クリスマス・キャロル(A Christmas Carol)


〜 クリスマスキャロルを終えて 〜

前回、前々回と村岡花子訳の「クリスマスキャロル」の訳文についてお送りしています。今回は誤訳ではないかと思われる箇所をお送りします。 以下、原文、村岡花子訳、( )内での私のコメント、本メルマガ訳の順 で紹介します。




2000年07月29日〜 vol.58

原文

when the chimes of a neighbouring church struck the four quarters




村岡花子訳

近くの教会の鐘が45分のチャイムを打った。

(the four quarters の訳が問題)

〜時を告げる教会の鐘〜

Big Ben(イギリス国会議事堂の大時鐘のある塔)を例にとると、教会の鐘は次のように時を告げます。

15分:
Mi Doh Re Soh.

30分:
Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh.

45分:
Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh, Mi Doh Re Soh.

例として5時丁度:
Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh, Mi Doh Re Soh, Soh Re Mi Doh,
DOH, DOH, DOH, DOH, DOH.

スクルージは、15分毎に鳴る Mi Doh Re Soh を4回聞いた後、DOH を 12回聞いて12時だと判断したのでしょう。

ちなみに、この誤訳は最近出された文庫では修正されています。他の誤訳も同じように正すべきではないだろうか。




本メルマガ訳

近くの教会の鐘が、15分毎の鐘を4回鳴らした




2001年03月17日第162回 〜 vol.113

原文

brown-paper parcels




村岡花子訳

桃色の紙袋

(brown は桃色ではない。単純なミスだ。このような単純ミスは随所にみ られる)




本メルマガ訳

茶色の紙包み






2003年02月2日 〜 vol.232

原文

The Phantom glided on into a street.




村岡花子訳

幽霊はすべるようにしてある町へ進んで行った。

(幽霊がかつての商売仲間の会話をスクルージに聞かせている場面。「あ る町へ進んでいった」というこの訳では、別の町へ行き、話の流れが変わ ったと読者に思わせる。幽霊は通りに出て、別のグループの会話をスクル ージに聞かせただけで、話の流れは続いている。street を town と取り 違えている)




本メルマガ訳

幽霊はすうっと通りに出た




2003年07月06日第303回 〜 vol.254

原文

when old Joe, producing a flannel bag with money in it




村岡花子訳

ジョー老人がフランネルの袋からお金を取り出し

(produce は「取り出す」。取り出しているのはバックであってお金では ない)




本メルマガ訳

ジョー爺さんが、お金の入ったフランネルのバッグを取り出し




〜 vol.299

原文

which was spread out in great array




村岡花子訳

食卓はたいそう立派に飾りたててあった

(which は 関係代名詞で the table を受けている。spread the table で「食べ物などを並べる」。村岡訳のこの訳では、食卓が花などで飾って あったという印象を与える)




本メルマガ訳

テーブルにはごちそうがずらりと並んでいた




〜 vol.304

原文

for he was wise enough to know that nothing ever happened on this globe, for good, at which some people did not have their fill of laughter in the outset; and knowing that such as these would be blind anyway, he thought it quite as well that they should wrinkle up their eyes in grins, as have the malady in less attractive forms.




村岡花子訳:

彼はこの世では何事でも善い事なら必ず最初にはだれかしらに笑われるも のだということをちゃんと知っていたし、またそういう人々は盲目だとい うことを知っていたので、おかしそうに眼元にしわをよせて笑えば盲目と いう病気が幾分なりと目立たなくなるだけ結構だと考えていたからである。

(おかしそうに眼元にしわをよせて笑うことが、どうして盲目という病気 を目立たなくさせるのか、ピンとこない)

(長いので以下細かく見ていきます)




彼はこの世では何事でも善い事なら必ず最初にはだれかしらに笑われるも のだということをちゃんと知っていたし

for he was wise enough to know that nothing ever happened on this globe, for good, at which some people did not have their fill of laughter in the outset;

(ここまでは理解できる)

and knowing that such as these would be blind anyway

またそういう人々は盲目だということを知っていたので

(ここまでも理解できる。knowing は 分詞構文で副文。問題は次の部分 だ)

おかしそうに眼元にしわをよせて笑えば盲目という病気が幾分なりと目立 たなくなるだけ結構だと考えていたからである。

he thought it quite as well that they should wrinkle up their eyes in grins, as have the malady in less attractive forms.

(ここからがよく分からない。村岡訳では he thought it quite as well を 「it(= that 以下)を well(結構な)と考える」think A as B「A を B と考える」ととらえている。

ここは「it(= that 以下)を as well(同様だ)と考える」ととらえた 方がいいのではなかろうか。




私の訳が正しいかどうかは別にして、以下に示します。

本メルマガ訳

というのは、善に関していうと、はなからそれを笑いものにしない人がいるなど、この地上ではあり得ないと知っていたからだ。また、善を笑う人は、ものの見えない人だということも知っていたので、にやっと笑って目に皺を作るのも、見えないという病が、もっと醜い形で表れるのも、同じことだと思っていた。




ちなみに集英社文庫中川敏訳は次のようになっています。

原文

for he was wise enough to know that nothing ever happened on this globe, for good, at which some people did not have their fill of laughter in the outset; and knowing that such as these would be blind anyway, he thought it quite as well that they should wrinkle up their eyes in grins, as have the malady in less attractive forms.

というのは、この世では、どんなよいことでも、初め人に存分に笑いもの にされない者はない、ということをよく知っていたからである。そういう 連中はどのみち盲目で道理のわからない者たちだということを承知してい て、彼らが目にしわを寄せてあざ笑うのは、その病をいっそう醜くするの も同然のことだと思っていた。

(これも相当読みづらい。「そういう連中はどのみち盲目で道理のわから ない者たちだということを承知していて」のところは、承知しているのは 「スクルージ」のはずだが、この文だと、承知しているのは「そういう連 中」とも読める)




これを書いていたら、偶然 BOOK OFF で講談社の「クリスマス・キャロル」 (北川悌二訳)を見つけた。それには次のようになっている。

原文

for he was wise enough to know that nothing ever happened on this globe, for good, at which some people did not have their fill of laughter in the outset; and knowing that such as these would be blind anyway, he thought it quite as well that they should wrinkle up their eyes in grins, as have the malady in less attractive forms.

彼は利口な男で、この地上でどんなにりっぱなことが起こっても、最初一 部の人たちが腹をかかえて笑わなかったものはなにもないのを心得ていた からである。そして、こうした人が、とにかく、めくらであることを知っ ていたので、彼らがニヤリとして目にしわをよせたほうが、この病気がも っといやな形をとったのよりまだましだ、と考えていた。

(なんのことかさっぱり分からない。ここだけでなく、全編通してなんの ことかさっぱり分からなかった。私が買ったのは1988年17刷版。どうして これで17刷りまでと思ってしまう。講談社ブランドだろうか。これを買っ て読んだ人に感想を聞きた い)




他にもたくさんありました。それらの箇所は、不自然でとても読みづらくなっています。

次回は集英社文庫中川敏訳のクリスマス・キャロルについて感じたことをおおくりします。


読んだ内容は

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