山形米沢の12ヶ月

1 月 スノーモービル

 米沢の冬は早い。10月に大雪が降ることもあるが、これはすぐにとける。11月 の大雪もとけるが、根雪になることもある。雪の前には雪囲いをしなければなら ない。雪囲い。瀬戸内海の温暖な気候の中で生まれ育った私には、物語の中の作 業だった。

 物語の中でしか知らなかったといえば、スノーモービル。米沢高原の冬はスノ ーモービル抜きには語れない。雪原を疾走する姿はテレビでは見るが、実際に見 るのはスキー場ぐらいで、それが生活の手段になるとは思ってもみなかった。そ のスノーモービルを流星号と名付け、テビューを待った。引っ越して1ヶ月にも ならない1年目の冬のことだ。

 スノーモービルのならし運転をしていたら上り坂で止まった。業者を呼んで動 かすと動く。おかしい。これを繰り返し、ついに動かなくなったのは、初の宿泊 客が来る前日、1月3日のことだった。

 正月なので業者とは連絡が取れない。スノーモービルがなければ送迎ができな い。困った。林間コースをとぼとぼと歩いていると隣のペンションのオーナーが 声をかけてくれた。事情を話すと、2台あるスノーモービルの1台を貸してくれ た。ありがたかった。

 それからも「流星号」は気まぐれだった。順調だと喜んでいると止まった。決 まって上り坂で止まった。スキー客を乗せ、いつ止まるかひやひやで、商売どこ ろではなかった。駐車場からすぐの所で止まり、スキー客の父娘と三人でとぼと ぼ歩いたこともあった。そんなわけで、1年目の冬シーズンは早々に営業をやめ た。

 営業はしなくても日々の生活には必要だ。だが、気まぐれは相変わらずだっ た。買い物袋を両手に抱えてとぼとぼと上ったこともあった。  晴れた日、スノーモービルで森の雪道を疾走すると、目の前には青空が広が り、朝の光が木々の梢を駆けめぐる。こんな時にはスノーモービルも楽しいが、 それでも春が待ち遠しかった。スノーモービルの必要ない生活がしたかった。物 語の中のスノーモービルと、現実の中のそれとは大きく違っていた。  故障の原因はチョークにあった。別の業者に頼むとすぐに解決した。快調に走 るようになったスノーモービルは、二年目の冬には活躍してくれたが、今年の 夏、盗まれた。こんなことはそれまでにはなかったという。まいった。


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