私の好きな時間



 見慣れていた風景が、ほんのりと色みを帯びだした。
そして日毎に桜色の密度が増していく。
油絵の絵の具を塗り重ねていくように、こんもりと色が重なり、更に鮮やかになっていく。

 春が訪れる前から、私が心待ちにしていた八重桜が、今年もまた咲き出したのだ。
濃いピンク、淡いピンク、白……、様々な色のグラデーションが綺麗だ。

 一年前、満開の八重桜の下で、一人きりの贅沢な時間を楽しんだ。
八重桜の咲く場所は、身近に数ヶ所あるが、様々な種類を眺められるここの八重桜は特別気に入っている。

 この数日、出掛ける度に回り道して、車の窓から眺める日が続いた。
あの八重桜に間近で逢いたい。

 枝の姿が判らないほどに花を開いた八重桜は、そろそろ満開の時を迎える。
お昼休みにカメラを持って様子を見に行くと、門が開け放たれ、車が止まっているのが見えた。
運良く入り口の側で作業をなさっていた管理者と目があったので、車を降り声を掛けてみた。

 "いいですよ、どうぞお気をつけて"と一年前と同じように、快い返事が返ってきた。
ほっと安堵。それにしても、お気をつけての意味は何なのだろう。
毛虫か蜂か、はたまた蛇でもでるのか…。
けれど、そんな心配以上に魅力を感じさせる何かが八重桜にはある。
私は躊躇せずに奥へと歩いた。

 今日は、一気に夏が来たような陽気だ。
満開の八重桜にただただ感激して、引き寄せられるように歩いていた一年前のあの日は、どんな天気だったろう。
記憶をたどりながら、新緑の中を進んでいく。
陽射しが眩しい。

 私のお気に入りの木が見えた。
桜の木の周囲には、軟らかな土があり、去年も靴を土だらけにしたっけ。
何だか懐かしく思える。photo
敷地内に一歩踏み出すと身体が沈み、くるぶしまで土に埋まる。
二歩目、更に沈み、靴の中に土が入り込む。
三歩目になると、もう気にしてもいられない。
後はざくざくと歩いて行く。

 八重桜は、染井吉野よりも花びらが数倍多く、色も濃く鮮やかで華やいでいる。
ブーケのように固まって花のついた枝先や、さくらんぼのような蕾は、とても愛らしく感じる。
光を受けて輝いている八重桜。photo
中でも、牡丹という種類の白い花が私は好きだ。

 同じように見えても決して同じではない花のひとつひとつを、眺め歩いて行く。photo
八重桜の下では、鳥のさえずりと、私が押すシャッターの音だけしか聞こえない。

 静かに時が流れていく。
一年前と同じ場所。
私にとっての贅沢なひととき。
今年もまたここに立っている幸せに感謝した。

 鈴なりの八重桜は、時折そよぐ風とたわむれている。
その光景を、心のフィルムにしっかり焼き付け、満開の八重桜を後にした。





by kuni92 (kuni92 kokoda)
私の好きな時間
98/04/20


八重桜の画像は他にもたくさんあります。


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