サヘート・マヘート(Saheth-Maheth) 雨安吾(夏)の地(祇園精舎) sahethmaheth

〜 交通 〜

サヘート(祇園精舎:Jetavana Vihar)、マヘート(コーサラ国の首都の舎衛城:Maheth)のあるシュラバスティ(Srabasti)は、ネパールとの国境の約50km 南にあります。辺境にあるこの地は、交通の便が悪いために観光地化されていないということでしたが、行ってみて十分観光地化されていると感じました。交通の便は悪いのですが、それは個人観光の場合で、団体旅行の場合、観光バスで行くので交通の便など関係ないようです。

日本からこの地を訪れる場合、 Delhi までの往復チケット(平均 6万円以上)を購入し、Delhi から Lucknow(ラクナウ)まではインドの国内線(片道3,000円以下)を利用するのが一番安くて確実です。日本から Lucknow までの直行便はありませんが、多くの方が Lucknow まで通しで航空券を購入しているようです。ただ、これは割高(約 8万円以上)です。Delhi までの往復を購入し、Delhi からは Make My Trip のようなインドの国内旅行を扱っているサイトで予約・購入する方がお得です。

私は、Lucknow 空港からタクシーを利用しました。シュラバスティ(Srabasti)までは約 200kmの距離です。私は空港の外で呼び込みをしていた男性が 4,000Rs(約6,500円)で行くというのでこれを利用しました。Lucknow 空港には Prepaid Taxi があります。3,500Rs。私もこれを利用しようと思ったのですが、混んでいたので外のタクシーを利用しました。 Prepaid Taxi が 500Rs(約800円)も安いとは思いませんでした。混むのには、やっぱり、理由があるのですね。

外のタクシーを探すために一度空港の建物の外に出たのですが、中に入ろうとすると警備の警察官が入れてくれませんでした。荷物はカートに載せたまま空港の中にあるのでそれを説明し、乗ってきた飛行機の搭乗券を見せて何とか中に入れてもらいました。インドでは空港へは入場制限があるとネットで知っていたのですが、ここまで厳しいとは思いませんでした。

他に、Gonda から行く方法もあります。ここからだと Srabasti(シュラバスティ)までは 62km で、タクシー料金も 1,200Rs と割安です。バスだとバルランプールという町で乗り換えて Srabasti(シュラバスティ)まで合計約100Rs くらいです。ただ、デリー空港からゴンダ(Gonda)に行くのが大変です。デリー・ゴンダ間のこの路線は、他と比較して列車の本数は多いのですが、インドに慣れていない人にはかなりの負担です。また、バス停を探すのにも苦労します。ここらの人たちは英語をほとんど話しませんので、相当な苦労です。旅に慣れている人で、そんなのぜんぜん平気、むしろそのような体験をしたいという人は別として、このルートはあまりお勧めできません。

デリー駅からゴンダ駅までの列車の時刻は、インド鉄道のIRCTC(Indian Railway Catering and Tourism Corporation)の National Train Enquiry System で調べることができます。「Trains Between Stations」をクリックして、出発駅と到着駅を入れれば時刻表が出てきます。

空港で呼び込みをしている男性とタクシー・ドライバーは別で、役割分担があるようです。私の乗ったタクシー・ドライバーは、対向車が来ているのに平気でセンターラインを越えて猛スピードを出して前の車を追い越す乱暴な運転をしていました。クラクションを鳴らしっぱなしで、時速100km以上は出していました。インドでは、オートバイを含めて、ほどんどのドライバーがこのような運転をしているようでした。ゆっくり行ってくれと頼んでも聞いてくれず、無事に着けるかとても不安でしたが、事故もなく無事に到着できたのが奇跡と思えるほどの恐怖心がありました。

ガソリンがないというので、途中のがガソリンスタンドで給油をしました。その時、料金の半分の 2,000Rs を渡しました。このようなことはよくあることのようで、ネットであらかじめこの種の情報を得ていたので動揺することなく対処できました。

途中、ドライバーと朝食を取りました。レストランは、建物前に広い駐車場があり、ドライブインのようでした。揚げ物 2 点にカレーをかけた単品と、バターで炒めたライス、1リットルのミネラルウォーター、ミルクティ。店主が適当に見繕ってくれました。ドライバーの分も含めて二人で 120Rs(約200円)。あまりにも安いので、最初、1,200Rs と勘違いして、ぼられているのかとうろたえましたが、インドではこの種のレストランの食事はこの程度なんですね。お釣りもきちんとくれて、とても良心的で、好印象を持ちました。

Srabasti(シュラバスティ)へは、Jetavana Vihar(祇園精舎)を目指しました。 Lucknow(ラクナウ)のタクシー・ドライバーはここがどういう場所かを知らないようでしたが、道行く人に方向を聞くと、現地の人のほとんどは Jetavana Vihar(祇園精舎)を知っていました。私はグーグルマップをプリントアウトして持って行きましたが、これがとても役に立ちました。

空港を6時半頃出て、Srabasti(シュラバスティ)には朝10時半頃到着しました。道中朝食を取って、だいたい4時間の所要時間でしたが、普通に運転していたらもっとかかったと思います。

到着したその日は、Jetavana Vihar(祇園精舎)の正面にあるスリランカ寺の宿坊に泊まる予定だったので、そこでタクシーを降りました。降りる時、ドライバーに残りの 2,000Rs を渡したのですが、もう 100Rs くれと言います。インドではだいたいがこのパターンのようです。払う必要はないのですが、無事に着いた喜びと、いきなり揉めるのも嫌だったので、朝飯、おごってやっただろと言いながら、50Rs ほどチップとして渡しました。ドライバーは英語をほとんど話さないので、日本語でそう言ったのですが、ジェスチャーを交えたからか、十分通じたように思えました。ドライバーとは笑顔で別れることができましたが、インドではそんなことに気を使っていたら、何もできなくなるということが、後々の旅でよく分かりました。

〜 宿泊 〜

スリランカ寺の駐車場は、Jetavana Vihar(祇園精舎)の正面にあります。私がタクシーを降りた時、バスなども含めて何台もの車がそこに止まっていました。私は近くにいたインド人の男性に、今晩ここに泊まりたいと言いました。すると、そのそばにいた少年がすぐに私を中へ案内してくれました。少年は建物の中に入るとカギを取って、私を部屋に案内してくれました。そのすぐ後に、駐車場にいたインド人の男性が来て、一泊 500Rs と言いました。私はすぐに了承しました。

一階のその部屋は 3 人部屋のようで、3 台のベッドが所狭しと置いてありました。窓はひとつありましたが、鎧戸で閉められていました。それを開けるとなかなか閉まらなくなり、何とか閉めてそれからは触らないようにしました。寒かったので、窓をきちんと閉めたかったのですが、閉まらないのであきらめました。この日は宿坊に泊まるのは私だけだったようで、個室として利用できました。夜は寒かったので、ベッドに置いてある 3人分の毛布を利用することができました。ぐっすり眠ることができ、疲れを癒すことができました。

部屋に入って荷物を解いていると、すぐにあのインド人の男性が食事を持ってきてくれました。寺院の中は大勢の巡礼者がいて、その人たちはこれから食事をするようでしたが、私が食事をする場所はないようでした。料理はライスにカレーがかかっていましたが、日本のカレーライスの味に似ていて、とてもおいしく味わえました。その他、皿に山盛りの果物と、それとは別の皿に山盛りのお菓子も持ってきてくれました。果物とお菓子は食べきれなかったので、その日の夕食と翌日の朝食にしました。

部屋を出てすぐの場所にトイレとシャワーがありました。シャワーは水しか出ないのですが、髪を洗い身体を洗ってそれまでの旅の埃を落としました。トイレは男女兼用で、利用するのにはかなりの勇気が必要でした。巡礼者の中には若い女性もいて、歳を取った男性の私がそう感じるのですから、彼女たちの苦労は相当なものだろうと思いました。

翌日早朝に観光に出かけ、戻ってきた時、寺院では何かの儀式をしていて、儀式に参加している巡礼者で部屋への通路がふさがれていました。私が戻って来て部屋に入りたがっているのを知った僧侶のひとりが、私を部屋に誘導してくれました。儀式が終わると、前日と全く同じ状況で、大勢の巡礼者がそこで食事をするようでした。あのインド人の男性は、前日と同じように食事を部屋に運んでくれました。ここではみんなとても親切でした。

〜 みどころ 〜

サヘート(祇園精舎:Jetavana Vihar)とマヘート(コーサラ国の首都の舎衛城:Maheth)との距離は、だいたい 1km くらいです。歩くのが遅い私の足で歩いて約30分くらいでした。コーサラ国の首都の舎衛城の喧騒に煩わされず、祇園精舎で修業をしていた当時の修行僧が、毎朝、マヘートへ托鉢にいくのには丁度いい距離なのでしょう。

マヘート(コーサラ国の首都の舎衛城:Maheth)

マヘートへは、スリランカ寺の前の道、マヘート・ロードを北に進みました。コーサラ国の首都の舎衛城といっても、発掘作業をしている遺跡群があるだけで、現在この地にあるのは、「アングリマーラのストゥーパ」と「スダッタ長者屋敷跡」だけです。

スリランカ寺を出発したのは、朝の5時を過ぎた頃でした。まだ、夜明け前の薄暗がりの中を、まず、祇園精舎を左に見ながら進みました。外灯がないのにきちんと歩けました。日の出が近かったからでしょう。路上には早朝にも関わらず人があちこちにいました。子どもたちもいました。

少し歩くと右手に畑が広々と広がっていました。畑の中に距離おいて人がうずくまっているのが見えました。女性が用を足しているのだと思いました。インドのトイレ事情はよく聞いていましたが、目の当たりにして少し驚きました。道からすぐの誰からも見える場所で用を足すのは、道から見えない場所だと襲われる危険があるからだろうと思いました。

歩いていくうちに、風景の輪郭が、だんだんとはっきり見えるようになりました。いよいよ日の出だと思いました。道が二股に分かれている場所では、子どもたちが近寄って来て、正しい方の道を教えてくれました。

● アングリマーラのストゥーパ(Angulimal Stupa)

遺跡は鉄柵で囲まれていました。ストゥーパというよりも僧院跡のようでした。鉄格子の扉を開いて中に入りました。扉のそばには守衛詰め所のような小さな建物があり、中には人がいました。多分、その人が守衛なのでしょう。

日の出前なのに、他にも男女の巡礼者がいて、その人たちは建物横の折れた塔のような遺跡物に手を合わせていました。アングリマーラの塔なのだと思いました。その人たちが拝んでいなければ見過ごしていたに違いない塔には、金箔が貼られていたようですが、あちこち剥げていました。

● スダッタ長者屋敷跡(Anathapindika's Stupa)

アングリマーラのストゥーパから道を挟んだ直ぐの場所にあります。こちらの遺跡も鉄柵で囲まれていて、鉄格子の扉を開けて中に入りました。レンガの建物を見て回り、一番高い場所に上った時、ふと地平線を見ると、太陽が昇っていました。

マヘートの遺跡群は発掘中で、現在はこの二つの建物だけのようです。スダッタ長者屋敷跡から出ると、朝の7時前だというのに、大型観光バスが停まっていました。入る時はいなかった美しく着飾った少女が、入り口から少し離れた場所に敷いた敷物に座っていました。洗練された物乞いだと思いました。大型観光バスが来るという情報をあらかじめ得ていたのでしょう。

サヘート(祇園精舎:Jetavana Vihar)

「地球の歩き方」最新版の2019年の地図では、祇園精舎の入り口はスリランカ寺の正面にありますが、そこは入り口ではありませんでした。そこは閉鎖されていて警備員だけがいました。入り口は「地球の歩き方」では「裏口」と書かれている場所に変わっていました。この場所は、別のガイドブックでは「北口」と書かれていました。今回、祇園精舎に関しては、入場料も含めて、多くの点でガイドブックやネットの情報とは違い、少し戸惑いました。

祇園精舎はとてもきれいに整備されていました。物乞いや土産物売りなどに煩わされることも、少しはありましたが、予想したほどありませんでした。まず、チケット売り場に行き入場料を支払いました。

Bimster Countres(意味不明)から来た訪問者は 25Rs、その他の国から来た人は 300Rs と案内板にありました。私は窓口で、日本から来た者はいくらだと聞きました。チケット販売係の隣に座っていた男が、私が言い終わらないうちに、300Rs! ときっぱり言いました。そこには「お金持ってるんだろ、文句言わずに出せよ!」という響きを感じました。 25Rs と 300Rs と、料金があまりにも違うので、きっと多くのクレームがあるのだろうと思いました。

300Rs といえばインドでは割と高額です。これほどまで高額な入場料を支払うのだからさぞやそれに見合うだけのインフォメーションがあるだろうと、まだインドを知らない私は思ってそう言うと、何もありません。隣に座っていた例の男が、騒々しくあれこれ探って、栞のようなものを探してきて私に渡してくれました。

そもそも、今回の旅の始まりは、ネットで見た祇園精舎の一枚の写真でした。その写真には、静寂の中にたたずむ祇園精舎がありました。私はその写真を見て、ぜひ、この静寂に浸りたい、と思いました。ですから、ここでは何よりも静寂を期待していました。

スダッタ長者屋敷跡からマヘート・ロードをゆっくり歩いて、ここに到着したのは、まだ朝の 8時前でしたが、駐車場には大型観光バスが何台も止まっていて、大勢の巡礼者がすでに園内にいました。遺跡に敷物を敷いて僧侶の法話を聞いている集団もあれば、僧侶の読経の中で共に祈る集団などもあり、多くの人たちが園内の遺跡でさまざまな仕方の巡礼をしていました。僧侶はハンドマイクで話しています。鉦や太鼓を使って読経をしている僧侶もいました。相当に騒々しいのです。私はその喧噪から逃れようと、遺跡から離れて奥へ奥へと進みました。

遺跡の回りにはゴミひとつ落ちていないのですが、遺跡から離れると、だんだんとゴミが目立ちました。壁際の隅には、大量のゴミが散乱しています。巡礼者がそこに捨てていいるのではなく、巡礼者がゴミ箱に捨てたゴミを、穴を掘ってそこに埋めているようです。作業が雑だからか、埋め戻したと思われる穴の周辺はゴミだらけでした。

壁に沿って歩くと、相当に汚いのです。トイレの白い便器のようなものまでが捨てられています。遠くに聞こえる鉦や太鼓や読経のハンドマイクの声などなどを聞きながら壁に沿って歩き、歩き疲れてコンクリートの塊に腰かけて休んでいると、警備員が近寄って来ました。ここらあたりはショート・スネークがいるから気をつけろ、と私に言います。毒を持っているのかと尋ねると、持っている、と。私は早々に立ち去り、草むらには二度と入りませんでした。

● ブッダが居住していた香堂(Gandhakuti)

園内には、寺院跡や僧院跡、沐浴場など多くの遺跡があり、きれいに剪定された生垣に沿って、コンクリートで舗装された道を歩いて廻れます。それらの遺跡の中でも一番人気(最も神聖な場所)がこの遺跡ではないかと思います。階段を上って中に入ると、貼り付けた金箔がところどころ剥げている 円錐状のストゥーパが正面にあります。

そこからさらに奥へ進もうとすると、僧侶が大声で私に向かって Hey! Hey! Hey! と叫びます。その声には怒りが感じられました。何事かと驚いていると、履物を脱げと言っているようです。ここは寺院ではなく遺跡なのだから履物は脱ぐ必要はない、などということは言わずに、その僧侶の言うことを尊重して履物を脱いで奥へと進みました。彼らにとっては、そこは寺院以上に神聖な場所なのだと思いました。

● アーナンダの菩提樹

ブッダがその下で悟りを開いたブッダガヤの菩提樹に次いで尊いとされているようです。樹の回りは多くの花が飾られていました。ある男の巡礼者は、多分、ミャンマーからの団体だと思うのですが、仲間とともに香水を樹の根元に吹きかけていました。海外の免税品店で香っているあの香りでした。

Mahamongkol Chai Dhamma

祇園精舎のすぐそばに黄金色に輝く大きな寺院があります。世界平和を願う団体が建てた寺院のようです。昼間の数時間一般公開されているようです。私は祇園精舎を訪れた後に行きましたが、時間外なので、中には入れてもらえませんでした。

祇園精舎の鐘

マヘート・ロードから左に折れて幹線道路を少し歩くと右側にあります。祇園精舎に鐘は必要なようで、1981年(私の記憶では)に日本人がこの地に建てたようです。日本の鐘撞と違って、鐘を撞く撞木にあるはずの下に垂れた紐がないので、 撞木を直接手で持って 撞かなればなりません。私は三度撞きました。

その他、韓国寺やタイ寺など、各国の寺院があるようですが、私が求めていた静寂はどこにもありませんでした。



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