8月2日(日)
滋賀県草津市 → 旧東海道 → 国道 1 号線 → 京都三条大橋
JR 草津駅前商店街アーケードの軒下で野宿
5時30分から16時30分まで歩く。平均歩行時速1.8km (20km / 11時間)
この日は 4 時半頃目を覚まし、ゆっくり支度して、5 時半頃出発。大雨の中、傘をさして、最後の日をかみしめながら、ゆっくり歩く。この日もほぼ旧東海道を歩く。
瀬田(せた)の唐橋(からはし)唐金擬宝珠(からかねぎぼし)水に映るは膳所(ぜぜ)の城
小学校か中学校の頃の教科書に載っていたこのフレーズが、ずっと記憶に残っていた。滋賀県といえばこのフレーズだった。遠い記憶の中の瀬田の唐橋は、普通の橋だった。あたりまえだとは思ったが、割り切れない何かがあったのだろう、これが瀬田の唐橋ですかと余計なことを道行く人に尋ねた。愚かだった。
大津駅を通る時、コーラーが飲みたくなったので、自販機で買い求める。甘い飲み物を欲しがる、わたしには珍しいことだ。この巡礼旅行で自販機を利用したのはこれが最初で最後だった。途中、芭蕉の墓がある木曽義仲由来の義仲寺を拝観し、大津事件の現場も見た。拝観料を払ってまでの観光はこの日が最初で最後。この日は最初で最後が 2 回もあった。
民家の中の旧東海道は複雑に入り組んでいて、どっちが旧東海道だろうと、途中、何度も人に尋ねた。意外なことに、若い人は旧東海道を知らない。江戸時代の東海道五十三次も知らない。驚いているわたしの顔を見て困ったいる若い女性。こちらこそ申し訳ないと思う。どちらへいかはるんどすか、とその女性。言葉の響きに旅情を感じる。
三条通に出て右に行けばいいのか左に行けばいいのか迷う。最終目的地は三条大橋。どう行けばいいかを通りかかった二人の若い男性に尋ねる。二人とも唖然としている。大容量の情報を一気にインプットされたパソコンのようにフリーズしている。申し訳なくなり、二人を解放してやる。三条大橋はそこからは歩いて行ける距離ではないと後で知る。あの二人がフリーズした理由が少し理解できる。
次に若い男女に尋ねる。若い男は歩いては行けないとはっきり言う。東京から歩いてきたのだから、などなど説明すると、素直に驚いていた。これで歩く方角が決まった。
途中、喫茶店でランチを食べる。感じのいい店だった。その家の娘だろうか、東京から歩いてきたというわたしに感心していた。すき家や吉野家にはない雰囲気だ。
かつてはよく泊まった都ホテルの前で若く美しい女性が携帯電話をいじっている。仕事を終え、これから息抜きに行く準備をしているのか。三条大橋までの道のりは飽きない。
三条大橋は賑わっていた。いつもと変わらないいつもの風景なのだろう。しばらくそこにいて、京都駅に向かって歩く。途中セブンイレブンで野菜果物ジュースを買う。外に出ると大雨が降り出した。代ゼミの建物の軒先で雨宿りをする。大きな建物なので、大勢の人が雨宿りをしていた。
京都駅はすっかり変わっていた。駅ビルが新しくなっていた。かつて仕事でよく来た頃の面影はまったくない。この日のねぐらを探したが、どこにいても夜中に警備員がやってきそうだった。
京都駅と隣り合わせの近鉄の駅の軒下で寝袋を広げて寝た。夜行バスの発着場が近くにあり、うるさくて眠れない。ようやく静かになったかと思ったら、警備員がやってきた。仕方なく、寝袋をたたんで街中を歩き回る。駅の近くのトヨタレンタカーの軒下が格好のねぐらになってくれた。
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