ブッダガヤ(Buddh Gaya) 成道の地(仏陀伽邪) |
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〜 交通 〜
ブッダガヤ(Buddh Gaya)へは、飛行機か列車かバスで行く方法があります。飛行機だとエアインディアがデリーから一日一便飛んでいます。ガヤ空港は、ブッダガヤから 10km の場所にあり、ガヤ駅よりも近くて便利です。 列車だとバラナシ(Varanashi)に行く時と同じように、デリーとコルカタを結ぶ、ラージダーニー急行(Rajdhani Express)を利用します。夕方にニューデリーを出て、次の日の午前中にはコルカタのハウラ駅に到着する夜行寝台列車です。その逆のルートも利用できます。旅行日程に合わせてルートを選べばいいのではないかと思います。この路線の列車の時刻は India Rail Info で調べることができます。 私はバラナシからガヤまでの区間、ラージダーニー急行(Rajdhani Express)を利用しました。この場合、バラナシで乗る駅は、バラナシ・ジャンクション駅ではなく、市内から15km 離れたディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅になります。バラナシ・ジャンクション駅からガヤ駅までの列車もあるのですが、私が乗る日は、ガヤ駅には夜に到着する列車しかなかったので、ラージダーニー急行(Rajdhani Express)を利用しました。 バラナシ・ジャンクション駅からの列車の時刻は、インド鉄道のIRCTC(Indian Railway Catering and Tourism Corporation)の National Train Enquiry System で調べることができます。「Trains Between Stations」をクリックして、出発駅と到着駅を入れれば時刻表が出てきます。 バラナシに到着した翌日、ガヤ行のラージダーニー急行の列車の予約を取ろうとバラナシ・ジャンクション駅に行きました。ゴーラクプル駅ほど混んではいませんでしたが、数人の人が窓口に並んでいました。私の番になると若い男が右から割り込もうとしましたが、この時は、そうはさせませんでした。 ガヤ駅までの切符を買おうとすると、予約の切符はその窓口ではなく、別の場所だと言われました。その場所を聞いて、そこに行ったのですが、切符を売るような窓口はありません。Tourist Information という看板が見えたのでそこに行くと、その中は大勢の警官がくつろいでいました。日本の Tourist Information のイメージでは理解できない光景です。その中のひとりが私をその場所まで案内してくれました。親切な人でした。駅の構内で寝ている大勢の人を避けながら歩き、先導してくれていたその親切な警察官が 構内にある建物のドア(写真正面のドア) を開けて私を中に案内してくれました。そこは 外国人専用の切符売り場 のようでした。広々としたそこは、冷房が効いていて、ふかふかしたソファがあって、きれいなトイレがありました。私は待つこともなく切符を購入することができました。 ネットで外国人専用のこのような切符売り場の情報は得ていたのですが、それらしい場所が見つけられなかったので、廃止されたのだと思っていました。外の混雑した状況と中のゆったりとした豪華な設備、私がインド人ならこのような不公平に何を思っただろうか、一瞬、そう思いましたが、切符は問題なく予約でき、心身ともにくつろぐことができて、とてもありがたいと思いました。 私の予約した列車は、ディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅を10時35分に出発し、ガヤ駅には 13時10分に到着するラージダーニー急行です。 当日は、ディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅までは、 リキシャ(トゥクトゥク)を利用しました。サールナートへ行った時のドライバーが、翌日からずっと私に付きまとって 500Rs でどうだと言います。私がディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅までの料金を聞いたからですが、一般的な相場を知りたかっただけで、そのドライバーに頼もうとは思ってませんでした。結局、350Rs で行ってもらうことに決めました。ドライバーは約束の日の朝の約束した時間通りに約束の場所にいました。 ディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅では、私の乗る10時35分発の列車の案内が電光掲示板に出ていなかったので、窓口に行って到着ホームを聞きました。2番ホームということだったので、そのホームに行き、同じ列車に乗る人を見つけました。 兵士だというその人は、休暇で帰省していたということで、ブッダガヤの部隊に帰るとのことでした。ホームでその人の隣に座り、私の切符を見せて自分の乗る Sleeper 車両は、だいたいホームのどのあたりに止まるのかを聞きましたが、その人はそこまでは知らないようでした。いろいろ話をしていると、その兵士は、列車の予定到着時刻のまぎわ、到着ホームが変更になったと私に伝えてくれました。ついて来いというので、彼について行きました。 そのホームに行くと、列車はすでにホームに入っていました。時間通りの運行です。到着ホーム変更のアナウンスはヒンディー語だけなので、言葉が理解できない外国人には到着ホームの変更は分かりません。到着しない列車を、インドの列車は、やっぱり、遅れるなあと、あのまま2番ホームで待っていたら、乗り損なうところでした。その兵士は、私の乗る Sleeper の車両まで案内してくれました。とても親切な人でした。 列車に乗り込み、自分の座席を探すと、なかなか見つかりません。私の予約した座席に、数人の人がたくさんの荷物を持って座っていたので、座席の表示が見えなかったからです。私の席に座っていたその人たちは、私に切符を見せろと言います。見せると、確かにあなたの席だと、場所を譲ってくれましたが、その人たちもそこに座り続けています。そのような人たちが、その車両には大勢いました。 インドの列車は、無賃乗車をしようと思えば、簡単にできるような気がします。改札がなく、列車の中でもあまり検札をしていないようです。私の席に座っているこの人たちは切符を持っているのだろうかと、その人たちに切符を見せてくれと言って見せてもらったところ、Waiting の切符を持っていました。インドでの列車予約は、予約がいっぱいの場合、Wait List に載せてキャンセルを待つのですが、キャンセルがなく、座席がなくても切符を発券しているようです。立席乗車券のような切符なのでしょうが、インドの人は少しの隙間があれば、他人の席だろうが座ります。座られる人も文句を言いません。少ないスペースで大勢の人が座れるようにと、分かち合いの精神が行き渡っているようです。 私はブッダガヤまで、人と荷物に囲まれていました。その中のひとりは、途中、座席と座席の間のスペースでイスラム教のお祈りをしていました。その人たちは、私にいろいろ気を使って、バナナを食べろとか、クッキーはどうだとか、勧めてくれます。とてもいい人たちでした。でも、とても疲れました。 ディーン・ダヤル・ウパドゥヤヤ(旧ムガルサライ)駅からガヤ駅までは 205km、2時間35分の旅でした。ガヤ駅からブッダガヤ(Buddh Gaya)までは、約 16km の距離なので、ガヤ駅からは乗合いバスか乗合いジープを利用しようと思っていました。駅前で探したところ、バスもジープもないようで、 リキシャ(トゥクトゥク)を利用することにしました。ネットの情報では 300Rs でしたが、どのドライバーも 500Rs と言います。多分、値上がりしたのだろうと思っていたら、大勢の人を乗せている乗合い リキシャ(トゥクトゥク)のドライバーが、50 Rs と言うのでそれに乗りました。運賃を極端に安く言ってきた場合は、いつも断るようにしていますが、乗合いリキシャだと、ネットなどの事前の情報では 25Rs だったので、相場だと思いました。 私の乗った乗合い リキシャ(トゥクトゥク)は途中で大勢の人を降ろし、大勢の人を乗せ、最後にブッダガヤに到着しました。ブッダガヤまで乗ったのは私ひとりでした。 50Rs 払って降りようとすると、お金を受け取りません。何かいろいろ意味不明なことを言います。意味不明なだけに、少々不気味でした。多分、50Rs では少ないからもっと出せと言っているのだろうと思いましたが、いくら出せと金額をはっきり言いません。私は荷物を置くスペースで不自由な思いをしてブッダガヤまで来たので、乗合いの料金相場 50Rs で十分だと思って、ドライバーにそう言いました。乗る時に 50Rs と言っただろとなるべく冷静にドライバーにそう言いました。そのうち、他のリキシャのドライバーが、何台もやってきて二人の会話に口を挟みます。私としては、大勢がいる方が、一対一よりも安心感を覚えました。 結局、ホテルの前まで行ったらもう 100Rs 払うということで話をつけました。私の予約したホテルは、マハーボディ寺院(Mahabodhi Temple)のそばにありました。マハーボディ寺院(Mahabodhi Temple)の周辺は交通規制があって、ガソリンエンジンの車両は入れないようでした。私の乗ったリキシャは、ガソリンエンジンだったので中に入れず、私の泊まるホテルまでそのリキシャで行くことは無理でした。私はホテルの前まで乗せてもらったわけではありませんでしたが、150Rs を払って降りようとすると、ドライバーは納得しません。もっとよこせというのでしょう。そのうち、電動リキシャが来て、事情を察して、50Rs でホテルの前まで行くからこれに乗れといいます。私は乗ってきたリキシャのドライバーに 150Rs を渡し、この時はそのドライバーもお金を受け取ったので、電動リキシャに乗りました。
そこから私の泊まる Beauty Guest House まではすぐの距離でした。ホテルに着いてお金を払う時、細かいお金は 40Rs しかありませんでしたが、そのドライバーは、まけてやるからそれでいいと40Rs を受け取りました。ずいぶん親切なドライバーだなと思っていたら、相場の料金は 20Rs だと、ホテルのオーナーが教えてくれました。 いろいろあったにせよ、無事に最終地のブッダガヤに到着できてほっとしました。 〜 宿泊 〜 マハーボディ寺院(Mahabodhi Temple)まで歩いてほんの 5分くらいの距離にある Beauty Guest Hose というゲストハウスに泊まりました。一泊 550Rs。部屋は広く、シャワー・トイレ付。ダブルベッドのシーツはきれいで、バスタオルも付いていて、居心地のいいゲストハウスでした。ただ、蚊に悩まされました。電気式の蚊取り線香をつけているのに、ほとんど効果がなかったようです。日本から持って行った蚊取線香がなくなった後は蚊の楽園と化し、かなり苦労しました。 〜 みどころ 〜 Mahabodhi Temple(マハーボディ寺院) ホテルからすぐの距離だったので、滞在中は毎朝・毎夕行きました。入場無料。日の出から日の入りまで開館。空港のようにセキュリティが厳しく、手荷物の X 線検査があります。2013年7月7日に爆弾テロ事件があり、2名のミャンマー人と 3 名のチベット人仏教僧が負傷したということです。環境保護のために、レジ袋は持ち込み禁止となっていました。 総レンガ造りの建物は、そびえる大塔の高さが 52m、建物の中には金色の仏像が祀られています。建物正面から左に回ると、建物に沿って花の鉢が並んでいました。そこは Cankamana(チャンカマーナ)と呼ばれていて、ブッダが悟り後 3 週目に歩いて瞑想をした場所ということです。ブッダが歩いた跡には花が咲いたという伝承から、花の鉢が並べられているのだと思いました。 Cankamana(チャンカマーナ)は、日本語では経行(キンヒン - 歩く瞑想)といわれています。 Cankamana(チャンカマーナ)から建物の裏手に回ると、ブッダがその下で悟りを開いた 菩提樹 があります。今の菩提樹 は四代目だということです。樹の下には金剛座が置かれています。菩提樹の回りは、金剛座も含めて、立ち入り禁止になっています。オウム真理教の麻原彰晃が勝手に入って金剛座に坐ってから、立ち入り禁止になったとガイドブックには書かれています。 私は朝の涼しい時間にその場所に行き、その菩提樹の下で1時間ほど坐りました。石の上に坐ったのですが、石の硬さは感じられず、宙に浮いたような感覚がありました。とてもいい瞑想ができたのですが、腕を蚊に刺されて困りました。朝は涼しいので訪問者が集中するようで、ハンドマイクを使っての説教や、お経や鉦など、とても騒々しいのですが、瞑想中は気になりませんでした。 その場所へは、翌日、訪問者のあまりいない暑い昼間に行き、坐りました。暑かったのですが、とても静かで、蚊に刺されることもなく、とても気持ちよく坐れました。暑すぎると蚊もあまり活動できなくなるのでしょう。 敷地の中にはひとり用の網テントがいくつか張ってありました。そこで瞑想するのでしょうが、便利だなと思いました。網テントの無かった時代、森で瞑想していた修行僧は蚊や虻に刺されたようですが、それでも坐り続けたのでしょう。立派だと思いました。 敷地の奥には、ムチャリンダ龍王池があります。悟り後 6 週目にブッダは瞑想中に嵐に見舞われたということです。その時、龍王ムチャリンダが現れてブッダの傘になったと言い伝えられています。実際のムチャリンダ池はここではなく、少し離れた所にあるようです。龍が人間の傘になるというお話、私は全く信じていません。この種の伝説は、その人物がいかに偉大であったかを伝えるための比喩的表現だと思っています。 出口は入り口とは別な場所にあります。建物を一周して出口に向かう通路にマニ車が並んでいました。マニ車は、回転させた数だけ経を唱えたとみなし、読経と同じ功徳があるといわれています。楽して功徳を得る効用性の優れたこの考えは、現代功利主義の見本という気がします。功利主義一辺倒の日常を超越することが宗教の役割のひとつだと思うのですが、どうしてこのように日常的な考えが広く受け入れられているのか、疑問に思います。 建物の大塔の回りに、斜めに立てかけた板がいくつか並んでいました。最初に見た時は、そこに仰向けになって昼寝をするためだろうかと思いましたが、後々、五体投地のための板だと分かりました。 この地では、さまざまな文化圏の人が、さまざまな方法でお祈りをしているようですが、大きな鍋のような金属製の容器をひっくり返して、種もみのような穀物でその容器をこすっている人がいました。その人は剃髪で僧服だったので、修行僧に違いないのでしょうが、あれもお祈りなのだろうかと、聞いてみたかったのですが、聞けませんでした。 瞑想の後、菩提樹の下を歩き回りながらその場の空気を感じていると、近くにいた尼僧が私を手招きします。何の用だろうかと彼女のそばまで行くと、私に小さな一枚の葉をくれました。菩提樹の落ち葉だということです。その尼僧は、地面を見つめて、その場でもう一枚拾い、私にくれました。その二枚の葉は、お経よりも功徳があるに違いないと、押し花にしました。 その地を去る前日、建物の中にはどんな仏像があっただろうかと思い出そうとしても思い出せないので、昼すぎに再び行きました。中に入る時は履物は脱いでそこに置いておかなくてはいけないのですが、この時は何となく不安を感じて履物を手に持って中に入ることにしました。すると係のインド人が、置いていけと言います。寺院巡りをする時、いつもは履物をレジ袋に入れて手に持って入るのですが、ここではレジ袋は持ち込み禁止なので、持っていきませんでした。仕方なく履物をそこに置いて中に入りましたが、出た時には履物はなくなっていました。不安が現実となったわけですが、ブッダが悟りを開いた特別な場所で、特別な思い出を作ってしまいました。 Mahakala Mountain(前正覚山) ブッダが菩提樹の下で悟りを開く前に瞑想していた場所が、前正覚山の洞窟だと言われています。「正覚」の「前」に修業をしていた山だからこの名前がついたようです。この山は、プラーグ(前)・ボディ(悟り)とも呼ばれています。 その他、ドゥンゲシュワリー(Dungeshwari Cave:留影窟)とも呼ばれています。ドゥンゲシュワリーとは、ブッダが修行をしていたとされる洞窟のことです。瞑想をしていたブッダは、ある日 「ここは悟りをひらくのにいい場所ではない」 という声を聞いて去ろうとした時、留まってくれという龍の願いを聞き入れて、自分の影を留めて立ち去ったということからこの名前がついたようです。 ブッダガヤからは、ネーランジャヤー(尼蓮禅)川を渡って行きます。すぐ近くに橋があるのですが、その橋はオートリキシャは渡れないので、遠回りをして行きます。二輪バイクは渡れるので、滞在中、幾人ものバイク乗りの若者に 600Rs でどうだとしつこく付きまとわれました。二輪バイクは事故の危険があります。私はインド人の運転を知り、二輪バイクに乗るのは危険極まりないと判断しました。 ドゥンゲシュワリーへは、電動のオートリキシャで行きました。50Rs のところを 40Rs にまけてくれたあのドライバーです。早朝、日の出とともにホテルを出発しました。ネーランジャヤー(尼蓮禅)川に沿って走り、大通りの橋を渡って行きます。朝の空気は気持ちがいいのですが、肌寒く感じました。 ブッダガヤから離れるにつれて、だんだんと視界が開け、畑が広がり、木々が点在し、風景は自然が濃くなっていきます。途中、レンガを焼く工場がありました。工場といっても建物はなく、煙突のある簡素な焼き窯と、焼いたレンガとこれから焼くレンガが野積みになっている広々とした場所でした。それを過ぎると、ヤシの木々に囲まれた茅葺で土壁の家々の村がありました。インドの伝統的な村を思わせるその風景は、とても美しいと思いました。その美しい風景を見ながら、貧困とは都市がつくるもので、自然に貧困はないのだと思いました。 「こうして人々は生きるためにこの都会へ集まってくるのだが、ぼくにはそれが死ぬためのように思えた。」 〜 マルテの手記 〜 ● ドゥンゲシュワリー(Dungeshwari Cave:留影窟) 洞窟は山の中腹にあります。そこまでは舗装された山道を歩いて行きます。駐車場から歩いてすぐですが、歩けない人は籠(有料)に乗って行くこともできます。洞窟のそばにはチベットのラマ教寺院があります。洞窟からふもとまではそう遠くなく、当時、毎日のようにふもとの村に托鉢に行くのに、丁度いい距離のように感じました。 私が行った時には、そこには巡礼者は誰もいなくて、洞窟の中では僧侶がお経を唱えていました。私は やせ細ってあばら骨が見えているブッダの像 を前にして瞑想しました。そこでも石の上に坐っているのに宙に浮いたような感覚がありました。早朝の空気が肌寒かったからか、洞窟の中は温かく感じられました。(入場無料) ● アショーカ王のストゥーパ 洞窟を出て山頂に登ろうと思ったのですが、山道がありません。聞くと道はないそうで、私は岩場を這って登りました。山頂にはアショーカ王が造ったというストゥーパがありましたが、ストゥーパと言われればそんな気がするという程崩れかけていました。山頂からの眺めは美しく、ブッダガヤを遠景に、ネーランジャヤー(尼蓮禅)川が見えました。私はこの洞窟からスジャータ村、ブッダガヤと、ブッダのたどった軌跡を頭の中に描いてみました。 ドゥンゲシュワリーはブッダが修行をした洞窟だとは思えませんが、このような洞窟でブッダが修行をしたことは間違いないことで、そのような場に居合わせることができてとてもありがたく思いました。 洞窟から下って行く時、大勢のインド人の駕籠かきが走って駐車場へと我先に向かって行きます。何事かと思ったら、大型バスが何台も駐車場に入って来るのが見えました。ミャンマーからの巡礼者の団体のバスでした。駕籠かきのインド人は、とても商売熱心でした。 大勢の巡礼者が洞窟へと登って行くのを見ながら、早朝に来てよかったと、つくづく思いました。 スジャータ(セーナー)村 又は バクロウル(Bakrour)村 スジャータ村へは、ブッダガヤからネーランジャヤー(尼蓮禅)川を渡って行きます。ホテルから 2km の距離にスジャータ・ストゥーパ、3km の距離にスジャータ神社があると知り、歩ける距離なので、最初は歩いて行く予定でした。歩きながら見る途中の風景が魅力でした。観光の基本は歩くことだと思っている私は、この徒歩観光をとても楽しみにしていたのですが、この時はひどく疲れていて、歩く気力がありませんでした。 前正覚山、トトロの木、スジャータ村と回るルートは、観光ルートになっているようで、二輪やオートリキシャのほとんどのドライバーが観光客を見ると 600Rsでどうだと売り込みを始めます。私は歩けたら、スジャータ村だけでなく、前正覚山も歩いて行きたかったのですが、どちらもオートリキシャで行きました。前正覚山とスジャータ村を回って 500Rs。 トトロの木とは、日本人の女優がこの木を見て「トトロの木みたい」と言ったことからそのように広まり、観光地になったようです。ブッダがその下で瞑想をした木と言って売り込むドライバーもいるようですが、んなはずないだろ、と観光客の皆さまは思わないから、観光ルートになったのでしょう。私は「トトロの木」と聞いただけでうんざりしました。 ● スジャータ・ストゥーパ スジャータ村は、ネーランジャヤー(尼蓮禅)川の中州にあり、ブッダガヤから橋をひとつ渡ったところにあります。この橋はオートリキシャは渡れますが、前正覚山に行くにはもうひとつ橋を渡らなければならず、この橋は二輪車は渡れますが、オートリキシャは渡れません。 スジャータ・ストゥーパは、橋を渡ってすぐのところにありました。簡単な柵が周りをめぐらしているだけで、誰でも自由に入れます。何でも見慣れてくるとなんの感慨も湧かなくなります。この時にも、疲れていることもあって、ああ、何度も見たものと同じだと思いました。いけないことです。入場無料。 バイクに乗った二人の若者がやってきて、近くに恵まれない子どもたちを教育する学校があるから見学しないかと誘います。子どもたちが教わっている教室で授業参観ができるということでした。私はネットでこの話を読んでいたので、寄付が目当てだと分かりました。恵まれない子どもたちの教育に寄付をするのは大切なことでしょうが、疲れもあって、丁重にお断りしました。 ● スジャータ神社 この地域は寄付を集める方法が巧みなようで、スジャータ神社へ行く途中、オートリキシャのドライバーが、この地の人々がいかに貧しいか、ミャンマー寺がいかに慈善事業としてこの貧しい人々に援助しているかをそれとなく力説し、スジャータ神社では、男が二人やってきて、用紙を出して寄付の方法などを説明します。 この地に住む人々の家々や人々の様子を見ると、裕福ではないにしても、この人たち以上に貧しい人々を多く見てきた私としては、決して話されているように貧しいとは思えませんでした。このような寄付の話に圧倒されて、スジャータ神社どころではなかったのですが、ネットの多くの感想のように、スジャータ神社はとてもへんてこな神社でした。仏教系というよりも、ヒンズー教系の趣を感じました。 スジャータ(セーナー)村のそばの苦行林で苦行をしていたブッダは、苦行では悟れないと自覚し、5人の修行仲間から離れてひとり苦行林を出ます。苦行で衰弱した身心の力を回復しなければ正しい智恵は生じないと考えたブッダは、ネーランジャヤー(尼蓮禅)川で沐浴し、スジャータから差し出された乳粥(キール)を食べて心身の力を回復します。そして、悟りを得るまでは絶対にここから動かない、と菩提樹の下に坐って遂に悟ります。 スジャータ(セーナー)村とブッダが悟った菩提樹の間には、ネーランジャヤー(尼蓮禅)川があります。この地を訪れる前は、ブッダはどうして川幅のあるこの川をわざわざ渡ったのか疑問でした。普通に考えれば、スジャータ(セーナー)村のどこかで坐るはずですが、この地を訪れてその疑問が解けました。乾季にはこの川は水がなく、歩いて渡れるようです。ですから、ブッダが悟った季節は、乾季ではなかったのだろうかと思っています。 Royal Bhutan Monastery Mahabodhi Temple(マハーボディ寺院)の周りには数多くの仏教寺院がありますが、この寺院もそのひとつです。建物がブータンを感じさせてくれました。 Indosan Nippon Japanese Temple 日本の寺というので行ってみました。行った時、たまたま、寺院の幼稚園の園児が集団で入ってきてお祈りを始めました。坐っている園児を前に、インド人の女性が鉦を大きくならして、ブッダンサラナムガッチャーミー、とお祈りをします。園児たちもそれに続きます。その女性の所作が美しかったからか、その光景を、とても美しく感じました。 Great Buddha Statue
鎌倉の大仏のように屋外にある座像です。日本と同じだなあと思っていたら、名古屋に本部がある日本の宗教団体が1989年に建てたものだと分かりました。
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