東海道を歩きました  2009   〜 夏 〜

7月21日(火)  

静岡県沼津市片浜駅 → 東海道 → 富士川の河原

富士川の橋の下から富士川駅前のビルの軒下に移動して野宿。

5時30分から13時まで歩く。平均歩行時速2km(15km / 7時間半)


4時半過ぎに目が覚める。公園に散歩にやってきたおじさんが親しく話しかけてきた。野宿をするなら富士川の橋の下だと勧められる。放浪の旅そのものという気がしてきた。人と親しく会話を交わしたからか、歩き始めは心身が爽快だったが、8時過ぎ頃から脚が重くなる。このところいつもそうなる。昨夜は公園に移動するなど、寝不足だった。それもあるのだろう。富士市に入り、途中、閉店している店舗の軒下でシートを広げ、雨宿りを兼ねて仮眠する。

富士川に架かる旧東海道(県道396号線)の橋の下には13時頃到着。まだ日も高く、もっと歩けたが、富士川の河原で野宿したかったので、この日はこれで終わりにした。富士川で沐浴。巡礼の放浪旅のただ中にいるようで、気分が高揚してくる。

橋の下は焚き火の跡があちこちにあって、快適とはいえなかったが、雨はしのげるだろうと、寝袋にくるまって早々と寝る。夜8時頃に大雨で起こされる。雨が濁流となって橋の上から流れてくる。慌てて起きて寝袋をたたむが、すでにびしょ濡れだった。ここで寝るわけにはいかないので、荷物をまとめ、小降りになるのを待って雨の中、傘をさしてねぐらを探す。最高の場所は最悪の場所だった。

富士川駅近くのセブンイレブンでカツ丼弁当を買い、富士川駅のベンチで食べる。駅前に軒の広い雨をしのげる恰好の場所を見つける。閉店した銀行のようだった。濡れた寝袋を出してくるまる。中まで水はしみていないようだ。ありがたい。

左富士

東海道を東京から京都へ行く時、富士山はいつも右手に見える。左手は太平洋だ。だが、唯一、富士山が左手に見える場所がある。静岡県富士市依田橋町の左富士だ。東海道五十三次の14番目の宿場、江戸時代に吉原宿として栄えた場所だ。

もともと海際にあった吉原宿(元吉原宿)は津波などの災害にあい、寛永年間(1624〜44年)に中吉原宿、天和2年(1682年)に新吉原宿へと、内陸へ2回移転した。このため東海道の道筋が大きく北へ曲がり、街道の左手に富士山が見えるようになった。現在、1本の老松が往時の左富士をしのばせている。

残念ながら、今回の徒歩旅行では道中ずっと雨で煙っていたので、富士山が見えたのは、7月20日の箱根峠から三島へ下る時だけで、左富士は見えなかった。次回に期待しよう。

現代の左富士は、新幹線で静岡県の安倍川を渡る時にほんの一瞬、見えるようです。東京に向かう新幹線では右富士です。


経費

松屋ピビン丼 \430
ロールパン \148
セブンイレブンカツ丼  \398

合計 \976






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