モダン日本」昭和15年1月)

かなしきかな(『三遊亭円朝追悼帖』、昭和15年1月執筆)

もみぢの賀 (「図書」泉鏡花号、昭和15年3月)

水上瀧太郎氏(岩波書店版『鏡花全集』第5巻月報、昭和15年4月)

阿部さん素描 (「三田文学」臨時増刊号・水上瀧太郎追悼号、昭和15年5月)

切子燈籠(「春泥」昭和15年8月)
小村さん(「オール読物」昭和15年12月)
小諸(「都新聞」昭和16年1月7日より9日まで)

これやこの(三) (昭和16年1月執筆、発表誌未詳)

梅咲く(「婦人公論」昭和16年3月)
Waffle(「スヰート」昭和16年4月)
「山の手の子」その他(岩波書店版『水上瀧太郎全集』第1・10巻月報、昭和16年3・4月)
幸田先生と島崎先生(「日本評論」昭和16年6月)
机の記(昭和16年5月執筆、「婦人公論」大正14年9月を改補)
わが師わが友(「婦人公論」昭和17年8月)
きん稲(岩波書店版『鏡花全集』第28巻月報、昭和17年11月)
伊豆(「東京新聞」昭和18年1月12日より14日まで)
無言(「婦人公論」昭和18年9月)
本多さん(昭和20年12月執筆、発表誌未詳)
二度あることは三度目のこと(「オール読物」昭和21年2月)
ある年の七月二十四日に(昭和21年7月執筆、発表誌未詳)
大仁にて(「苦楽」昭和22年1月)
草の匂(「花」第1集、昭和22年3月)
コトバのいのち(「文芸往来」昭和24年4月)
還暦反逆(「東京新聞」昭和24年11月26日より28日まで)
四枚とそして半畳一枚(「文藝春秋」昭和25年1月)
"去年の日記" より(「三田文学」昭和25年5月)
柳の芽(「別冊文藝春秋」昭和26年3月)
MAISON KONOSU(「文藝」昭和27年7月)
あんばらんす(「文藝春秋」昭和27年10月)
佐藤さん(新潮社『佐藤義亮伝』昭和28年8月)
身のまわり(「新潮」昭和29年3月)
川波・冬など(「新潮」昭和30年4月・創刊600号記念号)
鎌倉に家をもつ(「新潮」昭和30年8月)
心残りの記(「文藝春秋」昭和32年7月より9日まで)
ふたりの会葬者(「中央公論」昭和34年7月)
奴パン(猿之助横町顕碑会パンフレット「猿之助横町之碑由来」、昭和36年3月)
笹沼さん(中央公論事業出版『撫山翁しのぶ草』昭和38年5月)
喰べもののはなし (「奥様手帖」昭和38年6月)


あとがき(戸板康二)



*

第12巻:随筆3(昭和43年5月25日)
※「随筆1・2」に収めなかった短い随想。第13巻所収分に先行する明治44年から大正8年までの30数篇の演劇随筆

雑記(「三田文学」昭和3年8月より12月、4年1、2、3、5月に連載)

かまくら雑記
(「劇場」昭和21年1月)
(「劇場」昭和21年2月)
(「劇場」昭和21年3月)
(「劇場」昭和21年6月)
(「劇場」昭和21年7・8月合併号、但し「盆の月」のみ発表誌未詳)
(以上、発表誌未詳)

なみうちぎは
(「文学界」昭和24年5月)
(「心」昭和24年7月)
(「心」昭和25年1月)
(「心」昭和24年7月)

よしやわざくれ (「文芸」昭和25年1月より6月まで)

雑談抄 (以上、青蛙房版『よしやわざくれ』に初収録)

月々の記
切抜帖より (以上、筑摩書房『心残りの記』に収録)

切抜帖


『寂しき人々』の舞台稽古(「三田文学」明治44年12月)
宮戸座と真砂座(「演芸画報」大正元年10月)
芝居問答(「演芸画報」大正2年2月)
七月の歌舞伎座(「演芸倶楽部」大正2年8月)
永井先生へ(「三田文学」大正2年10月)
亜米利加の水上君へ(「三田文学」大正2年11月)

演劇月評 (「三田文学」大正3年1月、3月より12月、4年3月)


『安政奇聞佃夜嵐』の初日(「演芸画報」大正3年10月)
大正三年十一月の劇壇(「演芸画報」大正4年1月)
『三人吉三廓初買』(「三田文学」大正4年2月)
『お染久松色読販』(「三田文学」大正4年3月)
小まんが書く文(「三田文学」大正4年6月)
『荒木又右衛門』と『切られお富』(「演芸倶楽部」大正4年8月)
大正四年八月の劇壇(「演芸画報」大正5年1月)
四代目仲蔵(「演芸画報」大正5年3月)
『雪夕夜入谷畦道』(「演芸画報」大正5年4月)
貴族のようなこの若い役者(「演芸画報」大正5年5月)
井上正夫におくる手紙(「新演芸」大正5年5月)
覚えてゐること(「演芸画報」大正5年7月)
源之助について(「演芸画報」大正5年10月)
土左衛門伝吉について(大正5年11月執筆、古劇研究会『世話狂言の研究』大正7年11月刊に収録)
沖の鴎(「演芸画報」大正6年1月)
明治座から帰って(「読売新聞」大正6年4月28日、5月1、3日)
水上瀧太郎氏へ(「三田文学」大正6年5月)
『滝の白糸』の初日(「三田文学」大正6年9月)
沢村源之助(「演芸画報」大正7年2月)
歌舞伎座の『にごり江』(「三田文学」大正7年7、8月)
『新訳霜夜鐘十字辻筮』(「新演芸」大正8年1月)
「真実」の前に(「新演芸」大正8年2月)
『二つの死』のこと(大正8年2月執筆、発表誌未詳)
京都より(「新演芸」大正8年5月)
『酒中日記』の井上正夫(「新演芸」大正8年6月)
いまは亡き菊次郎のこと(「演芸画報」大正8年10月)
菊五郎の女房(「新演芸」大正8年10月)
新派の芝居をどうするか(「新演芸」大正9年1月)
芝居のこと(「時事新報」大正9年2月22、24、25、27日)
『玉匣両浦島』のこと(「三田文学」大正11年8月)
東谷徳松君を悼む(「新演芸」大正13年3月)
芽生座への注文(「芽生」大正14年5月)
若手俳優諸君へ(「演芸画報」昭和3年5月)
かれ(「演劇新派」創刊号、昭和8年9月)
『弥太五郎源七』の作者として(「演劇新派」昭和11年8月)
さゝやかな訥升論(「演芸画報」昭和11年11月)
大東鬼城のいいところ(「演劇新派」昭和13年3月)
文学座の仕事(「演芸画報」昭和14年1月)
劇文学部会について(昭和18年度版『文芸年鑑』)
"銀座復興" について(「三田文学」昭和19年4・5月合併号)
曽我廼家弁天君への手紙(「演劇界」昭和20年2月)
神西さん "ワーニヤ伯父さん" に寄す(昭和27年3月執筆、発表誌未詳)
演劇への固い操守(昭和29年3月12日、日本放送教会 "雪だるまの幻想" 放送前の挨拶 )
七代目坂東三津五郎(昭和30年4月執筆、発表誌未詳)
勇気・愛・理解 (「毎日新聞」昭和33年2月17日)


あとがき(戸板康二)



*

第13巻:随筆4(昭和42年7月25日発行)
※大正9年以後、昭和37年までの、演劇に関する文章

岡鬼太郎作『小猿七之助』 (「新演芸」大正9年1月)
市村座の『村井長庵』 (「人間」大正9年2月)
『護国女太平記』その他 (大正9年1月執筆、発表誌未詳)
岡さんのこと (「新演芸」大正9年3月)
『生命の冠』の役々 (「人間」大正9年3月)
『御存知東男』 (「新演芸」大正9年6月)
六月の歌舞伎座をみて (大正9年6月執筆、発表誌未詳)
『井伊大老の死』のこと (「新演芸」大正9年8月)
『その妹』をみて (「新演芸」大正9年10月)
『二つの心』をみる (「新演芸」大正9年12月)
『婦系図』の稽古 (「演芸画報」大正10年4月)
土曜劇場で『暮れがた』をやったとき (「新演芸」大正10年4月)
猿之助について (「新演芸」大正10年5月)
市村座の『飢渇』をみて (「新演芸」大正10年7月)
『天保六家選』のこと (「新演芸」大正10年10月)
岡さんと岡本さんと (「新演芸」大正10年11月)
大正十年の新派 (「演芸画報」大正10年12月)
向柳原の中央劇場にて (「新演芸」大正11年2月)
『西南戦争聞書』の作者 (「新演芸」大正11年4月)
『雨空』のこと (「新演芸」大正11年6月)
なくてぞ人の… (「新演芸」大正11年7月)
喜多村にはじめて逢ったとき (「新演芸」大正11年10月)
問わるるままに (「新演芸」大正12年1月)
大正十一年の新派 (「新演芸」大正11年12月)
『二つの道』をみて (「新演芸」大正12年3月)
『813』と『清水次郎長』 (「新演芸」大正12年5月)
読者諸君 (「新演芸」大正12年6月)
『人情一夕話』を見る (「新演芸」大正12年7月)
火の番 (「女性」大正13年1月)
『千本桜』と『だるま』 (「演劇新潮」大正13年6月)
これをもつとこれをみる (「演劇新潮」大正14年1月)
久米を悼む (「演劇新潮」大正14年2月)
久米のこと二、三 (「三田文学」大正14年2月)
岡村柿紅のこと (「都新聞」大正14年5月)
新橋演舞場の『亭主』 (大正14年10月執筆、発表誌未詳)
『安土の春』と『昔摸鼠小紋』 (「演劇新潮」大正15年4月)
十五年まへ (「演劇新潮」大正15年5月)
半七捕物帳のうち『お化師匠』 (「演劇新潮」大正15年6月)
梅幸の「うんざりお松」 (「三田文学」大正15年11月)
『森有礼』を見る (「演劇新潮」昭和2年1月)
明治座の『四千両小判梅葉』 (昭和2年4月執筆、発表誌未詳)
『金玉均』と『新てるて姫』と『遠山桜天保日記』と (昭和3年6月執筆、発表誌未詳)
せりふの味 (「悲劇喜劇」昭和3年11月)
ある対話 (「朝日新聞」昭和3年12月28、29日)
五郎を見る (昭和4年5月執筆、発表誌未詳)
問にこたふ (「悲劇喜劇」昭和4年7月)
ただ一つの希望 (劇団「新東京」パンフレット、昭和5年6月)
語を寄す、新東京の諸君(劇団「新東京」パンフレット、昭和5年10月)
昭和五年の劇壇(「都新聞」昭和5年12月28日)
正宗白鳥氏へ(「文藝春秋」昭和6年5月)
山本有三君らしい話(改造社版「日本文学大全集」『山本有三全集』月報、昭和6年3月)
いまは亡き守田勘弥(「日本国民」昭和7年8月)
いまは亡き伊井蓉峰(「中央公論」昭和7年9、10月)
「築地座」一周年を迎へて(築地座パンフレット、昭和8年2月執筆)
野外劇中継(「報知新聞」昭和8年4月16日より21日まで)
『滝の白糸』に就て(「演芸画報」昭和8年9月)
かれの臨終(「都新聞」昭和9年4月16日)
瀬戸英一追悼(「劇と評論」昭和9年5月)
伊志井寛(「演劇新派」昭和9年11月)
瀬戸日出夫(「演劇新派」昭和9年12月)
尾上伊三郎(昭和10年3月執筆、発表誌未詳)
書きぬき(昭和10年3月執筆、発表誌未詳)
新劇の貧困(昭和10年3月執筆、発表誌未詳)
『女人哀詞』その他(「東京日日新聞」昭和10年8月)
真船豊君(「演芸画報」昭和10年10月)
わるくち(創作座パンフレット、昭和10年9月執筆)
『ぴと夜』について(築地座リーフレット、昭和10年11月執筆)
『梅堀の場』について(前進座リーフレット、昭和12年10月執筆)
友田君とわたくし(「東京日日新聞」昭和12年10月10日)
友田恭助こと伴田五郎伍長(「中央公論」昭和12年11月)
「ごて緑」由来(「都新聞」昭和13年1月)
現実への畏怖(「東京日日新聞」昭和13年2月12、13日)
羽左衛門と菊五郎(「東京日日新聞」昭和13年6月14日)
「文学座」雑記(「文芸」昭和14年1月)
恒例團菊祭(「東京日日新聞」昭和14年3月)
「お力」の唄と「美登利」の唄(昭和14年4月執筆、発表誌未詳)
夢声その後(「モダン日本」昭和14年9月)
『婦系図』上演に関して(岩波書店版『鏡花全集』第10巻月報、昭和15年5月)
猿之助と寿美蔵(「東京日日新聞」昭和16年1月)
これやこの(「国民演劇」昭和16年1月)
伊藤熹朔の眼(「都新聞」昭和16年3月)
河合武雄について(「都新聞」昭和17年3月)
泉先生の註文(岩波書店版『鏡花全集』第12巻月報、昭和17年4月)
いまは亡き岡さんのこと二三(「演劇界」昭和18年12月)
だれにいふともなく(「三田文学」昭和19年6月)
文学座同人への私信(「日本演劇」昭和19年6月)

しろうるり

菊五郎の死(「文学界」昭和25年1月)
ある時代の鏡花先生(創元社版『泉鏡花作品集』第4巻解説、昭和27年5月)
吉右衛門についてのくさぐさ(「改造」昭和29年11月)
一つの回想(「芸術新潮」昭和32年3月より12月まで、原題「大人の新劇」)

日記より (「新演芸」大正13年1月より8月まで)

さんうてい夜話 (「東京日日新聞」昭和10年8月より11年7月まで連載)

さもあらばあれ (昭和21年7月より24年2月まで、「劇場」「スクリーン・ステージ」その他に発表)

切抜帖他
円朝作るところの"真景累ケ淵"(岩波文庫版『真景累ケ淵』解説、昭和31年6月)

表紙のとれた手帖より (昭和7年3月より12年12月にかけて執筆)

新潮社版『日本文学大辞典』より (藤村作編『日本文学大辞典』昭和7年6月〜10年4月刊)


あとがき(安藤鶴夫)



*

第14巻:俳句(昭和42年6月25日発行)
※自選の三句集と新たな編纂による「季題別全俳句集」。各句集の序・跋、後記。求められて他の俳人の句集に寄せた序文。俳句・俳書・俳人についての文章。三巻の歌仙


● 自選の三句集

草の丈【昭和27年3月、創元社刊】
流寓抄【昭和33年11月、文藝春秋新社刊】
流寓抄以後【昭和38年12月、文藝春秋新社刊】


● 季題別全俳句集


● 序・跋 その他

『道芝』跋【昭和2年5月、俳書堂】
『もゝちどり』跋【昭和9年6月、文体社】
『わかれじも』附記【昭和10年5月、双雅房】
『ゆきげがは』後記【昭和11年8月、双雅房】
『久保田万太郎句集』後記【昭和17年5月、三田文学出版部】
『これやこの』後記【昭和21年3月、生活社】
『春燈抄』後記【昭和22年12月、木曜書房】

『藻花集』の後に【大正6年12月、籾山書店刊。三宅孤軒主宰誌「藻の花」の合同句集。久保田万太郎・大場白水郎編】

『白水郎句集』序【大場白水郎著。昭和3年8月、俳書堂刊】
『龍雨句集』序【増田龍雨著。昭和5年10月、春泥社刊】
『龍雨俳句集』序【増田龍雨著。昭和8年2月、四條書房刊】
『長谷川春草句集』序【長谷川春草著。昭和11年7月、さつき発行所刊】
『小石川』序【野村喜舟著。昭和27年11月、渋柿図書刊行会刊】
『龍岡晋句抄』序【龍岡晋著。昭和34年10月、春燈社刊】
『あさがほ』序【荻野忠治郎著。昭和35年8月、有楽書房刊】
『赤舟・林蟲句抄』序【安藤赤舟・林蟲遺句集。昭和35年10月、春燈社】
『卯波』序【鈴木眞砂女著。昭和36年7月、有楽書房刊】
『紙衣』【新城世トウ著。昭和36年10月、竹頭社刊】
『花柳章太郎句抄』序【昭和37年11月、有楽書房刊】
『萍』序【高橋潤著。昭和37年12月、竹頭社刊】

とりとめのない話(「俳諧雑誌」大正7年7、8、9月に松村傘雨の筆名で連載)
文学に対する敏感(「俳諧雑誌」大正9年1月に松村傘雨の筆名で発表)
傘雨雑談(「俳諧雑誌」大正10年12月に松村傘雨の筆名で発表)
二つの短い文章(「春泥」昭和5年7月、三宅孤軒著『孤軒句集』及び伊藤鴎二著『鴎二排論』の序を併せて一文としたもの)
『梨葉句集』を手にして(「春泥」昭和5年11月)
匏瓜君(「春泥」昭和7年4月、末尾に〈文責在春草〉とあり)
再び「春泥集」の選者を拝命して(「春泥」昭和11年6月)
水原秋桜子著『若鮎』(「読売新聞」昭和12年6月10日)
紅葉の句(改造社版『俳句講座』昭和7年6月)
古句十句(「文藝春秋」昭和9年1月)
雑詠について(「春燈」昭和21年2月)
選後に(一)(「春燈」昭和21年3月)
選後に(二)(「春燈」昭和21年4月)
選後に(三)(「春燈」昭和21年5月)
三汀の句(文藝春秋新社『久保田万太郎・久米正雄互選句集』昭和21年9月刊のために執筆)
久米君と俳句(「文藝春秋」昭和27年3月)
二つの句集(「東京新聞」昭和30年9月9日)
『碧童句集』について(「読売新聞」昭和36年1月30日、第12回読売文学賞推薦の辞として執筆)
おもいでの両吟(「三田文学」昭和28年11月・折口信夫追悼号)


● 三巻の歌仙

歌仙 柊の花の巻(「春燈」昭和15年12月)
歌仙 陽ざかりの巻(両吟)(「朝日新聞」昭和28年9月20日)
歌仙 日曜之巻(三吟)(「きょうと」第20、21号・昭和35年)


あとがき(龍岡晋・安住敦・楠本憲吉)



*

第15巻:補遺・雑纂 附年譜
※補遺として小説6篇のほか現代語訳「浮世床」や童話劇「小公女」など6篇。雑纂として、自著のはしがき・あとがき、自作の解説・紹介、知友の著書に寄せた序・跋をはじめ、講演・推薦文・書評・口上・挨拶状、さらに長唄・小唄にいたる詞章を収録し、巻末に年譜を付す


● 補遺

かういふ話(「婦人画報」大正13年5月)
福引(「女性」大正15年4月)
おたみ(「三田文学」大正10年9月に『露芝後篇』として発表。改補して「女性」大正14年4月に『天瓜粉』として発表。さらに昭和24年4月、「文藝評論」第2集に発表の際に原題に復す)
ある親切な手紙への返し(「文藝」昭和27年11月)
十年……(「別冊文藝春秋」第47号・昭和30年8月)
鳥、雲に(昭和31年4月執筆、発表誌未詳)

近年諸国咄(春秋社刊、現代語訳『西鶴全集』第6巻、昭和6年8月)
懐硯(春秋社刊、現代語訳『西鶴全集』第6巻、昭和6年8月)
名残の友(春秋社刊、現代語訳『西鶴全集』第6巻、昭和6年8月)
浮世床(河出書房「日本国民文学全集」第17巻『江戸名作集1』昭和31年12月)
花屋日記(河出書房「日本国民文学全集」第14巻『古典名句集』昭和32年9月)

小公女(翻訳童話劇『小公女』昭和2年6月、丸善株式会社刊。書き下ろし)


● 雑纂

好学社版『久保田万太郎全集』後記(昭和22年1月より24年12月にかけて刊行の好学社版『久保田万太郎全集』全18巻の後記として執筆)


● 序・跋その他


『浅草』あとがき(籾山書店、明治45年2月25日)
『駒形より』序(平和出版社、大正5年10月13日)
『雨空』のあとに(新潮社、大正10年11月16日)
『露芝』あとがき(新潮社、大正11年10月25日)
『おもちゃの裁判』序(赤い鳥社、大正14年3月31日)
現代戯曲全集第11巻「久保田万太郎篇」跋(国民図書株式会社、大正14年7月4日)
『暮れがた 外一篇』跋(春陽堂、大正14年12月1日)
現代小説全集『久保田万太郎集』序(新潮社、大正15年1月1日)
『小公女』序(丸善株式会社、昭和2年6月25日)
明治大正文学全集38『久保田万太郎・水上瀧太郎篇』解説(春陽堂、昭和4年9月15日)
『露芝・寂しければ』はしがき(春陽堂文庫、昭和8年1月15日)
『かどで』巻後に(文体社、昭和9年2月13日)
『月あかり・町中』後記(新小説社、昭和9年9月25日)
『夜光蟲』附記(双雅房、昭和10年7月7日)
『一周忌記念』(「清順院貞室恵京大姉一周忌記念」)後記(双雅房、昭和11年11月16日)
『釣堀にて』附記(双雅房、昭和12年5月10日)
『一に十二をかけるのと十二に一をかけるのと』あとがき(中央公論社、昭和12年12月20日)
『枯菊抄』序(双雅房、昭和13年7月25日)
『春泥・花冷え』後記(岩波新書、昭和13年11月20日)
『八重一重』後記(小山書店、昭和14年12月25日)
『歌行燈 その他』後記(小山書店、昭和16年1月17日)
『萩すゝき』後記(小山書店、昭和17年2月1日)
『浅草記』後記(生活社、昭和18年7月25日)
『町の音』後記(小山書店、昭和18年10月15日)
『芝居修行』後記(三田文学出版部、昭和18年11月25日)
『月あかり』後記(鎌倉文庫、昭和21年5月20日)
『いまはむかし』後記(和田堀書店、昭和21年8月30日)
『いのちなりけり』後記(山根書店、昭和22年4月15日)
『銀座復興』あとがき(演劇文化社、昭和22年7月5日)
『市井人・うしろかげ』あとがき(改造社、昭和25年7月15日)
『樹蔭』あとがき(中央公論社、昭和26年9月20日)
『残菊帖』あとがき(好学社、昭和26年11月11月20日)
『オスロ』後記(中央公論社、昭和26年12月1日)
『波しぶき』あとがき(創元社、昭和26年12月20日)
『歌舞伎教室』序にかへて(ポプラ社、昭和28年)
『世界童話劇』はじめに(誠文堂新光社、昭和29年)
『末枯・続末枯・露芝』あとがき(岩波文庫、昭和29年5月25日)
『大寺学校・ゆく年』あとがき(岩波文庫、昭和30年6月5日)
『三の酉』あとがきに代えて(中央公論社、昭和31年10月20日)
『浮世床』後記(日本国民文学全集『江戸名作集 1』河出書房、昭和31年12月)
『花屋日記』訳者の言葉(日本国民文学全集『古典名句集』河出書房新社、昭和32年9月)
『火事息子』あとがき(文藝春秋新社、昭和32年9月30日)
現代俳句文学全集「久保田万太郎集」あとがき(角川書店、昭和33年3月30日)
『心残りの記』跋(筑摩書房、昭和33年7月30日)
『よしや わざくれ』あとがき(青蛙房、昭和35年11月7日)
『むかしの仲間』あとがきにかへて(中央公論社、昭和36年5月8日)

献辞集

『十三夜』まへがき(「三田文学」昭和2年6月)
"東海道"まへがき(「中央公論」昭和10年10月)
「九月〔カヤ〕」あとがき(『文壇出世作全集』中央公論社、昭和10年10月)
"太陽の子"演出者として(文学座パンフレット・昭和14年9月)
「蛍」について(有楽座パンフレット・昭和16年6月)
"大寺学校"について(帝劇パンフレット・昭和21年3月)
"短夜"について(帝劇パンフレット・昭和21年5月)
"或る女"について(帝劇パンフレット・昭和21年10月)
『あきくさばなし』について(三越劇場パンフレット・昭和23年1月)
"速水女塾"演出者として(三越劇場パンフレット・昭和24年8月)
"お艶ころし"脚色(新橋演舞場筋書・昭和24年10月)
"わかれ道"について(新橋演舞場筋書・昭和25年12月)
"おその"について(新橋演舞場筋書・昭和26年1月)
"ワーニャ伯父さん"演出者として(三越劇場パンフレット・昭和26年3月
"室町御所"について(歌舞伎座筋書・昭和27年3月
"セザール"について(三越劇場パンフレット・昭和27年2月)
"南地心中"について(新橋演舞場筋書・昭和29年2月)
『註文帳』まへがき(「心」昭和30年7月)
"慶應戊辰年"の作者(歌舞伎座筋書・昭和33年11月)
"歌行燈"について(新橋演舞場筋書・昭和35年3月)
"五大力"演出のメド(歌舞伎座筋書・昭和35年11月)
"ある女"について(明治座筋書・昭和36年11月)
"藤十郎の恋"のそもそも(明治座筋書・昭和36年12月)
"辰巳巷談"のむかし(明治座筋書・昭和37年7月)
『みやこ風流』のあらまし(長唄研精会六十周年記念公演演奏会パンフレット・昭和37年9月)

池内泰『情死するまで』序(大正4年11月、泰文社刊)
三宅正太郎『法官余談』序(大正9年12月、新小説社刊)
前田雀郎『榴花洞日録』序(大正12年2月、せんりう社刊)
渋沢秀雄『熱帯の旅』序(昭和14年12月、小山書店刊)
加賀山直三『團十郎三代』序(昭和18年8月、三木書院刊)
寺本定芳『人、泉鏡花』序(昭和18年9月、武蔵書房刊)
"じふろくさゝげ"序(昭和23年2月、黄楊書房)
日本名作戯曲全集「岡本綺堂集」後記(昭和25年3月、北條書店版同全集第2巻)
『三宅正太郎全集』あとがき(昭和25年8月、好学社刊行の同全集第3巻)
『永井荷風集』解説《わたくしにとっての永井先生》(昭和26年3月、新潮社刊行の同集下巻)
徳川夢声『句日誌二十年』序(昭和27年8月、オリオン社)
伊藤あい子訳『ドラゴンの口』序(昭和27年10月、朝日新聞社)
『楠山正雄歌舞伎評論』序に代えて(昭和27年11月、冨山房)
古川緑波『劇書ノート』序文(昭和28年10月、学風書院)
石川桂郎『妻の温泉』序(昭和29年7月、俳句研究社)
現代随想全集「渋沢秀雄集」解説(昭和30年2月、創元社)
水谷八重子『ふゆばら』序(昭和30年12月、学風書院)
大森忠行編『東京こども絵風土記』によせて(昭和31年1月、共同出版社)
角田猛『東京の味』序(昭和31年6月、白光書林)
今村信雄『落語事典』序(昭和32年9月、青蛙房)
田中栄三『新劇その他』序(昭和32年10月、文藝春秋)
岸井良衛『五街道細見』序(昭和34年2月、青蛙房)
『鶯亭金升日記』序(昭和36年10月、演劇出版社)
『喜多村緑郎日記』跋(昭和37年5月、演劇出版社)
"いんでいら"序(昭和37年8月、雑誌「いんでいら」創刊号)
岸井良衛編『江戸に就ての話』序(昭和38年10月、青蛙房刊)


● 講演

講演“三田文学”創刊のころ(昭和37年5月22日、共立女子大学文芸学部主催講演会速記。同39年8月、「文炎」第9号に発表)


● 俳句の拾遺

季題別全俳句集 補遺
東京と俳句(昭和7年8月、改造社版『俳句講座』第7巻「特殊研究篇」に発表)
三人冗語(一)(「俳句研究」昭和13年8月)
三人冗語(二)(「俳句研究」昭和14年10月)


● 拾遺1

泉先生の嫌いでおいでのもの(昭和3年9月、改造社版「現代日本文学全集」第14巻『泉鏡花集』月報)
画会をひらく宮田武彦君のために(執筆月発表誌未詳、昭和10年9月「春泥」に転載)
いい刊行をしてくれた 創元社版『シェークスピア全集』のために(昭和27年6月、創元社版『シェークスピア全集』推薦文として執筆)
「女客」のこと(「文藝」昭和27年10月)
小絲源太郎『猿と話をする男』のために(昭和28年1月、筑摩書房刊行の同書推薦文として執筆)
戸板康二『芝居名所一幕見』(「演劇界」昭和29年1月)
独自の位置 中央公論社版『折口信夫全集』のために(昭和29年7月、中央公論社版同全集推薦文)
美しい夢の創造者 岩波書店版"芥川龍之介全集"のために(昭和29年1月、岩波書店版同全集推薦文)
無理かも……が…… 岩波書店版"古典を読もう"のために(昭和30年3月、岩波文庫『古典を読もう』推薦文)
加藤君のこと 新潮社版『加藤道夫全集』のために(昭和30年10月)
"東京"の生んだはじめての作家 中央公論社版『谷崎潤一郎全集』のために(昭和32年12月)
俳諧精神への一貫した把握 明治書院版"俳句講座"のために(昭和33年10月)
"東京"のかげを曳いて 木村荘八著『東京繁昌記』推薦文(昭和33年11月、演劇出版社刊)
幸田文『番茶菓子』紹介(「週刊読書人」昭和33年6月2日号)
平凡社版『演劇百科事典』(昭和35年3月、同書推薦文)
池田弥三郎『枝豆は生意気だ』(「週刊読書人」昭和36年3月27日号)
中村さんを祝福する 中村光夫『パリ繁昌記』について(文学座パンフレット・昭和37年1月)
吉川方子を推せんす(「朝日新聞」PR版、昭和37年2月24日)
安藤鶴夫『ある日・その人』(「東京新聞」昭和37年4月30日)
荷風文学の複雑さ 岩波書店版『永井荷風全集』のために(昭和37年11月、同書推薦文)
浅草の生れ 筑摩書房版『石川淳全集』(昭和37年12月、同全集月報第10号)


● 拾遺2

やっぱり芝居 大正元年の芸壇の印象(アンケート)(「演芸倶楽部」大正2年2月)
勘五郎の心もち 芸壇近時の感想(アンケート)(「演芸画報」大正3年3月)
何遍でも書き直す 文章を書く心構(アンケート)(「文章倶楽部」大正5年6月)
「たけくらべ」の一節 余が好める秋の描写(アンケート)(「文章倶楽部」大正5年10月)
思いついたまゝ 如何にして歌舞伎を保存すべき乎(「演芸画報」談話回答、大正7年1月)
『鈴ヶ森』(「新演芸」大正8年4月)
雑録(「三田文学」十周年記念号、大正8年5月)
夏狂言のこと 夏狂言の研究(アンケート)(「演芸画報」大正9年7月)
註文四五 大正十年の劇壇に寄せる言葉(「新演芸」大正10年1月)
さう云つても沈黙家 吉井勇との相互批評(「文章倶楽部」大正10年2月)
静かな道 新しき年を迎ふる覚悟(アンケート)(「新潮」大正13年1月)
時間と観衆 復興後の劇壇に望む事(アンケート)(「演芸画報」大正13年1月)
霜柱(「随筆」大正13年3月)
大正十三年度劇壇 記憶に残った舞台と役者(アンケート)(「新演芸」大正13年12月)
さかな嫌ひ 日本料理、西洋料理、支那料理(アンケート)(「婦人公論」大正14年5月)
芝居になった円朝のよみもの(「三田文学」大正15年10月)
黒揚羽(大正14年頃執筆、発表誌未詳。『若い星』に再録)
挿絵と装幀 好きな挿絵画家と装幀者(アンケート)(「三田文学」昭和3年1月)
喜多村の聡明さ 水木京太『嫉妬』上演評(アンケート)(「三田文学」昭和3年5月)
たしかな戯曲を 花柳章太郎に望むこと(アンケート)(「演芸画報」昭和7年8月)
怖い時代 若き俳優達の研究劇団へ贈る書(アンケート)(「演芸画報」昭和10年7月)
良書と近著 最近読まれた良書と貴下の近著(アンケート)(「三田文学」昭和17年1月)
十年……(三越劇場パンフレット《文学座十周年記念公演『あきくさばなし』》・昭和23年1月)
名人会の"名人"(三越名人会パンフレット・昭和25年4月)
ラヂオ・ドラマについて(山根書店刊『ラジオ・ドラマ講座』第一巻、昭和27年2月)
明治座への希望 "明治座よかくあれ"(アンケート)(明治座筋書・昭和33年3月)
追記 (1) 座談会「大正名子役物語」(誌上参加)(「銀座百点」昭和36年6月)
追記 (2) 座談会「喜多村緑郎を偲ぶ」(誌上参加)(「銀座百点」昭和36年7月)
附合の味 滑稽文学としての落語(アンケート)(執筆年月、発表誌未詳)
スカイクルーザー(執筆年月、発表誌未詳)
妻を語る おろかなる対立(執筆年月、発表誌未詳)
いろいろ(口上)(「春泥」昭和9年5月)
「はせ川」再開(口上)(昭和9年5月執筆)
「はせ川」宿屋開業(口上)(昭和15年1月執筆)
「はせ川」うなぎや開業(口上)(昭和25年10月執筆)
「重箱」東京店(口上)(昭和31年4月執筆)
虎屋について(昭和35年12月執筆)
山本の海苔(昭和35年12月執筆)
「松葉屋」新装(口上)(昭和36年6月執筆)
「後浅草賦」について(「花形」大正9年4月)
役員の弁(「都民劇場」十周年記念号、昭和31年4月)
「春・駘蕩の会」舌代(同会パンフレット・昭和31年4月)

耕一、三回忌に(昭和34年2月16日)
退院挨拶(昭和36年12月1日)


● 長唄 その他

都風流(長唄)【四代目吉住小三郎・稀音家浄観】
旅ゆけば(長唄)【岡安喜三郎作曲】
春の壽(長唄)【山田抄太郎作曲】
鉢の本(長唄)【山田抄太郎作曲】
かきつばた(長唄)【山田抄太郎作曲】
花菱草(長唄)【山田抄太郎作曲】
加賀の千代(常磐津)【常磐津文字兵衛作曲】
遍路(常磐津)【常磐津文字兵衛作曲】
拾扇(筝曲)【米川文子作曲】
萩と月(筝曲)【吾孫子松鳳作曲】
雪まろげ(一中節)【十一世都一中作曲】
新一つとや(数え歌)【山田抄太郎作曲】


● 小唄 その他

つるのなぞ(小唄)【山田抄太郎作曲】
あさがほ(一)(小唄)【山田抄太郎作曲】
あさがほ(二)(小唄)【山田抄太郎作曲】
あきらめて(小唄)【山田抄太郎作曲】
あぢさゐ(小唄)【田村清一作曲】
あやとり(小唄) いはぬはいふに(小唄)【春日とよ作曲】
歌行燈(小唄)【萩江露友作曲】
浮草(小唄)【田村精一作曲】
うそもかくしも(小唄) うつかりと(小唄)【山田抄太郎作曲】
葛の葉(小唄)【初代田村てる作曲】
襟つきで(小唄)【山田抄太郎作曲】
お互ひに(小唄)【山田抄太郎作曲】
婦系図(小唄)【杵屋佐吉作曲】
お力(小唄)【清元栄次郎作曲】
凍る夜(小唄)【山田抄太郎作曲】
さんぐらす(小唄)【山田抄太郎作曲】
しばらくと(小唄) 瀬をはやみ(小唄)【山田抄太郎作曲】
それはそれ(小唄)【山田抄太郎作曲】
暖炉(小唄)【山田抄太郎作曲】
智恵の輪(小唄)【山田抄太郎作曲】
梅雨の月(小唄)【山田抄太郎作曲】
うかれ坊主(小唄)【山田抄太郎作曲】
しあはせよ(小唄)【山田抄太郎作曲】
おなじ氏子や(小唄)【山田抄太郎作曲】
はや耳(小唄)【山田抄太郎作曲】
引けば九つ(小唄)【山田抄太郎作曲】
しどもなや(小唄)【山田抄太郎作曲】
龍田川(小唄)【山田抄太郎作曲】
みじか夜(小唄)【山田抄太郎作曲】
湯豆腐(小唄) はつ鴉(小唄) 髪結新三(小唄)【山田抄太郎作曲】
目もと口もと(小唄)【山田抄太郎作曲】
寒おすな(小唄)【山田抄太郎作曲】
きりぎりす 替唄
お艶殺し 谷崎潤一郎「お艶殺し」より【宮川壽朗作曲】

田原学校校歌【乗松昭博作曲】

和歌
碑文(「日本橋魚河岸」記念碑・「歌行燈」記念碑)

● 日記

大正五年一月(『駒形より』大正5年10月、平和出版社刊に「新年」として収録)
大正五年十月(「文明」大正5年11月)
昭和三十六年六月(未発表日記)
昭和三十七年十二月(未発表日記)


● 私信

オスロ便り(昭和26年5月31日附、オスロよりの夫人宛私信。「中央公論」昭和26年6月に転載)


明治二十二年――昭和三十三年……(昭和32年1月12日より26日まで「日本経済新聞」に「私の履歴書」として連載。『流寓抄』に収録)


年譜(安住敦編)
著作年表
上演・演出年表
単行本刊行目録



あとがき(安住敦・戸板康二)



*

月報1(第4巻:昭和42年4月)

高橋誠一郎「『人情話』の芸術」
戸板康二「献辞」
池田弥三郎「久保田文学と下町ことば (1) 」
田辺茂一「知らない久保田さん」

刊行室だより


月報2(第7巻:昭和42年5月)

高村象平「久保田さんの憶い出」
阿木翁助「見えない劇場」
水谷八重子「久保田先生……」
池田弥三郎「久保田文学と下町ことば (2) 」

刊行室だより


月報3(第14巻:昭和42年6月)

富安風生「万太郎俳句と私」
水原秋桜子「久保田さんの俳句」
渋沢秀雄「手紙の中の先生」
清崎敏郎「季題をめぐって」

刊行室だより


月報4(第13巻:昭和42年7月)

秋庭太郎「荷風と万太郎」
伊馬春部「喜福寺界隈」
宮口精二「北京の久保田先生」
中尾達郎「麻布で気が知れぬ」

刊行室だより


月報5(第3巻:昭和42年8月)

里見とん「一つの秘話」
井伏鱒二「四十年前のこと」
遠藤周作「先生との一度の出会い」
鴨下晁湖(無題)
横山隆一「『万』という字」
後藤杜三「久保田家譜考」

刊行室だより


月報6(第5巻:昭和42年9月)

河上徹太郎「久保田万太郎」
柴田小三郎「先生と役所」
高橋博「先生と三越名人会」
中尾達郎「万太郎俳句と技巧の展開」

刊行室だより


月報7(第10巻:昭和42年10月)

永井龍男「しっぺ返し」
宮田重雄「久保田先生と小唄」
安藤鶴夫「〈与七の店〉」
菅原通済「それでいいんだ」
中川忠彦「久保田課長」

刊行室だより


月報8(第6巻:昭和42年11月)

関口次郎「久保田さんのこと」
円地文子「銀座百点の合評会で」
田村秋子「久保田先生」
中山善三郎「最後の長編小説」
巌谷大四「久保田先生のこと」

刊行室だより


月報9(第8巻:昭和42年12月)

内村直也「久保田戯曲の人物」
吉川義雄「ある時」
大矢市次郎「めぐり合せ」
杉村春子「久保田先生」
車谷弘「小さな靴」
谷崎潤一郎「春の雪」

刊行室だより


月報10(第1巻:昭和43年1月)

石川淳「めぐりあひ」
河盛好蔵「久保田先生の小唄」
中里恒子「文壇句会の席で」
狩野近雄「藤村の机」
桑原経重「久保田先生の眼」

刊行室だより


月報11(第9巻:昭和43年2月)

丸岡明「戯曲、小説、そして俳句」
吉田健一「久保田さんのこと」
東山千栄子「久保田先生の思い出」
龍岡晋「没分暁漢」
知切光蔵「久保田万太郎家譜ノート」

刊行室だより


月報12(第11巻:昭和43年3月)

和田芳恵「思いだすこと」
森岩雄「耕一君と萍人君」
大江良太郎「お京奥さん」

刊行室だより


月報13(第2巻:昭和43年4月)

山本健吉「久保田さん3題」
尾崎宏次「久保田さんが泣いたときと怒ったとき」
福田蘭童「久保田先生の思い出」
宮内義治「切れぎれのこと」

刊行室だより


月報14(第12巻:昭和43年5月)

白井浩二「三田文学の一系譜」
村松定孝「久保田万太郎と泉鏡花」
江藤淳「作家の心」
伊志井寛「思い出すまゝ」
川上梨屋「雁々帳」

刊行室だより


月報15(第15巻:昭和43年6月)

楠本憲吉「万太郎縁由の俳人像」
柳永二郎「こんな話も」
藤浪与兵衛「久保田先生と三社祭」
長谷川湖代「艶福家久保田先生」
安住敦「二人の弔問客」

刊行室だより