個は全体であり全体は個
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「全体と部分は同じ」ということでしょう。この概念は、ミクロの世界を対象にする量子力学では、基本的な考え方のようです。全体と部分が相互に依存し、部分が全体を、全体が部分を決定する現象は、「重ね合わせ」や「量子もつれ」で、顕著に見られるようです。 量子力学と仏教は、分野が違いますが、多くの共通点があるようです。量子力学の「量子もつれ」は、仏教の縁起説と同じではないかと思います。仏教の「縁起」では、すべての存在は互いに関連し、影響し合って、相互に依存していると説かれています。量子力学の「量子もつれ」では、複数の量子が互いに強く相関し、ある量子の状態を測定すると、量子間にどんなに距離があっても、他の量子の状態が瞬時に決定されるという相互依存性があります。 量子力学の観測者効果も、仏教の世界観と同じところがあります。量子力学でも仏教でも、観察行為が観察対象に影響を与えるようです。 量子力学では、観測という行為自体が、観察対象の状態に影響を与えるようです。観測されないときには波動だった光は、観測されると粒子になります。仏教では、心の働きが現実を形成すると教えています。意識が現実をどうとらえるかで、現実が決まるということですから、観察行為で働く意識が、観察対象である現実に影響を与えるということでしょう。 量子力学の根本的な原理のひとつとされている不確定性原理は「位置と運動量は同時に正確に測定できない」ということです。仏教の基本世界は、万物は常に変化し続け、固定された状態を保たないという「諸行無常(aniccia)」です。つまり、量子力学の不確定性原理と仏教の「諸行無常(aniccia)」は、同じことを意味していて、世界の不確実性や認識の限界を表していると思われます。 量子力学における「重ね合わせ」とは、量子は観測されるまで、複数の状態を同時に取りうる性質のことです。電子は特定の場所に「ある」と同時に、他の場所にも「ある」状態で存在しています。観測によってひとつの状態に確定するまで、その状態は確定しません。従来の物理学では、物体は特定の状態にありますが、量子力学では、複数の状態が同時に存在しているようです。これも世界の不確実性や認識の限界を表しているのではないでしょうか。 ミクロの世界は、日常世界と異なっているように見えますが、そう見えるだけで、根本的な法則や構造は共通していて、相似形になっているようです。日常世界の根本に、量子力学の世界があるはずです。だから、私たちの日常世界も、ミクロの世界と同じように、全体と部分は同じということになるはずです。 すべてのものがつながっていて、相互に影響し合い、観察されるまで観察対象が確定していない状態にある量子力学の世界は、仏教の世界観とほぼ同じなのではないかという気がしますす。だから、仏典と量子力学の理論には、さまざまな共通点があるのでしょう。
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