仏性
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仏性とは、すべての人間が生まれながらに持っているとされる仏とまったく同一の本質・本性のことです。 人間の本質は、煩悩によって覆われているだけで、本来は清浄であり、仏性そのものと説く『如来蔵経』や『勝鬘経』や『涅槃経』の教えです。この教えは如来蔵思想として伝わっています。 以下は、如来蔵思想を基盤として、唯識思想や中観思想を統合した、大乗仏教の重要な論書である「大乗起信論」です。 「心真如は分別・思惟を離れ、虚空がすべてのものに浸透しているように、すべての衆生に浸透している。それはすべてのものの根元として同一の相を持っている。それはすべての如来に平等なる法身にほからない」(岩波文庫「大乗起信論」岩崎直道訳) 心真如とは、心の真実のあり方である仏性でしょう。つまり、アートマンのことだと考えられます。これは虚空に例えられていますが、虚空とは空間のことでしょう。空間がすべてのものに浸透しているように、仏性がすべての人に浸透しているということでしょう。すべてのものの根元には、アートマンとしての仏性があるようです。 法身とは、ブラフマンのことでしょう。すべてのものの根元には、アートマンという同一の仏性があり、その仏性は、すべての真理の体現者と同じであるブラフマンなのだということだと思われます。 「大乗起信論」のこの言葉は、ヒンズー教の「梵我一如」を、大乗仏教の言葉で表現したものなのでしょうが、大乗仏教は、ヒンズー教の影響をかなり強く受けているような気がします。 如来蔵は、すべての衆生が本来的に仏性を宿しているという思想ですが、この思想から、本覚思想が生まれます。如来蔵は、すべての衆生が仏になるための種子(可能性)を内に蔵しているという思想です。これに対して本覚は、衆生は本来的に覚醒している状態だという思想です。如来蔵は「悟り」の可能性が衆生に内在していると説いていますが、本覚思想では、一歩進んで、「悟り」の可能性ではなく、すでに「悟り」が実現していると説いています。 |