サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経

阿羅漢(Arahatship)阿那含(Anagama)

サティパッターナ・スッタをパーリ語から英語に翻訳された U Jotika氏の著作『 自由への旅 』には、悟りが四段階にまとめられています。

悟りの第一の段階
煩悩のうち、疑いと誤った見方は根絶されるが、欲望、貪り、怒り、欲求不満は根絶されない。まだ感覚の楽しみを享受するが、己の戒を正常に保っており、決してそれを破ることはなく、それを破りたいという欲望をもつことさえない。

悟りの第二の段階
どの煩悩も、完全に根絶されないが、貪欲と瞋恚(しんに:自分の心にかなわないことに対し憎しみ憤る心作用)を弱める。貪り、怒り、欲求不満も弱められるが、弱い貪欲と嫌悪はまだ残る。

第二の段階では、何も根絶されない。ただ、根絶されていない煩悩の力を弱めるだけだ。

悟りの第三の段階(阿那含)
誤った思考、中傷、きつくて強い言葉はこの段階で根絶される。貪欲と瞋恚もこの段階である程度根絶される。怒りもこの段階で根絶される。全ての怒りとストレスは、この第三の段階で根絶される。後悔(悪作)もこの段階の悟りで克服される。

後悔と悔恨は根絶することができるが、貪欲は根絶されない。依然としていくつかの煩悩がある。感覚の楽しみを享受しようとする貪欲はないが、清浄で安らぎに満ちたこの上なく幸福な上位の存在への貪欲はまだ残っている。特別な生、清浄な存在に対する執着がまだある。上位の存在へのこの貪欲も一種の渇愛だ。

この段階に到達した自分の達成に非常に満足するが、これはプライドと執着の微細な形であって、一種の欲望である。これは第四の段階によってのみ克服される。

悟りの第四の段階(阿羅漢)
この段階に到達した時には、恒常的な我である自己の存在を信じなくなる。我見という邪見が根絶され、自分という存在から解放される。全てが流動、変化の中にある。

悟った後には、感覚の楽しみを本当の意味で享受することができる。感覚に囚われていないので、感覚の楽しみが素晴らしいのだ。そして、その楽しみに囚われてはいない。

涅槃は静寂、もしくは消えてしまった炎にとてもよく似ている。清浄で安らぎに満ち、この上なく幸福な生の状態への貪欲は、 この段階によって根絶される。

完全な気づきは、この悟りの後に起こる。綺語(くだらないお喋り)、邪精進、邪念、邪定、邪解脱、邪智は、この段階で根絶される。

「ああ! 私はあれやこれやのことをした。あれやこれやのことを楽しんだ」など、過去のことを思い出すこともなくなる。私たちはもう過去について考えない。考えるというのは、過去か未来について考えることで、現在について考えることはできない。本当にマインドフルである時、そこに思考の存在する余地はない。

部派仏教(Early Buddhist Schools)では、修行の階位がそれぞれ以下のように四種類に分類されています。

預流 : 聖者の流れに入り最大七回人間界と天界を生れ変りニルヴァーナに入る。須陀オン (シュダオン)
一来 : 今生を終えた後、一回だけ人間界と天界の間を往来してニルヴァーナに入る。斯陀含 (シダゴン)
不還 : 今生を終えた後、色界へと登り、そこからニルヴァーナに入る。阿那含 (アナゴン)
応供 : 今生でニルヴァーナに至り、生まれ変わることはない。阿羅漢 (アラカン)

色界とは、三界(欲界 ・ 色界 ・ 無色界)のひとつで、俗界の淫欲と食欲の二つの欲望は超越したものの、物質的条件(色)にはまだとらわれたところです。








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