released:18 Feb.,2001
クルマという商品
以前、ユーザーのクルマとのかかわり方を「クルマの居心地」というキーワードでしらべたことがありました。そのとき、とくに印象的だったのは、人生のいろいろな思い出の一こまにクルマが登場するということでした。
なくなったご主人の思いで。主婦からキャリアウーマンへ変身する場、恋人とクルマから眺めた夕陽など。
また、造る側と使う側の視点の違いもありました。
子どもにとってのリアシートの使い心地。高齢の方の各操作系の使い心地。
また、クルマと人間の関係が、単なる道具と人間にとどまらず、ペットと人間との関係をほうふつとさせるような場面も多くみられました。
クルマの写真をとってといったら、子どもと一緒に写っていたり、エンジンを写して見たり。
このことから、人はクルマを使うとき、家電商品を使うときとはずいぶん違った思いをもっているなあと思いました。確かに趣味性の高いオーディオ製品などではクルマと似たような思いがあるとはおもうけど、クルマはそれ以上の存在じゃないでしょうか?。
工業製品の未来と茶道 一方、一見関係があるとは思われない「茶道とクルマ」ですが、お茶の世界は「人と道具との関わり合いかた」のノウハウにおいては先達でしょう。人との深い関係を育ててきた「クルマ」という工業製品の未来にとっても、参考になるヒントがたくさんあるのではないかということが、このクルマを肴に・・・ingで「茶道とクルマ」をまとめるきっかけでした。
また、現在いろいろな問題のため閉塞状態であるクルマ開発の状況(魅力的なクルマがなくなった!)を打破するキーワードとして日本の伝統文化である「茶道」をとりあげ、日本発の世界の文化に対する提案として21世紀のクルマ社会かくあるべしと発信できないものかとここで語る次第です。
茶道と「クルマとのつきあい」の共通点とその生かし方 さて、茶室の場と、車内の場には、多くの共通点があるように思います。
例えば、
●外界から切り取られた小さな空間であること
●身をかがめて入る、狭い空間である
●一人の亭主(運転者)がいて、お客さん(同乗者)がいる
●よく知らない人同志でも、肩もふれあわんばかりの狭いところで同席し、コミュニケートせざるを得ない
●狭いところに同席するので、居合わせた人達が空気をなごやかにしようと独特のふるまいをする
●免許によって、ふるまいのノウハウを習得した人が格付けされる
●手に触れる「もの」の質にこだわる(革巻きハンドル、天然木シフトレバー)
こう考えると、なるほどなるほどと思いませんか?。
さて、このような共通点を今後のクルマ作りに生かせないか考えてみます。
● 外界から切り取られた小さな空間であること
これは日常性からはなれたある種の緊張感をもたらす空間として車内を利用することの可能性を示唆していませんか。とすれば、居住性をよくする方向の開発、改善ではなく、心地よい緊張感を与える空間として車内を演出することも可能ではないですか?。
さる人によれば、商談などに車内というのは、みずしらずのものが景色という共通の話題を得るかっこうの場だそうです。この様な商談の場として車内のインテリア、機能を考えたらもっとユニークな発想が生まれるのでは?。
● 身をかがめて入る、狭い空間である
乗り降りしやすいクルマではなく、乗り降りする際にある種の儀式、作法を要求するクルマっていうのはどうですか?。
その車内に入るふるまいを、いろいろな季節、天候などにおいて、なにが「粋」でなにが「野暮」かを論ずれば、クルマ道なるものが成立しそうだとは思わないですか?。今後このウエブページでクルマ道なるものをつくっていこうかな?。
●一人の亭主(運転者)がいて、お客さん(同乗者)がいる
2人で車内で過ごすときの作法、相手が異性の場合、同性の場合、これらについてもなにが「粋」でなにが「野暮」かを論ずれば、これもクルマ道にきっとつながると思います。3人の場合、4人、5人と展開すればさらなる発展が考えられますね。
●よく知らない人同志でも、肩もふれあわんばかりの狭いところで同席し、コミュニケートせざるを得ない
暗黙のうちに、相手が好みか、嫌かをつたえる所作を論ずればこれもクルマ道に!。また、それを相手から何気ない所作で悟る極意などを極めることが、クルマ道を極めることになるとすれば、さらに奥深いものとなりそうです。
●狭いところに同席するので、居合わせた人達が空気をなごやかにしようと独特のふるまいをする
これはまさにそのものずばりのクルマ道でしょう。
これらは、緊張感をもたらす方向とそれに相反する方向の2つの関係ともいえます。緊張感をうる儀式やシチュエーションと同時に、この他人とのコミュニケーションを円滑にするような場を作ることはかなり難しいといえるでしょう。そこで時間軸を考え、乗り込むまではある種の儀式、作法が必要だがひとたび例えばシートに身を沈めれば、そこにはリラックスした空間がうまれるような演出を具体化することがクルマ道の極めの到達点となるのではないでしょうか。
●免許によって、ふるまいのノウハウを習得した人が格付けされる
これは、他の電化製品などでは見られない特徴である、すなわちクルマ(もちろんオートバイやモーターボートの乗り物も同じであるが)はそれを運転するためには、一定の知識、熟練を得たものがライセンスにより、公にそれを扱うだけの資格に値するとの認定を受ける必要があるということです。これは、茶道(これもお茶に限らず、花道や武道も同じである)も同様な知識、熟練を要する点で共通します。俗にいう免許皆伝っていうやつですよね。熟練の度合を示す階級もあるんですよね。茶道などには?。
まとめ 以上のように、一見何も関係のなさそうな「茶道」と「自動車」の関係において興味深い共通項があることが御理解いただけましたか?。
いろいろな人達がそれぞれの「粋」や「野暮」を構築して、いろいろな流儀がでてきたら面白そうじゃありませんか。
今回はまだその共通性に気がついたという時点での報告で、まだまだその具体化は今後のということで次回をお楽しみに。
また、この内容はSEV研究会で発表したものに基づいています。