暦の上ではもうすぐ夏である。夏といえばやはりスイカと風鈴、そして怪談。 というわけで、一足早い怪談でもいかがだろう。私が体験した怖い話を二つほど。
その前に私のことを少々説明しておく。私はいわゆる『霊感』というものとはとんと縁がない。 また家族や友人で霊能力があるという人もなく、どちらかといえば「幽霊の正体見たり枯れ尾花」を地でいってる。
さて一つ目は私が実家にいた頃の話だ。 ある夜、眠くなって「さあ、そろそろ寝るか」と電気を消して布団にもぐりこんだ。 すると部屋に誰かが入ってくる気配がしたのだ。私はてっきり弟が本か何かを返しにきたのだと思い 「まったくもう。電気消えているんだから寝てるのは分かるだろうに。明日にしてよ」と眼をつぶって知らん振りをしていた。
だが、次の瞬間気が付いた。「えっ、ドアの開いた音も足音もしてない!」
実家は築四十年だか五十年だかの年代もので、絶対に音をたてずに私の部屋に入ってくるのは不可能なのだ。 ギョッとして起き上がった私の見たものは…いつもの自分の部屋。もちろん、私以外誰もいない。 私は慌てて布団を頭からかぶり目を閉じた。心臓が口から出そうだった。…怖かった。翌日、「こういうことがあった」と家族の前で言うと、弟は当然ながら「姉貴が寝てるのに部屋に入ったりしない」と首を振った。 しかし母は「あら、あんたのとこにも?」などと言う。私たち兄弟が驚いて訊いたところでは、 時々夜中に母が寝ていると狐が布団にもぐりこんでくるのだそうな。 庭に小さな稲荷の祠を置いていた土台があるのだが、もしかしてその狐が夜中に出てきてるのかもしれないとのこと。 確かに母の寝ている部屋は、その土台に近いのだが…
ただ私がそんな体験をしたのはそれ一回きりであった。 他の家族はいまだにその家に住んでいるが、いろんな意味で何もないようなのでまあいいか。この話はうちに泊まる人が来るたびに話す。相手の反応が面白くて、ついしゃべってしまうのだ。 でもホントのことなんだもーん。
二つ目は職場での話。かなりギリギリの仕事があったため徹夜することになってしまった。 修正しては試験、修正しては試験の繰り返しだがなかなか問題の原因がつかめない。 さすがに疲れてきて休憩でもしようかと昼間買っておいたポッキ−(ちなみにサラダ味)を取り出して封を開けた。 ポリポリと齧りながらディスプレイを眺めている私の後ろで足音がする。
「あっちゃー、何で休憩してるときに限って人がくるんだろ。仕事してるよ私は。サボッてるんじゃないからね」
チラリと背後を見たが、誰もいない…だーれもいない…見渡す限り私しかいない。
…でも背後には何となく人の気配がする。
「…もしかしてポッキーが欲しいのかな。でもどうやって勧めたらいいんだ?」
分からなかったので気配はほっといてポッキーを平らげ、再び仕事に取り掛かった。 気配はいつのまにか消えていた。この時はあまり恐怖を感じなかった。仕事が切羽詰っていたせいかもしれないが。しかし心霊関係っぽい話はこの二つだけなのだ、正直なところ。 もう逆さにしてもこういう話は出てこないのでご容赦を。もっと怖い話をご存知の方は掲示板かメールで教えてください。 結構この手の話は好きなんで。怖がりだけど…
(2002.05.30)
今更だが opera を使ってみる。会社のマシン(Win2000,CPU?,RAM130MB)に入れる。立ち上がりが感動的に早い。 いつも使っているIE5とは段違いだ。使い勝手は少々悪いがこれは慣れでなんとでもなるだろう。
嬉しくなったので家のノート(Win98,CPU700MHz,RAM128MB)にも入れる。 立ち上がりの早さはいつも使っているネスケ4.7と大して変わらない。 デスクトップの方(WinMe,CPU800MHz,RAM256MB)にも入れる。異様に立ち上がりが遅い。何故じゃ。
いいなと思ったのが、ポップアップウインドウの無効化を設定できること。 勝手にぽこぽこ立ち上がるウインドウがなくなってかなりスッキリする。 ネスケでは崩れまくってたCSSでレイアウトされていたサイトも綺麗に閲覧できる。 料金未払いの広告表示状態でもメインバーなどのレイアウトを変えればそんなに邪魔ではない。 時々接続状態がおかしくなるのは、プロキシをかましたせいか、うちのルーターのせいかが分からないのだが、 まあそれは細かいところかな。
総括としては、4800円払っても惜しくはないというところである。
(2002.05.25)
W杯である。サッカー大好きのほたちゃんはぬかりなくチケットを入手した。しかも神戸と仙台の二ヶ所。 オヌシも好きよのう。私の分もちゃんと買ってくれたのはいいが、こちとら根っからのインドア派、 まずルールがわからない。そういうわけで、ほたちゃんにレクチャーして頂く。
「と言っても、オフサイド以外は見たまんまだよ」
「ふーん。あ、『いんたぁせぷと』って何?」
「パスをカットすること」
「じゃあねえ、コウモリがインターセプトしたらどうなるん?」
「は?」
「なおかつ、そのコウモリがチームの一員で、ボールの勢いに負けてゴールのネットにめり込んだらどうなるん?」
「え…えーと、どうにもならないんじゃないかなぁ」
こうして着々とサッカーの知識を蓄えているのである。(この元ネタがわかった方はすごい!)(2002.05.25)
先日暇に任せてテレビのチャンネルを回していたら、やけに古めかしい白黒映画をやっていた。 他に見るものもなかったので見ていたのだが、意外なことになかなか面白かった。 『サンセット大通り』というハリウッド映画で、元スターだったが今や落ちぶれ忘れ去られてしまった大女優と、 脚本家を目指す青年との愛憎劇…というと何やらありふれているが、これが配給されたのは1950年。 当時としては過激な内容だったというから、こういうパターンの先駆者だったのかもしれない。 何せ無声映画時代に一世を風靡した女優って設定がすごい。 私は無声映画なんてリアルタイムで見たことないぞ。(当たり前か) すれた現代人から見れば筋こそ「ありきたり」かもしれないが、主演女優の演技は圧巻で見終わった後は呆然としてしまった。 並みの迫力ではない。この人、実際に無声映画時代には大女優と活躍してその後は落ちぶれていたんだそうな。 そういう事情を知ってる人が見たら二倍楽しめるんだろうね。私は残念ながら知らなかったが。 お勧め映画です、と言いたいところだがあんまりレンタルでこういうの借りることってないだろうなあ。 ま、テレビで放送してたらご覧になるのも一興かと存じます。
(2002.05.14)
某サイトではPTAにまつわる『祭り』が再発している。 とは言ってもオーナーたるサイバ老師がさっさと掲示板の入力を制限してしまったため『沈黙のサイト』となってしまい、 荒れとは程遠い状態で落ち着いてしまっている。
あっちやこっちの掲示板で表明したとおり、色々書き込んだPTA氏に対して私は「ふざけんな!」という見解を表している。 初訪問にもかかわらず挨拶は一切なし、PTAという組織のイメージさえも悪化させかねないハンドルネーム、 そして何より「ちゃんと内容を読んでから発言しろ!」と言いたくなるような意見。 どれをとっても困ったちゃんである。
当初は「いけ好かない人だなあ」とは思ったものの、地域の問題によそ者の私が口をはさむのもどうかと思い、 たいした意見も述べずにいた。 せいぜい、「(PTA氏に対して)別にいいじゃん」程度の発言をしただけだ。 ところが再訪したPTA氏は老師に向かって「反省の色が見えない」とのたまい、更には 「なぜ掲示板でオーナー氏に注意する人がいないのか。そういう人はオーナー氏の自作自演ではないか」などど言ったのだ。
ぶちっ。(ここフォントサイズ最大と思ってくだされ)
そう、私の怒りは「組織がどうの、発言がこうの」ではなく単純に「存在を否定された怒り」であったわけだ。 私はこのPTA氏なる人物に問い詰めたい。 自作自演って何だ?麒麟という人物は実は存在しないといいたいのか? アンタに否定的見解を述べるためだけに作られた人格だといいたいのか? で、その人格がわざわざ別のサイトを作ってると思ったわけか? 第一、文章から垣間見える性格は素人目にも明らかな別人じゃないか。 既に演技ってレベルじゃないぞ、多重人格じゃないか。 するってぇとなんだい、私は老師の一人格であるにも関わらず男性と結婚して生活してるのかい。
などと関西人のくせにべらんめい口調で憤慨してしまったのだ。 ま、当の老師は飄々と楽しんでらっしゃるんで、これから先も混乱状態に陥ることはないと思うが。
さてひとしきり遺憾の意を表明したところで今回の注目コーナーにいってみよう。 (いつからできたんだ、そんなコーナー) 某サイトの掲示板は老師のお手製であるが、実は荒らし対策てんこもり(らしい)ことが判明したというわけですね。 要注意人物が一定以上の量を書き込むと管理人に通知してくれるとか、書き込みが制限されてしまうとか、 何だか楽しそうな機能が搭載されているらしい。 私も暇つぶしに掲示板を作ったことがあるが、荒らし対策のすっぽ抜けた代物だったことが今回のことで判明したのだ。 (談話室はレンタルなので、ある程度の荒らし対策はしておりますぞ。念のため…) 呪文のように聞かされる危機管理だが、いかな暇つぶしの種とはいえ設計のときにそれを思い出さなかった私はさしずめ 『みずほの国の麒麟』であるということか。
…はぁ(ため息)
(2002.05.11)
とか何とか練っているうちに一応片が付いてしまいました。(笑)
ブツブツつぶやくだけにしておこうと思ったのに再び長文となりそうな気配である。まあいいや、適当が我が人生の指針ですから。
以前徳間書店がシドニィ・シェルダンの翻訳権を独占したと発表したことがあったが、アホかいと思ったものだ。 シェルダンが売れまくったのはアカデミー出版の超訳という手法がヒットしたからでしょうに。 事実、アカデミー出版より前に他のところで翻訳されているがぜんぜん売れてなかったではないか。 (翻訳した出版社は忘れたけど) シェルダンの翻訳権を独占するなら一緒に超訳グループも引き抜くべきでしたな。 『氷の微笑』はあまりに退屈で三ページで投げ出した数少ない本でしたし。
こんなことを思い出したのは、最近「翻訳ものは訳を含めて作品となる」ということを痛感させられたからだ。 創元推理文庫から出てるシャーロット・マクラウドのシャンディ教授シリーズをご存知だろうか。 アメリカの架空の地バラクラヴァ郡のバラクラヴァ大学に勤務するシャンディ教授が事件を解決するというフォーマットである。 アメリカの小説だが唾を吐き捨てたり、下品な物言いをする人物は皆無といってもいい。 派閥の対立もなく、そんなとこ実在するんかいと野暮な突っ込みもしたくなるほど自由で秩序のあるところが舞台となっている。 ちなみに表紙は天野喜孝の、小説の雰囲気にぴったりマッチしたイラストに飾られている。
この小説の何が面白いって、登場人物の口癖や行動なのだ。それに引きずり込まれてシリーズ十冊ほど一気読みである。 ところが途中から話がつながらない。いつの間にやら新しい人がお目見えしているのだが紹介に預かった覚えがない。 ストーリー自体は独立しているから支障はないが気持ち悪いではないか。 首をかしげながらマクラウド作品一覧に目を通すと、なんたることか扶桑ミステリーから一部出版されているのだ。 何だってまたそんなマイナーなとこから出ているんだ?
いや〜んな予感はあったが読書欲には勝てない、両手の指程度の本屋を巡りようやく入手した。 (ネット注文すりゃ一発じゃん、と突っ込まないで下さい。ま、本屋めぐりも趣味のうちだし) 果たして読後感は「違う〜っ!」の一言に尽きた。登場人物がことごとく微妙に違う人物になってしまっているのだ。 似てるけど違う。そう、パロディでも読んでるような感じである。 シリーズの途中の二冊が何で他の社から出版されることになったのか知らないが、こういうことは止めていただきたい。 ホント、声を大にして言いたいのだ。お願いですからシリーズは通して同じ人が訳してください。 違う社から出すのであればシリーズの最初から訳してください。
しかし固有名詞にそれほど差分がないだけでもましだったのかもしれない。 ラヴクラフトの暗黒神話なんぞ肝心の神の名前が「クトゥルー」「クトゥルフ」「ク・リトル・リトル」 など訳者によっててんでバラバラ。ここまでくると、かなり泣けてくるものがあるなあ。
「ギョエテとは 俺のことかと ゲーテ言い」なんてね。
(2002.05.07)