文学shortコラム
(アメリカ文学)
閉ざされた空間
今回は前回の続きで、社会の引力から開放され、根無し草となった個人の行き着く孤独についてです。
新大陸では人々は社会制度や伝統から解き放たれ、個人が中心で、自由という今までにない権利を手にしたわけですが、それとともに孤独という重荷も背負うことになりました。これが今日さまざまな社会問題を引き起こしています。
市民社会が完成していなかったアメリカでは、個人の情熱というものが社会の主役になっていきましたが、情熱をいつも持ち続けられるわけではありませんし、情熱を持っているからこそ不幸になることもあるわけです。「生きようという情熱と生きる価値のない人生」とは、「チャンピョンたちの朝食」(ボネガット)の中にある言葉です。くだらないとしか思えない人生にいつまでも情熱を抱いていけるほどタフな精神力を持っている人は少ないはずです。情熱を捨て去った方が気楽な人生が送れるわけです。情熱を持ち続けられるうちは個人を超えた普遍性に到達できるのでしょうが、それを失うと、帰属する社会を持たない孤独な状態であるだけに、犯罪という閉ざされた空間に閉じこめられてしまいます。
アメリカ文学を考える時、この孤独という問題も大きな特徴のひとつになっているのではないでしょうか。
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