とりもどされた改心(Retrieved Reformation)



本文テキスト(第1回〜第32回で完了)

 看守がひとり刑務所の靴工場にやってきた。そこではジミー・バレンタイン がせっせと靴の甲皮を縫っていた。看守はジミーを表の事務室に連れていった。 そこで刑務所長は、ジミーに恩赦状を手渡した。知事がその日の朝サインしたのだ。

 ジミーはそれを、やれやれという手つきで受け取った。四年の刑期で、すで に十ヶ月近くも勤めていたのだ。初めは、ここにいるのも、せいぜい三ヶ月く らいだと思っていた。ジミー・バレンタインのように、娑婆に多くの仲間がいると、"ムショ"に入ったからといって、髪を刈るまでもないのだ。

「なあ、バレンタイン」と所長はいった。「あすの朝になったらおまえはここ を出る。いいか、心を引き締めて、堅気になるんだぞ。お前は根っからのワル じゃないんだから、金庫破りなどやめて、まともな暮らしをするんだ」
「オレが?」とジミーはびっくりしていった。「どうして、オレは今まで金庫 を破ったことなんてありませんよ」

「ふむ、やれやれ」所長は笑った。「もちろん、ないな。だが、考えてみろ、 それならどうして、おまえは、あのスプリングフィールドの一件で送られて来 るはめになったんだ?この上なく上品な方々たちに汚名をきせないように、わ ざとアリバイを立証しなかったからか?それとも、あれは意地の悪いおいぼれ 陪審員が、おまえに恨みを抱いていただけだとでもいうのか?おまえたちのよ うな無実の犠牲者というのは、きまってそのどちらかだからな」

「オレが?」とジミーは相変わらず、すっとぼけていた。「どうしてです、所長、オレは今までに一度だってスプリングフィールドに足を踏み入れたことなんかないんですよ」
「連れてってくれ、クローニン」所長は微笑んだ。「それから、出所用の服をあてがってやれ。明日の朝7時になったら、監房から出して、控え室の方へ来させておいてくれ。いいか、バレンタイン、私の忠告はよく考えた方がいいぞ」

 翌朝、7時15分にジミーは所長室に立っていた。仕立ての悪い既製服を着て、 堅い、ぎゅうぎゅうの靴をはいていた。州が、釈放される強制収容のお客様に 支給してくれるのだ。
 係官は彼に、鉄道の切符と5ドル紙幣を手渡した。これだけで法律は彼に、善 良な市民に戻り、成功するようにと期待しているのだ。所長は葉巻を1本渡し、 彼と握手をした。バレンタイン、囚人第9762号は、「知事による赦免」と名簿 に記録された。それから、ジミー・バレンタインは陽の光の中に歩み出ていっ た。

 鳥のさえずりや、風にそよぐ緑の木々や、花の香りなどには目もくれず、ジ ミーはまっすぐレストランに向かった。ここでやっと、鳥の丸焼きと白ぶどう 酒という形で自由の甘美な喜びを味わった。それから葉巻を1本。所長にもらっ たものよりも上物だ。レストランを出ると、ゆっくりとした足どりで停車場へ 向かった。入り口そばにすわっていた、目の見えない物乞いの帽子に25セント 投げ込むと、汽車に乗り込んだ。3時間後、ジミーは州境近くの小さな町で降り た。それからマイク・ドーランのカフェに行き、マイクと握手をした。彼はひ とりカウンターの中にいた。

「すまなかったな、ジミー、もっと早く出してやれなくって」とマイクはいっ た。「だけど、スプリングフィールドからえらくいちゃもんがついてな、あや うく知事のやつ、尻込みするところだったんだぜ。気分はどうだ?」
「ああ、上々さ」とジミーはいった。「オレのカギあるか?」
 彼はカギを受け取ると2階へ上がり、奥の部屋のカギを開けた。何もかもがあ の時のままだった。床にはベン・プライスのカラーボタンがいまだに落ちてい た。あの名刑事のシャツの襟から引きちぎられたものだった。彼らがジミーを 組み伏せて逮捕した時のことだ。

 壁から折りたたみ式ベッドを引き出すと、ジミーは壁の羽目板一枚をすべら せて、ほこりのかぶったスーツケースを引っぱり出した。ふたを開け、東部で は他にはない、みごとな金庫破りの道具一式をなつかしそうに見つめた。すべ てがそろった、特別な鋼鉄でできた、最新式の道具だった。ドリル、パンチ、 曲がり柄つきのきり、組立金てこ、やっとこ、らせん形のきりなど、そのうち の2つか3つは、ジミー自身が考案したもので、それなどは彼の自慢の品だった。 それらを作るのに、900ドル以上の金を彼は払ったのだ。しかも - 、この道のプロのために、このようなものを作る腕をもった人たちの集まる場所で作らせたのだ。

 30分ほどで、ジミーは2階からカフェに降りてきた。その時には、趣味のいい、 仕立てのいい服を身に着けていた。手にはほこりを払ったぴかぴかのスーツケ ースをさげていた。
「何か仕事かい?」とマイク・ドーランは愛想よく聞いた。
「オレが?」とジミーは当惑していった。「どうしてですか?わたくしは、ニ ューヨーク・アマルガメイテッド・ショート・スナップ・ビスケット・クラッ カー・アンド・フラズルド・ウィート・カンパニーから参った者でございます」 「このセリフはマイクをとても喜ばせたので、ジミーはその場でセルツァー・ ミルクを1杯飲むはめになった。彼は決して「強い」飲み物は口にしなかった。

バレンタイン第9762号が釈放されてから一週間後に、あざやかな手口の金庫破 りが、インディアナ州、リッチモンドで起きた。犯人の手がかりは何ひとつな かった。わずか800ドルが、そっくり消えていた。その二週間後、ローガンスポ ートで、新案特許の改良型盗難防止金庫が、チーズのように開けられ、大枚千 五百ドルの現金が盗まれた。有価証券や銀貨には手がつけられていなかった。 このことから刑事たちは関心を持ち始めた。それからジェファソン・シティの 旧式の金庫が活動するようになり、その噴火口からは、五千ドルもの札束を噴 き上げた。被害はもはや相当な額になったので、事件はベン・プライス級の名 刑事の手に委ねられることになった。

 報告書をつき合わせてみると、強盗の手口にひどく似かよったところがあっ た。ベン・プライスは盗難の現場を調査して回り、こうつぶやいた。 「これは、しゃれ男のジム・バレンタインの仕業だ。奴め、また仕事をはじめ やがったな。あのコンビネーション・ノブをみてみろ、雨の日に大根を抜くよ うにすっぽりやられている。奴にはこういうことにうってつけのやっとこがあ るんだ。みろ、タンブラーに開いたみごとな穴を。ジミーはいつだって穴をひ とつしか開けないんだ。そうさ、こりゃやっぱり、バレンタイン殿にお出まし 願わないとな。今度こそ、奴にはたっぷり勤めさせるぞ。短期だとか、赦免だ とか、バカなまねはさせんからな」

 ベン・プライスはジミーの手口を知っていた。スプリングフィールドの事件 を担当している時に知ったのだ。高飛び、逃げ足の早さ、単独犯行、上流社会 の心得、これらの手口で、バレンタイン殿は罰をうまく逃れる人物として有名 になっていた。ベン・プライスが、なかなか捕まらないこの金庫破りの捜査に 乗り出したと公表されると、まだ被害にあっていない盗難防止金庫の持ち主は、 ほっと胸をなでおろした。
 ある日の午後、ジミー・バレンタインと彼のスーツケースが、エルモアの町 で郵便馬車から降り立った。黒かしの生い茂るアーカンソー州の、鉄道から5マ イル離れた小さな町だ。ジミーは、大学四年の若い運動選手が、帰省したばか りという様子で、板張りの歩道をホテルの方へ歩いた。

 ひとりの若い女性が通りを横切り、角のところで彼とすれちがい、建物の中 へ入っていった。入り口には「エルモア銀行」と看板が出ていた。ジミー・バ レンタインは彼女の目に見つめ、自分が誰かを忘れた。別人になったのだ。彼 女はうつむき、ほんの少し顔を赤らめた。ジミーのようなスタイルやルックス の若者は、エルモアでは珍しかったのだ。
 ジミーは、銀行の上がり段のところでぶらぶらしている少年を、まるで自分の家畜であるかのようにつかまえ、町のことを、ときどき10セント硬貨をやりながら聞いた。やがて、さっきの若い女性が出てきた。彼女はスーツケースを持った若者などいないかのように、そのまま行ってしまった。

「あのひとは、ポリー・シンプソンかい?」とジミーはとぼけて訊ねた。 「ちがうよ」と少年はいった。「ありゃアナベル・アダムズだよ。あのひとの とーちゃんがこの銀行を持ってるんだから。おじさんはエルモアへ何しに来た の?それ、本物のウオッチ・チェーン?オレ、ブルドックが買いたいんだ。も っとお金ある?」
 ジミーはパルマー・ホテルへ行き、ラルフ・D・スペンサーと宿帳に記入し、 部屋を取った。彼はフロント・デスクにもたれ、フロント係に彼の考えを話し た。彼はエルモアには、いい場所を見つけて商売するためにやってきたといっ た。これからこの町で靴屋をするのはどうだろうか?靴屋を考えているのだが、 入り込む余地はあるだろうか?

 フロント係はジミーの服装と身のこなしに感心した。彼としても、エルモア の薄っぺらな見かけ倒しの若者たちに対しては、流行の手本のようなものにな っていたのだが、この時は、自分に欠けているものにいろいろ気づいた。ジミ ーがどういう風にネクタイを結んでいるのかあれこれ探りながら、彼は町の実 状を話して聞かせた。
 そうですね、靴関係でしたら、丁度あきがあるはずです。この町には靴の専 門店はありませんので。呉服屋とか雑貨屋で扱っているだけです。景気の方は、 どの関係もみなうまくいっています。スペンサーさんがエルモアに落ちつくこ とになるといいですね。住み心地のいい町で、気さくな人ばかりだということ がお分かりになりますよ。

 スペンサー氏は、この町にしばらくとどまり、様子を見てみようと思った。いや、ボーイを呼ぶ必要はない。このスーツケースは自分で運ぼう。かなり重いんだ。
 これまで通り生きるか、恋に生きるか、突然襲いかかった恋の炎に焼きつくされたジミー・バレンタインは、不死鳥のようによみがえり、ラルフ・スペンサー氏としてエルモアにとどまり、成功した。彼は靴店を開き、商売は大いに繁盛したのだ。
 人とのつき合いもうまくいき、たくさんの友人ができた。そして、ひそかに願っていたこともかなった。彼はアナベル・アダムズ嬢と知り合いになり、ますます夢中になっていった。

 一年の終わり頃には、ラルフ・スペンサー氏の生活はこうなっていた。町の 人々から尊敬され、彼の靴店は繁盛し、アナベル嬢とは婚約し、二週間後には 結婚することになっていた。アダムズ氏は、地道に生きている、田舎の銀行家 の典型で、スペンサーに満足していた。アナベルがスペンサーを誇りに思う気 持ちは、ほとんど愛情に等しかった。彼はアダムズ家でも、すでに結婚してい るアナベルの姉の家でも、とてもくつろいだ気分になり、まるでもうすでに家 族の一員になっているいるかのようだった。  ある日、ジミーは自分の部屋でこんな手紙を書いた。そして、セントルイス にいる古くからの友人のひとりの、安全な宛先に送った。

なつかしき友人へ
 今度の水曜日の夜、九時にリトル・ロックのサリバンの店に来てもらえない だろうか。ちょっとしたことをかたづけてもらいたいんだ。それから、オレの 道具一式をおまえにゆずりたいとも思ってるんだ。よろこんでもらえると思っ てるよ。1千ドル払ったって作れないしろものだからな。いいかい、ビリー、オ レはあの仕事はやめたんだ。一年前にな。いい店を持ったんだ。今はまっとう に暮らしている。二週間後には、この世で一番すばらしい女性と結婚するんだ ビリー、この生活しか考えられない。まっとうな生き方さ。今は、百万ドルく れるったって、他人さまのお金なら、1ドルだって手をつけたくない。結婚した ら何もかも売り払って、西部へ行くつもりだ。あそこなら、昔の仕事がばれる 心配もないだろうからな。なあ、ビリー、彼女はまったく天使だぜ。オレを信 じきっている。全世界をくれるったって、オレはもう悪いことはしたくない。 サリーの店には必ず来てくれよ。どうしても会わなくちゃいけないんだ。道具 はその時持っていくつもりだ。
旧友 ジミーより

 ジミーがこのような手紙を書いた次の月曜日の夜、ベン・プライスは貸し馬車に揺られながら、誰に知られるともなくエルモアの町に入った。彼流の目立たない方法で、町をぶらぶら歩き回っているうちに、知りたかったことを見つけ出した。スペンサー靴店の向かいにあるドラッグストアーから、彼はラルフD.スペンサーを見た。
「銀行家の娘と結婚だって、ジミー?」とベンはそっとひとり言をいった。
「さあて、それはどうかな」

 次の朝、ジミーはアダムズ家で朝食を取った。その日はリトル・ロックへ行 き、自分の婚礼衣装を注文し、アナベルに何かプレゼントを買う予定だった。 彼が町を出るのは、エルモアに来て初めてのことだった。最後にかつての本業 の「仕事」をして、もう1年以上たっていた。そこで彼は、思いきって出かけて 行っても大丈夫だろうと考えたのだ。

 食事を済ませると、アダムズ氏、アナベル、ジミー、結婚したアナベルの姉、 5歳と9歳になる幼い姉の娘など、家族みんなで町の中心へと出かけた。みんな はジミーがいまだに宿泊しているホテルのそばまでやってきた。ジミーは、自 分の部屋に駆け上がり、あのスーツケースを持ってきた。それから、みんなで 銀行へと行った。そこにはジミーの馬と、一頭立ての馬車と、ドルフ・ギブソ ンとがいた。ドルフ・ギブソンは、ジミーを鉄道駅まで送ることになっていた。

 みんなは、彫刻のしてある、背の高い樫材のカウンターを通り、オフィスへと入って行った。ジミーもいっしょである。というのは、アダムズ氏の未来の花婿は、どこへ行っても歓迎されたからだ。行員たちは、アナベル嬢と結婚することになっている、感じのいい、ハンサムな青年から挨拶されると喜んだ。ジミーはスーツケースを下に置いた。幸福と若さではちきれんばかりになっていたアナベルは、ジミーの帽子をかぶり、スーツケースを持ち上げた。
「どう、立派なセールスマンに見えるかしら?」とアナベルはいった。
「まあ、ラルフ!これずいぶん重いのね。まるで金塊がつまってるようだわ」

「ニッケルメッキの靴べらがつまってるんだ」とジミーはそっけなくいった。 「返品するのさ。自分で持っていけば、送料がうくと思ってね。だんだん倹約 家になってきたのさ、かなりのね。」
 エルモア銀行は新しい地下金庫室を作ったばかりだった。アダムズ氏はそれ がたいそう自慢で、みんなに見てもらいたいといってきかなかった。金庫室は 小さかったたが、新案特許のドアがついていた。それは3本の頑丈な鋼鉄のボル トと、一つのハンドルが連動して閉まるようになっていた。それにタイム・ロ ックもついていた。

 アダムズ氏は顔を輝かせながら、タイム・ロックの仕掛けをスペンサー氏に説明した。だが、彼は礼儀正しく耳をかたむけたものの、あまり専門的な関心は示さなかった。二人の子供、メイとアガサは、ぴかぴか光る金属や奇妙な時計や取っ手に喜んだ。
 こんなことをしているあいだ、ベン・プライス氏はぶらりと入って来て、肘をついて、カウンターのあいだから何気なく中の様子をうかがった。出納係には、別に用があるわけではなく、ただ知り合いの男を待っているだけなのだと伝えた。

 突然、女性の悲鳴が、ひとつ、またひとつとあがり、大騒ぎとなった。大人 たちが気づかないうちに、9歳になるメイが、いたずら心を起こして、アガサを 金庫の中に閉じこめたのだ。おまけに、アダムズ氏がするのを見ていて、その 通りに、ボルトをさっと閉め、組み合わせ錠のハンドルを回したのだ。老銀行 家はハンドルに跳びつき、しばらくの間それをひっぱてみた。
「開くはずがない」彼はうめいた。「時計は巻いていないし、組み合わせ錠も セットしていないんだ」
 アガサの母親は、また、ヒステリックな悲鳴をあげた。

「しっ、静かにするんだ!」とアダムズ氏は手をあげながらいった。「みんな、 しばらく静かにしていてくれ。アガサ!」アダムズ氏は、声を張り上げて呼び かけた。「聞こえるかい」
 しーんと静まると、消え入りそうな子供の声が聞こえた。真っ暗な金庫室の 中で、恐怖のあまり度を失って激しく叫んでいた。
「ああ、わたしの大事な子供が」母親は泣き叫んだ。「あの子、おびえて死ん でしまうわ。ドアを開けてちょうだい!さあ、こじあけてちょうだい。あなた たち男でしょう、何とかできないの?」
「リトル・ロックまで行かないと、ドアを開けられる者はいないんだ」とアダ ムズ氏は震える声でいった。「ああ、困った。スペンサー、どうしよう? あの 子、あの中では長くもたんぞ。空気だってそんなにないし、それに、おびえて、 ひきつけを起こすだろうし」

 アガサの母親は、もはや半狂乱になって、両手で金庫室のドアをたたいた。ダイナマイトを使ったらどうかと、乱暴なことをいう人もいた。アナベルはジミーの方を振り向いた。大きな瞳は苦悩に充ちていたが、まだ絶望はしていなかった。女性にとって、自分が尊敬している男性に、不可能なことがあるとは思えないのだ。
「なんとかできないかしら、ラルフ? ねえ、やってみてよ」
 彼はたとえようのない、やさしい笑みを口元に浮かべ、鋭い目つきで彼女を見た。

「アナベル」と彼はいった。「きみがつけているそのバラをぼくにくれないか」  聞き違いかと思いながらも、彼女はドレスの胸につけているバラのつぼみをはずし、彼の手の中に置いた。ジミーはそれをベストのポケットにねじ込むと、上着をかなぐり捨て、シャツの袖をまくりあげた。すると、ラルフ・スペンサーが消え、ジミー・バレンタインがそれにとって代わった。

「みんな、そのドアから離れるんだ」と彼は言葉少なく命令した。それから、あのスーツケースをテーブルの上に置き、ぱっと開けた。その瞬間、彼にとってそこには誰もいなくなった。彼は気ままに口笛を吹きながら、ぴかぴかの奇妙な道具を、すばやく、順序よく並べた。仕事をする時はいつもそうしていたのだ。他の人たちは、まるで呪文をかけられたように、固唾をのんで、身動きひとつせず、じっと彼を見つめていた。

 1分でジミーの愛用のドリルが、鋼鉄のドアになめらかに食い込んでいった。 10分で、これは金庫破りの自己の記録を更新するものだが、ボルトをはね返し てドアを開けた。
 アガサは今にも卒倒しそうだったが、持ちこたえて、母親の腕に抱き抱えら れた。ジミー・バレンタインは上着を着ると、カウンターの外に出て、正面出 口へと歩いて行った。歩きながら、聞き覚えのある「ラルフ」という声が、遥 か遠くから聞こえるような気がした。だが、彼は少しもはためらわなかった。

 出口には大きな男が、幾分立ちふさがるように立っていた。
「やあ、ベン!」とジミーはいった。あの奇妙な笑みはまだ浮かんでいた。「とうとうやったな。うん、じゃあ、行こうか。もうこうなったら、大した違いはないからな」
 すると、ベン・プライスは、少し妙な行動に出た。
「何か勘違いしているようですな、スペンサーさん」と彼はいった。「私があなたのことを知っていると思っちゃいけない。馬車が待ってるんだろ」
 それから、ベン・プライスはくるりと背を向けて、通りをゆっくりと歩いて行った。(完了)


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