人体 〜地球人は宇宙人か


母なる大地、我らが星、地球。 ガンダムのナレーションにでも使われていそうなフレーズである。

さて、この母なる大地は、本当に母なのか疑問に襲われないだろうか。 例えば人の体内時計は二十五時間であり、昼夜の区別がないところで過ごしていると実際の時間とリズムがずれていくという話がある。 これの説明として用いられるロジックの一つに『地球人の地球外生命体起源説』がある。 つまり、もともと人間は地球以外のどこかの星で誕生した生命体が隕石か何かで地球にやってきたところに起源があるというものである。 これに思想や宗教が絡むと胡散臭いことこの上ないが、とりあえずこの起源説だけを聞けばそこはかとないロマンを覚える方もいらっしゃるのではなかろうか。 昔バブル華やかなりし頃話題になった『宇宙葬』も金持ちの道楽ではなく故郷への新たなる旅立ちといえるかもしれない。

とはいえ、本当に人間の起源が地球外生命体なのかどうかは悩むところである。 決定的な証拠がないのである。 そのような重大な話題に対して、市井の一詭弁家である私が結論付けるなどという大それた考えは持ち合わせていない。 だがしかし、一つのサジェスチョンを呈することはできる。

すなわち人間の起源は地球以外の星であり、なおかつその星は地球とは異なる物理法則を持っているのではなかろうか。

突拍子もない、と呆れないでいただきたい。 この結論に達するにはまず中国四千年の真理を知らなくてはならないという、実に深みのあるサジェスチョンなのだ。 もったいぶった似非学者なら中国の歴史をおもむろに紐解いて、どうでもいい部分から大回りに説明を始めるかもしれない。 だが、私は知識の出し惜しみはしないし、単刀直入に説明させていただこう。

まずこの幹となる『中国四千年の心理』とは何であろうか。 皆さんも一度ならず耳にしたことがあるであろう、『頭寒足熱』という言葉である。 「頭は寒く、足は温かい状態が人にとってもっとも良い状態である」ことを端的に表わしたこの四字熟語が宇宙への扉を開くのだ。

この『頭寒足熱』が快適であるのは皆さんも経験的にお分かりであろう。 逆に頭のほうが暖かければのぼせてしまい、足が寒ければ下痢に至る。 足元に毛布を巻いて勉強やゲームを行うのは人間として基本的なことである。 ところが自然界ではまったくもって逆の現象が起こる。 暖かい空気は上にいき、冷たい空気が降りてくる。 エアコン業界は足元を暖める技術に四苦八苦している。

今更「気体は暖められると分子の活動が活発になって、密度が減り体積が増える。同じ体積で見れば暖かいほうが軽いことがわかる」などといった説明は不要だろう。 要するに自然界の掟として暖かい空気は上に、冷たい空気は下にいくのである。 しかし先ほど申し上げた通り、人にとって快適なのは『頭寒足熱』である。 これは重要な食い違いである。

地球上で誕生した生物であるなら、地球の環境に適応していなければならない。 実際私たちは引力や気圧を苦痛と思うことなく生活できるような肉体を有している。 呼吸すれば息苦しいと思うこともない。 食事も大抵は特別に加工する必要もなく食べることができる。 しかし『頭寒足熱』なのだ。 非常に遠い昔からこれだけは譲れないとばかりに連綿と受け継がれてきていることなのだ。

私たちの起源である星がどのような環境であるかは定かではない。 もしかしたら酸素がないかもしれない、引力ももっと大きいか小さいかわからない。 そこから飛来した私たちの祖先とも言うべき生命体は生き残るために地球の環境に合うよう進化したのであろう。 呼吸ができなければ死ぬ、身体が貧弱では生き残れない。 だが少々不快であるだけならば進化の優先順位は非常に低いのではなかろうか。 『頭寒足熱』が快適だとはいっても『頭熱足寒』の状態で生命が脅かされるわけでもない。 毛布やストーブなどの道具を使えば、自然界の法則に反していても『頭寒足熱』にすることができる。 だから余計にこの部分は環境に応じた変化を遂げなかったのではあるまいか。

つまり、私たちの祖先になる生命体が生まれた星では暖かい空気が足元に、冷たい空気が上にくる星であったのだ。 『頭寒足熱』とは私たちの遺伝子に刻み込まれた、母なる星に対する思慕と言い換えてもいいのかもしれない。

これから先もこの不自然な状態こそ快適だと思う感覚はなくならないだろう。 暖房機器は日進月歩の勢いで足元を暖める技術を高めていくであろうし、個人のささやかな創意工夫でいくらでも快適な状態を作り出すことができる。 進化しなければならない差し迫った必要性がないのだ。 私たちは今日もこの不自然さに首を傾げながら足元を暖めて快適に過ごしているのだ。

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