「グロテスク」 (THE BOOK OF THE GROTESQUE) あとがき

  川口松太郎原作の「江戸土産」という芝居を若い頃歌舞伎座で見たことが ある。常陸国(現在の茨城県)から江戸に結城紬を売りに来た、楽しむこと よりお金が大事ながめついばあさんと、楽しむことには惜しみなくお金を使 う気前のいいばあさんの、二人の初老の女性が繰り広げる喜劇タッチの人情 物だ。二人は売りに来た反物が全部売れて腹ごしらえをしている。気前のい いばあさんは思ったよりもお金が入ったからお酒でも飲もうと言うが、がめ ついばあさんはもったいないと、お金を一生懸命数えている。そこで気前の いいばあさんは一人でお酒を頼み、がめついばあさんにもすすめる。すすめ られたばあさんは小さな猪口を払いのけ、大きな湯飲みに入ったお茶をわざ わざ捨てて差し出す。ただ酒ならなるべく多くというわけだ。

 腹ごしらえを終えた二人は国に帰ろうとしたが、江戸で評判の男優が出る 芝居がかかっていた。気前のいいばあさんは見たくてたまらない。江戸土産 に見ていこうと言うが、がめついばあさんはもったいないの一点張りでうん とは言わない。そこを無理矢理誘って見る。芝居後、がめついばあさんが一 変した。当代随一の若い色男の男優に惚れ込んでしまったのだ。だが、その 男優には惚れ合った女がいた。ただし、事情があって一緒になれない。一緒 になるには大金が必要だった。それを知ったがめついばあさんは、自分の持 っているお金全部を出して二人を一緒にしてやる。

 最後の場面で、気前のいいばあさんは「ばかだねえお前さんは、自分のも のになりもしないのに、あんなに苦労して稼いだお金を全部出しちまうなん て」と言う。がめついばあさんは、遠くを見ながら「自分のものにしようと する、それが人間の迷いよ」と誰にともなくぽつりと言う。
 最後のがめついばあさんの台詞は、それだけを聞けば説教臭く聞こえるが、それまでがあっただけに、すんななりと納得させられた。心に心 地よい風が吹いたようなさわやかな印象を受けた。

 「人間が真理の一つを自分のものにし、それを自分の真理と呼び、その真 理に基づいて人生を歩み始めようとすると、その途端にその人間はグロテス クになり、受け入れた真理は虚偽になる(第363回)」。真理を自分のものに したいと思わない人間はいない。そうすることが社会では尊ばれている。努 力もそのひとつだ。ということは、ほとんどの人間がグロテスクになるとい うことだが、この問題について多くのページをさいてきた老作家自身はグロ テスクにならなかった。それについて書いた本を出版しなかったからだ。そ の原稿を読ませてもらった「私」は、それを思い出すと、それまでは理解で きなかった多くの人や物事が理解できるようになった、忘れることのできな い印象を受けた、と作品の中で述べている。私もその原稿を読んでみたいと 思った。それがどのようなものだろうかと考えていたら、ずいぶん前に見て すっかり忘れていた「江戸土産」を思い出した。がめついばあさんが自分の ものになりもしない男に惚れ、全財産を費やした時、ばあさんの中には「若 さ」があったのだと思う。





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