温新知故

最近のサニーデイサービスや山崎まさよしの音楽を聴いていて、感じたことを一つ。

彼らの音楽を聴いていると私の学生だった’70年初期のころをおもいだします。当時はハードロックやソフトロック、〜今はこの言葉は他のジャンルの音楽を意味するようなので、フォークロックと行ったほうがいいののかもしれません。しかし、私にとっては最近のソフトロックの定義は納得できていません。私にはあくまで’70年当時の定義のまま!〜さて、話を戻して、そのような音楽が若者、ヒッピー文化や野外音楽会の形でかなり人気がありました。基本はロックで、このロックという言葉も音楽のジャンルだけではなく、ロックするというような形で精神や主義のように使う場合も多々ありました。その中で、これらの精神や主義までかかわる音楽を理解するには英語による歌詞の理解が我々日本人には大きなハードルというか、消化不良なところでした。歌う前に英語の歌詞を語りで説明するブルース系の人もいました。当時のその世界的なロックブーム中には、商業主義的なポップミュージックに対する反発も多く込められ、それがまたヒッピー文化と相まって多くの共感を得ていたようでした。

そう、私の好きなポップミュージックは商業主義、もっというと金儲けのための音楽です。でも、これはほとんどの音楽がそうです。クラシックも映画アマデウスのなかのモーツァルトなどの描き方が本当なら、全く同類です。金儲けが目的でないものには古くから伝わるいわゆる民謡やわらべうたぐらいしかないでしょう。だから、民謡の歌そのもの、あるいは歌い手、演奏者のパワーは並大抵ではないのかもしれません。いまでは、ワールドミュージックでこのパワーを私はよく感じ、並大抵でない感動を得るときがあります。

その中で当時、歌い手の、歌の作り手のメッセージをより深く聞き手に伝えたいという気持ちから、当時の作り手から直接聞いたわけではないのでこれは想像ですが!、なんとか日本語オリジナルのロックを作りたいということで、多くのグループが挑戦しました。そのなかでも、有名なグループにはっぴいえんどがいます。このグループにはこのグループ活動後も作詞家として美しい日本語の使い方、映像をイメージできる歌詞、新鮮な日本語の言葉づかいのヒット曲の数々で私も感心、尊敬する松本隆氏がいました。他にも大滝詠一さん、鈴木茂さんなどもおられたのは皆さんもご存じでしょう。

さて、本題ですが、サニーデイサービスの音楽を聴いていると、このはっぴいえんどとの共通性を多く感じます。特に映像をイメージ、新鮮な言葉づかいの点で感動するところが大です。ときには、はっぴいえんどが実験的に挑戦していたことをこともなげ〜これはそうじゃありませんね、たぶん、苦労してでしょうけど〜にやってのけてしまってる感じもします。

このことは、山崎まさよしでもいえます。それは、ロックの精神的なところの多くの位置を占めるブルースフィーリングです。彼の歌にはそれがあります。’70年頃から現在まで地道に活動しているグループで私が注目していて好きなのは、憂歌団です。この憂歌団は本当にアーシーなブルースを素朴な構成の楽器のみで演奏し、かつ日本語でその歌詞として取り上げた題材もブルースにふさわしいものを扱っていると私は思います。そして、それが私にとってたまらない魅力です。その憂歌団がこつこつと積み上げてきたものを、山崎まさよしは彼のボトルネックギター奏法とともにこともなげに!!〜また使っちゃった、これもほんとうはたぶん苦労しているのでしょうね?〜実現していると思います。

つまり、上にあげた2人を例にすると、温故知新ではなく温新故知、すなわち、新しきを温め古きを知るというわけです。オールディーズの好きな皆さんも、オールディーズというジャンルの音楽だけを聴くのではなく、ときにはこのような新しい人を聞くと古い良い音楽に関してもいろいろあらたな感動を得られますよ。

ともかく、このような人が日本にも出てきて、その人たちがマイナーに終わらず、ビジネスとしてビッグな存在として確立してきた今日は、今後の日本の音楽シーンに大きな期待を抱かせるものと、1音楽ファンとして大いに喜んでいるというわけです。フライビッグバードホームページに戻る。


フライビッグバードホームページに戻る。