更新日2004年09月28日

「グロテスク」(THE BOOK OF THE GROTESQUE)

本文テキスト

その作家は口ひげが白く、ベッドに入るのに苦労するような老人だった。彼 の住んでいる家の窓は高い位置にあったが、彼は朝目覚めた時、木立が見た いと思った。ベッドを窓と同じ高さにするために、大工がやってきた。

そのことが大そうなことになった。大工は南北戦争に従軍した兵士だった。 作家の部屋に入ると座り、ベッドの位置を上げるために壇を作るといった。 その作家はあちこちに葉巻を置いていて、大工はそれを吸った。

しばらく二人はベッドの位置を高くすることについて話していたが、それか ら別なことを話した。兵士だった大工が戦争の話を持ち出したのだ。という より、作家がそう仕向けたのだ。その大工はアンダーソンビル収容所に、捕 虜として入っていたことがあり、兄弟を1人なくしていた。餓死だったので、 大工はその話をするといつも泣いた。老作家のように、彼も白くなった口ひ げをはやしていて、泣くと唇がゆがみ、その口ひげが上下にぴくぴく動いた。 口に葉巻をくわえたまま泣いている老人の姿は滑稽だった。作家はベッドの位 置を上げるという計画を忘れたので、大工は自分勝手に仕上げた。六十歳を越 えた老作家は、夜ベッドに入る時、椅子の助けを借りなければならなくなった。

老作家はベッドで寝返りをうち、横向きになって身じろぎもしなかった。彼は自分の心臓を何年もあれこれ心配していた。ヘビースモーカーだったし、心臓の鼓動は速く不規則だった。自分はいつか突然死ぬだろうという思いが頭を過ぎり、ベッドに入る時はいつもそのことを考えた。といって、そのことに怯えていたわけではない。死ぬと考えることが、うまく説明はできないが、通常とは違う何かをもたらしていた。彼はベッドの中で、どんな時よりも、生きているという実感を得ることができたのだ。ベッドにじっと横たわっていて、肉体は老い、もうあまり役には立たないが、とても若々しい何かが彼の中にはあった。まるで妊娠している女性のようだった。ただ、彼の中にいるのは赤ん坊ではなく、若さだった。いや、若さでもなかった。そこにいたのは女性だった。若い、騎士のように鎖よろいを身にまとった女性だった。高いベッドに横たわり、心臓の不規則な鼓動に耳をすませている老作家の内部には何があるのかを理解しようとするのはばかげている。要はこの作家が、もっといえば、作家の中にある若さが、何を考えていたかだ。

世の中のすべての人たちに共通してることだが、この老作家も、長い人生で いろいろな考えを抱いてきた。かつてはかなりハンサムだったし、多くの女 性に愛されたこともあった。それに、もちろん知人もいた。たくさんいたのだ。その人たちとは、あなたや私が知っているというようなものではなく、特別に親しい関係だった。少なくともこの老作家はそう思っていたし、そう思うことで満足していた。老人とそのことで言い争うこともないだろう。
老作家はベッドで、夢ではない夢をみた。うとうとしていたが、まだ眠って はいなかった。そんな時、さまざまな人物が目の前に現れた。彼は自分の中 の言葉にできない若さが、それら人物の長い行列を駆り立てているのだと思 った。

この幻想で何よりも興味深いことは、作家の目の前を行く人々の姿だった。 誰もが皆グロテスクだった。作家の知人だった男も女も、皆グロテスクな姿 をしていた。
それらグロテスクな人々のすべてが、ぞっとさせるような姿をしていたわけ ではなかった。愉快な姿をした人もいれば、美しいといってもいいような人 もいた。その中のひとり、形が崩れ、やつれきった女性のそのグロテスクな 姿に、作家は心を痛めた。彼女が通り過ぎて行った時には、彼は子犬がくん くん泣くような声を立てた。誰かが部屋に入ったならば、老作家は悪い夢か 消化不良に悩まされていると思ったかもしれない。
グロテスクな人々の行列は、1時間にわたって老作家の目の前を通って行った。 その後で、とても辛くはあったが、老作家はベッドから這い出て、書き始め た。グロテスクな人々の中には、心に残るとても印象深い人物がいたので、 それを書き留めておきたかったのだ。

作家は机に向かって1時間仕事をした。彼はとうとう一冊の本を書き上げ、「グロテスク」という題をつけた。その本は出版されなかったが、私は原稿を一度みせてみらったことがあり、忘れることのできない印象をうけた。この作品はひとつの中心的な思想を扱っていたのだが、その思想はとても変わっていて、私の心にいつもつきまとっていた。それを思い出すと、それまでは理解できなかった多くの人や物事が理解できるようになった。そこには思想があるのだが、簡単にいえば、だいたいこんなもんだろう。
この世界が若く、できて間もないその頃、非常に多くの思想があったが、真理というものはなかった。人間は自分で真理を作った。真理はどれもたくさんのはっきりしない思想を集めたものだった。世界のあらゆる所に真理があり、それらは皆美しかった。
老作家は本の中に何百もの真理を列挙していたが、私はこれら全部を語ろうとは思わない。そこには処女性の真理があった。情熱の真理、貧富の、倹約と浪費の、軽率と放縦の真理があった。何百も何百も真理があり、それらは皆美しかった。

するとそこに人間がやってきた。人間は現れるたびにそれらの真理の中から一つをつかみとった。非常に逞しい人間は、幾つもの真理をつかみとった。
人間をグロテスクにするのは、他でもないこの真理だった。このことについて、老作家は複雑な理論を持っていた。人間が真理の一つを自分のものにし、それを自分の真理と呼び、その真理に基づいて人生を歩み始めようとすると、その途端にその人間はグロテスクになり、受け入れた真理は虚偽になる、というのが老作家の考えだった。

 あなた方としても、生涯を著作に費やし、言葉に満ちた生活をしていたこ の老作家が、この問題について、いかに多くのページをさいたか理解できる だろう。この問題は、彼の中であまりにも大きくなりそうだったので、彼自 身がグロテスクになるところだったのだ。だが、彼はグロテスクにはならな かった。それは、この本を出版しなかったからだと私は思っている。この老 作家を救ったのは、彼の中にある若さだったのだ。

 この老作家のためにベッドを作り替えた年老いた大工について私は述べた が、いわゆるごく普通の人の多くがそうであるように、彼も老作家の本の中 に書かれているあらゆるグロテスクな人たちの中で、理解できる、愛すべき 存在に最も近いからにすぎない。

 - 「グロテスク」終了 - 








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