サールナート(Sarnath) 初転法輪(ブッダの初めての説法)の地(鹿野苑) sarnath
〜 交通 〜

サールナート(Sarnath)への巡礼は、ほとんどの人がバラナシ(Varanasi)から日帰りでしているようです。バラナシからは約 10km。私もバラナシのホテルに泊まり、日帰りで訪れました。

朝早くホテルを出て、Godowlia(ゴードゥリア)の交差点まで行く途中で、 リキシャ(トゥクトゥク) のドライバーがサールナートまで片道 300Rs と声をかけてきました。往復 300Rsというのがネットの相場だったので、高いとは思いましたが、交通費の値段はバスや列車などを含めて高騰しているようなので、それが相場なのかとも思いました。

サールナートではゆっくりと遺跡をみたかったので、待つ必要はないとドライバーに言ったのですが、どうしても待つと言い張るので、誠実な交渉の末、往復 400Rs。だいたい 1km 2Rs が相場だとネットの情報にありましたので、その値段が妥当なのではないかと判断しました。 サールナートにも リキシャ(トゥクトゥク) がたくさん客待ちをしていました。どうも、供給過剰のようですが、運賃は高くなっているのです。

サールナートまではわずか 10km なのに、50分くらいかかりました。ネットの情報では約 30分ということでしたが、涼しい午前中に行って帰ろうとしたら、バラナシ(Varanasi)市内で朝の交通渋滞に巻き込まれたようです。

バラナシ(Varanasi)へはデリーから飛行機が利用できます。列車の旅がしたい人は、デリーとコルカタを結ぶ、夜行寝台列車のラージダーニー急行(Rajdhani Express)が利用できます。夕方にニューデリーを出て、次の日の午前中にはコルカタのハウラ駅に到着します。その逆のルートも利用できます。バラナシ(Varanasi)には、バラナシ・ジャンクション駅ではなく、15km離れたムガルサライ(Mughalsarai)駅に、早朝に到着します。この駅は最近、駅名をディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(DD Upadhyaya)に変更したようです。ラージダーニー急行(Rajdhani Express)の列車の時刻は India Rail Info で調べることができます。

バラナシ(Varanasi)を訪れる人が利用できる駅には、バラナシ・ジャンクション駅、バラナシ・シティ駅、ディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅、カーシー駅があります。自分の乗る列車がどの駅に到着するか、どの駅を利用するのが自分の旅行に最適かを確認する必要があります。

私はバラナシ(Varanasi)には、ゴーラクプル(Gorakhpur)から列車で行きました。ゴーラクプル・ジャンクション駅を夕方出て、バラナシ・ジャンクション駅には夜着きました。ちなみに、ジャンクション駅というのは、複数の鉄道路線が合流・分岐する駅ということですが、インドではその町の主要駅という意味で使われているようです。 バラナシ・ジャンクション駅までの列車の時刻は、インド鉄道のIRCTC(Indian Railway Catering and Tourism Corporation)の National Train Enquiry System で調べることができます。「Trains Between Stations」をクリックして、出発駅と到着駅を入れれば時刻表が出てきます。

当初の予定では、クシナガラからゴーラクプルまではバスを利用し、ゴーラクプル・ジャンクション駅からは 22:45発の夜行でバラナシに行くつもりだったのですが、乗ろうと予定していた夜行列車は満席で、座席の予約ができませんでした。自由席の General で行こうと思ったのですが、予約係の人が 16 時にバラナシ行きがあるからそれに乗った方がいいと言うのでそうしました。General クラスで夜行列車に乗るのは、外国人の場合、避けた方がいいとその人は思ってそう言ってくれたのだと思います。

16 時のバラナシ行きの列車の General の切符を購入しようと列に並び、長く並んで自分の番がきたら、右側からすっと手が伸びて、窓口の中にいる係の人に自分の行きたい場所を言います。手にはお金が握られています。割り込みですが、係の人がその人の握っていたお金を取り、その人に切符を渡します。私が割り込んだ人に文句を言っている間、今度は左側から同じようなことをする人が現れます。私の後ろには長い列があり、大勢の人が並んでいます。係の人が、どうしてあからさまに割り込んだこのような人たちに切符を売るのか、理解できません。列に並んでいる人は、このように割り込みに文句を言う人もいますが、だいたい、あまり文句を言わないようです。係の人が切符を売るからこのような割り込みはなくならないのだと思いました。

JR がかつて日本国有鉄道(JNR)だった30年以上も前、職員の怠慢な勤務態度が問題になっていましたが、インドの国鉄職員、特に切符を売る職員の勤務態度はひどいものだと実感しました。自分の番が来たから行先を告げてお金を渡そうとすると、立ち上がってぷいとどこかに行ってしまいます。いつまで経っても戻って来ません。列に並んでいる人たちは、このようなことに慣れているのか、すぐにその窓口に見切りをつけて別の列に並びます。

その場を離れない場合でも、切符を売るのをやめて、お金を数え始めます。それを束にして、またお金を数えます。売り上げを数えているのかもしれませんが、そのようにいくつもの束を数えた後、記帳してまた切符を売り始めます。しばらくして、切符を売るのをやめて、またお金を数え始めます。このような売り方をしているため、長い列はなかなか前に進みません。そのうちその人は、席を立ってぷいとどこかへ行きます。どこに行ったんだろうと私がつぶやくと、多分トイレだと後ろの人が言います。そのような勤務態度に慣れているのでしょう。

私が、バラナシ・ジャンクション駅まで General と言うと、窓口の女性は、ここではない、あそこだ、と言います。私が外国人だったので、Reservation の窓口に行けということでしょうが、そのプロセスはすでに終えて乗りたい夜行列車には席がないから General で行こうとしているのだ、と言っても売ってくれません。今度は 3 番の窓口に行けと言います。しょうがないので 3 番の窓口に行くと、係の人はいましたが、Closed となっていて切符は売っていないようでした。私は 5 番の窓口の人が 3 番に行けと言うから来たのだと何度も言いました。少々声を荒げていたかもしれません。その窓口の女性は、しばらく黙って作業(お金を数えている)を続けていましたが、一体何の用だと腹を立てたように言います。もちろん、バラナシ・ジャンクション駅、General です。3 番の窓口のその女性は、 5 番の窓口の女性が 3 番に行けと言ったのかと、私が言ったことを確認します。もちろん、と私が答えると、その女性はその場を離れて、5 番の窓口の女性を連れてきてヒンディー語で何かを言っています。多分、自分の仕事を他人に押し付けるなというようなことを言っていたのではないかと思うのですが、はっきりしたことは分かりません。

バラナシ・ジャンクション駅まで General 255Rs。通常の精神状態だったら、この金額がおかしいと気づくのですが、この時は混乱していたので言われるままにお金を出し、切符をもらいました。切符は、85Rs と書かれた 3 枚つづり。この時には、普通ならおかしいと思うはずなのに、インドの国鉄の切符はこうなっているのだろうとそのまま受け取りました。

列車に乗る時は、ホームで親切そうな人に声をかけて、同じ列車に乗る人を探しました。インドでは列車の到着ホームが頻繁に変わり、ヒンディー語でのアナウンスしかないとネットの情報にあったからです。この時にもバラナシまでは行かないにしても、その列車に乗る人を見つけていろいろ話をしました。私の切符を見せると、どうして同じ切符を 3 枚持っているのかと相手は問います。それで窓口の女性が勘違いしていることにやっと気づきました。3番の窓口というところから、切符 3 枚と勘違いしたのではないかと思いました。

窓口に戻ると先ほどの女性たちではなく、その時間帯は男性が切符を売っていました。3 番の窓口に行き事情を説明すると 2 枚の切符はキャンセルにしてくれました。170Rs 戻ってくるはずですが、60Rs のキャンセル料を取られました。言ってもしょうがないとは思いましたが、腹の虫が治まらないので、私がきちんと確認しなかったのもいけないのですが、「そちらの間違いで起きたことなのに、どうしてキャンセル料を私が払うのだ」と言うと、窓口の男性は、ただひと言。Yes, you are right! とすました顔で言います。多分、このようなことは頻繁に起きていて、その男性職員には慣れっこなのだと思いました。もちろん、キャンセル料は戻ってきません。

バラナシ行きの列車は、約1時間遅れてホームに入って来ました。ホームで列車を待っていた人は、列車がまだ動いているのに飛び乗っていました。ひとつの車両を除いて、全車両 General クラスの列車には、大勢の人が群がっていました。私も、重いリュックを担いでいましたが、先に飛び乗った人のまねをして、列車と同じ方向に走りながら、両手で出入口の手すりをつかみ飛び乗りました。意外と簡単です。これで座席を確保と思っていたら、誰もいないはずのボックス席にはすでに男がいて、ここの席は全部俺のものだと言います。言い争っている暇はないので、別のボックス席に行くと、そこにも男がいて同じようなことを言います。事情を知っているインドの人たちは、ホームの先端にいて列車が入ってくると同時に飛び乗って席取りをしていたのでしょう。結局、座りたかった窓際には座れませんでしたが、自分ひとりが座る席は確保できました。

バラナシへは、夜の10時頃到着。ゴーラクプルからは 231km の距離で、約 5時間。当初は、夜行寝台列車で早朝に到着する予定だったので、ホテルは予約していませんでした。そのためにその夜は、駅の構内で野宿をしました。現在の日本では考えられないことですが、バラナシ・ジャンクション駅の構内は、大勢の人たちがシートを床に敷いて寝ています。シートを売っている人もいました。私はあらかじめこのような状況を予想して、レジャーシートを持ってきていたのでそれを敷いて寝ました。大勢の人が寝ていたので、盗難の心配は多少ありましたが、安心してぐっすり寝ました。

〜 宿泊 〜

小さなお店が立ち並ぶベンガリートーラ(Bangli Tora)という通りとガンジス川(Ganga)の間にあるシヴァ・ゲストハウスというところをネットで予約しました。ロケーションで選びました。シャワー・トイレ付の個室で、窓もあり景色も見えます。屋上からはガンジス川が見えます。一泊 700Rs。窓のない部屋は 400Rs 以下の値段のようです。この地をまた訪れることがあってもここに泊まることはないとは思いますが、悪くはないホテルでした。

〜 サールナートのみどころ 〜

サールナート仏教遺跡公園

入場料 300Rs。Bimster Country(意味不明)から来た人は 25Rs。

入場料を支払う時に、どこの国から来たのかと聞かれました。国によって入場料が違うからでしょう。これは祇園精舎(Jetavana Vihara)と同じです。

遺跡群の中には、ダメーク・ストゥーパ遺跡(Dhamek Stupa)、パンチャヤタン遺構、ムルガンダクーティ寺院遺跡(Mulgandha Kuti Vihar)、ダルマラージカー・ストゥーパ(Dharmarajika Stupa)、アショーカ王柱(Ashoka Pillar)などがあります。

● ダメーク・ストゥーパ(Dhamek Stupa)

アショーカ王が紀元前 3 世紀に、初転法輪の地を記念して建てたのが最初と伝えられています。高さ 43m の現存する今のストゥーパは 500年頃のものです。この時代は、ブッダガヤの大菩提寺など、高層の寺院や仏塔を建築するのが流行ったようです。このストゥーパは、幾度かの拡張を経て、現在は高さ43.6m 底辺直径36.6m と、この遺跡公園では最大の建造物です。

パンチャヤタン

ダメーク・ストゥーパからムルガンダクーティ寺院遺跡へと向かう途中、コンクリート屋根の遺構があります。ブッダは、自分が悟った教義を最初に伝える(初転法輪)のは、かつての修行仲間だと、ブッダガヤからやって来ましたが、そのブッダとどう向き合うか、苦行をあきらめたブッダに失望していた五比丘が相談した所だといわれています。パンチ(5 人)+ ヤタン(会議)から、「 パンチャヤタン 」と呼ばれています。 この遺構の形 は、卍の字形のルーツになったとの説もあります。

● ムルガンダクーティ寺院遺跡(初転法輪寺:Mulgandha Kuti Vihar)

古代の仏教寺院「ムラガンダクーティ寺院(根本香堂)」の遺構です。グプタ王朝期の 4 世紀に、この地で初転法輪(ブッダの初説法)が行われたことを記念して、アショーカ王柱近くに寺院が建立されました。現在は建造物は崩れ落ち、その基礎の部分が残っているだけです。寺院の基礎部分は、一辺 18.29m の四角形で、その分厚い壁の構造から、約 60m の高さの建物だったのではないかと考えられています。玄奘三蔵の「大唐西域記」には、高さ百尺余り(約 60m)の精舎が空高く聳えていたと書かれているようです。

● ダルマラージカー・ストゥーパ(Dharmarajika Stupa)

現在は、ブッダの仏舎利を納めていたストゥーパの基部があるだけです。このストゥーパもダメーク・ストゥーパと同じくアショーカ王が建てたものです。

建物は、1794年まであったようですが、当時のバラナシの宰相が、このストゥーパのレンガを利用して市場を作ったために、建物は壊れてしまったということです。壊す時、ストゥーパの中から仏舎利の入った容器が出てきたということですが、ヒンズー教の習慣に従ってガンジス川に流したようです。

ストゥーパとは、日本語では卒塔婆ですが、仏舎利を安置する仏教建築物です。サールナートでは、ダメーク・ストゥーパからもチャウカンディー・ストゥーパからも仏舎利は発見されていません。ダルマラージカー・ストゥーパは、その後の調査から、アショーカ王が建てたことが分かっていますから、偽物の仏舎利がたくさんなる中、捨てられた仏舎利は本物だった可能性が高いといわれています。

● アショーカ王柱(Ashoka Pillar)

アショカ王が仏教普及のために建立したということです。ダルマラージカ・ストゥーパから少し進んだところに、3 つに折れたアショカ王柱があります。ブラフミー文字で『教団の中で戒律を守らなかった比丘または尼比丘は、教団から追放し還俗させる。』という出家者の戒律が刻まれています。この柱頭部には、「柱頭部 4 頭獅子像」と呼ばれる、インドを象徴する彫刻が載せられていました。この作品はインドの国宝の中でも最も重要なもので、インド政府の国章ともなっています。現在は、隣接する考古学博物館(金曜休館)で展示されてます。私がサールナートを訪れたのは、たまたま金曜日だったので、これを見ることはできませんでした。

ムルガンダ・クティ寺院(初転法輪寺:Mulgandha Kuti Vihar)

スリランカが 1931 年に遺跡公園の隣の敷地に再建した寺院です。インド政府は、ムルガンダ・クティ寺院(Mulgandha Kuti Vihar)を遺跡公園内に再建しようと計画しているようですが、スリランカがいち早く公園外に再建したようです。建物内部の壁には、日本人画家の野生司香雪(のうすこうせつ)のブッダの生涯の絵が描かれています。再建したスリランカの大菩提会の創設者であるダルマ・パーラが、野生司香雪(のうすこうせつ)に依頼したということです。入場無料。

チャウカンディー・ストゥーパ(迎仏塔:Chaukhandi Stupa)

ブッダが五人の比丘たちと再会した場所を記念して作られたストゥーパです。入場無料。

考古学博物館

入場料 100Rs ということでした。金曜日が休館日です。私はたまたま金曜日にこの地を訪れたので展示品を見ることができませんでした。その時は疲れ切っていたので閉館を知っても残念には思いませんでしたが、今はとても残念に思います。




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