このページについて


 まず誤解のないように書かなければなりませんが、このページは「横浜フリューゲルス」についてのページで、「横浜FC」とは無関係です。多くの人が「横浜フリューゲルスのサポーターは横浜FCのサポートにまわった」と思われているようですが、全員が全員「横浜FC」の設立に参加したわけではありませんし、賛成した訳でもありません。

 私個人は、横浜フリューゲルスの存続活動には参加していましたが、こと新しいチームを作るという点については終始距離をおいていました。今まで一緒に戦ってきたチームスタッフや選手のみなさんの事を考えると、少なくともチームの最後を看取るまではそのような気持ちになれなかったというのが本当のところです。私の心の中で、自分がサポートし続けた「横浜フリューゲルス」というチームは、1999年1月1日の天皇杯優勝で有終の美を飾り、クラブとしては2月に合併という形で消滅しているのです。

 私が応援を最後まで続けたこのチームを今想いおこすと、本当に色々なことがありました。このページの中でも触れていますが、素晴らしく良いところもいっぱいありましたし、あまり誉められないようなこと(応援のこととか………)もまた多かったのです。すべてが素晴らしかったと美化するつもりはありませんが、一つだけ確かなことがあります。それは自分にとって「一番大切なクラブ」だったということです。

 このページには「過去の記録を保存する」という後向きな役割を第一に与えています。今思うに、私達サポーターはクラブに関してあまりにも不勉強でした。もちろん一般的な知識としては充分だったのでしょうが、ことあの局面に至っては不十分きわまりないものだったと反省しています。「今さらこんなことをしてどうなる」という声も聞こえてきそうですが、自分なりに自分にとって「一番大切なクラブ」を再構成したいと考えたのがこのページです。

 クラブがなくなって、一時期随分と落ち込みました。テレビを見ない日も多くなりました。でもあれから半年以上たって、多くの元横浜フリューゲルス関連のページが衣替えしていくのを見るにつけ、「横浜フリューゲルス」の記録を私なりに何とか残したいと思うようになりました。横浜フリューゲルスはどういうチームで、どう闘い、そしてなくなっていったのか、何年もたってからクラブのことを思い出せる場所を作っておきたい、そしてクラブの栄誉を永く讃えたい、そう考えたのです。

 内容については作成中の部分も多いですが、徐々に体裁を整えて行きたいと考えています。完成まではしばらくかかるかもしれませんが、それまで気長にお待ちいただければと思います。

Takeuchi Toshihiro




top