山形米沢の12ヶ月

11月 自然の中で暮らすということ

 都市とは脳化のことだと養老猛先生。人の頭の中を形にした空間が都市で、そこに は快適な暮らしがある。人がそう望むからだが、望まないことは都市からは排除され る。望むことは受け入れ、望まないことは拒否していたら、人はわがままになる。自 己中心の現代社会がその好例だ。ほんの少しの渋滞でイライラするのは、都市空間で は人の持つ本来の能力以上のスピードで移動できるからだろう。都会人のイライラは、 できないことをできると錯覚する驕りだ。それは脳化という都市の持つ必然ではなか ろうか。

 通訳・通訳ガイドの仕事をしていた頃、外務省や政府機関の招待した賓客と接する ことが多かった。インドの外務大臣と気軽に話したりだ。人は言葉で行動する以上、 言葉を預かっている私が現場を取り仕切ることになる。現役閣僚しか入室を許されな い閣議室にうやうやしく招かれたりだ。私が招かれているわけではないが、いつの間 にかそんな気になっている。自分という人間はちっともえらくないのだが、ひどくえ らくなった気になっている。イライラは募り、わがままは極致に達する。違うのだと 自分に言い聞かせるが止まらない。自分の思い通りに事が運び、不可能はないと自惚 れる。そんな自分に嫌気がさすが、思い通りにならないと癇癪を起こし、世の不幸を 一身に背負った気になる。幸不幸は人の頭が作りだすものだから、こうなると脳化の 都市生活はひどく辛い。

 自然は人を選ばない。そこでは人が本来持っている体力と気力と知恵だけが頼りに なる。自然を前にすればエライ人間というのは存在しない。社会が作り上げた肩書な どは通用しない。「敵によって己を知り、友だちによって己を欺く」とはシェークス ピアの台詞。快適な都市生活という友だちは、人をほめあげていい気にさせるが、自 然という敵はバカにはバカとはっきり言う。言うだけではない。バカのままだと命ま で持っていく。自然を前に自己主張などは、愚かなことだ。自然の中では人は謙虚に なれる。自分を超えた大いなるものの存在がそうさせるのだろう。

 自然は恵みももたらしてくれる。「凶作だからってしょげもしねえ、豊作だからっ て喜びもしねえ、二年三年くらいじゃ泣いたり笑ったりできようが、十年みると、良 いも悪いもねえ、毎年同じだ」。視野も広げてくれる。かたじけなさに涙こぼるる。




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