更新日2005年06月08日

「紙つぶて」(PAPER PILLS)

本文テキスト

彼は顎髭が白く、鼻と手がとても大きな老人だった。我々が知るようになるずっと前から医者をしていて、ワインズバーグの通りをよぼよぼの白馬に馬車を引かせ、家々を回っていた。後年、彼はお金持ちの女性と結婚した。彼女の父親が死んだ時、彼女は広大で肥沃な農場を相続した。彼女はもの静かで、背が高く、黒髪だった。多くの人は、彼女をまれにみる美人だと思った。ワインズバーグの誰もが、どうして彼女がその医者と結婚したのか不思議に思った。結婚して1年もたたないうちに、彼女は死んだ。

その医者の指の関節は異常に大きかった。手を握りしめている時、指の関節は、何も塗られていない木球の房のように見えた。それらは鋼鉄の棒にくっつけられたクルミのようだった。彼はコーンパイプをふかし、妻の死後は、がらんとした診察室のクモの巣だらけの窓際に一日中座っていた。彼は一度も窓を開けたことはなかった。一度、ある暑い八月、開けようとしたが、びくともしないので、その後、窓のことはすっかり忘れてしまった。

ワインズバーグの人たちは、この老人のことを忘れてしまったが、リーフィ 医師の中には、すばらしい何かが芽生えていた芽生えていた。彼は、ヘフナ ー街区にあるパリ衣雑貨店の2階のかび臭い診察室にひとり閉じこもり、何か を壊しては組み立てるという作業を休みなくしていた。真理の小さなピラミ ッドを組立て、組み立てるとそれをまた壊し、別のピラミッドを組み立てる ための真理をつかもうとするのだった。

リーフィ医師は背が高く、十年間を一着の服で過ごした。袖は擦り切れ、膝や肘には小さな穴があいていた。診察室ではその上に大きなポケットのついた、リンネルの上っ張りを着ていた。彼はそのポケットにしじゅう紙屑を押し込んだ。何週間かたつと、それらの紙屑は小さなかたい玉になった。ポケットがいっぱいになると、彼はそれらの紙の玉を床に投げ捨てた。リーフィ医師は、十年間でひとりしか友だちをつくらなかった。同じように老人で、苗木園を経営し、ジョン・スパニアドという名前だった。時折、フィーフィ医師はふざけて、ポケットから紙の玉をひとつかみして、この苗木園経営者に投げつけた。
「恐れ入ったか、このお調子者の老いぼれぼれセンチメンタリスト」彼は笑い転げながら叫んだ。

リーフィ医師と、彼の妻になり、彼に遺産を残した背の高い黒髪の娘との交 際の話は、とても興味深いものだ。それは実に面白く、ワインズバーグの果 樹園に実る形の悪い小さなリンゴに似ている。秋に果樹園の中を散歩すると、 足下の地面は霜でかたくなっている。木々のリンゴは、リンゴもぎの人たち が収穫してしまった。それらは樽に詰められ、町へと出荷され、本、雑誌、 家具がいっぱいに詰まった、人いきれのするアパートで食べられるのだ。

木々にはリンゴもぎの人たちが手をつけなかった形の悪いリンゴがほんの少し残っていた。それらはリーフィ医師の指の関節のような形をしていた。かじると、おいしかった。リンゴの横の少し丸みをおびた部分に、すべての甘さが集まっていた。霜の降りた地面を木から木へと駆け回り、ごつごつした形の悪いリンゴをもぎ、ポケットをいっぱいにする。形の悪いリンゴの甘さを知っている人はごくわずかだ。

娘とリーフィ医師との交際が始まったのは、ある夏の午後だった。彼はそ の時四十五歳で、ポケットを紙屑でいっぱいにし、固いボールにして投げ るという癖が始まっていた。その癖はよぼよぼの白馬が引く軽装馬車に乗 って、田舎道をゆっくりと走っている時に身についたものだった。紙には さまざまな思想、思想の結論、思想の発端などが書かれていた。

それらの思想は、リーフィ医師の中で次々に生まれていった。彼はそれらの 多くから真理を形作り、その真実は彼の中で大きく成長した。真理は世界を おおった。それは大きく成長し、徐々にしぼんでゆき、また小さな思想が芽 生えた。
背の高い黒髪の娘がリーフィ医師の診察を受けたのは、妊娠して怯えていたからだった。彼女がそうなったのは、これまた奇妙な一連の事情からだった。

父も母も亡くなり、肥沃な広い土地を相続したことで、彼女はおびただしい 数の求婚者に追いかけられることになった。二年間というもの彼女はほぼ毎 晩のように求婚者に逢った。二人を除いて、他はみんな似ていた。彼らは情 熱について語り、その声や彼女を見つめる目には、張りつめたものがあった。 他の者とは違ったその二人は、それぞれに全く違っていた。ひとりは、手の 白いほっそりした青年で、ワインズバーグの宝石商の息子だったが、純潔に ついて延々と語った。彼女といる時は、その話題からそれたことがなかった。 もうひとりは、大きな耳をした黒髪の若者で、全く口を聞かず、いつも彼女 を暗がりに誘い込もうとばかりしていた。そしてそこで彼は彼女にキスをす るのだった。

背の高い黒髪の娘は、一時、宝石商の息子と結婚しようと思っていたが、何 時間も黙って座って彼が語るのを聞いていたら、彼女はなんとなく不安にな ってきた。彼は純潔を口にしているが、その下には他の誰よりも強烈な肉欲 があるのではないかと感じるようになった。彼が語る時、彼女は、時々身体 を彼の手でつかまれているような気がした。彼が彼女の身体を白い手の中で ゆっくりと回転させ、その身体をじっと見ているような気がした。夜には、 彼が彼女の身体を噛み、彼の顎からは血がたれている夢を見た。彼女はこの 夢を3度見てから、全く口をきかない青年と妊娠するような関係になったのだ が、この青年は情熱が高まった時には、実際に彼女の肩を噛み、そのため彼 の歯のあとが何日も消えなかった。

背の高い黒髪の娘は、リーフィ医師に出会うと、二度とこの人から離れたく ないような気になった。彼女はある朝リーフィー医師の診察室に入った。何 も言わなかったが、リーフィ医師は、彼女に何が起きたのか、知っているよ うだった。

リーフィ医師の診察室には女性がいた。ワインズバーグで本屋をしている男 性の奥さんだった。ほとんどの昔ながらの田舎の開業医がそうであるように、 リーフィ医師も抜歯をしていた。待っていた女性はハンカチで歯をおさえ、 うめき声を上げていた。彼女の夫もいっしょに来ていたが、歯が抜かれると、 二人して悲鳴を上げた。女性の白いドレスには血がたれた。背の高い黒髪の 娘は、気にもとめなかった。その夫婦が帰ると、リーフィ医師は笑顔で「ど こかドライブに連れてってあげよう」と言った。

数週間、背の高い黒髪の娘とリーフィ医師は、ほとんど毎日合った。彼女を 彼に結びつけた事情は、病気になることで解決したが、彼女は形の悪いリン ゴの甘さを知っている人と同じで、町のアパートで食べられる形のよい完全 なリンゴに、もはや心を向ける気にはなれなかった。リーフィ医師と知り合 った年の秋に、彼女は彼と結婚し、翌年の春にこの世を去った。冬の間、リ ーフィ医師は、彼女に、紙切れに走り書きしていた思想の断片を読んで聞か せた。読み終えると、彼は声を出して笑い、それらをポケットにねじ込み、 丸くかたい紙つぶてになるにまかせた。

- 「紙つぶて」(PAPER PILLS)終り -


〜 あとがき 〜

作家マーク・シンプソンは、メトロポリタン(都市住民)とヘテロセクシュ アル(異性愛者)をくっつけて、メトロセクシュアルという言葉を作りまし た。メトロセクシュアルとは、都会に住み、流行に敏感で、ファッションや インテリア、美食、スキンケアなどにお金をかける20〜40歳代の男性のこと をいうようです。こんな言葉がもてはやされる今こそこの作品のような精神 を大切にしたいような気がします。






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